経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

10/31の日経

2018年10月31日 | 今日の日経
 9月の新規求人数の大きな落ち込みは、災害によるものだろう。とは言え、年明け以降、輸出が頭打ちになったことで、景気が陰りを見せてきたこともあり、新規求人の増加速度が低下してきていることも事実だ。そろそろ底入れかというところで、災害に見舞われた形となった。来月には戻しがあると思われるが、設備投資が先導する内需主導の成長には、もう少し時間が必要である。少なくとも、外需には頼れない中で、緊縮に走るような余裕はないと思うんだがね。

(図)



(今日までの日経)
 新規求人数マイナス 09年11月以来。
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日本経済・戦後3度目の転換点

2018年10月28日 | 経済
 10%消費増税が決まり、この国は、どうしても成長したくないらしい。せっかく戦後70年余りでたった3度しかない成長加速の転換を果たしたのに、わざわざ壊しに行かずとも良さそうなものである。単純な増税反対論者はいるけれど、2021年度末に基礎的財政収支の赤字がゼロになる軌道にあること(9/23)を知らないから、負担を嫌がっているだけにしか見えず、まるで説得力がない。余計なマネをせず、現状維持に留めることが、これほど難しいとはね。

………
 日本経済が成長加速の転換点を迎えたのは、高度成長の出発点となった1954年、バブル景気の出発点だった1983年、そして、今の景気の出発点である2014年の3度しかない。それほど現状は貴重であり、つまらぬ拘りで失うのは惜しい。転換点が見て取れるのが下図の消費率の動向だ。それぞれの年でピークをつけ、これ以降、消費率とは裏腹の投資率が高まって行き、成長が加速するわけである。

 1954年から6年間は、神武・岩戸景気に当たり、高貯蓄高投資の高度成長の経済構造が形作られた時期だった。1983年からの8年間は、経済大国として名をはせ、バブル景気へと向かう道程である。2014年から今へ至る4年間は、出発点があまりに悪過ぎ、未だリーマン前並みに戻ったくらいの水準だから、好況の実感はないにしても、これからというところで、消費増税の大ブレーキをかける。

 歴史的にみると、長期的な波動を示す消費率の山谷以上に重要なのは、1997年からの上昇局面だ。大規模な緊縮財政によって、それまでの高貯蓄高投資の経済構造が壊れて、デフレ経済へ移行してしまったからだ。社会的にも貧困と格差が広がって行く。いわば、豊かさと平等の「戦後」は、ここで終わった。人為的に需要ショックを与えることは、歴史的な画期をもたらすほどの重大な結果を残すのである。

(図)



………
 戦後の日本経済史において、高度成長は時代の波に乗っただけと評価されるのが普通である。そこには、誰がやっても似たような結果が得られたであろうという含意がある。しかし、失われた20年を経験して、敢えて成長の足を引っ張るような経済運営をしないことが、どれほど難しいか実感させられる。どうすれば成長するのか、本当のところが分かっていないので、どうしても「角を矯めて牛を殺す」ようなことをしでかす。

 振り返れば、高度成長だって、貿易立国ではなく、輸入代替の隘路に迷い込む可能性もあった。これで失敗した途上国が多かったからこそ、日本の高度成長は奇跡とも称されたのである。輸出を牽引力にして成長を確保する戦略は、日本に続く国々が雁行的に現れ、いまや経済開発の常識にまでなっているけれども、それは結果が分かったから言えることであり、当然の選択ではなかった。

 加えて、日本の高度成長では、熾烈な人手不足にさらされても、欧州と異なり、外国人労働者を入れなかった。これが賃金上昇を通じての再分配に働き、社会保障が充実しているとは言いがたい中でも、安定した平等社会を実現できた。人手不足であればこそ、省力化投資もなされるし、産業構造も高度化する。おそらく、これも、失ってみなければ分からない功績ということになろう。


(今日までの日経)
 入管法改正案 異論相次ぐ。免税事業者に課税 軽減税率の財源、1兆円確保へ。新NAFTA エンジン域内生産義務に。ガソリン4年ぶり高値。消費増税 円安の経験則。
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エグい少子化論と世代間の不公平

2018年10月21日 | 社会保障
 「少子化に強い年金制度って作れないですか」と問われて、「数理的には簡単で、子供のない人には給付しないか、2倍の保険料を取ればできますよ」と答えると、何かマズいことを聞いてしまったなという反応を受ける。理屈は正しいように思えても、ポリコレ的にどうなのかというわけだ。男性なら「そうは言っても、現実的にはどうかな」という返しとなり、女性だと「そんなのヒドいです」とストレートだ。数理的な正しさなど、世間的には説得力ゼロである。

………
 権丈善一教授の『ちょっと気になる政策思想』では、ミュルダールの少子化論が紹介されている。子供を持つ経済負担は、出生率の低下という「合理的」な選択につながり、生活の基盤を崩壊させるため、解決手段として、老年層への社会保障を撤廃するか、子供の養育費を国家が賄うかの選択となるとし、後者の道を望ましいものと位置づけ、出産と育児に関する「消費の社会化」という言葉で訴えるものだ。

 実は、先のエグい少子化論が摘出するのも同じ問題だ。賢きミュルダールは、言葉を選んだということである。ただし、数理的な把握がないと、負担の大きさは測定できない。例えば、賦課方式における最適な積立金の大きさは、(親世代の人数-子世代の人数)×生涯給付額という式を使って、初めて計算できるようになる。むろん、出産や育児の支援で少子化が克服できれば、計算するまでもないわけだが。 

 加えて、少子化は、積立金を用意すれば、すべて解決がつく問題でもない。極端な話、出生率がゼロになると、いくら積立金を用意しても、そのカネを受け取って、サービスを提供してくれるヒトが存在しなくなるので、無意味になる。ゼロにはならずとも、出生率が低いと、サービス価格が高くなり、せっかくの積立金は大きく減価する。請求権であるカネよりも、供給力の実物たるヒトを用意することが、経済や社会にとって遥かに重要だ。

………
 同じことは、財政赤字についても言える。最近の財政再建のスローガンは、「孫子の代に負担を押し付けるな」とする「世代間の不公平論」が定番だが、負担の意味を、おそらく、わざと取り違えたまま使っている。当たり前のこととして、未来の財・サービスを今の時点で消費することはできない。ミクロで借金を残すのとは異なり、マクロでは、国内の債務は、誰かの債権でもあるので、国全体だと差し引きはゼロになる。

 本当のマクロ的な負担の意味は、財政赤字によって設備投資が阻害され、生産力の形成が十分になされず、将来の供給が少なくなり、孫子の代が利用できる財・サービスが限られてしまうことである。したがって、財政赤字が設備投資を阻害しているのなら負担増だし、逆に、財政赤字が需要の提供を通じて設備投資を促進する状況なら、負担「減」になる。つまり、その時の経済状況次第である。

 新古典派的な右側の経済学は、利益最大化の行動によって、常に最大限の設備投資がなされているはずと考えるから、財政赤字は必ず設備投資を阻害するとみなす。他方、ケインズ的な左側の経済学は、需要リスクによって不合理に設備投資が委縮している場合があるとするから、財政赤字が経済成長にプラスに働く状況があり得るとなる。結局、財政赤字が孫子の負担になるか否かは、経済観によって変わるのだ。

………
 とある経済において、設備投資の限界がどこにあるかと言うと、労働供給力による。設備投資をするカネは、いくらでも創造できるのに対し、設備を使うヒトは、すぐに増やせないからだ。日本は、失われた20年において、緊縮財政による需要不足に喘ぎ、労働供給力による設備投資の制約は無いも同然だった。むしろ、企業は、若者を安使いし、結婚を難しくして、ヒトの再生産をできなくした。人的資本の過少投資が起こったのである。

 これは、木を伐り尽くして資源を枯渇させることと変わらない。社会保障の最重要の役割は、再分配を行いつつ、こうした人的資本の収奪を防ぎ、経済を持続可能にして、長期的利益を最大化することである。その意味で、資本主義の欠かせぬ一部だ。右側の経済学は、世代間の不公平を言い立てるが、その実、短期的利益のため、将来の経済を小さくし、明るい未来を失わせただけであった。

 財政赤字は企業の過少投資の裏面であり、政府が不合理な行動を緩和した結果だ。それで累積した国債を一気に解消することは、逆の不合理な行動である「バブル」でも起こさない限りは無理であろう。福祉国家にとって、累積した国債は恥ずべきものではない。ミクロの価値観に囚われて、借金は返さねばなどと思い煩ったりする必要はない。安定的に管理すれば、それで十分なのである。


(今日までの日経)
 中国、7-9月6.5%成長に減速。中国市場 止まらぬ動揺。
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10/17の日経

2018年10月17日 | 今日の日経
 来年10月の消費増税が決まったようだ。2014年の消費増税の前には、景気の下振れリスクに対応するとして、事業規模18.6兆円、国費5.5兆円に及ぶ「好循環実現のための経済対策」が実施され、1兆円規模の法人減税もなされた。その結果は、下図のとおりで、激しい駆け込みと反動、消費水準の低下、伸びの屈曲と3年近い横バイ、5年がかりの水準回復だった。「This Time is Different」(今回は違う) なんだろうね。 「あらゆる政策を総動員する」らしいが、2019年の年金支給年齢の引き上げは対象外だろうし、軽減税率見合いの緊縮も別物ではないか。世の中、そんなものだ。

(図)



(今日までの日経)
 米財政赤字1兆ドル超も。貿易戦争、中国値上げの波。外食8社、全社が減益、7社増収。大機・金森さん・隅田川。バイト時給、販売3.3%高。消費増税予定通り来年10月 首相きょう対策指示。

 ※米国は、財政による追加刺激で長期停滞という議論は聞かれなくなったのだから、彼我の差は分かりやすいよね。
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ちょっと気になる財政赤字と社会保障

2018年10月14日 | 社会保障
 マクロ経済を見る上で、最も重要な概念の一つは「貯蓄=投資」である。これは、会計的な恒等式であり、定義のようなものだから、正しいも何もない。ところが、その意味するところは、常識では意外に思い至らないものである。財政赤字の削減は、借金を少なくし、使っていた貯蓄を余らせる行為である。では、その余らせた貯蓄の使い途まで考える人がどれだけ居ようか。このことは、権丈善一教授の『ちょっと気になる政策思想』に出てくる左右の経済学と深くかかわる問題だ。

………
 主流派である右側の経済学では、貯蓄が余ると金利が下がり、投資が促進されると考える。すなわち、貯蓄が余っても、自動的に投資が増えるメカニズムがあるので、投資先のことを気にせずに、思いのまま貯蓄を増やせると思っている。例えば、消費増税で政府が貯蓄を余らせると、これを使えるチャンスとばかり、企業は設備投資を増やすというわけだ。まさかね。実際には、そんな経営者がいるはずがない。こうした右側の理屈が机上のものでしかないことは、4年前の消費増税という「人体実験」で証明されたばかりである。

 他方、ケインズ派の左側の経済学だと、設備投資は需要を見てなされるから、増税で消費が落ちる局面では、怖くて投資はできなくなるとする。こちらは誠に現実的だが、余る貯蓄を活かして利益を最大化していないという意味で、不合理な行動を前提にしているとも言える。もっとも、右側の論理に乘り、金利の調整メカニズムを認めるにせよ、迅速に働くかは別問題だ。日本のように、ゼロ金利で下がる余地がない中で、一気の消費増税を行うのは極めて危険で、あのIMFですら、刻むよう説くところだ。

 権丈教授がそうであるように、社会保障のために消費増税が不可欠と考えるのは、筆者も同じである。消費増税をしても、直ちに再分配に充てるのなら、貯蓄は余らず、マクロ経済上も支障はない。しかし、純増税だと、そうはいかない。過去に社会保障費の増大で生じた赤字であるにせよ、今になって増税すれば、デフレ圧力がかかる。需要リスクで設備投資が減退すると、資金や労働力があぶれ、成長力を十分に活かせない不合理な状態へ陥ってしまうのである。

………
 日銀・資金循環を見れば分かるように、政府の資金不足と企業+海外の資金余りは、対称的になっている。すなわち、財政赤字を削減して貯蓄を増やすなら、貯蓄を使う設備投資や輸出が増えていなければならない。財政赤字は政治決断で削減できても、設備投資は思うに任せないから、設備投資や輸出の動向に合わせて、受動的に財政赤字を削減するほかない。消費増税は、同時に社会保障を拡大する分しか上げられないと考えた方が良く、財政赤字の削減には、別の手段を割り当てる必要がある。

 権丈教授も示唆するように、財政破綻を避け、赤字を発散させないためには、基礎的財政収支を均衡させることと、国債金利を名目成長率と同等以下に保つことが条件となる。日本の財政当局は、表立って説明しないけれども、毎年の当初予算の歳出増加幅を、経済が1%成長した場合に得られる税収増より小さくしている。税収が50兆円なら、歳出増を5000億円以下にするということだ。加えて、補正後の歳出額は増やさぬようにしており、2021年度末には、収支均衡の目標に達する見通しにある。(コラム9/23参照)

 残る心配は、将来的な金利の上昇だが、金利には課税があることを見逃してはならない。つまり、政府は、課税の分だけ割り引かれた金利を払えば済むので、金利≦成長率の条件は、その分、緩くなる。税率が20%なら、国債残高と課税対象の民間金融資産との比率が1対5であれば、金利が上昇した際には、利払費と同じだけ、利子等からの税収が増える。すなわち、利払いのために、消費増税や年金カットをしたりする必要はまったくない。喫緊の課題は、消費増税でなく、安全性を高めるために税率を25%に引き上げておくことだ。

(図)



……… 
 「財政赤字は社会保障費が膨らんだせい」という見方は、一面的なものに過ぎない。貯蓄と投資のバランスから見ると、企業部門が十分な投資をしない、貯蓄をし過ぎる、偏った分配をしていることが原因とすることもできる。財政赤字は、貯蓄と投資の不均衡に対応せざるを得ない「次善の策」であって、財政における貯蓄の使い途が、かつての公共事業から現在の社会保障に変わっただけとも言える。そして、権丈教授が示した左右の政策思想と同様に、どちらの見方に立つかで、採られる政策が決まってくる。

 物価と賃金の上昇率が未だ低い現状では、財政赤字をなくす最善の策は、企業や資産への増税であろう。しかし、それは政治的に極めて困難だし、右側の経済学が守備を固めている。大切なのは、財政赤字との同居という次善の策が「ジリ貧」で不安だからといって、消費増税という「ドカ貧」の下策に走らぬことだ。焦りに駆られて、「真珠湾攻撃」に突進したりせず、利子課税や日銀保有などで巨額の国債を管理し、気持ち悪くとも辛抱強く耐えていかなければならないのである。


(今日までの日経)
 「日本も例外でない」米財務長官、為替条項に言及。1次補正予算案9400億円。仮面ブロガー 事件斬る。

 ※おっと、今回も長くなったね。社会保障の役割の話は、また来週。 
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10/11の日経

2018年10月11日 | 今日の日経
 昨日の機械受注は、基調判断が上方修正となった。輸出が伸び悩む中でも製造業が順調なのは、むしろ、意外なくらいだ。非製造業が伸びたのは、輸送業の突出があるにせよ、建設業が増えるなど、全体としても良い。先に公表された9月短観でも、業況判断は悪化でも、設備投資計画は堅調に推移しており、引き続き、景気には加速感がある。短観の分析は、第一生命の熊野英生さんという練達の読み手がいるので、そのレポート(10/1)を参考にされたい。9月の景気ウォッチャーは、ほぼ横ばい。底入れを思わせるので、今後の動向が楽しみだ。

(図)



(今日までの日経)
 温暖化特別報告が突きつける厳しい現実。経済教室・危機が変えた経済経済モデル。

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ちょっと気になる右左の経済学と社会保障

2018年10月08日 | 社会保障
 いつもながら、権丈善一教授の新著『ちょっと気になる政策思想』は、おもしろかったね。供給に着目する右側の経済学、需要に焦点を当てる左側の経済学、どちらを選ぶかかで、必然的に社会保障の見方は決まってしまう。むろん、右なら生産力を増強する障害になり、左なら成長を引き出すために不可欠となる。もし、それほど思想の上で重要なら、左右の「正しさ」のほどを知りたくなるのが人情だろう。今回は、ここに焦点を当てて考えてみたい。

………
 「成熟した経済では需要が不足するのであり、社会保障による再分配を通じて消費を補うことは、健全な成長に貢献する」という見方は、極めて良識的だ。正否を離れて、より良い安定的な世の中に資する。政策としては、これをベースに、設備投資が阻害されぬようマクロ管理を行うのが無理のないやり方だ。これが逆だと、政治的軋轢が生じやすく、経済運営の舵取りも厄介なものになる。

 とは言え、この手の議論の「消費不足」という見解は、ケインズ以来のものであるにせよ、実証的には、「正しい」と言えない。ケインジアンは、ここを直視しないと、右からの余計な「つっこみ」を食らう。下図は、名目GDPに占める消費の割合を示したもので、民間消費+政府消費を「総消費」としている。民間消費に段差があるのは、SNAの仕分けの変更による。一目で分かるように、消費率は、好況だと低く、不況だと高くなる。

 つまり、消費は、相対的に、好況時に少なく、不況時に多くなるということだ。これは、「ラチェット効果」として知られるもので、好不況で設備投資が大きく変動するのに比し、消費が安定的なために生じる。それゆえ、設備投資は、景気の原動力ともされるわけだ。消費率は、経済の成熟に従って減ったりせず、循環的に推移してきた。戦後の国民経済計算の整備によって分かった成果である。

 すると、不況で足りない需要は何かと言えば、設備投資でしかない。不況とは、金利も賃金も十分に低く、投資収益が見込めるのに、それでも投資しないという、経営者の不合理な行動の帰結だ。利益追求に勤しむはずの経営者が、なぜか収益の機会を捨ててしまう。ケインジアンは、この謎を説明しないといけない。ケインズ先生の流動性選好とは、「消費よりカネ」ではなしに、「投資よりカネ」を望むことの問題なのである。

(図)



………
 経営者がビビッて十分に投資しないのは、需要リスクがあるためだ。これは、生身の経営者にとっては、常識に属する類だが、右側の経済学は、頑として認めない。これを認めると、自由に任せれば、利益最大化を目指し、資金や人材がムダなく使われるという、思想の根幹が揺らいでしまい、自由の制限を認めざるを得なくなるからだ。そんな都合の悪い事実には、目を遣らないに限る。その意味で、経済学は、科学でなく、思想である。

 一方、ケインジアンは、政府の介入の必要性を認めるものの、理由付けが心許ない。リスクがどんな形態かを明確に説明すべきである。右側の経済学は、リスクについて、期待値が得られるような形態であるとし、取り得るものと主張する。これに対して、リスクはベキ分布に近く、平均も分散も意味をなさないと応酬すべきだ。権丈教授は、エルゴード性を指摘しているが、ベキ分布に近いと、観測による帰納的なリスクの推定は役に立たない。

 経済の不合理の元は、需要リスクにあるので、これを安定させれば、不況から脱することができる。もっとも、その需要は、再分配がもたらす消費に限られるわけではない。持続性や健全性を別にすれば、需要は、輸出でも、住宅投資でも、公共事業でも構わない。軍備拡張や資産バブルだって、その役割を果たせる。「社会保障で成長を」という説には、それが唯一の道ではないという点で、論理の飛躍がある。

 問題が複雑なのは、右側の経済学でも、ある程度、需要管理ができることだ。金融緩和をすると、自分が住むという需要があるゆえにリスクのない住宅投資が盛り上がり、自国通貨安によって輸出が増加する。直接、低金利が設備投資に効くわけではないことがポイントだ。困るのは、住宅ブームの後、この経路が潰れていたり、どの国も自国通貨安を望んでいたりする場合だ。まさに、リーマン後は、そういう状況だった。

………
 むろん、そうした不幸は偶然の産物ではない。金融緩和と緊縮財政を組み合わせ、バブルを作り、短期的に大きな利益を得た結果である。右側の経済学が廃れないのは、この政策を望む人々に、強く支持されるからである。結局、膨張させた負債は、金融危機を経て、政府に押し付けることに成功したものの、あまりの都合の良さが民衆の怒りを買い、右側の経済学ともども、信用は地に堕ちてしまった。

 そこで、左側のケインズ先生の復活と相なる。正直、理論は古いままだから、カネをかけて空論を磨いてきた右側とは段違いの差がある。政策的にも、財政赤字という負債の管理方法の答を出してない。だから、左側に居ると思しき権丈教授が、消費増税については財政タカ派のように見えたりする。そして、社会保障が需要を補う唯一の方法でないとすると、経済における役割は、一体、何になるのか。もう長くなったから、続きは次回としよう。


(今日までの日経)
 ドル不足 調達金利上昇。損益分岐点比率70%下回る。カナダも車数量規制。日銀短観・設備投資の意欲は衰えず。
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