こういう一冊を待っていた。松下貢著『統計分布を知れば世界が分かる』である。経済学ではリスクの扱いが要になる。経営者が利益を最大化すべく合理的に設備投資をするには、リスクを期待値として見積れなくてはならない。ところが、リスクは、分散が大きくなると対応が著しく困難になり、分散が無限大に発散するベキ分布では期待値の計算すら不能になる。それでは、実際の設備投資の変動はどういったものなのか。松下先生の手法を使いながら検証してみよう。
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設備投資のようなマクロ経済のデータは、せいぜい月次のため、分布を描けるほどの数を揃えるには無理がある。そこで役立つのが、松下先生の提唱する「ランキング・プロット」という手法である。これを使うと、鉱工業の接続指数(1978.1~2017.12)の480個という限られた数でも、滑らかな累積分布関数の曲線を描くことができる。この手法を用い、資本財生産(除く輸送機械)の変動の大きさを見て、設備投資のリスクを探るのが今回のテーマだ。
ランキング・プロットでは、時系列データを変動の大きさ順にバラして並べ直すことになるため、データ分析のお作法として、まず、普通に時系列で眺め、「資本財」がどういう性質のデータか確認しておこう。下図で分かるのは、日本経済は、30年間で4回も大きなショックに見舞われたことである。1992年頃のバブル崩壊、1998年頃のハシモトデフレ、2001年頃のITバブル崩壊、2009年頃のリーマンショックだ。
もう一つのポイントは、ハシモトデフレでデフレ経済に転落してからは、成長が止まったことである。橙色の補助線で分かるように、バフル崩壊は、成長トレンドの中での出来事で、ショックと言っても、過剰に投資した分が後で凹んだ形であり、長期的な成長の中で均されたものだ。ところが、ハシモトデフレを境として、トレンドが劇的にマイナスに屈曲し、大変動を繰り返しつつ、長期的な衰退の道を歩むようになる。
(図)
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「資本財」のランキング・プロットは、下落が連続する特徴を踏まえ、毎月の指数について、4か月前との変化率を計算し、2乗2根を取って、横軸に変化率、縦軸に順位で描いたものだ。そうすると、対数正規分布の累積関数に似た曲線が現れる。ポイントは、右方の裾の高順位の部分である。裾が右方に膨らむほど分散が大きいことが示され、上から14位までが外にはみ出し、1~5位になると完全に飛び出している。
この1~5位がリーマンショックの時期であり、それらの標準偏差の倍率は、5.4~8.2倍に及ぶ。偶然の目安となる正規分布なら在り得ない巨大な変動が、いかに頻発していたかが分かる。これだけの大きさになると、対数正規分布からも外れ、ベキ分布を考えざるを得ない。これでは、合理的期待を形成して設備投資をするなど無理ではないか。ケインズやナイトが文学的に表現する「計算不能なリスク」とは、数理的には、こうした存在である。
むろん、変動が大きくても対数正規分布に収まるならば、期待値を計算できなくはないが、もう一つ重要なのは、後になるに連れて、変動が拡がってきたことだ。時系列で言えば、1992年に変動率20位のバブル崩壊がかつてない下げとして現れ、1998年のハシモトデフレで大きく超える7位の下げが起こり、わずか3年後の2001年に、これに匹敵するITバブル崩壊による13位の下げに見舞われ、2009年には1位のリーマンショックに至る。
この間、設備投資のリスクをどう見積れば良かったのか。経験値に頼ったところで、より大きな変動に遭遇し、見積りは塗り替えられてきた。今後、もっと分散が拡大して、リーマンショックを超える変動が起こらないとは、誰も言えまい。むしろ、十分に起こり得ると想定すべきだろう。すなわち、リスク対処への帰納的なアプローチ自体が成り立たず、その意味でも、将来に向けた合理的期待を形成するなど不可能なのである。
(図)
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合理的期待を基にする主流派経済学は、現実には、まったく通用しない。少なくとも、過去40年間の日本経済においては。それにしても、なぜ、大変動が頻発するようになったのか。それは、緊縮財政と金融緩和を組み合わせた経済運営による。これをすると内需が健全に育たず、バブル投資や円安輸出の需要が膨らみ、時として崩壊する。1998年の緊縮で成長トレンドがいきなり折れてからは、日本の設備投資は、為替に揺れる輸出次第となった。
日本の「財緊金緩」は、狭量で執拗な財政再建への情熱と、マクロ経済運営の日銀へのしわ寄せによるものである。他方、欧米では、金融業の隆盛に必要な低金利を実現する手段として追求される。動機は違えど、先行した日本と似たことをしたために、先進国にはジャパニゼーションが蔓延することになった。むろん、ここから脱する答えは、当然ながら、構造改革ではなく、安定的に増加させる需要管理になる。合理的期待論が主流となって、需要管理が捨てられたら、理論が通用しない事態に陥るとは、皮肉な話である。
日本経済の停滞は、「経営者がカネを溜め込んで投資しないせい」とも言われるが、経営者は、激しく変動しつつ衰退するリスクにさらされてきた。これでは、怖くて積極的投資ができようはずもない。結局、需要を見極めて投資するという常識的戦略が採用され、大きなリスクを避けつつ、ある程度の利益をコスト削減で得ようとする。利益最大化に至らず、不況というマクロ的不都合も生じるものの、企業は、こうやって生き残りを果たすのである。
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松下先生の新著で学びたいのは、正規分布、対数正規分布、ベキ分布が「地続き」になっているイメージである。これらをつなぐのは、データ間の記憶性、成長性、歴史性だ。社会科学では、それらに特徴づけられる時系列の事実を扱うため、対数正規分布の意味の解釈が必須になる。そして、連鎖反応、帰還反応が考えられるなら、ベキ分布への発展を念頭に置かねばならない。ほとんどが対数正規分布にフィットしつつも、裾が膨らむデータについてこそ、その理由を考える価値がある。
松下先生の新著は、コンパクトだし、すらすらと読め、実例が豊富にあってイメージしやすい。タイトルだけでは、必ずしも経済学の本には見えないし、経済の解釈や提言の部分は、やや付け足し的なところはあるものの、利益最大化の空論に酔いしれる人は別として、現実の経済の研究を望む学徒には、必読の書として推薦したい。マクロ経済学の実証と理論の構築に、新たな地平を開くよすがとなろう。
※対数正規分布、正規分布、ベキ分布の関係についての数学的説明は下記にある。
『
複雑系に潜む規則性-対数正規分布を軸にして-』物理学会誌vol.66 No,9 2011
(國仲寛人 小林奈央樹、松下貢)
※ベキ分布の発散の条件については、下記のHPの記事が分かりやすい。
『未来をきりひらく統計学』(
べき乗分布)
(今日までの日経)
資金循環 ゆがみ拡大 日米欧企業カネ余り 借金、政府に偏在。経済対策、五輪後も 景気リスクに備え。駆け込み「前回より小幅」 9月消費額9.5%増 家電など急増 天候要因も。上場企業、2期連続で減益へ 今期最終 車・設備投資が低迷。