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経済を良くするって、どうすれば

経済政策と社会保障を考えるコラム


 *人は死せるがゆえに不合理、これを癒すは連帯の志

経済政策としての金利を考える

2025年01月05日 | シリーズ経済思想
 現実の経済を理解できるか否かは、金利は効かないと悟れるかにある。ところが、インセンティブが効かないはずがないという強い信念が働き、そうした境地には、なかなか至らない。デフレ脱却が絶望的でも、異様な金融緩和に10年もしがみついたのは、結局、これが背景である。成長の要である設備投資は需要次第であり、金利も減税も補助も効かない。まったく不合理なのだが、それゆえ、現実を認められずにいる。

 日本経済を読み直そうと思い、翁邦雄先生の『金利を考える』を手に取った。「金利を引き下げますと、企業が設備投資を行ったり、…需要を刺激します」とある。入門書だから、そう書くのは当然だが、先生が説くのではなく、植田日銀総裁の講演を引く形にしているのが実務家出身らしいところだ。では、どうして、金利ではなく需要なのか、訳が分からないから、いつまでも悟りが開けない。

 需要に合わせて設備投資をするというのは、経営者には当たり前すぎて、なぜと聞かれても困るほどだ。あえて答えると「危ないから」である。ここから、低成長は意気地がない説も出てくるのだが、人の命は短く、失敗と成功を繰り返して期待値に近づけることはできないので、失敗を避けようと利益の機会を捨てるとしても無理はない。利益を最大化するはずと信じる人は、無自覚に不死を前提にしているわけだ。

………
 設備投資が需要次第なら、じゃあ財政出動かというと、事はそう単純ではない。効くような規模の財政出動には副作用も伴うからだ。意味ある財政出動は、バフル崩壊後やリーマンショック後といった危機の際になされるため、下支えなので効きの実感が湧かない上、危機が過ぎると、今度は財政赤字に恐れをなして、早すぎる撤退という副作用をもたらす。政府は不死なのに、やはり、人はリスクへ合理的に対処できない。

 設備投資が需要次第とすると、いったん低成長になると抜けられなくなり、高成長になると金利を上げても続くことになる。前者は、1997年のハシモトデフレ後の日本、リーマン後の米国、ゼロコロナ後の中国に起こったことだし、後者は、今の米国が例と言えるだろう。不都合なことに、現実の設備投資は、現下の需要増によって期待が形成され、それが将来の成長を実現するという自己循環である。

 低成長から抜けるには、外需の獲得が一つの成功パターンである。あと一つはバブルだ。高度成長期の日本が輸出比率が低いにもかかわらず、輸出主導型と言われたのは、輸出で設備投資率を引き上げ、内需も拡げて、成長の加速に成功したからである。デフレ期の日本は、輸出のチャンスに恵まれても、財政赤字の縮小で内需の拡大を妨げ、意図せず捨ててきた。消費をケアせずとも成長できるという幻想は今も変わらない。

(図)


………
 『金利を考える』で最も確かめたかったのは、金利はなぜ円高・円安を起こすのかだった。ドル円は、設備投資とは違い、金融政策がある程度は動かせるからである。ここでは、「実質実効為替レートは…1990年代半ば以降、多少の振れは伴いつつも驚くほど長期間、ひたすら円安に動き続けてきた」としつつ、「超低金利政策による円安の持続は、家計に円安税として消費税に類似した打撃を与えている」とされている。

 経済政策として、輸出が成長加速のカギと思って、金融緩和で円安を求めるのは良いが、副作用の円安税を看過するどころか、慢心して本物の消費税まで課してしまう。設備投資がインセンティブで動くとすれば、需要は供給が創出するというセイの法則が前提になるのに、その前提を金融と財政で抜き取る政策をしてきた。デフレは2021年で終わったが、実質の低成長は需要を等閑視する限り続く。いつも日本経済は政策どおりである。


(今日までの日経)
 国内新車販売440万台。テスラの世界販売が初の減少。BYD世界販売41%増。

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1-3月期GDP1次・一斉値上げはなぜ起きた・景気循環の起源の解明

2024年05月19日 | シリーズ経済思想
 1-3月期のGDPは前期比が-0.5%、年率で-2.0%に沈んだ。家計消費(除く帰属家賃)が前期比-0.8%、寄与度が-0.5もあるのだから仕方がない。正直、ここまで落ちるとは思っておらず、デフレーターが前期比で1.1%も上がったのが大きい。名目では前期比+0.2なので、いかに値上げがきつかったかが分かる。この一年は、名目が増で実質が減。前年度の名目が急増で実質が増とは異なる展開だった。

………
 楡井誠先生の『マクロ経済動学-景気循環の起源の解明』は、理論の本だけど、興味深い内容だった。リアルビジネスサイクル理論のミクロ的基礎づけを土台としつつ、自律的に大きな変動が起こることを、べき乗則をカギに理論化したもので、その一節に、物価変動の説明も出てくる。デフレのノルムが染みついた日本経済で、2022年に、突然、一斉値上げが起こった理由を明らかにしてくれているように思える。

 むろん、値上げは、ウクライナ戦争勃発からの資源高や円安が理由ではあるけれども、徐々に進むのではなく、コスト増の閾値を超えたところで、連鎖反応的に値上げか起こり、デフレからインフレへと一気に局面が展開していく様は、そこに何らかのメカニズムが存在するわけである。コスト増が大きかったから、変動も大きかったという単純な理解以上のことが見えてくる。

 こうしたインフレへの転換は賃金でも見られ、予想以上の引き上げをもたらしたものの、2023年度に入ると、消費は、名目でも伸びが鈍化し、実質では減少傾向となる。消費での転換はどうなったのか。2022年度には、コロナ禍から消費の回復過程で、可処分所得には余裕があったのに対し、2023年度には、余裕を使い果たした上、緊縮財政で可処分所得を殺いでしまったため、動向は失われたのだった。

(図)


………
 楡井先生の『動学』の着想は、ショックに拠らない自律的な景気変動を理論的に表現するというものである。正直、筆者も、リアルビジネスサイクル流の不均衡のない理論はどうかと思っていたが、現実の日本経済は、1997年にデフレに転落してから、景気変動がほとんど感じられないものになってしまった。正確には、ショックで落ち込んで回復する過程はあっても、景気が加速することなく、低空飛行を続けてしまう。

 そうなると、理論的に知りたくなるのは、なぜ変動しなくなったかである。メカニズムとしては、財政が自動的に緊縮で需要を削減してしまい、変動にブレーキをかけるためだ。自律的な変動によって設備投資が盛んになり、景気が加速している局面では、これを上手く利用しなければならないのに、財政が「均衡」を目指し、需要を削り、意図せず抑制してしまうのである。


(今日までの日経)
 少子化、欧州で再加速。観光・半導体で地方に力。GDP年率2.0%減 「強い内需」へ改革急務。NY株一時4万ドル。上場企業、今期4%減益予想。5大銀、今期も最高益へ。

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門間一夫さんの愉快な床屋談義

2022年10月16日 | シリーズ経済思想
 門間一夫さんの『日本経済の見えない真実』の中で、最も感慨深かったのは、サービス業の代表として散髪を例に挙げ、需要が生産性を伸ばすことを分かりやすく説明したところ(p.101-3)だった。世間では、この「真実」が分かっていないために、緊縮財政で消費を抑圧しつつ、投資を産業政策で促進して、成長を向上させるという、分裂した戦略が、相反を知らぬまま、推し進められている。成功しない戦略にしがみつく姿は痛々しいほどだ。

………
 経営者からの「労働生産性を上げるには、どうすれば良いのか」という相談に、「賃金を上げることですね」と答えると、「何を言ってる」みたいな顔をされる。エコノミストとしては、賃金は付加価値になるから、当然の答でしかないが、経営者は、付加価値ではなく、モノやサービスの数量を増やすことをイメージしているので、ちょっと間抜けなやり取りが生じてしまうのである。

 例えば、美容室の労働生産性を上げるのなら、従業員のセンスアップを図り、高単価での散髪ができるようにするのが打ち手になる。それは賃金を上げることでもある。こうして、サービス業は、設備投資や研究開発とは、あまり関係なく、付加価値が増え、生産性も上がり、成長することになる。ただし、マクロ的には、高単価を払ってくれるお客さんのお金がどこから来ているかが問題になる。

 他の美容室のお客を奪っているだけなら、マクロ的な成長はないわけで、お客さんの消費が増えていないといけない。分かりやすい例だと、お客さんは自動車会社の人で、輸出で所得が増えたから、センスの良い散髪をするようになったというのなら、サービス業においても、付加価値が増え、生産性も上がり、成長したことになる。ここで大事なのは、投資ではなく、消費が成長をもたすという「真実」だ。

 ところが、政府が増税をして、輸出で増えた所得を吸い上げてしまうと、波及は途切れて、サービス業での付加価値、生産性、成長が消えてしまう。投資だけが成長をもたらすと信じ、消費を抑圧すると、成長は停滞する。日本が緊縮財政を始めたのは1997年からなので、それ以降、生産性が上がらず、成長も伸びなくなったのは、当然の成り行きだし、サービス業の生産性が低い理由もここにある。

(図)


………
 今後の日本の成長について、門間さんは割と悲観的だが、アベノミクスの2013-18年に、設備投資は、平均2.7%もの「高成長」をみせている。設備投資と同じくらい、消費やGDPが伸びるのは普通のことで、アベノミクスのように、消費を抑圧して、成長を停滞させる方が異常だ。そこからすると、緊縮財政の頸木から逃れられれば、意外な「高成長」を見せるのではないかと考えられる。

 もっとも、「成長には投資、投資には金融緩和、緩和には緊縮財政」というドグマから脱するのは絶望的である。なにしろ、金利が投資や貯蓄を調整するという経済学の基本原理を部分的に修正しないといけなくなるのでね。アベノミクスの異次元緩和を主導したリフレ派とは、原理に忠実な人達なんだよ。門間さんの言う「見えない真実」とは、ドグマからは決して「見えない真実」ではないのかな。


(今日までの日経)
 高所得の75歳以上、保険料上げ。政府、電気代支援1月にも。0~2歳児世帯の支援制度。円、147円台後半 32年ぶり。外国人保護、善意頼み限界。10増10減法案「了承」。雇調金拡大の後始末 負債3兆円、返済に30年。大学院生「出世払い」で支援 年収146万円から返済案。社説・給付だけでない広範な少子化対策を急げ。

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経済学の宇宙における無限と有限

2021年12月19日 | シリーズ経済思想
 コロナが収束して、飛行機で出かけられるようになり、旅のお供は、岩井克人先生の『経済学の宇宙』と相なった。文庫で追加された補遺の「不均衡動学の現代版に挑む」から読み始め、70歳にしてと不屈の探求心に驚きつつ、最初からひと巡りして、また吟味するといった具合である。経済をどういう枠組で理解するのか、同じ非主流派にある者として、いつもながら考えさせられる。

………
 岩井先生は、資本主義の特徴として、貨幣の存在と分権的な利益追求を挙げ、その二つを組み合わせると本質的に不安定になるとし、価格・賃金の硬直性こそが一定程度の安定性をもたらすとする。私ももっともだと考える。ただ、主流派からすると、貨幣がなきがごとく、滞りなく交換がなされ、単一の意思があるがごとく、情報が利用されるとして、効率的な経済が出現すると主張してくるように思う。

 分権的であっても、利益の追求を前提にする限り、主流派の帝国を崩すのは容易ではない。私は敗北主義者なので、利益を追求しないことにしようと逃げた。そうなると、理性的・長期的にも不利益を選び続ける行動を見つける必要があるが、保険では、期待値がマイナスの商品を買ってもらっている。人生が有限である以上、大きな損害を受けぬよう小さい不利益を選ぶことには価値があるのだ。

 あとは、設備投資の判断で、需要にリスクを感じると、機会利益を捨てるとするだけだ。現実の経営者はみんなそうだし、日本の設備投資が輸出とパラレルという実態の説明もつき、異次元緩和や成長戦略が効かない理由が明らかになり、需要の安定的管理が重要だと政策提言もできる。この程度で、私には十分である。岩井先生のように、自他ともにウルトラに合理的なら、リスク自体が消失する立論も在り得ると、悩んだりもしたが。

 私は、それが在っても、分権的だと破れやすいからいいんだよと誤魔化していたが、岩井先生は、選択肢が無限だから決定し得ないという形で理論的に払拭するのだから、凄いものである。私の方と言えば、設備投資に係るリスクについて、実際のデータを検証して、もしかしたらベキ分布で、平均も分散もないから、合理的期待も死すべき存在には無理だよねで、おしまいにしている。

(図)


………
 個々が利益を徹底的に追求すれば、ムダのない効率的な社会が実現するというのは、ある意味、同義反復である。本当に徹底しているのか、確かめることが大事なはずだが、少なくとも一時的でなければ、先験的に正しいとされる。そして、利益を加えるべく、金融緩和、規制改革、法人減税、安い政府が繰り広げられる。他方で、そのために緊縮をして、需要リスクを与えて、利益の追求を無効化させている。

 思想は政策に影響するのである。私も、昔、査読誌に非主流派の論文を出したこともあったが、案の定、「こんなものを出されても」という返しだった。その時は、「自分が査読する立場でもそうだよな」と思ったりした。自分がやりたいのは理論なのか、いや、世の中を良くしたいというのが原点なら、データ分析や政策の研究じゃないかなどと自らを慰めつつ、情けなくも思想との戦いは放棄してしまったのであった。


(今日までの日経)
 世界の穀物 中国買いだめ。保育所、地方で空き増加。来年度予算案107兆円台。中期防、初の5年30兆円。米中GDP、33年に逆転 50年には米が再逆転。

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設備投資の外で生まれる経済成長

2021年11月28日 | シリーズ経済思想
 みずほR&T・門間一夫さんの「経済成長のためには生産性を高めることが必要だという議論は、完璧に正しいが、無内容」*は至言だね。このトートロジーは、「どうすれば経済成長を高められるのか本当はよくわからないという不都合な真実を、生産性という言葉のクッションでとりあえず和らげるもの」というわけだ。そうした顛末に陥るのは、経済成長は設備投資の外でも生まれている不思議なメカニズムが知られていないためだと思う。

………
 自動車会社が優れた製品を生産して輸出を伸ばしたとする。これでGDPは増え、経済は成長する。その背景には、研究開発や設備投資があるだろう。普通にイメージする成長と生産性の関係は、こうしたものだ。それは正しいし、成長のために、研究開発や設備投資を増やせとする主張も的を射ている。しかし、成長は、それだけではないし、それ以外の部分の方が存外に大事なのである。

 輸出が伸びて売上げが増したので、自動車会社は従業員の給料を増やす。従業員は、工場前の行きつけの中華料理屋で、ラーメンにチャーシューを追加するようになる。すると、中華料理屋の売上げは、高付加価値化して伸び、サービス業は成長する。チャーシューの増産にはさして手間もかからないので、労働生産性も上昇する。つまり、研究開発も設備投資も関係なしに、成長と生産性が得られる。

 そして、潤った中華料理屋がラクをしようと、デジタル券売機を導入すると、設備投資も後からついてくる。さらに、外食の増加で忙しくなったので、子育てをしていた娘さんが店のバイトに入り、保育所に預けると、そこでも経済は成長する。むろん、保育所に技術革新があったわけではなく、分業化の利益が多少あるくらいで、炊事や子育てといった家内労働が貨幣経済化したために、GDPが拡大しただけだ。

 日本は、競争力強化と称して、法人税も下げたし、技術革新の補助金も出した。お陰で、アベノミクスの間、円安もあって輸出は伸び、あまり知られていないが、GDPの設備投資比率も高まっている。ある意味、成長戦略は大成功を収めている。他方で、財政再建を性急に進め、消費増税などで徹底して「給料」を削ってきた。誰もが可能な消費で成長する道を奪われたのだから、サービス業の生産性は上がらず、保育士の給料が安いのも、仕方あるまい。

(図)


………
 「生産性向上は研究開発と設備投資にしかない」という誤れる片面の理解でもって、もう一つの経路である消費を潰す「反」成長政策をやり抜いてきた。安いニッポン、衰退途上国、韓国以下となるのも当然だ。日本経済は、政策どおりの素直な結果を出しており、そこに不思議さはない。成長と生産性が消費から生ずる実態を知らずに、財政に「賢い支出」を求める思想こそが賢さを欠いているというのは、とても皮肉である。

*門間一夫・「生産性」を語ることの非生産性(みずほR&T・経済深読み 2021.7.12)


(今日までの日経)
 新変異型、欧州で拡大 英で確認。補正で膨らむ予算、常態化。半導体製造装置なお不足。人手確保へ待遇改善急ぐ。経済対策で国債発行22兆円増 税収見積もり上方修正6.4兆円。

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人生の短さと国債と通貨のバブル

2021年05月30日 | シリーズ経済思想
 日経でお見掛けして以来、櫻川昌哉教授は慧眼の持ち主だと思っていたので、新著『バブルの経済理論』を書店で見つけたとき、齢だから分厚いのはきついけど、著者名だけで買ってしまった。むろん、期待どおりの中身の濃さであり、本コラムの見方とは違うが、むしろ、深く考えられた別の思索に出会うことこそ、最も喜びとするところだ。キーコンセプトは、「長期金利<名目成長率」が生むバブルの経済である。

………
 一つの謎は、日本の政府債務がGDP比270%という飛び抜けた巨大さなのに、インフレになるどころか、国債の長期金利がゼロに張り付いていることだ。本コラムの見方は、「設備投資は、収益率ではなく、需要に従ってなされる」という独自のものだから、大して謎でもなく、日銀がいくら金融緩和をしても、財政が緊縮で消費を冷やすので、設備投資ブームも物価上昇も起こらず、ゼロ金利は続くというものである。

 巨大債務と緊縮財政の同居は、矛盾に感じるかもしれないけれど、危機のときに大規模に出動し、回復し始めたら急速に締め、成長加速の芽を摘むのを繰り返せば、出来上がる。日本は、1997年以来、これをやってきたのであり、アベノミクスでは、外需に恵まれたため、それまで「ゼロ金利=ゼロ成長」であったものが「ゼロ金利<名目成長」になり、櫻川教授の概念に適合したわけである。

 世界的に見て、この四半世紀の新自由主義は、バブル狙いであった。金融緩和をすれば、資産価格が高騰するので儲かる。しかし、物価が上がりだすと続けられないから、「小さい政府」で緊縮したり、自由化で賃金を抑制したり、輸入を増やしたりが「正義」となった。金融は、雇用と消費を生み出す設備投資に使われては困るため、もっぱらITへと向かい、あとは、資産への投資を循環させるものへと劣化した。 

 ゼロ金利と巨額債務を危惧する櫻川教授の処方箋は、なかなか刺激的で、1%への利上げと、コロナ対策の早期撤収、12-13%への消費増税である。正直、これだと、実体経済への打撃が心配だ。むろん、ゼロ金利は、いずれは終わるものだから、国債への利払いを盤石にするため、利子配当課税を25%にして、利払増を税収増で賄える仕組みにしておく必要がある。消費よりITを含む資産への課税が先決だ。

(図)

※直近の名目GDPも、家計消費も、23年前の1997年より低いのだから、ゼロ金利もむべなるかな。

………
 バブルとは経済的に不合理なものだ。そのため、主流派経済学の枠組で理解するのは困難が伴う。そこで「長期金利<名目成長率」に着目した櫻川教授は非常に鋭い。そもそも、人間が不合理なのは、死せるがゆえで、短期的な存在だからであり、これが本コラムのキーコンセプトになっている。ゼロ金利が続く限り、国債と通貨のバブルは保ち得る。バブルが崩れる利上げは、いつ、どのような事情で起こるのか、それは見通せないが、永遠ではない。なぜなら、人間とは違い、国家は永遠であるはずなのに、この国は少子化で持続可能性を失っているからである。


(今日までの日経)
 賃上げ 8年ぶり2%割れ。米住宅価格、上昇急ピッチ。G7、積極財政の継続確認 財務相会議、成長を優先。緊急事態 来月20日まで。保育所、迫る「過剰時代」 利用児童25年にピーク。鉄鉱石や銅、中国介入で急落。オンライン診療、中国で医師争奪。

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世界経済史から見た日本の成長と停滞の理由

2021年03月07日 | シリーズ経済思想
 この国が落ちぶれていることは分かっていたが、「日本と技術フロンティア国のギャップが1990年代以降のように著しく拡大するのは、鎖国の江戸時代末、太平洋戦争敗北の前後に次いで3回目」と、歴史上の大失敗に位置づけられるのは、この間を生きてきた者にとって、やるせないものがある。深尾京司先生の『世界経済史から見た日本の成長と停滞』の終章の一節だ。いわば、「第三の挫折」である。ハシモトデフレ以来の失われた歳月は、衰退の時代として画されるに至った。

………
 停滞の主因として、深尾先生は、労働生産性の上昇率の低下を挙げる。単なる人口や労働時間の減少だけでは説明がつかない。これは、実質賃金率が多くの国で大幅に上昇した中で、わずかしか上昇しなかったことに映し出される。そして、輸出競争力のために賃金率を切り詰める「窮乏化」からの脱出を目指すべきとする。

 なぜ、労働生産性の上昇率は低下したのか。深尾先生は、高度成長期や安定成長期には他の先進国より高かった資本装備率とTFPの上昇が停滞したからだとした上で、TFPは、2005-15年には、米仏英に比べて高かったのに、資本サービス投入の増加が著しく低かったとしている。

 さらに、長期的な資本蓄積の減速には、利潤率の低下があるにせよ、2000年代は、利潤率がやや回復しても低迷が続くという「謎」があり、資本蓄積が停滞した理由として、金融緩和の余地の少なさ、円高、海外移転、配当性向の高まり、従業員や組織への投資の停滞、労働集約産業の拡大などを挙げる。

………
 さて、1997年にハシモトデフレで大規模な需要ショックを与えて以来、日本の設備投資の動向は、極めてシンプルになった。輸出が増えれば伸び、減れば縮む、それだけである。それまでの「輸出を起点に内需の拡大に反応する形」が見られなくなった。輸出で景気が回復しだすと、すぐさま緊縮で消費を抑圧するのだから、当然の成り行きだ。

 これでは、足下で収益が回復しても、設備投資をしようとは思わなくなる。消費が抑圧されると、物価は低迷し、金融緩和が実現できる。金融緩和の下で円キャリーが起こり、時折、弾けて超円高になって、製造業は海外移転を進める。国内投資ができないから、配当性向を高め、従業員や組織に投資せず、安い非正規を使ってばかりとなる。

 私は、正統派の経済学者とは違い、需要動向が設備投資に決定的影響を与えると見るオールド・ケインジアンなので、正直、「謎」というほどではない。脱出方法としても、法人減税や規制緩和といった利潤率に係る産業政策に期待せず、景気の回復局面で消費が十分に加速するまで緊縮を我慢するだけで済むと考えている。

(図)


………
 産業別の生産性も、自動車のような輸出が柱の産業は海外の需要に恵まれて高くなり、緊縮で抑圧される国内消費を相手にする産業が低くなるのは、致し方ない。生産性を上げるための高賃金は、強い内需の下で、労働需給が締まってないと実現しない。2000年代以降の日本経済の構造変化の特徴は、GDPに占める輸出比率の高まりである。裏返せば、内需を抑圧してきたということだ。つまり、政策どおりに落ちぶれたわけである。


(今日までの日経)
 米、月内に1人15万円を追加給付。株や住宅価格 警戒水準 迫るバブルの足音。新規感染、増加に転じる。社説・出生激減。緊急事態、再延長を決定。米軍がアジアに対中ミサイル網。英、半世紀ぶり法人増税 世界の減税競争に転機。

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適応的市場仮説とコロナ禍リスク

2020年08月16日 | シリーズ経済思想
 利益を最大化しようという行動原理の下では、効率的市場が立ち現れる。そこでは、資金も、人材も、ムダに捨て置かれたりはしない。ところが、実際には、カネ余りと失業が長く続くことはざらにある。そうすると、主流派経済学が大前提とする利益最大化に誤りがあるのではないか。これに代わるものとして、アンドリュー・W・ローは、環境が時間をかけて形成する行動原理を提案し、『適応的市場仮説』を主張する。

………
 「効率的」と「適応的」の二つのを分かつのはリスクだ。煎じ詰めると、ローの行動原理は、リスクに耐えるためにムダを出しているのである。万一に備えて保険料を払うのと同じで、払う分だけ利益は減る。その代わり得るのは生き残りである。ムダがなくとも、死に絶えれば、そこで終わり。減った利益でも、存続するうちに、積み上がって行く。保険料を惜しんだ利益なんて、つまらないものだ。

 ローの『適応的市場仮説』は、600ページの大著だが、軽妙な語り口で読みやすい。特に前半は、心理学、神経科学、進化生物学、人工知能といった、主流派経済学を根本から考える上で示唆に富む話が続く。そして、中核の6章をじっくり味わってもらいたい。最善となる行動は、環境次第であって、利益最大化は、安定した環境では優れているものの、全個体に影響が及ぶシステミックリスクの下では、破綻することが示される。

 結局、利益の最大化にならない「確率マッチング」という直観的な分散を、ヒトが好むのは、長年の進化の中で、リスクある環境の下で過ごし、それに適合した行動原理を持つ者が残って来たからにほかならない。現代の経済の環境についても、リスクが在るものだとしたら、利益最大化の行動は最善ではなく、市場も効率的でないということになる。主流派経済学では、現実の説明がつき難く、恵まれた一部の環境でしか通用しないのも、道理なのだ。

………
 ただし、経済は自然環境ではない。行動原理が進化し、環境も変化して、経済から変動リスクが消えることはないのだろうか。これへの示唆は、8章のクウォンツ・メルトダウンにある。それぞれが利益最大化を目指した結果、どのファンドの戦略も似かよってしまい、揺らぎに斉一的な反応をして、崩壊を惹き起こしてしまう。利益最大化の広範化がリスクを作ってしまうのでは、安住の地はないということになる。

 おそらく、リスクを取り除くためには、プレーヤーに評価の期限がない、いわば、命に限りがないとか、単一であるほどに情報と利害が一致する、つまり、分権なり自由なりが実質的にないとかが必要になると思われる。すなわち、ヒトが自由を求める限り、リスクとはつき合わざるを得ず、ムダは欠かせないということになり、問題は、自由の徹底ではなく、リスクの管理へと移っていく。

………
 コロナ禍において、100年に1度とされたリーマンショックに匹敵する衝撃が10年で再び襲いかかってきた。利益最大化を目指す市場が地球化し、リスクから分散した場所が減っているのだから、衝撃も巨大になる一方である。ヒトは、免疫が多様だったから、どんな疫病に見舞われても、全滅を免れて命をつないできた。効率という名の一様性を強いる市場経済は、どのような形で生き残るのであろうか。


(今日までの日経)
 開発中の中距離ミサイル 米、アジアと配備協議へ。中国 鈍い雇用、戻らぬ消費。守勢の企業、膨らむ預金 財政出動も資金滞留。

※新型コロナの感染確認数は減少傾向にある。単なる休日要因でないことを願いたい。



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日本経済のマクロ分析・低温経済の「パズル」をスッキリ解消

2020年01月05日 | シリーズ経済思想
 日本は、物価、消費、賃金、投資、成長が停滞する「低温経済」である。物価は、需要と供給で決まるものなので、物価が上がらないのは、消費が乏しいからと、すぐに察しがつく。なぜ、消費が乏しいかと言えば、アベノミクスでは、消費税と社会保険料を引き上げ、徹底して消費を圧殺してきたことが主な要因として挙げられる。この間、一般政府の財政収支は、GDP比1%以上のペースで改善しており、緊縮が無関係だったとは、とても言えない。

 消費が増えなければ、それを目指した設備投資が増えるはずもなく、国内での売上が伸びなければ、企業は賃金を上げられない。これでは、成長が停滞するのも当然で、低温経済には、何の不思議さも、「パズル」もない。ところが、「緊縮は経済に悪影響をもたらさない」という観念を持ってしまうと、理由が分からなくなって、「パズル」に見えてくる。そして、ひたすら、ミクロの生産性向上を訴えるようになるのである。

………
 日本経済のマクロ分析をする上で、最も重要な数字は消費率である。下図で分かるのは、明らかに、好況には下がり、不況には上がることだ。すなわち、消費率は景気で決まり、ライフスタイルや人口構成に伴うミクロの選好の変化によらないことが示される。もし、それらが理由だとしたら、5年程の中期でたびたび屈折するのは不自然だろう。これが「経済は、ミクロの集積によらず、マクロで決まる」という具体的な意味内容である。

 その消費率がどうやって決まるかと言うと、消費の残りが貯蓄であり、貯蓄=投資なので、投資の動きが消費を裏から決めている。実際、景気が良くなる局面では、まず、投資が加速し、遅れて消費が加速する。だからこそ、消費率とは裏返しで、投資率は、好況には上がり、不況には下がることになる。一般に「投資は景気の原動力」とされるが、こうした常識的な見方は、的を射たものだ。

(図)



 問題は、投資がどのように決まるかである。理論を脇に置いて、戦後75年をつぶさに眺めると、いつも、輸出が景気回復の出発点になっている。輸出が設備投資を増やし、所得、賃金、消費へと波及していく。需要が需要を呼ぶのである。ただし、波及は、1997年を境に変わる。賃金と消費への波及が消え、デフレに陥ってしまう。これは、輸出で景気が回復しだしたところで、早々と緊縮を始め、波及を阻害するようになったためである。

 バブル崩壊が一服した1995年からリーマンショック前の2007年までの13年間、設備投資は、2期前の輸出、住宅、公共の重回帰分析で、ほぼ完全に予測できた。ミクロの行動変化の要因を探るまでもない。その関係は、リーマンショックと東日本大震災で乱れるが、打撃から癒えた2012年以降は、再びパラレルな関係へと復している。設備投資は、輸出に強く影響され、追加的な3需要をなぞるように動くというのが経験的事実なのである。

 実は、戦後75年の日本経済の歩みからすれば、そうしたパラレルな関係は異様なものだ。かつては、設備投資は、いつしか輸出から離れ、内需に反応して自律的に拡大して行ったからである。つまり、財政が早々と需要を抜くようになったために、内需に対する設備投資の反応が消え、輸出の動向から離れられなくなったのだ。パラレルであることは、需要が循環する自律的な成長へと発展できなくなり、デフレを脱せなくなった姿を描いてもいる。

………
 個々の企業や労働者の生産性を向上させれば、より多くの生産ができ、豊かになれるという思考は、とても素直なものだ。それゆえ、一国の成長も、ミクロの集積で決まると直観してしまう。ここで、「成長は需要で決まる」というオールド・ケインジアンの見方を示されても、鶏と卵の循環論法を聞かされているようで得心がいかず、どこに論理の基礎を置き、議論の出発点にしているのかと、訝しんでしまう。

 そうこうするうち、金利を下げ、法人税を軽くし、規制を緩和して、ミクロの収益性を高めれば、設備投資は増え、生産性が向上し、経済成長も実現すると信じ込むようになる。ところが、一歩、企業経営の現場に踏み込めば、いかに実態と乖離しているかが分かる。売上の動向ばかり気にして、収益性は二の次であり、逆説の「売ってはいけない」というビジネス本が注目される始末だ。現実には、事業利回りより需要リスクを遥かに重く見ているのである。

 内需が見通せないのに、設備投資をするとか、賃上げや正規雇用を増やすとかしていたら、緊縮で内需が圧殺されたときには、あまりに危険だ。日本の経営者は、内需なき日本に見切りをつけ、海外に投資するようになっている。内需の成長がないなら、経営コストを下げてもらえたら、それで十分だ。経営者が消費増税や福祉削減に賛成なのは、そんな理由である。マクロでの緊縮は、経営者のミクロの成長志向まで変えてしまったのである。

………
 地球に優しい緊縮財政は、経済社会を隅々まで腐らせてしまった。より豊かにという願いを挫いてばかりいたら、人心が病んでしまうのも仕方あるまい。しかし、理由さえ分かれば、脱する方法も明確に描ける。毎年の歳出増を高齢化による自然増の5000億円に限定するのをやめ、7000億円程を積み増し、緊縮を緩めれば良い。その中身を非正規への育児休業給付の実現などに充てれば、結婚が可能になり、少子化も改善されるはずだ。こうすれば、普通に成長すると、税収の自然増と見合い、財政は中立になる。つまり、締め過ぎて景気を悪くし、やおら経済対策を打つという「ブレーキ&アクセル」の不効率を改めるわけである。

 今回のコラムは、タイトルで分かるように、若手の官庁エコノミストの著書に触発されて記したものだ。著書自体は、アカデミズムでも評価される立派な内容だが、現実は、また別である。理論と現実の乖離を痛感することが経済運営には必要だと思う。昔は、赤羽隆夫さんのように、ファクトファインデングで真っ向から主流派経済学に反抗したツワモノもいた。官庁エコノミストは、学者と違い、日本経済に責任を負う。データばかり見てきたオールドなケインジアンとしては、理論が目隠しする、需要が動かす経済の実態を知ってもらいたいと切に願うのである。


(今日までの日経)
 ホルムズ海峡の船舶も イラン報復発言 衝突懸念 中東全域に。60代後半の就労、企業に努力義務 「70歳定年法」新たに4項目。

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統計分布を知れば、経済学が変わる

2019年11月10日 | シリーズ経済思想
 こういう一冊を待っていた。松下貢著『統計分布を知れば世界が分かる』である。経済学ではリスクの扱いが要になる。経営者が利益を最大化すべく合理的に設備投資をするには、リスクを期待値として見積れなくてはならない。ところが、リスクは、分散が大きくなると対応が著しく困難になり、分散が無限大に発散するベキ分布では期待値の計算すら不能になる。それでは、実際の設備投資の変動はどういったものなのか。松下先生の手法を使いながら検証してみよう。

………
 設備投資のようなマクロ経済のデータは、せいぜい月次のため、分布を描けるほどの数を揃えるには無理がある。そこで役立つのが、松下先生の提唱する「ランキング・プロット」という手法である。これを使うと、鉱工業の接続指数(1978.1~2017.12)の480個という限られた数でも、滑らかな累積分布関数の曲線を描くことができる。この手法を用い、資本財生産(除く輸送機械)の変動の大きさを見て、設備投資のリスクを探るのが今回のテーマだ。

 ランキング・プロットでは、時系列データを変動の大きさ順にバラして並べ直すことになるため、データ分析のお作法として、まず、普通に時系列で眺め、「資本財」がどういう性質のデータか確認しておこう。下図で分かるのは、日本経済は、30年間で4回も大きなショックに見舞われたことである。1992年頃のバブル崩壊、1998年頃のハシモトデフレ、2001年頃のITバブル崩壊、2009年頃のリーマンショックだ。

 もう一つのポイントは、ハシモトデフレでデフレ経済に転落してからは、成長が止まったことである。橙色の補助線で分かるように、バフル崩壊は、成長トレンドの中での出来事で、ショックと言っても、過剰に投資した分が後で凹んだ形であり、長期的な成長の中で均されたものだ。ところが、ハシモトデフレを境として、トレンドが劇的にマイナスに屈曲し、大変動を繰り返しつつ、長期的な衰退の道を歩むようになる。

(図)


………
 「資本財」のランキング・プロットは、下落が連続する特徴を踏まえ、毎月の指数について、4か月前との変化率を計算し、2乗2根を取って、横軸に変化率、縦軸に順位で描いたものだ。そうすると、対数正規分布の累積関数に似た曲線が現れる。ポイントは、右方の裾の高順位の部分である。裾が右方に膨らむほど分散が大きいことが示され、上から14位までが外にはみ出し、1~5位になると完全に飛び出している。

 この1~5位がリーマンショックの時期であり、それらの標準偏差の倍率は、5.4~8.2倍に及ぶ。偶然の目安となる正規分布なら在り得ない巨大な変動が、いかに頻発していたかが分かる。これだけの大きさになると、対数正規分布からも外れ、ベキ分布を考えざるを得ない。これでは、合理的期待を形成して設備投資をするなど無理ではないか。ケインズやナイトが文学的に表現する「計算不能なリスク」とは、数理的には、こうした存在である。

 むろん、変動が大きくても対数正規分布に収まるならば、期待値を計算できなくはないが、もう一つ重要なのは、後になるに連れて、変動が拡がってきたことだ。時系列で言えば、1992年に変動率20位のバブル崩壊がかつてない下げとして現れ、1998年のハシモトデフレで大きく超える7位の下げが起こり、わずか3年後の2001年に、これに匹敵するITバブル崩壊による13位の下げに見舞われ、2009年には1位のリーマンショックに至る。

 この間、設備投資のリスクをどう見積れば良かったのか。経験値に頼ったところで、より大きな変動に遭遇し、見積りは塗り替えられてきた。今後、もっと分散が拡大して、リーマンショックを超える変動が起こらないとは、誰も言えまい。むしろ、十分に起こり得ると想定すべきだろう。すなわち、リスク対処への帰納的なアプローチ自体が成り立たず、その意味でも、将来に向けた合理的期待を形成するなど不可能なのである。

(図)


………
 合理的期待を基にする主流派経済学は、現実には、まったく通用しない。少なくとも、過去40年間の日本経済においては。それにしても、なぜ、大変動が頻発するようになったのか。それは、緊縮財政と金融緩和を組み合わせた経済運営による。これをすると内需が健全に育たず、バブル投資や円安輸出の需要が膨らみ、時として崩壊する。1998年の緊縮で成長トレンドがいきなり折れてからは、日本の設備投資は、為替に揺れる輸出次第となった。

 日本の「財緊金緩」は、狭量で執拗な財政再建への情熱と、マクロ経済運営の日銀へのしわ寄せによるものである。他方、欧米では、金融業の隆盛に必要な低金利を実現する手段として追求される。動機は違えど、先行した日本と似たことをしたために、先進国にはジャパニゼーションが蔓延することになった。むろん、ここから脱する答えは、当然ながら、構造改革ではなく、安定的に増加させる需要管理になる。合理的期待論が主流となって、需要管理が捨てられたら、理論が通用しない事態に陥るとは、皮肉な話である。

 日本経済の停滞は、「経営者がカネを溜め込んで投資しないせい」とも言われるが、経営者は、激しく変動しつつ衰退するリスクにさらされてきた。これでは、怖くて積極的投資ができようはずもない。結局、需要を見極めて投資するという常識的戦略が採用され、大きなリスクを避けつつ、ある程度の利益をコスト削減で得ようとする。利益最大化に至らず、不況というマクロ的不都合も生じるものの、企業は、こうやって生き残りを果たすのである。

………
 松下先生の新著で学びたいのは、正規分布、対数正規分布、ベキ分布が「地続き」になっているイメージである。これらをつなぐのは、データ間の記憶性、成長性、歴史性だ。社会科学では、それらに特徴づけられる時系列の事実を扱うため、対数正規分布の意味の解釈が必須になる。そして、連鎖反応、帰還反応が考えられるなら、ベキ分布への発展を念頭に置かねばならない。ほとんどが対数正規分布にフィットしつつも、裾が膨らむデータについてこそ、その理由を考える価値がある。

 松下先生の新著は、コンパクトだし、すらすらと読め、実例が豊富にあってイメージしやすい。タイトルだけでは、必ずしも経済学の本には見えないし、経済の解釈や提言の部分は、やや付け足し的なところはあるものの、利益最大化の空論に酔いしれる人は別として、現実の経済の研究を望む学徒には、必読の書として推薦したい。マクロ経済学の実証と理論の構築に、新たな地平を開くよすがとなろう。


※対数正規分布、正規分布、ベキ分布の関係についての数学的説明は下記にある。
 『複雑系に潜む規則性-対数正規分布を軸にして-』物理学会誌vol.66 No,9 2011
  (國仲寛人 小林奈央樹、松下貢)
※ベキ分布の発散の条件については、下記のHPの記事が分かりやすい。
 『未来をきりひらく統計学』(べき乗分布)


(今日までの日経)
 資金循環 ゆがみ拡大 日米欧企業カネ余り 借金、政府に偏在。経済対策、五輪後も 景気リスクに備え。駆け込み「前回より小幅」 9月消費額9.5%増 家電など急増 天候要因も。上場企業、2期連続で減益へ 今期最終 車・設備投資が低迷。

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