河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

セヴンス・コンサート フィルハーモニック -14-

2006-11-06 00:01:00 | フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP

セヴンス・コンサート フィルハーモニック -14-

日曜から始まったフィルハーモニック・オープニング・コンサートもようやく木曜日まできた。

1962年9月27日(木) 8:30P.M.

エトラー 一楽章のための協奏曲 (ニューヨーク・プレミエ)

シューベルト/交響曲第9番グレイト

ブラームス/ヴァイオリン協奏曲
 ヴァイオリン、アイザック・スターン

ジョージ・セル指揮
クリーヴランド管弦楽団


「ジョージ・セル クリーヴランド」
独特のいい響きだ。この組み合わせでなければならない。
1970年最初で最後の来日を果たしたジョージ・セルは、もう命の火がないことを知りながら長旅に耐えて、セルの楽器と化したクリーヴランド管弦楽団の驚異的なサウンドを日本のクラシックファンに植えつけにきたのだった。
吉田秀和さんの名文によるエロイカの演奏批評は評論を越えて美意識の表現そのものになっていたように思う。しかし彼でさえ遅すぎた。アメリカのオーケストラのことを全く聴く耳をもたない日本の評論家たちは、その演奏に茫然としたというよりも、吉田さんの名文の内容にショックを受けたのであり、そこらへんが開眼であった若き評論家もいたのではないか。
時をおかずセルのいのちは使命を終え、そこからが日本のセル&クリーヴランド評価の始まりであった。何と言う皮肉なこと。知らなかった、紹介してこなかった、ことが本当に評論家の方々の恥になったのであり反省すべきことではあったが、しかし来日して本当の音楽を聴かせてくれたセル&クリーヴランドは、日本で彼らの歴史がつながった。
以来、今でさえ、クリーヴランドはセルのものである。マゼールが振ろうがドホナーニが振ろうがメストが振ろうが、後に残るのは、「セルのCDを取り出して聴いてみるか。」といった意識に後戻りしてしまう。間際の演奏がEMIから連発したが、その中ではやはりシュベ9、ドヴォ8のなんて素晴らしい演奏。薄い雲がかかった琥珀のようなミルキー・サウンド。そして素晴らしいアインザッツ、高低のバランスの良さ、驚異的なピッチ、なにからなにまで言うことなしだ。
セルだけ聴きたいなら、ベルリン・フィルをバックにしたフルニエのチェロによるドヴォコンの唖然とする響きはしっかりとヘリオドールのLPに刻まれていた。溝は掘れて白くなってしまったけれども。
LP初期の頃の録音はたしかエピック・レーベルから出ていたように思うが、高音シャリシャリで聴いていられないものもあった。音の悪さが足を引っ張った感もあるが、いずれにしても日本人向けにいい環境にはなかったのであろう。CDになって見違えるばかりのサウンドになったが、オリジナルはいい音で残っていたのだろう。
それにしても昔のCBS、ソニーなどのLPもキンキンしたサウンドで聴いていられないものが多く、ワルターのLPなんて最初に買ったときに、なんでこんなキンキン録音が廉価盤価格ではなくレギュラー価格なのかわからなかった。モノラルLPは安かったが、ステレオ録音はレギュラーであり、また有名演奏家を決してチープに売らない昨今のソニー路線も、超凝った紙ジャケのこだわりなどをみればそれなりに納得するところもないではない。
というわけで、この1962年記念公演も素晴らしい。シュベ9とブラコンは普通と逆の順番のような気がする。当時からスターンはビックネームであることの証左か。でもやはり最後はあのEMIのシュベ9のサウンドで終わってほしいな。あの見開きLPが出た時、ジャケットを見ながら思いを馳せた第一プルトのダイアン・マザーさんとは後年、渋谷で焼き鳥のツーショットをしたような記憶があるようなないような、いまはクリーヴランドをリタイアしたが元気に音楽活動に励んでいるようだ。美しかったね。
(続く)

フィルハーモニック・オープニング・ウィーク1962年NYP