書名:「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」
著者:嶋 正利
発行所:岩波書店
発行日:1987年8月28日第1刷
目次:まえがき
マイクロコンピュータ誕生の背景
マイクロコンピュータとは何か
電子式卓上計算器の登場と発展 ほか
電卓用汎用LSIの開発
ビジコン社とインテル社との開発契約
プロジェクトチームの結成と渡米 ほか
マイクロコンピュータのアイデアの出現
ホフのアイデア
「4ビットのCPU」の採用へ ほか
世界初のマイクロプロセッサ4004の設計と誕生
ファジンの登場
発注者が設計の助っ人に ほか
8080の開発
ミニコン技術の習得
インテル社からの誘い ほか
Z80の開発
フロッピー・ディスクとDRAMの大量生産化
ザイログ社設立に参加 ほか
Z8000の開発
16ビット・マイクロプロセッサの開発競争
難しかったZ8000の開発 ほか
これからのマイクロプロセッサ
開発からの引退と帰国
これからのLSI開発 ほか
あとがき
新世代マイクロプロッセサ開発と現役復帰
マイクロコンピュータは、今やパソコンをはじめ、あらゆる製品に組み込まれ、ユーザーが全く意識しなくても、コンピュータによる制御システムが機能し、現代の社会生活を快適に、しかもスピーディーに過ごせる源ともなっている。もし、マイクロコンピュータがこの世に存在しなかったのなら、現代社会そのものが存在しなかった、と言っても過言ではなかろう。そんな夢の素子であるマイクロコンピュータの発明者が、今回の「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」(岩波書店)の著者である嶋 正利(1943年生まれ)であることを知っている日本人はあまり多くない。この原因の一つは、世界初のマイクロコンピュータ「4004」の開発が、米国の半導体メーカーのインテルにおいて行われたことと、米インテルが「マイクロコンピュータを発明したのはわが社である」として、当時、日本の電卓メーカーのビジコンの技術者であり、マイクロコンピュータ「4004」開発の提案者としての嶋 正利の存在を故意に無視したことによる。しかし、現在では「マイクロコンピュータの発明は、米国のインテルのテッド・ホフと日本のビジコンの嶋 正利の共同開発によるもの」という認識に改められている。つまり嶋 正利は、ノーベル賞級の大発明を成し遂げた日本の技術者なのである。
20世紀最大の発明の一つには、コンピュータが必ず挙げられる。商用コンピュータを開発・製造・販売したIBMは、初代ワトソン血の滲むような努力によってようやく販売実績を挙げることができたという。コンピュータなくしては、日常の生活を営むことすらできない現在から考えると嘘のようなホントの話ではある。コンピュータの歴史をみると、大型のメインフレームに始まり、その後ミニコンピュータ(ミニコン)やオフィスコンピュータ(オフコン)などの中・小型機が次第に普及していき、それらをネットワークで結び、データ処理を行っていくようになる。このコンピュータの動きとは別に、事務機という製品ジャンルが古くからあり、手回しの計算機が各メーカーから発売され、こちらも市場を拡大していた。そして、わが国のシャープから世界初の卓上式電子計算機(電卓)が発売され、以後数多くのメーカーから電卓が発売され、一時は“電卓戦争”と呼ばれるほど、電卓の開発・販売競争は激烈を極めることになる。今回「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」は、そんな時代の日本の電卓メーカーの一社ビジコンと米国の半導体のベンチャー企業インテルの2社を舞台に繰り広げられる、マイクロコンピュータ「4004」の開発物語なのである。
米インテルというと、今では世界の半導体メーカーを代表する大企業であるが、当時はノイス、ムーア、グローブの3人が、フェアチャイルドからスピンアウトして1968年に創業した一ベンチャー企業に過ぎなかった。当時の最先端技術であるpチャンネル・シリコンゲートMOSプロセスを使って、256ビットのスタティックRAM、1キロビットのPROMの開発に着手し始めたころであったという。嶋たち日本のビジコンから派遣されたのが1969年で、インテルが創業して間もなくであり、従業員数も125人にも満たなかったという。そんな中、嶋たちはインテルに対し「我々は、自分達が考えている電卓用LSIでは、大きなレベルでのマクロ命令をプログラムすることによって、電卓の機能が実現できることを説明したり、実際にキーボードやプリンター制御部の論理図を作成して説明した」。しかし、「当時アメリカには、ほとんどといってもいいぐらい電卓の会社はなく、新しい機能は日本の電卓会社から生まれてくるので、新しい機能の話しをしても無駄なようであった」。ここから嶋たち日本の技術陣の苦闘が始まる。日本側の要求をどうインテル側に伝え、製品化させるかが大問題であったのだ。そして「8月下旬のある日、ホフが興奮気味に部屋に入ってきて、3、4枚のコピーを我々に手渡した。これが4004中央演算ユニットを中心とした、世界初のマイクロコンピュータ・チップ・セットMCS‐4の原型であった」のだ。これを読んでも、世界初のマイクロコンピュータは、日本の嶋たちが提案し、それに基づき米国のインテルが製品化したということが分る。
嶋 正利は、1967年東北大学理学部化学第二学科を卒業し、電卓メーカーのビジコンに入社。ビジコン時代に渡米し、インテルで世界初のマイクロコンピュータ「4004」の開発に参加。その後、1972年にはインテルに入社、マイクロプロセッサー「8008」の開発に従事。さらに、1975年ザイログに移り、マイクロプロセッサー「Z80」「Z8000」を開発。1980年には帰国し、インテル・ジャパンのデザイン・センター所長に就任。1986年、ブイ・エム・テクノロジーを設立し、さらに新しいマイクロプロセッサーに開発に取り組む。その後、福島県立会津大学で後輩の指導に当った。1997年、世界初のマイクロコンピュータの開発により第19回京都賞(先端技術部門)受賞。1998年、米国の半導体生誕50周年記念大会で、「Inventor of MPU(Micro‐Processor Unit)」を受賞した。この書は、世界的発明を成し遂げた嶋 正利自身がマイクロコンピュータ開発の経過を克明に記した記録としての意義があるほか、「―わが青春の4004―」と副題にあるように、若き一技術者が日米のギャップを如何に乗り越えたかをレポートしており、これから技術者として歩もうとしている若者の指針になる内容を持っている。さらに、日米の企業の取り組みの姿勢の違いを紹介しており、一種の日米企業比較論として、技術者でない一般の読者にも大いに参考になろう。例えば「まったく情けないことに、一部の日本の半導体会社が写真技術を駆使して、最も技術者として恥ずべき直接のコピーをするようになった」など、耳の痛い話も出てくる。ただ、残念なことにこの書籍は現在絶版になっているようで、図書館で閲覧するか、インターネットか古書店でしか入手できないようである。20世紀の偉大な発明を成し遂げた本人が自ら記した、貴重な記録である本書の復刻を切に望む。(勝 未来)