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■科学技術書・理工学書<ブックレビュー>■「世界を動かす技術思考」(木村英紀編著/講談社)

2015-09-29 11:27:28 |    情報工学

書名:世界を動かす技術思考~要素からシステムへ~

編著:木村英紀

発行:講談社(ブルーバックス)

目次:序章 システムの時代
    第1章 システムはネットワークからはじまった
    第2章 プロダクトシステムとプロセスシステム
    第3章 システムに関する科学と技術の歩み
    第4章 進化するシステム
    第5章 日本の問題

 「世界を動かす技術思考~要素からシステムへ~」(編著:木村英紀/講談社)は、これからの技術開発には、個別の開発に加え、システム思考が大きな要因となってくることを、各産業の具体的事例に基づき解説した書籍である。システム関連の書籍は、ともするとシステム工学そのものの学術的な話に偏りがちであるが、同書は、歴史的な実績に基づきながら話を展開しているところに特色がある。その、一つの事例として発明王エジソンが最初のシステム工学者として取り上げられている。エジソンは白熱電球を発明したが、ほんとの偉大さは、発電所を建設し、送電線を引いて、必要な場所で白熱電球を灯すシステムをつくり上げたことにある。今考えれば当たり前のことと捉えられがちであるが、送電線網の配備という、当時では前例のないシステム化の試みに取り組んだことは大いに評価されることだ。ただ、エジソンは直流の送電線網の整備を主張したのに対し、テスラは交流の送電線網の整備を主張、大論争を巻き起こした挙句、エジソンの直流の送電線網は負けて、テスラの交流の送電線網に軍配が上がる。これは、交流の方が電圧を下げやすいということによるもの。そして、現在に至るまで、交流の送電線網が当たり前とされてきた。ところが、太陽光や風力などの再生可能エネルギー利用が脚光を浴び始めた現在、直流の送電線網の方が効率的という意見が出始めている。まさかエジソンがそこまで先読みをしていたわけではないだろうが、いずれにせよ、エジソンの先を見る目が確かなことは紛れもない事実。

 システム思考と言えば、モノのインターネット「IoT」が今話題となっているが、同書ではこれを直接には取り上げてはいない。しかし、「IoT」が取り上げられてなくてもそう障害はない。「IoT」は、ネットワーク経由で産業機器や公共インフラなどに設置したセンサーのデータを収集・解析して運用や保守に生かすことを指し、これはドイツでは「インダストリー4.0」と言い、米ゼネラル・エレクトリック(GE)社では、「インダストリアル・インターネット」と名付け、コンソーシアムが発足している。こう聞くと、多くの日本人は、「このままでは後れを取る」と、慌てがちになる。この結果、雑誌で「IoT特集」が氾濫することになる。でもちょっと待ってほしい。日本では少し前に「ユビキタス」という名称で呼ばれていた内容と今回の「IoT」は同じものなのである。組み込みシステム開発環境「TRON」を開発し、世界に先駆け「ユビキタス」を提唱した東京大学の坂村 健教授は、国際電気通信連合(ITU)の150周年記念賞を受賞している。つまり、「IoT」の本家は日本なのである。ただ、坂村氏も言っているように、日本の場合は、システム化に取り組む場合は、トヨタの「カンバン方式」のように、1企業内に集約されて、それ以上に広がらない。これに対し、米GE社の「インダストリアル・インターネット」は、コンソーシアムを立ち上げ、AT&T、シスコシステムズ、IBM、インテック、独ボッシュなどの企業が参加している。日本が遅れているのは、決してシステム技術そのものではなく、システム化の仕組みづくりそのものにあると言える。

 「日本が遅れているのは、決してシステム技術そのものではなく、システム化の仕組みづくりそのものにある」ことの事例の一つとして、同書では、医療機器のMRIを取り上げている。MRIの世界シェアは、アメリカのGE、ドイツのシーメンス、オランダのフィリップスの3社だけで85%以上を占めているという。しかし、決して日本の東芝や日立制作所のMRIが技術的に劣っているわけでもないし、別段、価格が割高なわけでもない。今後、MRIの世界市場は、中国など世界に大きく広がろうとしている。こんな中、これまで通りであると、日本のメーカーは、アメリカのGE、ドイツのシーメンス、オランダのフィリップスの3社の後塵を拝することになってしまう。何故、技術的な遅れがないのに、日本のメーカーは、海外メーカー3社に勝てないのか。同書では、次の点を指摘する。「MRIなどの画像診断機器のニーズには、これまで大きく3つの流れがあった。それは、1990年代の『機器単独の性能向上』、1990年代から2000年代前半の『周辺サービスの充実』、そして、21世紀に入ってから現在に至るまでの『病院システム全体の寄与』である。・・・機器の性能が向上し、ラインナップが揃ってくると、画像ファイリングなどの機能、保守点検の充実などの、使い勝手をよくするための機器の周辺サービスが重要となってきた。そして、近年では、受付から検査オーダーの発注、診察料清算までの病院の業務プロセスに、如何にスムーズに取り組めるかが重要な要件になっている」。つまり、日本のメーカーは、病院の業務プロセスに至るまでのトータルのシステム化で大いに遅れをとっているということだ。

 システム化の事例とは少々異なるが、現在の日本の家電メーカーの凋落も似たところがある。日本の技術者は、時間が経つにつれて技量が向上し、難しい開発に挑む。その結果、製品が多機能化し、操作も難しくなる。果たして、家電のユーザーは皆が皆、多機能化のニーズを持っているのであろうか。発展途上国の家庭などでは、多分、多機能化より、操作が易しく、低価格の家電製品を求めるであろう。そんなことにお構いなく、開発を続けるのであるならば、日本の将来はお先真っ暗となるであろう。同書は、システム化の観点に立ち、日本のメーカーに警鐘を鳴らす。MRIの事例でも分かる通り、いくらMRIの機能を向上させても世界シェアは取れない。病院システム全体を考えた製品化に取り組まねば先行する欧米のメーカーに追い付くことは不可能だ。それでは、日本でもシステム化の取り組みを強化すればよいではないか、ということになるのだが、日本のシステム化の研究体制はお寒いかぎり、と同書は指摘する。「多くのアメリカの大学は、システム科学技術を教育し、システム技術者を養成するシステム関連の研究所を持っている。・・・ドイツにはマックスプランク研究所にシステム科学技術関連の2つの研究所がある。・・・中国には科学院に「システム科学研究所」があり、・・・シンガポールにも大きなシステム関係の研究所がある」。それに対し「日本にはシステム科学技術を対象とする研究所は存在しない。大学でもシステムを専門的に教育する組織はいくつかの大学に散見されるだけである。『システム時代』に心細い限りである」。つまり、ことシステム化の研究体制に限ると、日本はどうも崖っぷちに立たされているようなのだ。
(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「絵でわかるスーパーコンピュータ」(姫野龍太郎著/講談社)

2012-09-17 10:37:35 |    情報工学

書名:絵でわかるスーパーコンピュータ
 
著者:姫野龍太郎
 
発行所:講談社
 
発行日:2012年6月10日 第1刷
 
目次:第1章 スーパーコンピュータとは何か
      コンピュータとスーパーコンピュータの歴史
      コンピュータの性能向上とその限界 ほか

    第2章 スーパーコンピュータはなぜ重要なのか
      スーパーコンピュータを利用する技術の重要性
      スーパーコンピュータを国産として開発することの重要性 ほか

    第3章 世界最速スーパーコンピュータ「京」
      「京」までのスーパーコンピュータ開発プロジェクト
      次世代スーパーコンピュータ「京」開発プロジェクト ほか

    第4章 「京」で何ができるようになるか
      生命科学
      医療 ほか

    第5章 「京」の先へ
      IESP(International Exascale Software Project,Exa FLOPSソフトウェア
      ・国際プロジェクト)

      EESP ほか 

 2009年11月13日、文部科学省予算編成事業仕分けの際に、次世代スーパーコンピュータ開発の予算に対して、仕分け人の蓮舫議員が「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位ではだめなんでしょうか?」と発言して、世間の耳目を集めた。後日、蓮舫議員は、この発言の真意について「世界一になる理由を聞き出すためだった」と弁明にこれ努めていたが、いずれにせよ、この件で、日頃縁の下の力持ち的存在であったスーパーコンピュータ(スパコン)が、一躍時代の寵児に躍り出たという副産物をもたらした。結果的に見ればスパコンという科学技術の塊みたいなマシンが世間に注目されたわけであり、スパコン関係者は、蓮舫議員に感謝しなければならないのかもしれない。そんなことがあった後の2011年11月に、理化学研究所と富士通が開発した次世代スパコン「京(けい)」が、10.51PetaFLOPSという当時世界ランキングで世界最速の座を達成して、称さんを浴びたことはまだ記憶に新しい。このスパコンの名称の「京」とは何を意味するのかというと、10の16乗のことを指し、1秒間に1京回の計算能力を持つスパコンであることで付けられたもの。

 これまで、表面に出ずらい存在だったため、日本のスパコンの実力は一般の人へはほとんど知られていなかったが、「京」以前に世界最速を達成した日本製のスパコンは3機種あった。それらは、1993年「数値風洞」(航空宇宙技術研究所・富士通製)、1996年「CP-PACS」(筑波大学・日立製作所製)、2002年「地球シミュレータ」(海洋科学技術センター・NEC製)である。1994年から1997年にかけての約3年間は、日本は世界最速のスパコンを保有する“スパコン王国”であった。さらに、2002年に開発された「地球シミュレータ」は、その後2年半にわたって世界最速の座にあり、正に世界に君臨してきた歴史を持っている。「地球シミュレータ」が登場した時、一番驚愕したのは米国、つまりIBMだったと言われている。軍事や科学技術計算に欠かせない最高速のパソコンを有することは、即ち、世界で優位な地位を占めることを保証することを意味するからだ。このため世界最速スパコン「京」を追い抜いたのはIBM製のスパコンであったことは、ある意味では当然の成り行きと言える。

 このように、スパコンは現在では、最先端の科学技術開発には無くてはならないマシンに位置づけられ、多くの人がスパコンを知っておく必要に迫られている。しかし、これまで平易に書かれたスパコンの解説書は、ほとんど無かったと言ってもいい。もともと、難しい計算を駆使し、最先端の半導体技術とソフトウェアによってつくられるスパコンを、門外漢の人間にも理解できるように、書き表すこと自体至難の業だ。この姫野龍太郎著「絵でわかるスーパーコンピュータ」(講談社)は、そんな困難な問題を、見事にクリアーして、“素人”でも分るスパコン解説書に仕上がっている。この本を読み終えた暁には、スパコンについて、誰もがいっぱしのことが言えるようになっているから、貴重な本ではある。ただ書名に「絵でわかる」が付いているため、半分得をし、半分損をしているということが言えるかもしれない。「絵でわかる」とあるので、理解し易いというイメージがあり、それなら手に取ってみようか、と考える一般の読者も少なからずいよう。反面、「絵でわかる」とあると、入門者限定の本と考えられがちだが、実際には内容的に的確にスパコンを解説しており、高度な内容も含んでいる。それもそのはず、著者の姫野龍太郎氏は、理化学研究所の情報基盤センター長を務めており、コンピューターの性能を測る「姫野ベンチマークテスト」でも知られるスパコンの第一線の技術者だからである。

 同書の優れた点の一つは、単にスパコンそのものの解説に留まらずに、スパコンを使ったアプリケーションに多くの紙面を割いていることであろう。それが第4章の『「京」で何ができるようになるか』である。ここで紹介されているアプリケーションは、生命科学、医療、ナノ・サイエンス、津波シュミレーション、長期気候変動と気象、ロケット、天文と幅広い分野にわたっている。この中の医療分野一つ取り上げても、「人体モデルと手術シュミレーション」「がん治療への応用」「心臓のシュミレーション」「血栓の生成と輸送のシュミレーション」などが紹介されており、既にスパコンが医療分野に欠かせなツールとなっていることが手に取るように分る。スパコンというと何か、軍事とか素粒子研究など特殊な最先端の科学技術用であると思っていると大きな間違えとなる。この本は、そんな間違えを、読み進むうち知らず知らずにただしてくれる。もうスパコンは特殊なマシンではなく、日常生活に切っても切れない役割を担いつつあることが、この書を通して実感できる。そして読み終わって冒頭の質問「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位ではだめなんでしょうか?」の答えが自然に頭に浮かんでくる。その回答は「スパコンは、既に医療など生活に欠かせないツールとなっており、2位ではだめです。1位でなくてはなりません」。(勝 未来)

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■科学技術書・理工学書ブックレビュー■「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」(嶋 正利著/岩波書店)

2012-08-20 10:42:02 |    情報工学

書名:「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」
 
著者:嶋 正利
 
発行所:岩波書店
 
発行日:1987年8月28日第1刷
 
目次:まえがき

    マイクロコンピュータ誕生の背景
       マイクロコンピュータとは何か
       電子式卓上計算器の登場と発展 ほか

    電卓用汎用LSIの開発
       ビジコン社とインテル社との開発契約
       プロジェクトチームの結成と渡米 ほか

    マイクロコンピュータのアイデアの出現
       ホフのアイデア
       「4ビットのCPU」の採用へ ほか

    世界初のマイクロプロセッサ4004の設計と誕生
       ファジンの登場
       発注者が設計の助っ人に ほか

    8080の開発
       ミニコン技術の習得
       インテル社からの誘い ほか

    Z80の開発
       フロッピー・ディスクとDRAMの大量生産化
       ザイログ社設立に参加 ほか

    Z8000の開発
       16ビット・マイクロプロセッサの開発競争
       難しかったZ8000の開発 ほか

    これからのマイクロプロセッサ
       開発からの引退と帰国
       これからのLSI開発 ほか

    あとがき
       新世代マイクロプロッセサ開発と現役復帰

 マイクロコンピュータは、今やパソコンをはじめ、あらゆる製品に組み込まれ、ユーザーが全く意識しなくても、コンピュータによる制御システムが機能し、現代の社会生活を快適に、しかもスピーディーに過ごせる源ともなっている。もし、マイクロコンピュータがこの世に存在しなかったのなら、現代社会そのものが存在しなかった、と言っても過言ではなかろう。そんな夢の素子であるマイクロコンピュータの発明者が、今回の「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」(岩波書店)の著者である嶋 正利(1943年生まれ)であることを知っている日本人はあまり多くない。この原因の一つは、世界初のマイクロコンピュータ「4004」の開発が、米国の半導体メーカーのインテルにおいて行われたことと、米インテルが「マイクロコンピュータを発明したのはわが社である」として、当時、日本の電卓メーカーのビジコンの技術者であり、マイクロコンピュータ「4004」開発の提案者としての嶋 正利の存在を故意に無視したことによる。しかし、現在では「マイクロコンピュータの発明は、米国のインテルのテッド・ホフと日本のビジコンの嶋 正利の共同開発によるもの」という認識に改められている。つまり嶋 正利は、ノーベル賞級の大発明を成し遂げた日本の技術者なのである。

 20世紀最大の発明の一つには、コンピュータが必ず挙げられる。商用コンピュータを開発・製造・販売したIBMは、初代ワトソン血の滲むような努力によってようやく販売実績を挙げることができたという。コンピュータなくしては、日常の生活を営むことすらできない現在から考えると嘘のようなホントの話ではある。コンピュータの歴史をみると、大型のメインフレームに始まり、その後ミニコンピュータ(ミニコン)やオフィスコンピュータ(オフコン)などの中・小型機が次第に普及していき、それらをネットワークで結び、データ処理を行っていくようになる。このコンピュータの動きとは別に、事務機という製品ジャンルが古くからあり、手回しの計算機が各メーカーから発売され、こちらも市場を拡大していた。そして、わが国のシャープから世界初の卓上式電子計算機(電卓)が発売され、以後数多くのメーカーから電卓が発売され、一時は“電卓戦争”と呼ばれるほど、電卓の開発・販売競争は激烈を極めることになる。今回「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004―」は、そんな時代の日本の電卓メーカーの一社ビジコンと米国の半導体のベンチャー企業インテルの2社を舞台に繰り広げられる、マイクロコンピュータ「4004」の開発物語なのである。

 米インテルというと、今では世界の半導体メーカーを代表する大企業であるが、当時はノイス、ムーア、グローブの3人が、フェアチャイルドからスピンアウトして1968年に創業した一ベンチャー企業に過ぎなかった。当時の最先端技術であるpチャンネル・シリコンゲートMOSプロセスを使って、256ビットのスタティックRAM、1キロビットのPROMの開発に着手し始めたころであったという。嶋たち日本のビジコンから派遣されたのが1969年で、インテルが創業して間もなくであり、従業員数も125人にも満たなかったという。そんな中、嶋たちはインテルに対し「我々は、自分達が考えている電卓用LSIでは、大きなレベルでのマクロ命令をプログラムすることによって、電卓の機能が実現できることを説明したり、実際にキーボードやプリンター制御部の論理図を作成して説明した」。しかし、「当時アメリカには、ほとんどといってもいいぐらい電卓の会社はなく、新しい機能は日本の電卓会社から生まれてくるので、新しい機能の話しをしても無駄なようであった」。ここから嶋たち日本の技術陣の苦闘が始まる。日本側の要求をどうインテル側に伝え、製品化させるかが大問題であったのだ。そして「8月下旬のある日、ホフが興奮気味に部屋に入ってきて、3、4枚のコピーを我々に手渡した。これが4004中央演算ユニットを中心とした、世界初のマイクロコンピュータ・チップ・セットMCS‐4の原型であった」のだ。これを読んでも、世界初のマイクロコンピュータは、日本の嶋たちが提案し、それに基づき米国のインテルが製品化したということが分る。

 嶋 正利は、1967年東北大学理学部化学第二学科を卒業し、電卓メーカーのビジコンに入社。ビジコン時代に渡米し、インテルで世界初のマイクロコンピュータ「4004」の開発に参加。その後、1972年にはインテルに入社、マイクロプロセッサー「8008」の開発に従事。さらに、1975年ザイログに移り、マイクロプロセッサー「Z80」「Z8000」を開発。1980年には帰国し、インテル・ジャパンのデザイン・センター所長に就任。1986年、ブイ・エム・テクノロジーを設立し、さらに新しいマイクロプロセッサーに開発に取り組む。その後、福島県立会津大学で後輩の指導に当った。1997年、世界初のマイクロコンピュータの開発により第19回京都賞(先端技術部門)受賞。1998年、米国の半導体生誕50周年記念大会で、「Inventor of MPU(Micro‐Processor Unit)」を受賞した。この書は、世界的発明を成し遂げた嶋 正利自身がマイクロコンピュータ開発の経過を克明に記した記録としての意義があるほか、「―わが青春の4004―」と副題にあるように、若き一技術者が日米のギャップを如何に乗り越えたかをレポートしており、これから技術者として歩もうとしている若者の指針になる内容を持っている。さらに、日米の企業の取り組みの姿勢の違いを紹介しており、一種の日米企業比較論として、技術者でない一般の読者にも大いに参考になろう。例えば「まったく情けないことに、一部の日本の半導体会社が写真技術を駆使して、最も技術者として恥ずべき直接のコピーをするようになった」など、耳の痛い話も出てくる。ただ、残念なことにこの書籍は現在絶版になっているようで、図書館で閲覧するか、インターネットか古書店でしか入手できないようである。20世紀の偉大な発明を成し遂げた本人が自ら記した、貴重な記録である本書の復刻を切に望む。(勝 未来)

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