風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

国民の責務

2005-04-05 | 風屋日記
自民党の憲法改正原案公表。
鼻息が荒かったはじめの頃よりかなりトーンダウンもしているし、
まだまだ紆余曲折やら流動的な部分も多いので、
現時点ではあえて論評はしない。

・・・が、
新たに設けられた「国民の責務」に「国防」があるのだけは断固反対。
確か歴代の閣僚さん達は「防衛とは国民の生命や財産を守るもの」と言ってた筈。
国民の責務が国防じゃ全く意味が正反対でしょ。
昔あった悪名高い「国歌総動員法」的な考え方がまた復活するの?
ふと、沖縄地上戦において、
「我々皇軍が見つかるわけにはいかないから、お前らはここから出ていけ」
と、隠れていた洞穴から追い出された一般市民がいたことを思い出してしまった。
国も軍も、一般市民を守ってくれる存在ではなく、
逆に一般市民を盾にしたという歴史は終戦前後の満州でもあったよね。
「子どもが泣くと我々も敵に見つかるから殺せ」とかさ。
前にも書いたけど、
私は私の家族や私の回りにある文化や故郷を守るためには命を惜しまないが、
残念ながら「国」という「システム」を守るために死にたくはない。

いや、待てよ。
防衛が「国民の生命を守るもの」であり、それが「国民の責務」になるのなら、
例えば全頭検査を拒否したまま牛肉の日本への輸出をゴリ押しするアメリカに
堂々と「NO」と言えるようになるのかな?
ってか、それは「should do」や、まして「may do」ではなく
憲法によって「must do」になっちゃう訳だ。
そっかー、憲法がそのまま改正になっってしまったら仕方がない。
アメリカに「国民の生命を脅かす食べ物は輸入できません」と言うしかないな(笑)
もちろん自然災害への安全対策が遅れている国や自治体に対しても、
そして自殺者を多く生み出す社会を作った政府に対しても、
「国民の生命を守るために」私達はNOと「言わなきゃならない」
憲法でそう決まるのならば。
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4 コメント

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Unknown ()
2005-04-05 23:25:33
沖縄戦。壕の中で自分の子供を殺さなければならなかった母親の気持ち。

とても考えられないけど。

歌と朗読で伝えている人がいる。

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>和さん (風屋)
2005-04-06 08:24:54
伝えましょう、どんな形ででも。

自らの手でわが子を殺した親の気持ち。

志半ばで散っていった学徒兵達の気持ち。

空襲や原爆で傷ついた家族が死んでいくのを

なすすべなく見送った人達の気持ち。

そしてわが子を戦場へ送らざるを得なかった

たくさんの父、母たちの気持ち。
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Unknown (eko)
2005-04-07 10:42:05
「国」「国家」「人間」「民族」

日本を離れているとよけいに複雑です。



中国と日本の関係も微妙・・・最近は常任理事国入りの件や歴史教科書問題で反日感情も高まり、物騒な話も聞きます。



知り合った人達はみんな人懐っこくって親切なんですが、国と国の問題になると別。



胸を張って自分の国を語れない寂しさ(情けなさ)があります。



過去の過ちをまず認めなきゃ、始まらないでしょう・・・口先で綺麗ごとを言っている政治家を見ると腹が立ってきます。



戦争に正義は無いんだから!

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>ekoさん (風屋)
2005-04-07 13:00:52
正義のための戦争なんてのはありません。

すべて「集団人殺し」です。



日本が中国や韓国に対して行っていることは

アメリカが日本に対して行っていることと同じ。

アメリカの理論は

「戦争の早期終結のために原爆を落とし、空襲もした」です。

第2次大戦早期終結兵器として、スミソニアンで原爆展を行い、

日本政府や国民はその見識を疑いましたよね。

中国や韓国が日本に対して感じている感覚は、

あの時日本人が感じていた感覚と同じものだと思います。

みんな自分がやられたことには被害者意識を持つものの、

やったことには寛大ですよね。

真摯に自らを顧みることが大切だと思います。
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