風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

美学

2016-03-28 | スポーツ
ビジネスはもちろん、TV番組でも音楽でもスポーツでも、
哲学というか、理念というか、美学というか
1本芯を通す考え方って絶対必要だと思うんだ。
それが文化となり、その人(団体)の魅力につながる。
儲りゃ何でもあり、勝つためなら何やったっていい。
そんな考え方では誰もついていかないし
支持や信頼を無くして、最後には自分に返ってくる。
ましてそれぞれの立場に応じた立ち振る舞いがあるはず。
首相が売り言葉に買い言葉で野党を野次ったり
「お前らもやっていたからオレもやる」と
相手の尻馬に乗るようでは何をか言わんやだ。
選挙に勝つために急に保育所整備を言い出したり
低所得世帯に行き当たりばったりで金をばらまいたり
見ていてこっちが恥ずかしくなる。
手段を選ばず勝てば官軍・・・がっかりだ。

昨日の大相撲千秋楽。
優勝がかかった白鵬vs日馬富士戦も同じこと。
横綱といえば相撲の精神を体現する立場だとおもうのだが
優勝のためには何やってもいいとばかりの変化。
しかもその後の言葉(報道による)
「(変化は稀勢の里もやっていたから)文句はないだろう」
とは何ごとか。
「大関たるもの・・・」と諌める立場ではないのか。
「あいつもやっていたからオレも」とは
考え方がまるで小学生だ。
「民主党政権時代もやっていたから我々も」と宣う
幼稚なアベ首相とまるで同レベルではないか。
これが平幕の言葉ならまだ許せるが、横綱の言葉じゃないべ。

白鵬が日本人じゃないから文句をつけてるわけじゃないよ。
真摯に横綱として相撲に取り組んでいる日馬富士は偉いと思うし
変化で白星を重ねた稀勢の里にもがっかりしている。
改めて言うが、昨日の白鵬の相撲そのものにもがっかりしたけど、
一番がっかりしたのは取り組み後の言葉だ。
これは誰かさんの言う「美しいニッポン」の考え方ではないし
その「ニッポン」の国技とも言えない。

小さい頃から相撲は好きで見てきたけど
もう見るのやめようかな。
こういう考え方の横綱が許されてしまうのなら
相撲にはもう魅力を感じることはできないからな。
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