風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

「望みは何と訊かれたら」

2013-04-23 | 読書
2日連続書評。

実は何気に小池真理子さんが好きだ。
「無伴奏」を読んだころからかも知れない。
本作は、時間的に言うとその続編のような
ある意味ノスタルジックな物語。

小池さんとは10歳近く違うから
実際には自分よりひと世代前の青春時代だが、
(確かに私が学生だった1980年に
 日米安保条約は穏やかなうちに締結された)
あの時代が持っていた微熱のようなもの、
熱く膨れ上がった空気のようなものの残滓は
私たちの時代にもまだまだ残っていた。
大学構内に入るには学生証提示が必須だったし
独特の文字で書かれた立て看板も
ヘルメットを被った学生も珍しく無かった。
革命とか、体制打破とか、威勢のいい言葉が
まだまだ一部では飛び交っていただろうが
要はひとつの青春の姿だったんだろうと
今老境に足を突っ込む歳になった私は思う。

なんと幼稚な・・・と今なら感じる。
そのイデオロギーも、妄想した世界も。
世界は彼らが考える以上に複雑で奥が深い。
様々なことが絡み合い、地中深くまで根を張る。
いかな暴力行為を計画したとしても
少人数の若者たちの行動程度では
この複雑怪奇な社会はびくともしない。
(それは現代のテロにも言えることだが)
それでも彼らは当時社会変革を真剣に考え、
自らの思想に真摯に行動した。
そのこと自体が今の私には眩しい。

この作品は「恋愛」小説などではない。
どちらかというと「失われた青春」の物語だろう。
あの過去があって・・・今がある。
50歳近くなって振り返る20歳前後のころの自分。

「人と人との出会い、つながりは不思議なものだ。
 あの日あの時、あの場所に行かなければ
 出会わなかった人間。
 その人間との出会いが生む次なる出会い。
 さらに次の、そのまた次の出会いと、
 それぞれがもたらす幾多の別れ・・・
 そうやって連鎖し続ける出会いと別れの果てに
 現在がある。
 そしてその連鎖は、命ある限り、
 休むことなく、この先も繰り返されていくのである」

「通信手段のめざましい発達は、とどのつまり、
 何をもたらしたことになるのだろう。
 携帯電話どころか、部屋に電話がなかった時代でも
 わたしたちは今と何ひとつ変わらずに連絡を取り合い
 恋や友情を育んでいくことができたのだ」

「過去のひとつひとつが、
 深く複雑な意味を伴ってくる。
 どれほど些細な出来事、
 取るに足らない出合いであったとしても、
 意味を伴わないもの、ただの偶然にすぎないものなど、
 一つもなかったのだということを思い知らされる」

「望みは何と訊かれたら」小池真理子:著 新潮文庫
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