古事記は神代から推古天皇までの「物語」を
712年に太安万侶が筆記しまとめたものといわれているが、
勅撰の正史として扱われる日本書紀(720年)と成立年代が近いわりに、
その成り立ちには様々な疑問があり真贋が疑われていること、
基本をなすのは上巻、中巻の旧辞部分であり、神話が中心であること、
日本書紀がほぼ完全な漢文体であるのに比べ、
古事記は挿入歌謡を中心に倭仮名を使っていることなどから
古代史学、考古学などの学術資料としてよりも
どちらかというと文芸書としての扱いのウエイトが高いように思う。
(ワタシが古事記に触れたのも大学時代の上代国文学講義でだった)
本書を読んでわかったことのひとつに日本書紀との違いがある。
純粋な学術資料としての日本書紀に比べ
天武天皇の命で稗田阿礼が誦習していた「伝承歌謡」を
太安万侶が記述した壮大な叙事詩が古事記なのであろう。
そういう意味でもますます文芸書としての存在と再認識した。
いわば日本版マハーバーラタ、ラーマーヤナだ。
しかし本書において著者は
その叙事詩を分解・解読し、続日本紀や延喜式などの他文献、考古学資料、
各地の神社における祭事や祝詞、皇室祭事、
国内各地や少数民族であるアイヌなどの民間慣習などに加え、
朝鮮半島やインドネシア、カンボジア、ラオスなどの東南アジアの慣習や伝説、
および中国雲南省などのミャオ族、ラフ族をはじめとした少数民族の風習など
考古学、民俗学、民族学、文化人類学、アジア学など幅広い領域を
縦横無尽に調べ、比較し、分析して「線としての古事記成立」を論じている。
例えば「天の岩屋戸」伝説の下層に潜む更に古い形態をあぶり出し
この伝説が成立した真意を探るなど。
これがまぁ実に面白い。
ワタシは元々古代史に興味があったのだが、
他にも興味があった文化人類学や神道などにもわたる領域なので
面白いと思わないわけがない(笑)
はっきり言ってページが少なすぎる。
岩屋戸伝説だけでなく天地創造や天孫降臨、神武東征、国曳きなどの神話も
ぜひこの手法で分析された結果を読みたかった。
以前私は
このような説をブログに書いたことがあったが、
この考えも決して本書の内容に矛盾するものではない。
逆に盛込んでもらいたいほど(笑)
「物語」として書かれたエピソードが一体何を意味しているのか、
その裏側に潜む事実を推測してみてワクワクしている。
「ページが少な過ぎる」とは書いたものの
著者が本当に言いたかったのは終章の「新しい日本像をもとめて」だろう。
そういう意味では岩屋戸伝説だけ例に取ればこと足りたと思われる。
著者の主張も警告も概ね同意できる。
殊更盲信することも、美化することも、卑下することもなく、
日本人の歴史と優れた文化を正しく評価、認識した上で
他文化も認め、他民族とも共存していくことこそ
今ワタシ達日本人に求められていることだろう。
欲を言えば、「日本人」と大括りにするばかりではなく
蝦夷や熊襲、佐伯、国巣なども1民族として認めて欲しかったかな。
少なくともワタシは蝦夷の末裔としてのアイデンティティーを持ち続けたい。
「古事記の誕生〜『日本像』の源流を探る〜」工藤隆:著 中公新書
※工藤隆氏は大東文化大文学部日本文学科教員
東京大学経済学部から早稲田大学大学院で古代文学専攻に転身したという
変わった経歴を持つ日本古代文学者、文化人類学者