風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

なぜ?

2012-05-16 | 読書
「なぜ?」
理由ではない。
それは時期についての問いかけだ。
「いつか」であることはわかっていた。
けれど、なぜ「今」であるのか。
(中略 そして『わたしたちは』理解してもらう)
これまで地球上に生まれてきた、何兆、何京という人たちと
同じことがあなたの近しい人にもただ起こっただけなのだと。
「なぜなんでしょう?」
額に手を当て、女は同じ質問を繰り返した。
応えるべき言葉はやはりなかった。
なぜ、今なのか。
なぜ、今死ななければならなかったのか。
今でなくたっていいじゃないか。

         (本多孝好「WILL」集英社文庫 より)

Why

2012-05-15 | 文化
「日本の学生は『ハウ(How)』と云ふ事は深く注意するが
 『ホワイ(Why)』と云ふ問を余り発せん」

・・・「どのように」には注意を払うが「なぜ」には意識が向かない。
今の時代にも、そして若者だけではなく万人に当てはまる言葉。
ワタシも自らの哲学の無さを自省。


※明治44年、九州帝国大学初代総長となった山川健次郎氏の就任挨拶の一部。
 山川氏は会津藩出身で年少の頃は白虎隊に所属していたが
 のちに政府派遣によりアメリカエール大学に留学。
 日本人で初めての物理学士となった人物。
 帰国後は東京帝国大学総長、京都帝国大学総長などを歴任。
 湯川秀樹や朝永振一郎など「東大物理学」の始祖としても知られる。
 津田梅子などとともに日本人初の女子留学生となった
 山川捨松(後の大山捨松)は実妹。

「MOMENT」

2012-05-14 | 読書
読んだのは2度目。
本作の続き(というか関連作品)である「WILL」が
ようやく文庫化されたので、
まずはこちらを読み返してみてから次を読もうと思った次第。
亡くなる直前の人のところへ現れ1つ望みを叶えてくれるという
病院の中でウワサされる「必殺仕事人伝説」って
なんか夢のある話にも思えるけれど
それぞれの人たちの「望むもの」ってのが人それぞれ。
普通に見える話すべてすべてウラがある。
その度に「仕事」を請け負う主人公は落ち込み、肩を落とし、
そして少しずつ自分の道を見つけて成長していく。
そして本当の「仕事人」の正体が・・・
最後の話は果たしてそれでいいのかどうかわからない。
ワタシなら「依頼人」の気持ちがわかる気がするから。

相変わらず多少ムリがある展開ながら
(主人公の「仕事」がうまく行き過ぎ ^^;)
生と死についてさまざま考えさせられる。
都会に埋もれながら、環境に振り回されながら、
それでも健気に生きて行き、
やがて死を迎える人間たちの姿に瞠目しながら。

「死ぬかも知れないって思ったときにね、
 もちろん、悲しかったよ。怖かった。
 何で私だけって思った。
 みんなぴんぴん生きてるのに、
 八十にも九十にもなって、生きてる人もいるのに、
 何で私だけが三十で死ななきゃいけないのよって。
 でもね、それじゃ、どうしても生き延びたいかって言われたら、
 結構、そうでもないような気がするのよ。
 結局さ、生き延びたって、また同じ人生が続くわけじゃない?
 今までと同じ。
 年を取っていく分だけ、今までよりつまんなくなるくらいでさ」

 もうじき当たり前に冬がやってきて、春がやってきて
 やがてその季節の中に有馬さんはいなくなるのだろう。
 それでも当たり前に夏がきて、また秋が訪れて、
 何度も当たり前に繰り返される季節の中に、
 いつか僕もいなくなるのだろう。
 やがて死んでいく人間なんてどこにもいはしない。
 そこにはただ、今を生きている人間がいるだけだ。

前段は登場人物のセリフ。
後段は主人公の独白。

「MOMENT」本田孝好:著 集英社文庫

東御苑

2012-05-13 | 散歩






昨日の散歩は
旧江戸城跡東御苑から始まった。
写真は本丸天守閣跡、同心番所、
そして平川門へ通じる橋(竹橋駅前)。
いい天気の中、のんびり散歩ができた。

東御苑のあとぶらふら神保町へ。
案の定古書店街に捕まるんだなぁ・・・(^^;

「古事記の誕生〜『日本像』の源流を探る〜」

2012-05-12 | 読書
古事記は神代から推古天皇までの「物語」を
712年に太安万侶が筆記しまとめたものといわれているが、
勅撰の正史として扱われる日本書紀(720年)と成立年代が近いわりに、
その成り立ちには様々な疑問があり真贋が疑われていること、
基本をなすのは上巻、中巻の旧辞部分であり、神話が中心であること、
日本書紀がほぼ完全な漢文体であるのに比べ、
古事記は挿入歌謡を中心に倭仮名を使っていることなどから
古代史学、考古学などの学術資料としてよりも
どちらかというと文芸書としての扱いのウエイトが高いように思う。
(ワタシが古事記に触れたのも大学時代の上代国文学講義でだった)
本書を読んでわかったことのひとつに日本書紀との違いがある。
純粋な学術資料としての日本書紀に比べ
天武天皇の命で稗田阿礼が誦習していた「伝承歌謡」を
太安万侶が記述した壮大な叙事詩が古事記なのであろう。
そういう意味でもますます文芸書としての存在と再認識した。
いわば日本版マハーバーラタ、ラーマーヤナだ。

しかし本書において著者は
その叙事詩を分解・解読し、続日本紀や延喜式などの他文献、考古学資料、
各地の神社における祭事や祝詞、皇室祭事、
国内各地や少数民族であるアイヌなどの民間慣習などに加え、
朝鮮半島やインドネシア、カンボジア、ラオスなどの東南アジアの慣習や伝説、
および中国雲南省などのミャオ族、ラフ族をはじめとした少数民族の風習など
考古学、民俗学、民族学、文化人類学、アジア学など幅広い領域を
縦横無尽に調べ、比較し、分析して「線としての古事記成立」を論じている。
例えば「天の岩屋戸」伝説の下層に潜む更に古い形態をあぶり出し
この伝説が成立した真意を探るなど。

これがまぁ実に面白い。
ワタシは元々古代史に興味があったのだが、
他にも興味があった文化人類学や神道などにもわたる領域なので
面白いと思わないわけがない(笑)
はっきり言ってページが少なすぎる。
岩屋戸伝説だけでなく天地創造や天孫降臨、神武東征、国曳きなどの神話も
ぜひこの手法で分析された結果を読みたかった。

以前私はこのような説をブログに書いたことがあったが、
この考えも決して本書の内容に矛盾するものではない。
逆に盛込んでもらいたいほど(笑)
「物語」として書かれたエピソードが一体何を意味しているのか、
その裏側に潜む事実を推測してみてワクワクしている。

「ページが少な過ぎる」とは書いたものの
著者が本当に言いたかったのは終章の「新しい日本像をもとめて」だろう。
そういう意味では岩屋戸伝説だけ例に取ればこと足りたと思われる。
著者の主張も警告も概ね同意できる。
殊更盲信することも、美化することも、卑下することもなく、
日本人の歴史と優れた文化を正しく評価、認識した上で
他文化も認め、他民族とも共存していくことこそ
今ワタシ達日本人に求められていることだろう。
欲を言えば、「日本人」と大括りにするばかりではなく
蝦夷や熊襲、佐伯、国巣なども1民族として認めて欲しかったかな。
少なくともワタシは蝦夷の末裔としてのアイデンティティーを持ち続けたい。

「古事記の誕生〜『日本像』の源流を探る〜」工藤隆:著 中公新書

※工藤隆氏は大東文化大文学部日本文学科教員
 東京大学経済学部から早稲田大学大学院で古代文学専攻に転身したという
 変わった経歴を持つ日本古代文学者、文化人類学者

ラジオ・エチオピア

2012-05-11 | 読書
「ゲーテが書いてたわね。
 生活はすべて次の二つから成り立っている。
 したいけど、できない。
 できるけど、したくない・・・みたいなことを。
 私は、したいことは必ずできるはずだし、
 したいと念じ、懸命にやれば叶うはずだと信じてきた。
 現実にはなかなかそうはいかないけれど、
 だからといってくじけて諦めるのじゃない。
 それなのに、あなたは平気で
 『世の中にはどうにもならないことがある』と言う。
 どうにもならないことなんて、この世にあるのかしら?
 もしそう感じるのだとしたら、
 それは何かをしようとせず、あるいは臆病になって
 現状を維持したいからだけではないの?」

「ラジオ・エチオピア」蓮見圭一:著 文春文庫

僕はここにいる

2012-05-10 | 音楽
ため息だけが 静寂に消えていった 帰り道
遠い空 ゆれている 街並

すべてに君の やさしい微笑みが 離れない
手をのばしても 届かない場所にいる

もっと君のこと知りたいよ
悲しみも ささやきも 全部見てみたい
苦しいよ 今度はいつ逢える

遅すぎた出会い 胸にかみしめている 痛いほど
気付いたら 夜は終りはじめてる

うまく君の名を呼べないよ
せつなくて むなしくて つぶされそうさ
わかるかい 僕はここにいる

むくわれない 束の間の夢ならば
せめて 偶然の時だけでも
はかない うたかたの恋ならば
せめて今 君の声だけでも

救われない 痛みだけの気持ちでいい
傷ついても それでかまわない
できるなら 今すぐ抱きしめたい
二人だけの 約束を交わしたい
            (山崎まさよし)


切ない歌詞が胸に響く・・・

「僕たちは世界を変えることができない」

2012-05-09 | 映画・芝居・TV
向井理主演の
映画をDVDで借りてきて見た。
カンボジアに小学校を建てる大学生達の物語。
リアルだし、
カンボジアロケでは完全にドキュメンタリー。
クメール・ルージュの時代を語るガイドの話は
涙なしでは見られない。

数人の人間が抱えるには
大き過ぎ、重過ぎる問題だが
それでも何かをしなければいられない気持ちは
とても良くわかる。
かつてSVAのイベントである
「アジア子ども文化祭(ACCF)」に出た時、
彼の地の子たちの笑顔を見た時同じことを思った。
あの笑顔のために自分に何ができるのか
それを考えたくなる。
世界までは変えられないけど。

盛岡原風景

2012-05-08 | 散歩






中の橋から見た中津川北側。
左岸にあるビルは市役所とテレビ岩手。
こんな街のど真ん中を流れる川を
夏はアユやヤマメが泳ぎ
秋になるとサケが遡上してきて産卵する。
右岸の東北電力鉄塔下に見える長いしっくい壁は
江戸時代からそのままの商家「ござ九」。

中の橋たもとには明治期からそのままの
煉瓦造りの岩手銀行旧本店(現中の橋支店)。

中の橋から川の南側には
大正期の建物旧九十銀行(現啄木賢治青春館)がある。

これが古都盛岡の原風景。

リンゴの花

2012-05-07 | 生活の風景






昨日1日で
ずいぶん花が開いた。
2日もすれば満開だろう。
この辺りも一面真っ白になる。
大好きなリンゴの花。

春の食卓

2012-05-06 | 食べ物・お店
旬の食材。
新みょうがも美味しいけど
何と言ってもシドケのおひたし。
(正式名称モミジガサ)
この香りが春。

リンゴの蕾

2012-05-05 | 生活の風景
だいぶ膨らみ
真っ赤になってきた。
これから徐々に蕾が大きくなると同時に
この紅色が薄くなっていき
ピンクの花びらが開くと中から真っ白い花が咲く。
咲きはじめが一番きれいだと思うよ。
それまであと1週間ってとこかな。

角館

2012-05-04 | 


雨の中
しかも桜の花も終わっていたのに
GWだけあって武家屋敷地区はすごい人。
新緑がしっとり濡れていい感じだった。

花の春

2012-05-03 | 生活の風景




生憎の雨だけど、
花々が一斉に咲く北国の春。
花巻の自宅の庭にて。

「だりや荘」

2012-05-02 | 読書
やっぱりね。
井上さんの作品を読みつづけると
新しい、いい出会いがありそうと書いたけど、
ちゃんとこんな作品に出会える。
予想通り。

シチュエーションは最悪。
にっちもさっちもいなかい厄介な状況で
はっきり言って泥沼だろう。
他の作家がこんな状況を描くと
ドロドロの愛憎劇になりそう。
だけど、井上さんが書くとこんな作品になる。

相変わらず淡々と日々は流れ、
感情の機敏や揺れはすべて行動で表現される。
登場人物たちも最小限の会話を交わし
ゆっくりと時間は流れていく。
そこには激しい感情のぶつけ合いも
心情の吐露もない。
ただ静かな時間があり、
非日常も日常の中に自然にある。
そして、嘘が飛び交う中ひたすら切ない。
杏も、椿も、翼も。
すべての根源である迅人ですらも
あたかも運命を黙って受け入れるかのように
静かに周囲を掻き回していく。

こんなどうしようもない状況を
こんなに静かに淡々と描ける作家が
これまでいただろうか。
これこそこの作家の真骨頂。

「だりや荘」井上荒野:著 文春文庫