ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳・再びの奉納 「いくつかの出会い」②

2024年02月12日 21時34分17秒 | Weblog
剣山荘から劔沢小屋までは約20分。
本音は有料でも良いから冷えた水をがぶ飲みしたい思いで一杯だった。
(「もう少し・・・もう少しでキンキンに冷えたビールが飲める」)
そう思いながら小屋を目指した。

16時05分。
劔沢小屋に無事戻ってくることができた。
予定より30分以上遅れての到着だったが、あのご夫婦との楽しき出会いと語らいがあっての遅れであれば何ら問題はない。
「お疲れ様! やりましたね、おめでとうございます!」
「あぁ~ ありがとうございます。一人だったら絶対無理でした。本当にありがとうございます。」
互いに喜び合いながら、改めて小屋の庭から見える劔岳を見た。
ややガスってはいたが、登頂し無事下山した後の劔は何度見ても胸が熱くなる。
そんな不思議な山だ。

「さぁ、乾杯しましょう!」
そう言って登山靴を脱ぐ前に受付へ行き缶ビール二本を購入した。
その時だった。
庭で何人かの方達が語らいながらお酒を飲んでおり、その中の一人に目が行った。
(「ひょっとしてあの人・・・」)
確証はなかったが、妙に嬉しさがこみ上げてきた。
(「いや、先ずは乾杯だ。」)
「はい、これ登頂のご褒美です。」


一気飲みの勢いでゴクゴクと流し込んだ。
半ば脱水症状にも近い身体だっただけに、冷えたビールが五臓六腑にしみ渡る。
「嗚呼! 美味し!!」
思わず出た一言に、写真を撮っていただいた方が笑っていた。

半分ほど飲み終え、ゆっくりと飲むためにベンチに座った。
チラ見するように先ほどの人にさりげなく視線を移した。
間違いなかった。
あの独特の風貌と聞こえてくる声。
登山の世界において自分が最も憧れ、最も尊敬する人の一人。
多賀谷治さん、その人だ。

一瞬視線が合い、軽くお辞儀をした。
するとどうであろう、多賀谷さんの方から声を掛けて来てくれたではないか。
「あれ~、あのぉ栃木の○○○○さんの人でしたよねぇ確か・・・」
「あっ、はい。覚えていてくれたんですか。光栄です。」
「ええ、もう何度もお会いしてますよねぇ。」

覚えていていただいた事への感謝、そして驚き。
こんなちっぽけな山男のことをだ。

「今年も来たんですねぇ。何度目ですか?」
「はい、21回目になりました。」
「そうですかぁ、それは実にすばらしいことですよぉ。」

Uさんは一体どこの誰なのかは知らない。
ごく簡単に紹介し、紹介の最後に言った一言が
「自分にとっては山の生き神様のような人です。」だった。
「またぁ、やめてくださいよぉ○○さん(笑)」

短い時間だったが、多賀谷さんとの語らいはかけがえのない貴重なものだった。


多賀谷さんと一緒に。

多賀谷治さん。
プロの山岳ガイドで、劔立山を中心に活動を行っている。
元々は秋田県のご出身だが、縁あって富山に移住しガイドとなった。
文部科学省の登山研修所の講師を長きに渡ってしており、映画「劔岳ー点の記ー」においては、撮影支援や支援計画などのチーフとしても活躍された方だ。

偶然とは言え、お会いできたのはこれで何度目になるだろうか・・・。
この小屋でも数回、室堂周辺でも何度かお会いし、その度に気軽に一緒に写真に納まってくれた。
この上なく光栄なことだと、劔に登頂したと同じくらいの歓びを感じる。


多賀谷さんとのツーショット。
最高の思い出となりそうだ。

10分ほどの短い時間だったが、劔に関することを中心に山談議に耽った。
と言うよりは、多賀谷さんの言葉の一つ一つを聞き漏らすまいと必死だったような気がする。

その日の夜は疲れているはずなのだがなかなか寝付けなかった。
理由は自分でも明確に分かっていた。
多賀谷さんとの語らいにやや興奮していたのだ。
いい歳したおやじが何をバカな・・・と思われそうだが、自分にとってはそれ程の存在なのだ。

多賀谷さんの山に関する考え方や思い出話を思い出しながら、ある一つの事が気になった。
恐ろしいほど「謙虚」なのだ。
あれだけの実績と経歴を持っていながら、何故あれほどまでに謙虚なのか・・・
そしてそのことは、自分の中で幾つかの分岐へと繋がっていった。
言い換えるのなら、他の山男へと繋がって行ったのだ。
例えるなら、劔沢小屋の二代目のご主人である「佐伯友邦」さん。
そしてもっと身近なところでは、知人でもある自分の地元のTさん。
みな自分よりは年配の方々だが、今更ながら気付いたことがあった。
誰もが謙虚なのである。
とんでもない実績の持ち主であるのに、恐ろしく謙虚なのである。
決して高飛車にならず、驕らず、そしてひけらかすことはない。
また、言葉の端々に優しさを感じる。

穴があったら入りたい思いに駆られた。
自分には無いなぁと思えば思うほど目がさえてしまった夜になった。

山を知り尽くしているからこその言葉がある。
おそらくは何度も生死をかいくぐってきたからこその言葉だろう。
そして山で人の死をも見てきたのだろう。

この歳になってもまだまだ人に憧れ追いつきたいと思うことがある。
だが、おそらくは彼等のようにはなれない。
追いつきたくともあまりにも遠い。
それでも謙虚と言う言葉の裏にある、その存在理由に気付かせていただいた。

とてつもない大きな収穫だった。

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