ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳 奉納 「平蔵の頭・・・丁寧過ぎるペンキ文字とマーク」

2022年01月31日 23時04分43秒 | Weblog

いきなりの写真だが、これはおそらくは往路における平蔵の頭手前辺りだったと推測する。
何故敢えてこの画像を載せたかというと、この「下山ルート」を示すペンキ文字は、昨年までは無かったような記憶があるからだ。

平蔵の頭を越えるルートは、往路と復路とでは違うルートになっている。
その他にもルートがそれぞれ別れている一定区間はあるのだが、記憶が正しければこのペンキ文字は真新しいものだ。
「ここまで丁寧にしなければならないのか・・・」
これが正直な本音だった。

実を言えば今回の別山尾根ルートでは、真新しいペンキマークや文字を数多く発見した。
しかも殆どがピンク色のマークや文字だった。
斬新と言うべきか御丁寧と言うべきか・・・。
最も驚いたのは下山時のヨコバイだった。
最初のステップが重要であることはわかりきったことだが、なんと、一歩目どころか数歩先までのスタンスポイントまでペンキで記されていたのだ。
この時はペンキマークの多さに、かえってどうしたらよいのかわからなくなりそうだった。
「えっ!何? なんだこれは・・・どうすればいいの・・・今までとどう違うの?」
と、焦りに近い思いに駆られた。
詳細は後にアップしたいが、いくら何でもこれはやり過ぎだろうと思わざるを得なかった。
それだけルートファインディングのミスが発生し、事故や怪我に繋がっているが故の対応策なのだろうが、これはやり過ぎだ。
明らかに丁寧を通り越している。
もちろん事故は無いに越したことはないが、いくら日本最難関ルートのひとつと言っても、十分な準備と下調べと経験値を積んでから臨めば良いだけだ。
難関ルートであることがわかっていて臨んで来たのだから、ルートファインディングが難しいのは当然のことであろう。
「毎年来ていればルートファインディングのミスなんて起こさないだろうし、地図無しでも大丈夫でしょ!」
と言われそうだが、決してそんなことはないとキッパリと言い切れる。
自分が初めて劔を攻めようと思い立ったその昔、ルート状況の下調べに半年近くかけた。
書籍、ルート案内書、数種類の地図はもちろんのこと、実際に登ったことのある人に散々聞きまくった。
それでも一抹の不安は残ったが、やるだけのことはやったという自負もあった。
今の時代であればインターネットでかなりの情報収集をすることも問題なくできよう。
・・・であるはずなのに、ルートファインディングのミスは起きる、そして事故と怪我。

これはあくまでも自分一人の考えであるが、あまりにも自立していない人たちが多いような気がしてならない。
要は「他人頼り」「スマホ(アプリ)頼り」ということだ。
地図が無くてもアプリに入っているから大丈夫という軽率で愚かな考えで山に登っている人が実際にかなり大勢いる。
信じがたいことだが、現実はそうだ。

今回の劔は、山に登る者に対してと安全対策についていつも以上に疑問を抱きながらの登山となった。

劔岳 奉納 「前剱の門:詳細」

2022年01月29日 22時41分20秒 | Weblog
初めての劔岳挑戦は単独だった。
それ故に、不安で心細くもありながらも何処か「孤高」的な気分も味わっていた。

「前剱の門」を初めて通過した時のことは今でもよく覚えている。
事前に画像などで十分に下調べをしたつもりであったが、いざ着いてみれば「なんじゃこれは・・・」と言葉を失いかけた。
それほど危険性を感じたポイントでもあった。

あの頃はこの岩壁にクサリだけでなくボルトも埋め込まれていた。
そのボルトが取り外されたのはつい数年前のこと。
理由は分からないが、慣れているつもりでも「はて、大丈夫だろうか・・・」と思ったものだ。

今回の危険箇所のトップはN君に任せてある。
彼ならもう心配ないという信頼感からだ。

先ずは数mの鉄橋を渡る。
そしてすぐに右へと曲がり、トラバースの後に壁を巻くようにして登って行く。
焦らず落ち着いてさへいれば大きな問題はない(と思っている)。
ただし、高所恐怖症の方は無理。
それなりの高さの岩壁だ。


幸いに風は殆ど無く、煽られることなしに橋を通過。
赤い矢印に沿って進む。


壁のほぼ全体画像。
進行方向に沿ってクサリは設置されているので補助的に用いれば問題はない。


両足を同時にスタンスできるようなポイントはないが、片足であれば十分安心して置ける。


恐いのはスリップだろうか。
ゆっくりとマイペースで進めばそれでOKだ。


少し引いた画像。
実際にはかなりの高さのポイントにいる。
もちろん滑落すれば命の保証は無い。


ほぼトラバース的に進み、ラストは巻きながら登る。

さて、今度は自分の番だ。


何度も通っているコースだが、この橋の上で立ち止まったことはまだ無い。
初めてここでポーズを取らせてもらった(笑)。


こうして改めて見ると、トラバース気味に進むとはいえ壁の斜度そのものはかなりあるのが分かる。


どことなく小走りっぽく見えるが、決して急いではいない。
たまたまそのような瞬間の画像となっただけ。


どうも軽く登ってるように見えるがそうではない。


前剱の門を下るポイント。
この先ややトラバース気味に進み、平蔵の頭へと着く。


この先にあるのが平蔵の頭。

それなりの回数をこなしていれば、別山ルートの殆どの状況は頭の中に刻み込まれている。
どのポイントに何番目のクサリがあって、長さはどれくらいで、補助的に利用するのはどの程度で、足を置くポイントは何処で・・・etc・・・etc。
目を閉じれば鮮明な画像となって思い浮かべることもできる。
それは安心感にも繋がってはいるのだが、一歩間違えば「慢心」となり自分に跳ね返ってくる。
それが心底恐い。

今回の劔岳においても、他人頼み的な登山者と出会った。
そう、毎回必ずそのような登山者と出会う・・・必ずだ。
何故地図を持ってこないのか。
何故こんなポイントでストックを用いるのか。
何故クサリに全体重を預けるのか。
何故仲間に引っ張り上げてもらってタテバイを登るのか。
数え上げればきりがないほど信じがたい行動をとる人たちをこのルートで見てきた。
それらは決してケアレスミスではなく、一歩間違えれば「死」に直結する過ちだ。
そりゃぁ自分とてミスは犯す。
だが、自分の登山レベルは冷静に、且つ客観的に見極めている。
散々怪我もしてきたが、幸いにまだ登り続けている。
自然が相手である山に立ち向かうには、自分が如何に非力で未熟であることを素直に認めることが大切だ。
何とかなるだろう・・・は何とかならない。
劔が相手なら尚のことそう思う。

劔岳 奉納 「やっぱり付いてくるのか・・・」

2022年01月18日 21時48分24秒 | Weblog
前剱のガレた登りの手前に、指標が一本立っているピンポイントがある。
この指標はルートから僅かに数m離れたポイントに立っているため、近づくと結果としてルートから数mずれてしまうことになる。
登山者の多くはこの指標を見るよりも、岩に記されたペンキマークや矢印を見てルートであることを確認して登る。
だからわざわざルートから外れて指標を確認することは殆ど無い。

いつのことだったかもう忘れてしまったが、ちょっと休憩を兼ねルートから外れ指標のポイントで腰を下ろそうとしたことがあった。
「うぉーすっげー! なんだこの絶景は・・・」
思わず息を呑んだ。
この指標はルートの左側の低い岩壁の下に立っているのだが、指標まで来ると岩壁の上から外の景色を望むことができる。
天候に恵まれていたこともあり、そこからは実に美しい海(富山湾)の碧を俯瞰することができたのだ。
しかも空の青と海の碧とが水平線を境に、例えることが難しい程の微妙なグラデーションとなっており自然の美しさをつくり出していたのだ。
劔岳という緊張を迫られる山にいる中で、将に清涼剤の様なものだった。
それ以来この指標は自分にとっての「隠れビューポイント」となっている。

今回も「今日はどうかな?」って具合でルートからずれて様子を伺おうとしたのだが・・・。
その人もルートからずれて自分の後に付いてきた。
「あっ、こっちはルートじゃないですよ。ほらペンキマークがあるあっちがルートですよ。」
と説明をした。
ちょっと嫌みったらしい言い方になってはしまったが、これ以上付いてこられては何かあった時に責任を負うことまではできない以上、できれば自分一人の力で登って欲しかったのだ。

残念ながらはっきりと海の碧さを視認するには至らなかったが、まずまずの快晴であり贅沢は言えなかった。


時折立ち止まり景色を愛でる。
肌寒かった夜明け前と比べれば随分と体が温まってきた。

さて、付いてきている方だが、それ以降も自分たちにピタリと追従する形で前剱を登り始めた。
ここからはガレ場の連続だし、浮き石に足を取られ・・・てなことにもなりかねない。
安全を優先したそれなりのルートファインディングと判断力が必要にもなる。
(「う~ん・・・どうしたものか・・・」)
言葉としては出さないまでも、やはり自力で登って欲しいと思い続けた。

突然N君が「○○さん、ほらあそこ。ちょっとおもしろいですよ!」
「おっ、気付かなかったなぁ。せっかくだから撮っておこう。」


自分たちの影が岩肌にくっきりと映っていたのだ。
(実を言えば、二人の影のすぐ左側にはもう一つの影があったのだが、それは入れずに撮った。)

前剱大岩の直下まで登ってきた。
クサリ場も若干ながら危険性が高くなってくる。
今回の劔は、経験値をより高めてもらうためN君がトップを努める。
何かあれば自分が後方から助言をすればよい。


崩れてきそうで崩れない大岩直下のポイント。

ここを越えれば前剱へはほぼ2/3を登り終えたことになろうか。
ちょど良い休憩ポイントでもあり、大岩を越えた場所で一服することにした。
互いに写真を撮り合ったり、行動食を食べたり、今後のルート状況についての話をして過ごしたのだが、意図的に長く休憩時間を取った。
できればあの人に先に登ってほしかったのだ。
自分たちがペースを上げてしまうことは簡単だが、今日は山頂を越えなければならないこともあり、無駄に体力を消費することだけはしたくはなかった。

気付けばいつの間にか自分たちだけとなっていた。
(「いつ・・・そっか、自分で行ったんだ。」)

「何かあってからじゃ遅いし、俺たちに全く責任が及ばないケースだけとも限らない、その可能性はあるし・・・。やっぱりそれは嫌だなぁ。それにちょっと見ただけでも劔は身の丈には合ってない。大丈夫かなあの人・・・。」
明らかに上から目線の思いで言っている。
だが、ほぼ100%他人頼りでの劔岳がどれほど危険であるかをあの人は知らない。
「やめたほうがいいですよ」と言う権利など待ってはいないが、こっちだって金と時間を掛けて来ている訳だし、何よりも自分たちにとって年に一度の楽しみなのだ。
自分が発したその言葉は互いの気持ちを共有していた。

さて、気持ちを切り換えて登ろう!


一気に前剱頂上の手前まで来た。
遮る雲一つ無いピーカンの青空に心が躍る。


前剱の頂にて。
ポイントが記されているプレートが外れており、持ち上げてのポーズ。


自分も一枚ポーズ。

ここからが劔らしい難所のオンパレードだ。
今日のトップは任せたよ!

劔岳 奉納 「えっ、付いてくるの・・・」

2022年01月10日 00時12分47秒 | Weblog

食後の珈琲を飲み終え、明日のアタックに備え荷物の最終チェックをした。
「慣れは恐い」とはよく言ったもので、20回目の劔岳ともなればある意味「荷物はまぁこんなものだろう」で終わってしまいがちになる。
後々「あっ、あれを忘れてしまった」ってことにならないためにも決して面倒がらずに持ち物一つ一つを完全チェックすべきだ。
理由はただ一つ「命に関わる」ことだからだ。


夜中に二度程目が覚めた。
そのたびにテントから頭を出し空を見上げる。
そして星空を見て軽くニヤリ。
(よっしゃ、行ける!)

3時30分起床。
目覚めの珈琲を飲み、先ずはゆっくりと煙草に火をつける。
漆黒の闇の中、うっすらと白い煙が揺らぐ。
そしてまた空を見上げる。
星が瞬き好天を予想させる。
スマホの天気予報も確認した。
「行ける!」と、小声で呟いた。

朝食を済ませ、アタックザックのチェック。
軽くストレッチをし、スタート時間を待つ。
午前5時、予定通りテン場を出発するがやや肌寒さを感じながらのスタートだった。


日の出が近づいている。
はやくヘッデンを外し安全に登りたいものだ。


もうすぐもうすぐ。
明るくなれば登りやすいだけでなく、暖かさを感じることができる。
この時期ともなれば大汗をかくこともないし、程良い感じで登攀できよう。


「剣山荘」に着くと、ちょうど日の出となった。
何度見ても稜線から登る朝日は美しい。
薄汚れた心がちょっとは洗い流される思いだ(笑)。

さぁここからいよいよ岩稜地帯の登りとなる。
もうヘッデンはいらないかな・・・。

岩場に入ってすぐのことだった。
自分たちのすぐ後方にピタリと張り付くように付いてくる一人の登山者がいることに気づいた。
後方にいるため、改めて顔を確認することまではしなかったが、まるで自分の影のように張り付いて登ってくる。
「自分たちはゆっくりですのでどうぞお先に」
と言うと、「いえいえ、劔は初めてなので」という返事だった。
顔を見て驚いた。
ありゃ~、昨日のあの人だった。
そう、劔御前で剣山荘へのルートを聞かれた人だった。
直感で思ったこと。
一つは「経験、知識、技術、体力など、自分の身の丈に合っていない登山者の可能性が極めて高い」こと。
二つ目は「おそらくは自分たちを頼って一緒に登攀するつもり」ということ。

はっきりと断言する。
「迷惑だ!」
しかし、それを口に出して言うことはできなかった。
(まだ推測の段階だしね)

N君と目が合い、お互いその人に分からぬように苦笑いするしかなかった。
まぁ無視するわけではないが、付いてくるなら勝手にどうぞという思いで再び登り始めた。


それほど幅の広いルートではないが、この辺りのルートはまだかなり楽な方で、一定の幅の中にも通れそうなルートが数本はある。
右側のルートでも左側のルートでも通れるので好きな方を選択すればよい。
ところがだった。


自分が少し楽な方を選べば同じルートを辿り、敢えて危険な方を選べばそっちを辿ってくる。
「これって偶然か・・・」とも思ったが、そうではなかった。
軽く息を整えようと自分が立ち止まれば、その人も立ち止まり息を整え始めた。
また、ちょっと振り返り後方の景色を愛でると、その人も振り返り景色を見る。
(「こりゃ完全に引っ付きだな。他人頼みか・・・」)
N君と相談するにも声が聞こえては気まずい雰囲気になる。
はてどうしたものか・・・。
本人の気持ちを確認してはっきりと言ってしまった方が良いことは分かっている。
それが言えないのが自分の弱さなのだ。

自分が、自分たちが楽しみたいが故に劔岳を選びここに来ている。
金と時間をかけて来ているのだ。
人助けで登りに来ているのではない。
これはまぎれもない正当な理由だと言える。
「冷たい」と言われそうだが、自分はそうは思わない。
ここは劔岳なのだ。
何かあれば命の保証は無い山なのだ。
それなりの経験と技術と知識、そして体力が無ければ来るべき山ではない。
地図すら持参せず、自分が利用する山小屋の所在地すら分からない人が来るべき山ではない。

結局は無視して登攀を続けることになった・・・のだが。

劔岳 奉納 「不安・・・でも腹は減る」

2022年01月01日 10時46分34秒 | Weblog
明けましておめでとうございます。 m(_ _)m

このブログを書き始めて10年以上経つが、自分の記憶が正しければ元旦当日にアップするのは初めてのことかも知れない。
なんとなく記念になりそうな気がする(笑)。

さて、20回目の剣岳登頂を目指して劔沢テン場まで来たが、いつものお気に入りの場所に設営を始める前にどうしても確認しておかねばならない事があった。
情報収集とでも言えばよいだろう。

受付を済ませた後、管理人の方達に分かる範囲で良いからと “あの地震” について聞いてみた。
今現在の情報では別山尾根ルートにおいては特に影響はなく、危険性は無いとのことだった。
しかしバリエーションルートまでとなると入山者も殆ど無く、ましてや昨日今日の事であるだけに確実な情報は皆無に等しいらしい。
それは警備隊の方達も同意見だった。
テン場を利用している登山者からもできる範囲で聞いてはみたがやはり異口同音だった。
「やっぱりそうか・・・」
と思いながらも、別山尾根ルートだけでも問題なく利用できることに胸をなで下ろした。

テントを設営した後、夕食作りまで時間があったので明日のコースについて話し合った。
先ず劔岳登頂は別山尾根ルートで向かう。
その後は計画通り北方稜線ルートへと足を伸ばすが、「長治郎のコル」手前の危険地帯までは行かない。
これは嘗て自分が死に目に遭ったポイントでもあり、今回の大きな地震によりどうなってしまっているのか全く状況が分からないからだ。
確実な情報が一切無い今の段階では決して無理は禁物だと判断した。
コルの手前のどの辺りまでにするかは、実際に行ってみて安全を最優先に判断することにした。


ガスっており本峰を拝むことはできなかったが、明日の天候そのものは大丈夫のようだ。

北方稜線へ向かうということ。
毎回それ自体に不安は存在する。
だが今回においてその不安は今までとは全く違ったものとなっている。
それはバリエーションルートであれば尚のことだと分かっているだけに、言葉にして表すことのできない嫌な胸騒ぎのようなものだった。

胸騒ぎはしても腹は減る。
よし、飯の準備だ!
今日消費したカロリーと、明日に備えてのカロリーを摂取しよう。

今夜のメニューは「豚肉の角煮炒め」とでも言えばよいのか、久しぶりのメニューだ。
つい先日のことだった。
女房と一緒に大型ホームセンターへ出かけ食品コーナーを歩いていると、「豚の角煮」の缶詰が目に入った。
「へぇー缶詰でもあるんだ。ちょっと重くはなるけど、初日だけ頑張れば済むことだし・・・。今回はこれに決めた。」
と思い即購入した。
そして一緒に炒める野菜は、何と! 生まれて初めて家庭菜園で作ったピーマンだ。
家庭菜園と言ってしまえば聞こえは良いが、そんなたいそうなものではなく、ピーマンの苗を四株ほど植えただけのもの。
それでも土作りから始まり、追肥や除草、そして害虫対策などそれなりに面倒を見て育て上げたもの。
今回の夕食のために前日に収穫をしたのだが、四回目の収穫となった。


準備良し。


ピーマンはできるだけ細く切ることがコツ(だろうか)。
早く火が通れば燃料の節約にもなる。
本音を言えばざっくりと大きく切り、シャキシャキとした食感を味わいたのだが、燃料の節約を優先した。


缶詰を開け軽く炒める。
元よりそのままでも食べられるタイプなので、肉は暖める程度でも良い。


「豚肉の角煮炒め劔沢風」のできあがり。


味噌汁はFDの豚汁。
9月も後半となれば、2500mの標高では暖かい(熱い)ものを喉を通すということは大切であり、ありがたいものでもある。


N君と一緒に「いただきます」


N君はご飯の他にラーメンも!
ラーメン好きの自分にとってこれは実に美味そうだった。
(ラーメンは明日の昼食に予定している)


食べながら思ったこと。
それは次回のテント泊でもこのメニューで行こうかな・・・ということだ。
理由は簡単で、ごく短時間でできるからだ(笑)。

食後に珈琲を飲みながら明日の予定を確認した。
お互いに地震の影響絡みの不安はあった。
それについては本音で話し合った。

最優先すべきは安全であること。決して無理はしない。
いつものようにできるだけ冷静に考え判断し、そして決断する。
それだけでいい。