ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳・再びの奉納 「核心部 ヨコバイ」

2023年12月28日 21時24分06秒 | Weblog
無事目的の一つである奉納を終え、昼食も済ませあとは下山するのみとなった。
だが、二年ぶりの劔岳だけに「下山があまりにも淋しい・・・」というメランコリーっぽい感傷に浸ってしまった。

それでも下山の一歩を踏み出す。
数歩進んでは山頂を振り返る。
後ろ髪を引かれるような思いだった。
「また来年か・・・」とポツリと呟くと、Uさんが「秋には登らないんですか?」と・・・。
登りたい気持ちはあるのだが、「不帰ノ剣」の往復を予定しているだけに、難しいところだ。

いけない!
気持ちを切り換えないと滑落に繋がる。
これから復路の危険地帯が続く。

ヨコバイへと繋がる長いクサリ場となった。
別山尾根ルートにおいて、最も長いクサリ場(区間)となっているカニのヨコバイ。
ヨコバイ(横移動)のトラバース区間は割と短いのだが、そのヨコバイを挟むように前後に長い距離のクサリが連なっているのだ。
先ずは急な岩場を下る。
自分が先行し、要所を言葉で説明しながら下った。
後からUさんが下る。
ここは狭いルンゼ状の急斜面。
転落すれば奈落へと続くポイントだ。


慎重にゆっくりとマイペースで。
うん、いい感じだ。
そのまま下ろう。

ヨコバイへの一歩となるポイント。
右へ90°曲がるが、その一歩目がちょっと面倒なポイントだ。
はっきり言うが、この曲がるポイントは身長の高い登山者が絶対的に有利である。
腕の長さと足の長さがある方が楽に一歩を踏み出すことができる。
自分は決して高身長ではないが、178㎝の自分には特に問題は感じない。
だが女性には不利なんだろうなぁと毎回思うのだ。

足の置き方や移動の仕方(足運びの順番)を説明しながら曲がった。
曲がってしまいさへすれば大丈夫なのだが、ヨコバイ移動の途中でUさんを待つことにした。


ヨコバイ移動中。
過去の事故件数では、タテバイよりもこのヨコバイの方が発生率は高いらしい。


腕と足を思い切り伸ばさなければならず、更に曲がり角の一歩目を置くポイントをつま先の感覚だけで探らなければならない。
初めて劔岳に挑む仲間に対し、言葉でのアドバイスしかできないもどかしさがある。


横へ移動中。
ヨコバイ真っ只中!

横移動が終わっても下方へと移動を続けなければならない。
クサリはまだまだ続く。

やっと少しは安心して立っていられるポイントまで下りてきた。
が、ここから今度は垂直に下る長い梯子が待っている。
ちょっとでも手足を滑らせてしまえばそれまでだ。

この梯子、実は身体を梯子に向かい合うようにするための最初の入り方に危険を感じている。
上手く説明をすることが難しいのだが、へたをすれば足を引っかけてしまい滑落しそうになったことがあるのだ。
もう随分と昔のことにはなるのだが、「なんでこんな危ない梯子なんだろう。」と思ったものだ。

ここでも自分が説明しながら先行した。
高度感はあるが、それよりもスリップに注意だ。


梯子の上部から見下ろした画像。(Uさん撮影)


下から自分が撮った画像。

さてさて、ここまで来てもまだクサリ場は繋がっている。
平蔵のコルへと下りるには、最後にほぼ垂直の長いクサリ場を下りなければならない。
一息つけるのはそれからだ。

劔岳・再びの奉納 「山頂にて 磐座(いわくら)」

2023年12月13日 19時12分46秒 | Weblog
山頂で昼食を済ませ休憩していると、一組のご夫婦が登頂してきた。
昨日も室堂で会った方であり、笑顔と笑いの絶えないとても良い印象の二人だ。
この後の下山時でも互いに追いつき追い越し、何度も会話をしたご夫婦。
初めての剣岳登頂に感慨深げな様子であり、シャッターをお願いされた。

山談議に花が咲き、そろそろ下山しようかと思っていたのだが、今回に関しては今までの登頂とはまたひと味違った思いが自分にあったことを思い出した。
「実はあなたがもたれしているその岩なんですが、「磐座(いわくら)」と言って、劔岳において最も神聖な場所とされているんですよ。」
と話を始めた。

自分はネットで偶然知っただけの情報のみしか得ておらず、詳細は何も知らない。
また、すべては推測に過ぎないらしい。

磐座。
一見すると唯の岩に過ぎない。
しかしよく見ると何らかの文字がペンキで記されている。(すべては読めない)
平安時代の頃、宗教的儀式で国を安泰させる為の「鎮護国家」を目的とし劔岳に登り、頂上で磐座から神を迎え入れる儀式を行ったのではないかという説がある。
つまり神霊が憑依する自然岩であり、神を迎え入れるための依り代ではないかということだ。
その際に奉納されたのが、修験者の錫杖頭と鉄剣であり、明治40年7月13日に測量隊が一応の初登頂した時に発見されたのがその錫杖頭と鉄剣であることは有名な話だ。

「その背中の岩がそうなんですよ」と言うと、そのご夫婦は慌てた様子で「あっ、ダメダメ! ばちが当たる。」
といって急ぎ場所を移した。
「もっともネットでの情報しか知りませんし、あくまでも推測ですけどね」
と付け加えた。


これが「磐座」と呼ばれている岩。


2015年の登頂時に撮った画像。
雲海を撮るためだったが、磐座の上の部分が映っていた。
よく見ると「劔岳」という文字が読み取れる。

この磐座について知ったのは今年の初夏のことだった。
それは全くの偶然であり、「劔の新しい情報でもないかな・・・」程度にYou Tubeを観ていたときに知ったことだった。
過去何度もこの場に来ている。
確かな記憶にあるこの岩。
だが、「何か書かれているなぁ。」という程度の岩に過ぎなかった。
日本には古来山岳宗教が存在し、それは現代でも受け継がれている。
だが、本音を言えばそれほど興味や関心は無い。
であるはずなのに、劔岳の磐座のことを知っただけで21回目の劔岳が楽しみでならなかった。

山岳宗教、高山植物、多くの著名な登山者、ガイド、ルート開拓とその歴史、山小屋、テント場、事故、絶景。
数え上げたらきりがないほど山には多くの顔と情報が存在する。
何か一つ新たなことを知ると、次の登山がまた別の意味を持つ事になる。
来年の劔岳は一体どんな顔をして自分を迎え入れてくれるのだろうか・・・

下山を前に、祠の上に奉納板を載せ写真を撮った。


「ありがとうございます。また来年も必ず来ます。」
そう言って両手を合わせた。



劔岳・再びの奉納 「登頂 再びの奉納」

2023年12月05日 17時40分32秒 | Weblog
タテバイ核心部を越え、岩の裏側へとまわる。
するとごく短いクサリ場があるのだが、このクサリ場が何ともいやらしい。
はっきり言ってホールドポイントとスタンスポイントが無い!
いや、あるにはあるのだが、およそ突起と呼べる程の突起ではなく、ここはセオリーを無視して両手でクサリにつかまりながら登った方が確実だ。
短いながら斜度は厳しく、落ちればそれ相当の怪我は避けることはできない。
Uさんにもそこのとを伝え、先ずは自分から越えた。

「確かにこれじゃ厳し過ぎますね」
越えた後に思わず出たUさんの言葉だった。


タテバイを越え、裏側へとまわるポイント。
ちょうど真後ろに平蔵の頭が見える。

程なくして分岐点へと出た。
右へ登れば劔の山頂へ。
左へ下ればカニのヨコバイへと向かう。
「山頂までもう少しですよ。ここまで来たんだ。とにかく焦らず慎重に登りましょう。」

自分の一歩一歩が確実に劔岳山頂に近づいているという、そんな当たり前のことが嬉しくて仕方なかった。
何度も訪れている場所であるはずなのに、この山は特別だと感じる。
いや、初めて登っているUさんの方が思いは大きいかな・・・

祠が目視できるポイントまで来た。
「ほら、あそこですよ。もうほんの少しですよ。」
山頂に着いたら何と声を掛けてあげればいいのか考えながら登る。
いや、それよりは先に行ってもらおう。

「Uさん、俺はいいから・・・何度も来てるから。」
そう言って山頂への最後の道を譲った。
恐縮しながらも笑みがこぼれていた。


11時03分。
遂に劔岳初登頂!

かなりゆっくりのペースだったが、それでいい。
無理せず、安全第一で、そして自分のペースで登ることが大切だ。

「やりましたね! 劔岳初登頂おめでとうございます!」
「ありがとうございます。一人じゃ絶対に無理でした。本当にそう思っています。まだ下山がありますけど宜しくお願いしますね。」


山頂祠で先ずは記念の一枚。

腰を下ろし、アタックザックから奉納板を取り出した。
(「ここまで持ってきた甲斐があったなぁ。素人なりにも作って良かった。」)
そう思いながら祠に納め、両手を合わせ感謝の思いを伝えた。
実を言えば、アタックに際して最も苦労したのは、板の重さではなかった。
登攀時の姿勢が結構辛かった。
理由は簡単で、腰から上の背中の部分が板のために思うように曲がらなかったのだ。
ザックの中の板が背中にピタッとくっつくように密着し、上半身の動きに影響が出てしまったのだ。
(「まぁ仕方ないか・・・」)と思いつつも、危険箇所においては「それが原因で・・・」とだけはならないよういつもより慎重に登ってきた。


それなりに重さを感じた。
自己満足とはいえ嬉しい。

劔岳、不思議な山である。
数ある日本の山の中で、これほど強く惹かれ魅せられる山はない。
何度登ろうとも決して飽きることのない山であるどころか、毎回違った顔を見せてくれる。
そして毎回新たな発見や気付きがある。

*   *   *   *   *

随分と昔のことだ。
まだ登山を始めて数年目の二十代の時、仲間四人と奥穂高岳からジャンダルムを越え西穂高岳へと縦走した。
途中で休憩していると、西穂方面から単独で縦走してきた青年がいた。
自分よりは幾分年上かなと思ったが、彼も自分たちと同じポイントで休憩をした。
彼は水を飲みながら地図とコンパスを取り出し、なにやら始めた。
今にして思えば「山座同定」だとわかるのだが、地図読みなどろくに知らなかった自分にとって、その時の彼の行動はとてつもなく大人に見えた。
将に自立した単独登山者そのものだった。

「かっこいいなぁ・・・いつかは俺もあんな山男になりたい。」
そう思ったことを今でも鮮明に覚えている。
そしていつかは単独で北アルプスに挑戦したいとも思った。
それから紆余曲折はあったが、多くの山に登り、初めて独りで挑んだ北アルプスの山が劔岳だった。

とてつもない怖さがあった。
だからこそ最も多く事前の情報収集に努め、最も長く準備期間を設けた。
怖さが大きい分だけ思い入れも大きい。
その思い入れが今でも続いている、だから飽きない。

*   *   *   *   *


祠に納めた奉納板。
真新しいだけに目立つなぁ(笑)。


Uさんに撮ってもらった。


一緒にね。

他にも多くの登山者がおり、「せっかくなのでいいですか」と、板を持って撮っていた。

本来の予定ではこの先の北方稜線まで少しだけ足を伸ばし、安全なポイントで昼食を食べる予定だったが、「もう十分です。ここでいいですか。」とUさん。
それなりに疲労もあるし、メンタルにも影響が出ているのだろうと推測した。
「腹減りましたね。食べましょう!」
昼食はいつものカップ麺だが、今日は大盛りタイプ。
お湯が沸くまでゆっくりと一服した。


「美味しいですか?」

格別な味だろうと思う。(笑)