ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

太平山・晃石山 「ご苦労様ですm(_ _)m」

2021年10月18日 21時22分30秒 | Weblog
ポイントとしてはそれなりの急勾配もあり、途中にあるベンチで一息つくことにした。
ここにあるベンチはたった一つ。
幅の狭い稜線上でもあり、しかもベンチを設置するスペースそのものも狭い。
だが、ここからの眺望はこの稜線上で一番かも知れない。
昼食にはまだ時間が早過ぎたためここでは休憩のみとしたが、この場所での食事もなかなかのものだろう。


しばし眺望を愛でている。
アップダウンはもう少し続くのでゆっくりと休んで欲しい。

「もう少し登ったらトラバースルートになるから、そこでも一息つけるよ。」
実は今日のルートにおいて、この後のトラバースの次にも登りのポイントがある。
ごく僅かな距離だが、そこが今日最後の登り区間だ。

トラバース手前の最後の登りを終えた。
「はい、お疲れさん。そこのベンチで休むといいよ。」
さすがに自分も喉が渇いていた。
ハイドレーションの水分をちょっとがぶ飲み。
この先の晃石山神社境内にはテーブルがあるので、そこで昼食を食べる予定であることを話していると・・・
「こんにちは! 良い天気ですね! くれぐれも火の取り扱いには注意して楽しんでください。」
いきなりのことでちょっと驚いたが、彼等の服装と手にしている「のぼり」を見てすぐに状況が分かった。


地元(たぶん栃木市)の消防署の隊員さんたち。

先月のことだ。
テレビのニュースでも毎日のように報道されていた足利市の山林火災の件は記憶に新しい。
何日間も延焼し続け、大規模な山火事となってしまった事件とも呼べる災害であり、原因は一般登山者の煙草のポイ捨てではないかと言われている。
二度とあってはならない山林火災への注意喚起のために消防署の方達がわざわざここまで来ているのだ。

「あっ、はい。分かりました。大変ですね、本当にご苦労様です。お疲れ様です。」
と返事をし、あの山火事について少しだけ話を聞いたが、テレビでは伝わらない心身面の苦労があったようだ。
一人の登山者として腹は立つが、自分も喫煙者であるわけで更なる注意をして行きたい。

別れ際に一枚写真を撮らせていただいた。
了承を得てブログにアップさせていただいたが、マスクをしていることもあり、これ以上顔を隠すこともないだろうと思い目は隠さずに載せている。

今改めて思う。
自然発生のケースもあろうが、山火事の原因の多くは人的要因によるもの。
煙草の不始末、食事時の火器、そして放火的なこと。
火を扱う時は最後の後始末までしっかりと見極め、責任を持って登り続けたい。

太平山・晃石山 「眺望の利く稜線」

2021年10月15日 23時12分02秒 | Weblog
大平山山頂で休憩を兼ねて地図読みの基礎的な講習会を行った。
とは言っても女房が相手なのでごく簡単にってことで・・・(笑)

・「等高線の間隔が狭いと斜度が厳しくなって、幅が広がっていればフラットに近いって事。」
・「等高線の先端が互いに向かい合っているポイントをコルって言うんだけど、この後その現場に行くからね。」
・「磁北線てのがあって、この線に針が重なるまで地図を動かせば自分が見ている風景と地図の向きが一致するってわけ。」
・「コンパスの辺に今いる場所と目的地を合わせて、次にリングを回して云々・・・。磁北線と一致するまで体を回して云々・・・。」

まぁ偉そうなことを言いながらプライベート講習会が進んでいった。


神社の裏に山頂があり、記念の一枚。


安全登山を祈願して再びスタート。


山頂からの下りはやや急な山道で、しかも木の根が縦横無尽に張り出しておりそれなりに危険な区間となっている。
ここは自分で判断し、少しでも安全に下れそうなポイントを見つけることがコツとアドバイスをした。
これだけ幅が広ければ、トレースのある部分が最も安全だとは限らないって事。
自分で判断して進むことが自信に繋がる。

通称「ぐみの木峠」と呼ばれるポイントを過ぎると、このルートにおいて最も「コル」とわかるポイントがある。
そこで「ほらね、来た道とこれから先の道を見るとよく分かるだろう。それに今自分が居るポイントが地図上で何処なのかもよく分かるって訳。」
「へぇーほんとだ! コルって分かる!」
ちょっと嬉しくなった。(笑)

さてここからはアップダウンが何度か続くルートとなり、今日一番体力が必要な区間だ。
低山ルートなのでたかが知れてはいるが、それでも女房にしてみれば辛いと感じるだろう。
ただ季節が早春であり、落葉樹はまだ新芽か若葉であったことでラッキーなことがあった。
稜線の両サイドの眺望がかなり利いてくれたのだ。


左サイド(南側)の眺望。
関東平野が実によく分かる。


右サイド(北側)の眺望。
まだ雪を纏った日光連山(男体山・女峰山など)がくっきりと目視できた。

実に気持ちの良い稜線ルートだ。
女房にとって息が切れそうなのかも知れないが、この自然の景色が疲れを軽減してくれている(と思いたい)。
時折立ち止まりこの景色を眺めるだけで気持ちがよい。
車と自分の足を使えば、自宅からたった数時間程で味わうことができるのだ。

太平山・晃石山 「太平山神社」

2021年10月11日 22時09分54秒 | Weblog
謙信平での休憩の後、太平山神社へと向かう。
おみやげ屋さんが立ち並ぶ通りを過ぎるのだが、今日の天候は日差しも強く結構暑い。
名物の笹団子や厚焼き玉子もそそるが、生ビールやソフトクリームの看板がやたら目に付く感じだった。

神社へと登る石段のすぐ脇に春ならではの風景が目に入った。


正式な名前は忘れたが「すみれ」である。
一口にスミレと言ってもかなり品種があるようで、以前覚えたのだが忘れてしまった。
「春だねぇ」と一言の後に、何故か不意に口ずさんだ曲があった。
「♪ 僕を忘れた頃に 君を忘れられない そんな僕の手紙が着く・・・♪」
吉田拓郎の古い曲で「春だったね」だ。
別れの歌ではあるが、その曲を小さく口ずさみながら神社へと向かった。


天候が良ければここからの眺めもなかなかのものである。


遠くに見えているのは筑波山だ。
まだ女房と一緒には登ったことがないので、いつかはと考えている。

さて、ここからは今までとは違ったルート状況となる。
アップダウンの稜線ルートとなり、それなりに登山道を味わうことができる。
ごく軽めの登山道だが、かみさん果たしてどうかな(笑)。

初めは少し登りルートとなり、程なくしてフラットルート、そしてまた登りルート。
両側は尾根と谷になっており、ここが稜線ルートであることが伺い知れる。
「ほら、稜線になってるだろう」と言うものの、「えっ、稜線って?」
あまり専門的なことを言ってしまってはつまらなくなってしまうこともある。
ここはごく簡単に説明して終えた(笑)。


フラットルートの稜線上を歩く。
そろそろ汗もかいてくる頃だろうか。


「この登りってどこまで続くの?」
「この先に太平山山頂があるからそこまでは登りだよ」
「え~っ、まだまだなの~」
まぁ気持ちは分かるが頑張るしかない。


指標が見えてきた。
あと一息で山頂だ。
時刻はまだ10時を過ぎたばかり、昼食には早過ぎるなぁ。
「ご褒美」という表現が適切か否かは別として、この登りを頑張ったご褒美として休憩を兼ねて地図読み講習をしてみようと考えた。
コンパスを使ったルートファインディングだ。
地図読みのおもしろさを知ってもらえれば嬉しいのだが・・・。

太平山・晃石山 「春の低山へ」

2021年10月09日 23時15分52秒 | Weblog
できるならリベンジ劔岳をアップしたいところだが、今年の春に女房と二人で出かけた低山ハイクのことを先にアップしておきたい。
女房と二人で山に出かけたのは二年ぶりのことで、今回は自分が仕事関係で何度も登っている太平山と晃石山(てるいしさん)。
標高も500mに満たない低山であり、特に問題はないだろう。

三月の半ば、天候にも恵まれお気軽な低山ハイクへと出発した。
自宅から車で約一時間、栃木市にある「大中寺」の駐車場へ向かった。
「今日はちょっと暑くなるかもね。」
かといって半袖にはまだ早く、一応長袖を着ての出発となった。

太平山に向けてのルートは幾つかあるのだが、今日は駐車場の関係もあり、ここ大中寺からのスタートとなる。
いきなりの登攀ルートだが急登攀でもなく、程良く息を切らせての登りルートだ。


樹林帯の中を登る。
木々の間から木漏れ日が差し込み心地よい。
そしてまだ葉が生い茂るには早すぎて見通しも良かった。

しばらくはゆっくりと登って行く。
自分のペースではなく、あくまでも女房のペースで登る。
決して優しさからではなく、山を嫌いになって欲しくないためだ。(笑)
「どう、一本(休憩)取ろうか?」と聞くが、まだ大丈夫のこと。
それならペースを上げようかとも考えたが、まだスタートして15分足らずでありやめた。

ここを登り切れば「謙信平」と呼ばれる関東平野を一望できる絶好の休憩ポイントへと辿り着く。
今日のピーカンであればかなり遠くまで見通せるだろう。


自分なりに頑張っている様子。
時折振り返っては様子を見るが大丈夫だろう。

高度計と地形図で現在位置を確認した。
すると女房が「今どのあたりなの?」と聞いてきた。
地形図上を指差し「ここまで行ったら一本(休憩)ね。」と言ったが、何故か「あとどれくらい?」とは聞いてこなかった。
「少しは体力がついてきたかな」とも思った。


斜度がやや緩くなってきたようだ。
ここまで登れば謙信平までほんの一息だろう。
すると進行方向右手に珍しい樹木を発見した。
いや、珍しいという言い方は些かおかしいのだが「時期として早過ぎる」という意味。

桜だ。


ちょっとアップし過ぎた画像だが、間違いなく桜の木だった。
おそらくはソメイヨシノではなく、「○○桜」と呼ばれる早咲きのものだろう。
なんか得した気分になれた。

30分足らずで謙信平へと到着した。
予想していた以上の見通しの良さに自分でも感動した。


全体を雪で纏った富士がくっきりと視認できた。
暫し二人で見とれながら一息入れた。
実は謙信平までは車で来ることもできるのだが、下から歩いて(登って)来たからこその良さもある。


この景色を見ただけでも来て良かったと思ってくれれば嬉しい限りだ。

ここから先は大平神社へ向かい、稜線に沿っての縦走ルートとなる。
まぁ「縦走」と呼ぶには大袈裟なのだが、女房にとっては明らかな「登山」と呼べるレベルだろう。(笑)

劔岳 撤退「ひととき、そして室堂へ」

2021年10月02日 21時11分28秒 | Weblog
しばらくは四人を外で待っていたのだが、だいぶ距離が離れてしまっていたためか一向に戻ってくる気配は無かった。
心配ではあったが空腹に負けて一足お先に昼食を食べることにした。
山ではとっておきのカップ麺「クッタ」である。
このもっちり麺がたまらなく美味い!

食堂でお湯を頂きテーブルで一人昼食。
悔しさの残る思いではあったが美味いものは美味い。
食べている途中で新平さんが「四人の方達、今戻ってきましたよ。大丈夫のようですよ。」と伝えに来てくれた。
(「良かった。みんな無事戻ってきたんだ。」)
ラーメンが更に美味く感じた。

急ぎ食べ終え、迎えに行った。
お互い笑顔で無事を歓び、つい数時間前のあの怖さを語り合った。
あの怖さは現場で実際に体験した者同士でなければ分からないだろう。
実にリアルな恐怖体験を笑いながら語り合った。
その後も夕食の後などに同じテーブルで(ソーシャルディスタンスは保って)山談議に花が咲いた。
この方達とは一期一会かも知れないが、だからこそ思い出深い出会いだったと感じる。

翌下山日、新平さんに挨拶を済ませた。
「9月にはもう一度登りたいと思っています。お世話になりました。」
その一言を残し小屋を出発。
晴れ渡る北アルプスの空を見上げ「今日だったらなぁ・・・」と思った。

テント場を過ぎ、別山乗越へ向けての登攀、もう一度劔岳を振り返った。
「今日だったらなぁ・・・」


見事な青空と劔岳。

結果として20回目の登頂はできなかったし、悔しさはあるが、今思い出しても「これで良かった。無理をして登ることはなかった」と言える。

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嘗てこのブログて綴った「登山 五省」という自身への五つの反省と戒めがある。
その三番目にあるのが「蛮勇とならずしてなかりしか」という自分への問いかけだ。
具体的に言えば、
「迷いや不安に駆られたとき、危機に遭遇したとき、冷静に思考し状況を見極め、より的確な判断を下し、誤りのない行動の基、必要以上に危険を冒すことのない山行であったか。」
そう、これは自分で考えたことであり、自分で決めたこと。
悔しさ以上に、無事戻ってこれたことが正解であったと言えよう。

よっしゃ、リベンジするぞー!