ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳・再びの奉納 「心躍る思い」

2023年08月28日 22時15分53秒 | Weblog
2023年の夏山は、期待感に溢れ心躍る山行であった。

昨年の夏の劔岳は腰痛により断念し、秋のリベンジは天候不良で再び断念せざるを得なかった。
とてつもない悔しさと淋しさを覚えた夏だった。
あれから一年、また夏がやってきた。
「二年ぶりの劔かぁ・・・ワクワク感しかないなぁ・・・」
思わずそんな独り言を呟いてしまうほどに楽しみであった。

二年前の秋に劔岳の山頂祠に奉納してきた記念のプレートが何故か無くなってしまっており、「それならばもう一度奉納するまでだ。」
と、勝手に決めて計画を練った。
「○○さん、今年も(劔に)登るんですか?」
職場の女性(Uさん)から尋ねられたのが今年の春だった。
「無理にとは言いませんが、できればご一緒させていただきたいのですが・・・」
やや遠慮がちな依頼ではあったが、断る理由など無い。
「是非一緒に登りましょう!」
「バリエーションルートでもいいですか!」と、半ば冗談で確認してみたが「絶対に無理です」との返事。
ならばタテヨコルートで決定だ。
「タテヨコ」とは、別山尾根ルート上にある難所、「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」のことだ。

準備は順調に進んだのだが、一つだけ全く進んでいないものがあった。
事前の体力持久力の向上だ。
本番前に軽くでも良いから何処かの山に登り、少しでも身体を山仕様に仕上げておかねばならないことは、北アルプスを目指すのであればごく当たり前のこと。
それが全くできていなかった。
理由の一つはどうしても日程が取れなかったこと。
そしてこの酷暑続きの日々のせいでもあった。
「こんな暑さで登ったら、かえって身体を壊してしまいかねない。あまりに危険だ。」
そう思える毎日だった。
結果として事前には何処にも登らず、ぶっつけ本番の劔岳アタックとなってしまった。

7月26日、仕事を終え先ずは近くの温泉で汗を流した。
夕食は外食で済ませ、職場のUさんと合流した。
20時、地元を出発し長野県扇沢を目指した。

実は今回の山行において、もう一人職場の若手ホープである男性(T君)も一緒に登ることになっている。
唯残念なことに、勤務の都合上一緒に登れるのはアプローチの初日だけ。(立山縦走)
二日目のアタック日は、夜明け前に単独でスタートし、劔の下山途中でランデヴーすることになっている。
そして彼はその日の内に戻り、翌日は出勤という超ハードスケジュールとなっている。
自分には絶対にできないことだ。(若さとは唯々羨ましい)

深夜に扇沢駐車場に着き、すぐに仮眠(車中泊)。
翌朝は5時30分の起床だったのだが、朝が早過ぎて全く腹が空いていない。
まぁ今日はアプローチだけだし、朝食は室堂に着いてからでも問題はないだろう。
無理には食べずに珈琲だけとした。
駐車場ではT君とも合流し、三人揃って扇沢を出発した。


見事なまでの紺碧の空。
まさにこれぞ夏空であろうか・・・。

眠気も吹き飛ぶ空の碧に胸が高鳴る。
(「やっとだ。やっとまた劔に登ることができる。」)
体力に不安はあったのだが、何とかできるという自信もあった。
それは決して驕りではなく、経験から生じた自信だ。

ここからケーブルカーやロプウェイなどを乗り継いで室堂までは約1時間半。
金銭的にはこの区間の交通費の出費が痛い。
が、しかしそうしなければスタートラインにすら辿り着くことはできない。
ザックの中に収納してある「奉納板」の重さを感じながら黒部ダムを目指した。


ハイ、定番スポットで一枚!

室堂ターミナルにはほぼ9時に到着した。
登山届けを提出し、「立山玉殿の湧水」で水を汲み軽くストレッチ。
今回は立山を縦走してから劔沢へと向かうルートとした。
遠くには3000m級の「雄山(おやま)」が目視できた。
天候はまずまずだ。


室堂ターミナルを出発し、いざ雄山へ。
バックに見えるのはこれから縦走する登山ルートと別山。

のんびり安全登山で行こう!

富士登山に思うこと

2023年08月19日 22時26分29秒 | Weblog
多くのイベント開催が四年ぶりに緩和された。
登山もその例外ではない。
それ故に日本一の標高を誇る富士山をターゲットにした登山がどのような状況となるかは十分に予測ができた。
しかし現実はその予測を遥かに超えたところにあり、現状は誰もが知るところであろう。

関係機関は「弾丸登山」への警鐘を鳴らし続けてはいたが、一向に減る様子はなく過去一の賑わいとも言えよう。
いや、「賑わい」と表現するのはあまりにも適切ではない。
むしろ事故を初めとした様々な障害をも生んでしまっている。

「完全自己責任として、公的機関の救助であっても費用を負担させるべきだ」
「入山料をもっと引き上げるべきだ」
「入山に際して一人一人のチェックを行い、登山に不適切である服装や装備であればその場でアウトとすべきだ」
多くの意見がネット内で飛び交っている。
そのどれもがある意味的を得ていると思うが、実施したところで果たしてどれだけの効果があるのかは未知数だろう。
(いい加減行政が出てきても良いのでは・・・)

何故富士山なのか・・・それだけは自分にはわからない。
何故なら富士登山については全くと言って良いほど興味や関心が無いのだ。
過去三度登ってはいるが、一度目は「一度くらいはね」といったものからだった。
二度目三度目はつきあいでの「仕方ないか・・・」というものだった。
本音を言えば、「一度登ればはもう十分」と感じていた。
二度目三度目は、登る前からどうしても登攀意欲が湧いてこなかった。
理由は単純である。
歯応えに欠けるのだ。
確かに標高は日本一を誇る・・・が、あまりの単調さに辟易してしまった。
「富士は登る山ではなく、観る山である」
これが自分の出した結論だ。

さて、本題に戻ろう。
弾丸登山にはじまり、あまりに多くのトラブルを起こしている富士登山。
ニュースで知る限りでも信じられない事が原因で起きているようだ。
軽装備やサンダル登山なんてのは今までにも聞いたことはあるが、山小屋が予約できなかったからという理由で、登山道にテントを設営しそこで仮眠する。
テントがなければ登山道の隅でシュラフに入り寝る。
これって一体どういう考えを有しているのか・・・。
ルールやマナー、常識もあったもんじゃない!
小屋の人が慌てて「ここは寝る場所じゃないですよ。登山道です。すぐに起きてそこを空けて下さい」
と言えば「寝てねぇよ! 休んでるだけだよ!」と怒鳴る。
もう屁理屈を通り越してしまっている唯の大バカ者だ。
どれほど登山経験が豊富かは知らないが、やっていいことと悪いことの区別もまともにつかない輩であることだけは分かる。

最後に弾丸登山について、自分なりの考えを綴りたい。

自分は弾丸登山が悪いとは全面的には思ってはいない。
その理由として、富士山は十分日帰り登山が可能な山であることにある。
弾丸登山と言っても、早朝に発ち夕刻に戻ってくることは普通にできる山だ。(混雑具合は別として)
要はそのための準備と予測だと思う。
準備とは、体力持久力であり、ルート状況の事前把握。
そして適した服装、ギア等々。
予測とは、混雑具合や天候を初めとしたものである。
また、高山病や低体温症になってしまった時の自己対応などだ。
もちろんそこには当然経験や知識が含まれることは言うまでもない。

日本一の山だから、せっかくだから登ってみよう。
みんなが登っているんだから自分でも登れる(はずだ)。
そんな極めて軽はずみな考えで挑む人たちがいることは事実であり、混雑の要因となっている富士山。
自分の理解を超えてしまっている。

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〔おまけ〕実際にあった出来事

「劔岳に行くんですけど、何が必要なんですか?」と聞かれた。
本音で思ったことは、「何が必要なのかすら自分で分からない奴が剣に登るな!」
しかしそこはグッと堪えて「レインウェア(雨具)は持ってますよね?」
「えっ、レインウェアって必要なんですか!?」

もう呆れ果てて・・・ではなく、「どうかこの人、新聞に載らないでくれよ」と祈るばかりだった。
富士山に限らず、山岳事故が一向に減らない訳だ。

北宇都宮駐屯地 「思わぬ出会い!」

2023年08月07日 20時17分01秒 | Weblog
ブラックホークを十分に堪能した後、格納庫へと戻った時のことだった。
幹部(旧将校)の方二人が立っており、すれ違い様に何気なく胸の徽章を見るとヘリのマークが刺繍されている徽章が目に留まった。
「ひょっとしたらここのヘリ部隊の幹部で、Nさんのことを知っているかも知れない・・・」
と思った。
通り過ぎた後だったが、振り返り思い切って尋ねてみた。

「すみません。こちらのヘリ部隊にN二等陸尉さんはおられますか?」
すると速攻で「Nをご存じなんですか?」
「今は転属して群馬の相馬原駐屯地にいます。」

なんと、Nさんを知っていた方々だった。
これはラッキー!
推測通りとは言え、転属してここにいないことは残念だが、知っているというだけで感謝の思いだ。

4年前のNさんとの出会いを話すと、まるでわがことのように喜んでくれ、わざわざ尋ねてくれたことに逆に感謝されてしまった。

幹部のお二人は両名ともヘリ部隊の方で、ひとりはY二等陸尉さん。
Nさんの後輩ですと言っていた。
もう一人の方はM一等陸尉さんで、Nさんの先輩に当たる方。
防衛大学校時代における先輩後輩なのか、部隊内における上下関係なのかは敢えて聞かなかったが、二人ともNさんをよく知っているというだけで十分だった。

「Nに写真を送りますよ。一緒に撮りませんか?」
といってスマホを取り出し、三人一緒にパチリ。
「Nもきっと喜びますよ。」

そんな訳で、自分のカメラでも一緒に撮らせていただいた。


向かって右がY二等陸尉さんで、左がM一等陸尉さん。
幹部の方に挟まれた写真など初めてのことで恐縮しきりであった。

それにしても偶然話しかけた二人が、二人とも知っていただなんて・・・
来て良かった、そして聞いてみて良かったと思う。

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完全ではないが、コロナ禍が落ち着きつつあり以前の生活に戻れそうな現状に感謝したい。
趣味にしても、仕事にしても、何気ない会話にしても、マスクが不要であることがごく当たり前になることを祈りたい。

北宇都宮駐屯地 「101空挺師団」

2023年08月03日 17時00分54秒 | Weblog
軽く食事を済ませた後、ブラックホークを見に行こうとテント前を歩いていると、駐屯地ではあまり見慣れない戦闘服を着用している隊員がいた。
推測だがアメリカの軍人さんだと思った。
近づいてみるとそれは確証となり、右腕のワッペンを見て一瞬驚いた。
と言うよりは感激であった。

アメリカ陸軍、第101空挺師団。
通称「101(ワンオーワン)=スクリーミングイーグル」の隊員さんであった。
詳細までは知らないが、古くはノルマンディー上陸作戦、マーケット・ガーデン作戦、バルジの戦い、ベトナム戦争からイラク戦争に至るまで多くの活躍と功績を残してきた師団だ。
自分が知っているのは映画での世界のみだが、有名な映画では「遠すぎた橋」「バンド・オブ・ブラザーズ(TV映画)」「ハンバーガーヒル」などが挙げられようか。

おそらくはブラックホークの展示説明担当の方なのだろうと思ったが、まさか本物の101空挺師団の軍人さんに会えるとは思ってもいなかった。
自分の英語が通じるとは思ってはいないが、このチャンスを逃すことだけは避けたい。
ここは思い切って話しかけてみるしかない。
“Hello!”
とだけ言うと、ニッコリ笑って“Hello”と応えてくれた。
“I want to take a picture  with  you”
とだけ言うととても気さくに応じてくれた。
そして本題の質問に
“Are you 101st airborne division?”
とだけ聞くと、なんたらかんたらと聴き取れない英語で言ってきたのだが、“Yes”という言葉だけははっきりと聴き取ることができた。
そして片言の日本語で「知ってますか?」と聞いてきたので、こちらも片言の英語で「もちろんです。とても有名です。私の一番好きなAIRBORNEです。
というと大変喜んでくれた。


名前はたぶん「ヘンリーさん」でいいのかな・・・
この時、まさかこのすぐ後にもう一度会えるとは思ってはいなかった。

少し歩くとまたまたU.S.ARMYさんらしき二人と出会った。
すぐに右腕のワッペンに目をやると「スクリーミングイーグル」であった。
さっきの結果オーライをいいことに、ここでも思い切って
“Hello Are your 101(ワンオーワン)?”
と聞くと、ものすごい笑顔で“YES”を何度も繰り返してきた。
何がそんなに嬉しかったのかが分からなかったが、握手をして写真を撮らせていただいた。


名前はたぶん「ウィンターさんとマリエンズさん」でいいのかな。

さて、やや興奮気味であったが、ブラックホークを見に行こう。


このヘリを見ると、どうしてもあの映画を思い出してしまう。
反戦映画ではないが、史実を元にした全体的に重苦しい内容のもので、残忍なシーンも描かれてはいる。
「ブラックホークダウン」
観たことのある人も多いと推測する。
そしてもう一つ思い出すのは、パイロットのN二等陸尉さんである。
(四年前の階級なので、現在の階級はわからない)

(「Nさんどうしてるかな・・・」)
と思っていると、ARMYさんの方から自分に近づいてくるではないか。
しかもニコニコ笑顔で何か言ってきている。
よく見るとさっき写真を撮らせていただいた101(ワンオーワン)の軍人さんだった。
片言の日本語だったが「ワオーワン」とか「スクリーミングイーグル」とかの、割と通な言い方をよく知っているねと言ってきた。
映画やTV映画のタイトルを幾つか言ってみると、感激してくれたようでハグをしてくれた。
これには自分の方が感激だった。
自分にとっては最も有名で大好きな空挺師団の、しかも本物の軍人さんからハグをされるだなど光栄に至れりである。


101空挺師団の二人。

言葉や意味が通じるか否かは別として、言ってみるもんだなぁとしみじみ感じた出会いだった。