ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

長治郎谷右俣「のんびり準備、ゆっくり食事」

2019年10月29日 18時19分53秒 | Weblog
今夜から明日、明後日にかけて天候の崩れはない。
まぁ山岳地域であるだけに絶対と言うには無理はあろうが、今夜は間違いなく(雨は)降らない。

ということで、夕食の準備は慌てる必要はなく、暗くなってしまう前にすべてが終われば大丈夫。
17時を過ぎ準備に取りかかった。
自分のメインメニューは「回鍋肉」、AM君は「キーマカレー」。
回鍋肉とはいっても、具材は青椒牛肉絲と同じだ。
何故ならそっちの方が具材が豊富で野菜も食べられるからだ。


肉は残念ながらコンビーフとなるが、牛肉ならではの美味さが味わえる。


他にピーマン、アスパラガス、キャベツ・人参などのカット野菜、竹の子(水煮)。

スープは固形コンソメ&固形ブイヨンのミックス。
これがまた美味い!


できるだけ小さく細かく切ることですぐに火が通り、時短にも繋がる。


野菜を炒めているだけでいい匂いが・・・
空腹にはたまらない!


徐々に野菜がしんなりとしてきた。
一口つまみ食いをする。
味は淡泊だがこれもまた美味い!


野菜を炒め終え、そこに缶詰の焼き鳥を入れる。
後はレトルトのキーマカレールーを入れるだけ。


ハイ、できあがり。


野菜の次にコンビーフ(2個)を入れて軽く炒める。
一気に量が増えたが、肉の匂いも一気にしてきた。(これがたまらない)


ルーを入れてかき混ぜれば完成。


見た目は「・・・?」の部分もあろうが、要は美味いことが最重要。


劔岳を見ながらの夕食。
「いただきま~す♪」

降雨のためテントの中で調理し、そのままテントの中で食べなければならないこともあった。
また雪山の時は、降ってはいなくてもあまりの寒さと風のために中で食べたことも多い。
だからこそ外で調理ができ、山を愛でながら食べることができる有り難さはテント泊の醍醐味でもる。
正直言えば面倒なこともたくさんある。
一番面倒に思えるのは後片付けだろうか。
そしてそのまま明日の朝食の準備をする。
山小屋であればすべてが上げ膳据え膳となり、何もする必要はない。
ただ自分はもう歳だし、いつまでテントを背負っての登山が出来るかどうかはわからない。
金はかかるが、荷物(重量)の少ない山小屋利用専門となる日もそう遠くはないだろう。


食後の珈琲タイム。

日が落ち、暗くなってしまうにはまだ時間はあった。
明日の活動内容を再確認し一服する。

「いよいよ右俣かぁ・・・。なんか俺、嬉しいようで緊張してるよ。(苦笑)」
「○○さんでも緊張するんですか?」
「たぶん右俣雪渓は体力6割で技術4割ってところだと思うけど、それよりも登り切った後の北方稜線かな。岩壁のトラバースポイントがちょっとねぇ。行ってみなけりゃ分からないのがバリエーションルートだから仕方はないけどね。」

そんな会話をしながら、剱に夕日が落ちるのを見た。

明日は2時30分起床、4時出発の予定。
20時には就寝としたいので、19時を過ぎた頃にお開きとした。
美味かった!!!

長治郎谷右俣「やっぱりつった」

2019年10月27日 23時08分26秒 | Weblog
室堂をスタートして約一時間、雷鳥平キャンプ場を通過した。
いつもであればこのキャンプ場で一息入れるのだが、今回はここをスルー。
橋を渡ってすぐの川の畔で休憩を取った。
理由は簡単で、去年の下山時にこの畔で素足になり休憩を取っていた登山者がいた。
それを見て「今度来た時は俺たちもここで休もうか。」と、一年前から決めていたからだ。

さっそく登山靴を脱ぎ素足になって川の流れの中に足を入れてみた。
「無理だっ! これ10秒ももたないよ(笑)」
それくらい川の水は冷たかった。
まだスタートして一時間、本当は下山時であれば気持ちの良いものになっているのだろう。
「帰りもここに寄ろうか」
「はい、賛成です!」
流れのごく弱い端のポイントに足の指先程度だけを入れ一服した。
するとAM君から素晴らしいサプライズが登場。


「この時のために持ってきたんですよ♪」
と、ニコニコしながら取り出したのは「きゅうりと岩塩」だった。
「おっ、こりゃぁたまらんね~」
ほんの数分だけ川に浸しただけで十分に冷えている。
岩塩をかけてガブリと一口。
満足である!


こんな贅沢な塩分補給もいいものだ。

気温は間違いなく上昇し続けている。
汗がしたたり落ち、口の中はすぐに乾燥状態となる。
こまめに水分補給をしてはいるが、先が思いやられる雷鳥坂の登攀となりそうだ。
風もそこそこ吹いてはいるが、稜線上に出ない限り肌に当たることはない。
僅かでも稜線から外れてしまえば「もわぁ~」っとした生ぬるい微風がまとわりつき、余計に暑さを感じる。


そこここで夏の高山植物が咲き乱れ目を和ませてはくれているが、それもほんの刹那だ。
口から出てくる言葉は「だぁーっ暑い~!」の一言。
そして延々その繰り返し。
標高は確実に上がってはいるが、2700mの別山乗越までは程遠い。


小休止の度に行動食だけでなく塩分も補給しているが、発汗量は半端なかった。

2600mを越えた辺りだったろうか、左足の大腿部に嫌な痛みが走り始めた。
「やばい。俺つり始めた。」
即座に「コムレケア」と水分塩分の補給をしたが、一向に治まる気配がない。
それどころか今度は右足までもがつり始めた。
「いてて・・・」と言いながらも登攀は止めなかった。
大腿部がつったらつったで、それなりの足の動かし方は体得済みだ。
地元の男体山登山では毎度のことでもある。

さずがに歩幅は短くなってきたが、両足大腿部をつったままで何とか別山乗越まで登り切った。
これは決して褒められたことではないが、慣れてしまっていれば何とかなるものだと改めて思った。

ややガスがかってはきたが日差しは相変わらず強い。
幸いなことに別山乗越は風の通り道でもあり、灼けた肌を慰めてくれる。
軽く昼食を摂りすぐに出発した。
剱沢テント場まではここからならどんなにゆっくりと行っても一時間はかからないし、大腿部の「つり」もどうやら治まってくれたようだ。

お花畑の中を下りテン場に到着。
設営場所を決めてから受付をした。
そしてここでも警備隊派出所へ行き、明日のルート関して情報収集をした。
特に問題は無し!
「っしゃぁー! いよいよ右俣だ!」
腹は減ってはいたが気合いが入る。
気合いが入れば設営もスムーズで、いつもより短時間で終了した(ような気がする)。


夕食まではまだ時間がある。
AM君はシュラフマットを外に取り出し昼寝。
気持ちよさそう~♪


三年連続してほぼ同じ場所に設営。
いつものように出入り口から外を覗けば劔岳が見える。

お湯を沸かし珈琲を一杯。
昼寝でもするかと思ったのだが、すぐ近くにある劔沢小屋へと行きご主人の新平さんに挨拶をしてきた。
「明日は右俣から北方稜線へと出る予定です。明日の夜はお世話になります。」
一泊目はテント、二泊目は劔沢小屋。
やっぱり新平さんの小屋は外せない。


長治郎谷右俣「どうしても言いたかった一言」

2019年10月26日 01時03分49秒 | Weblog
長治郎谷雪渓を北方稜線へ向けて登り、裏剱から剣岳登頂を目指すルートがある。
一般的には長治郎谷の途中にある「熊の岩」というポイントから大きく左(西方向)へと曲がり、通称「佐俣」と呼ばれる急雪渓へと出る。
そこから「長治郎のコル」というポイントへと登り最後は劔岳へと登る。

嘗てこのルートで二度劔岳へと登頂した。
しかし、右俣から登頂を目指したことは一度もない。
天候の悪化、雪渓がズタズタでクレバスやシュルンドにより危険極まりない状況での断念。
そんなことが続き未だ右俣からは未挑戦のままだ。
ましてや普通に考えればわざわざ右俣を登り、そこから北方稜線へと出て数時間分を余計にかけて剱を目指す人など殆どいるはずがない。

だからこそ行ってみたい。登りたい。

その思いは長く何年も続いていた。

「今年こそは何としても・・・」
数週間前から天候と残雪の状況を細かくチェックし、剱沢の警備隊派出所になんども電話を入れ情報を仕入れた。
「よし、今年は行ける!」
そう確信できたのは出発の数日前になってのことだった。

同行者はAM君。
彼も随分と経験を積み、技術も向上した。
彼となら問題はないだろう。

7月末、遅れ気味の梅雨明けだったが、扇沢で車中泊をし目覚めた朝は快晴だった。
まるで決行と同時に梅雨明けをしたかのような青空が覗いている。


「暑くなりそうだね。」
お互いかなりの汗っかき体質でもあり、塩飴は十分に持参してきている。

乗り慣れた黒部アルペンルートで室堂へと向かう。
(「今回で17回目の劔岳かぁ・・・。17回目でやっと右俣から挑戦できる。」)
バスの中でしみじみとそう感じながら眠い目をこすっていた。

ターミナルから室堂平へと出るやいなや強烈な夏の太陽を浴びることとなった。
「これやばいなぁ。雷鳥坂あたりで足がつるかもね。」
苦笑いをしながらスタートしたが、事実別山乗越の手前あたりで両足がつってしまった。

すぐにでも雷鳥平へと向かいたかったのだが、その前にどうしても立ち寄らねばならない場所があった。
室堂警備隊派出所である。
警備隊と言っても警察官の方々が待機しており、言い換えるのなら「山岳警察派出所」である。
中に入り名前を告げ「Mさんはおられますか?」と尋ねた。
幸いにMさん本人がおり会うことができた。
自分にとっては二年ぶりの再会となる。

二年前初めて単独で北方稜線を挑む時に、剱沢の警備隊本部前でいろいろとアドバイスを頂いた方だ。
丁寧な下調べを褒めて頂いたことをよく覚えている。
だが、最も記憶に残っている言葉は最後に言ってくれた一言だった。

懇切丁寧にルートの説明をして頂きながらも、どうしてもぬぐいきれない北方稜線初挑戦への不安。
とてつもなく大きな不安だった。
趣味であるはずの登山なのにこんな気持ちでいいのだろうか・・・。
このまま挑んでいいのだろうか・・・。
「期待感」などそんな心の余裕はなく、未知の領域に単独で挑むことがとてつもない不安だった。
そんな時、別れ際に言ってくれたMさんのあの一言。
「どうぞ楽しんできて下さい。」

この一言でどれほど助けられたことか。
(「そっか、俺は楽しむために山に登るんだっけ。忘れてたよ。」)
すべての不安が一掃された訳ではなかったが、それでもMさんの一言で救われた思いだった。

Mさん本人にとっては当たり前の声かけであり、多くの登山者に語りかけている言葉だろう。
それでも自分にとってはどれだけ救われた一言であったか・・・。
その二年前のお礼をどうしても言いたかった。

ありきたりの言葉でのお礼であったが、Mさんはかなり恐縮していた。
もちろん覚えてなどいないだろうが、そんなことはどうでもいい。
やっとお礼を言えたことに満足だ。
そして帰り際にまたMさんから一言。
「どうぞ今回もまた楽しんできて下さい。」

清々しい気分で右俣に挑戦できそうだ。


石畳のルートを歩き始めるが、刺すように暑い日差し。
先が思いやられる。


ミクリガ池。

ミクリガ池温泉が見えてきた。
「下山したらやっぱりここでソフトクリーム食べようぜ!」
「もう今から楽しみですよ♪」

明後日のほぼ同時刻に、再びここを通る予定になっている。
ソフトクリームの味は如何に・・・

待ちに待ったこの日「出会い」

2019年10月23日 22時06分12秒 | Weblog
U.S.ARMYのブラックホークを十分堪能させてもらい、次に向かったのは陸上自衛隊のブラックホークだ。

残念ながらロープが張り巡らされており近づくことは出来なかったが、ぐるりと一周しながら舐め回すように見させてもらった。


真横からの機体。
ちょっと逆光気味になってしまった。


迷彩柄が陸上自衛隊仕様になっているのがよくわかる。


ほぼ正面からの機体
災害救助のための装置が付けられている。
おそらくはホイスト(要救助者を吊り上げる)の為のものであろう。
もっと近づいてみたいという強い欲求を抑えながらじっくりと拝見した。


同型のUHー60JA(ブラックホーク)。
この機体には今日のための様々なペイントが施されていた。

実を言えば、北駐屯地には知人が一人いる。
知人というのもなんだかで、自分が勝手に一方的に知人と言っているだけなのだが、仕事の関係でひょんなことから知り合った方だ。

北駐屯地に勤務されてることを知り、さらにヘリに乗っていることを教えていただいた。
「ヘリは何に乗っているんですか?」と聞くと「はい、ブラックホークです。」という返事。
一瞬体が凍り付いた(いい意味で)。
「ブ、ブラックホークですか!」
自分のようなミリタリーヲタクにとっては将にしてやったり!
だが、これ以上いろいろとプライベートなことに首を突っ込むことは失礼に当たると思い我慢した。
本当はもっと聞きたいことがあったのだが、「駐屯地祭には是非行かせていただきます。」とだけ伝えた。

その後もう一度お会いすることができ、その時にクルーではなく、パイロットであることを知った。
本音を言えば「この若さでパイロットとは・・・ずっとクルーだと勝手に思い込んでいた。そうか士官(幹部)の方だったんだ。失礼なことをした。」
そう、あまりの若さ故にまさかパイロットであるとは思ってもいなかったのだ。(本当に失礼なことだ)
このときも6月の駐屯地祭には必ず行くことだけを伝えた。

そして今日「ひょっとしたら会えるかなぁ」と淡い期待感は持ちつつも、多忙な一日で責任の重い立場だろうし「無理だろうなぁ」と半ば諦めていた。

陸自のUHー60JAを説明している隊員の方がいたので、ダメ元で尋ねてみた。
よく見ると「一等陸尉」の階級章だった。
自分の名前を告げ「60のパイロットでNさんは今日はおられますか?」と聞くと「あ、はい。今呼びますのでお待ち下さい。」という返事。
(「えっ、いいの? 呼んでもらっちゃっていいの? 自分なんかでも会えちゃうの?」)
もちろん口には出さなかったが、拍子抜けする程簡単に会えてしまうことに驚いた。

一分ほどすると、迷彩服に身を纏ったNさんが来てくださった。
勝手にお願いして呼び出してしまったこと、そして快く応じて来てくださったことに恐縮しながらお礼を言った。
「わざわざ来ていただきありがとうございます。」
と、逆にお礼を言われてしまったが、いやいやとんでもない!
何度お礼を言っても言い尽くせないのは自分の方だ。

Nさんの階級章をチラ見した。
「二等陸尉」だった。
この若さで二等陸尉、まさにエリートだ!

多忙な時間をさいてブラックホークの説明までしていただいた。
実に贅沢であり、実に恐縮しっぱなしだった。


Nさんとブラックホーク。
本物だけが醸し出す、実に絵になる一枚が撮れた。


無理を承知でお願いして撮っていただいた。
感謝である。

丁重にお礼を言ったつもりだったが、それでも感謝の気持ちは伝えきれない程だ。
お忙しい中、わざわざ時間をさいていただき本当にありがとうございました。



待ちに待ったこの日「映画を思い出す」

2019年10月20日 11時19分54秒 | Weblog
やっとお目当ての物を買い終え奥へと進んだ。
だいぶ前からヘリのエンジン音が響き渡り気にはなっていたが、本日の第一ターゲットである「UHー60JA」の勇姿を目にすることができた。


「UHー60JA」
輸送や救助などを主な活動目的とした汎用ヘリで、もちろん本場アメリカでは武装もしている。
通称「ブラックホーク」と呼ばれ、映画「ブラックホークダウン」でその名を一躍有名にした。


少しアップにした画像。
実に美しい無駄のないフォルム。
マニアにとってはこのローター音が五臓六腑にしみ渡るというものだ(笑)。
この後の編隊飛行のため一端テイクオフしていった。

展示されているブラックホークがありそちらに向かったが、今度は自衛隊機ではなく「U.S.ARMY」所属のブラックホークだった。


合衆国陸軍の兵隊さんが実際に説明をしていた。


訓練を含めた実践的活動もしてきたであろうその機体は、不気味さをも感じるものだった。


詳細な意味は分からないが、英語の文章が並べられているだけで映画を思い出してしまう。


回転翼


コックピット


後方からだが、人と比較すると機体の大きさがよく分かる。


一枚写真をお願いしたところ、快く収まってくれた。
サングラスを掛けているだけでより映画の雰囲気に近づいていると思うのは自分だけだろうか・・・。

映画「ブラックホークダウン」は、一言で言えば暗い戦争映画である。
反戦映画ではないが、実際にソマリアで起きた「モガディシュの戦闘」(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦)を描いているものだ。
映画館で三度観た後、DVDを購入し自宅ではかなり観ている。
本物を目の当たりにした感動はあるのだが、目をそらしたくなるようなシーンを思い出したのも事実だ。

待ちに待ったこの日「ここでしか買えないもの」

2019年10月10日 22時03分04秒 | Weblog
6月16日の日曜日、遂にこの日が訪れた。
天候は回復し、予定通りの日程で予定通りのイベント内容となるだろう。
朝から心躍る思いで電車に乗り、宇都宮線「雀宮駅」で下車、そこから徒歩で約30分をかけ目的地へと着いた。

陸上自衛隊北宇都宮駐屯地。
今日は年に一度の開設記念日である。
今年は「開設46周年記念行事」となっているが、いつもとは少し違った思いがあり、楽しみでならなかった。
その思いについては後に綴ることにする。


北宇都宮駐屯地の入り口。

駐屯地内に一歩踏み入れれば、そこはある意味日常とは少しかけ離れた世界となる。
もうそれだけで更に高揚感が高まってくるのがわかる。

さっそくその第一弾を目にすることができた。


一言で言えば「守衛」である。

しかし駐屯地の守衛は陸自の正式アサルトライフルである「89式小銃」を構えている。
少し中にはいるともう一人の隊員が89式を構えて立っていた。


当然こちらの隊員が構えているのも89式小銃。

一番気になったのは弾倉(マガジン)と右手の指位置だった。
やや拡大してみると詳細が見えてくる。

構え方は状況に応じて決まっており、立ち番としての通常の構えであろうと推測した。
マガジンは通常5.56mm30連マガジンだが、これはどうみても20連マガジンに見えた。
しかもプラスチック製にも見える。
中身が空のダミーマガジンなのだろうか・・・。
それともプラスチックに見えるだけであり、実際には弾頭を外した空砲とか、或いはゴム弾になっているのだろうか・・・。
そんなことを勝手に考えているだけでも楽しくて仕方がなかった。

さて蘊蓄めいたことのついでに指の位置だ。
右手はセレクターと呼ばれる位置に置かれているのが分かった。
セレクターとは弾丸発射の際に「単発発射(シングルオート)」「連続発射(フルオート)」「3点バースト」そして「安全装置(発射できない)」を選択できる装置のことであり、レバーをぐるっと一周することで「ア(安全)・タ(単発)・3(バースト)・レ(連発)」の位置にに切り替えられるようになっている。
本当はより近づいて詳しく確認したかったのだが、要注意人物とマークされるかも知れないと思いやめておいた。
推測であるが、おそらくセレクターそのものは「ア(安全)」の位置になっているのだろう。

駐屯地入り口だけでかなり時間を費やしてしまった(笑)。
今日はいろいろとやること観ることが忙しいだけに次に進みたかったのだが、僅か10メートル程歩いただけで再び足が止まった。
否、止まらざるを得ない。


通常展示用の各ヘリコプターである。

中央に写っているのが最もポピュラーな「UHー1J」。
見た目の塗装は別としても、自衛隊に限らず各所で使用され活躍している型のヘリだ。

ここでも20分近く時間を費やしてしまい、一向に先に進めないでいる。
敷地の奥からは既にヘリのエンジン音が鳴り響いており「早く来ないと飛んじゃうよ~」と言っている(ような気がする)。
でもなぁ、早い者勝ちでなけりゃ買えない物があるんだよなぁ・・・。

やや焦りもあったが真っ直ぐ奥へとは行かず、この日ならではの売店ブースへと向かった。


各種B級グルメはもちろんだが、何と言っても自衛隊駐屯地でしか購入できないものが盛りだくさんだ。
ネット通販でも購入できる物もあるが、やはり実際に目で見て手に触れ、確かめた上で購入できるというメリットは大きい。


おせんべい、クッキー、カステラ各種あるが、それぞれの商品名がおもしろい。
「断固日本」「LOCK-ON」「烈炎」「来るなら来い!」といった自衛隊ならではの戦闘や専守防衛をイメージしたものばかり。


自分が職場のお土産に買った物は「来るなら来い!」のクッキーだ。

味はまぁ普通のクッキーだが、滅多にお目にかかれないパッケージと包装紙に職場では大うけだった。
10(ヒトマル)式戦車が美しい♪


自宅へは一杯ずつ小分けにされているドリップ珈琲。
商品名は「精鋭の休息」。
パッケージだけが自衛隊のイメージなのかと思っていたが、中を開けてみてビックリ!
小分けにされた一つずつに通常の商品ではあり得ないオリジナリティー溢れたデザインとなっていた。
ミリタリーマニア(ヲタク)にはよだれが垂れそうになる程のものだ。

自分だけの物として、登山で使用できそうな笛や軽量の財布などの小物の他、遂に見つけた「戦闘糧食Ⅱ型」!!


これもネットで購入できるのだが、やはり実際に見てみたかった。
ご飯とおかずが一緒になったレトルトタイプのもので長期保存が利くだけでなく、おかずも各種あり飽きの来ないようになっている。
湯せんに30分程かかってしまうのがデメリットだが、日帰り登山程度なら全く問題にはにならないだろう。

ついでにながら、「戦闘糧食Ⅰ型」もあり、これは昔からある「缶詰タイプ」の糧食だ。
時代も変わり、今はⅡ型が戦闘糧食の主流となっている。

あ~いかんいかん。
もう一時間以上過ぎてしまった。
早くヘリを観に行かねば!

やっぱり登りたい!「やっぱりコレっ!」

2019年10月08日 23時43分44秒 | Weblog
本谷橋、そして横尾で休憩を取り徳澤へと向かった。
僅か二日前に通った同じルートではあるが、往路の時よりも雪は溶けていた。


二日前よりも土がむき出しになっていた。

ぬかるみのようなルートで、足を取られやすくはあったが「もうすぐもうすぐ♪」というささやかな期待感を持っての下山。
何が「もうすぐ」かと言えば、このコースにおける唯一、そして最大のお楽しみである徳澤園の「ソフトクリーム」が待っているのだ。
たかがソフトクリームと侮るなかれ。
徳澤園のソフトクリームの味は別格であると言っても過言ではないくらいに美味い!
さらにはそこに「疲労」という隠し味が加わることで美味さが増す。
疲労が蓄積されれば、塩分や糖分を無性に欲するのは人間の体において自然の理だ。
でもって自分へのご褒美的な意味合いもある。

まぁ理屈はどうでもいい。
早く食べたい。

と言うことで徳澤園に着くやいなや、一服することもせず真っ先に売店へと向かった。
みんなに一つずつ「はい、ご褒美♪」。
早速一口と思い、N君が構えるカメラに向かってペロリ・・・のはずだったのだが、不意にKMさんの手が・・・。


「むにゅ~」ってな感じで口の周りが急に冷たくなった。
何が起きたのか初めは分からなかったが、N君の一言で瞬時に理解できた。
「ありゃぁ~決定的瞬間撮れちゃいましたよ(笑)」


やられた自分も思わず大笑いの出来事となった。


三人揃って「どうだ、これ美味いぞ~!」

気持ちも満足し、後は上高地に向かってひたすら歩くのみ。
正午過ぎに河童橋に到着し、あらためて奥穂高岳を見つめた。
N君の言葉が印象的だった。
「僕、本当にあそこのてっぺんまで登ったんですね。なんか自分が信じられないくらい不思議な気持ちがしてます。」
KMさんにとっては体調不良とはいえ悔いは残るだろう。
大丈夫、山は逃げないよ。


敢えて後ろ姿で撮ってみた。

昨日の今頃は雪壁の下りの真っ最中だった。
三年ぶりの雪の奥穂高岳、俺たちは間違いなくあの山のてっぺんにいた。

さぁて腹が減ったぞ~!
自分がお薦めの店へ行くことにした。
河童橋から徒歩10秒の「五千尺キッチン」。
ここに来たらやっぱり「これ」と決めている。


分厚いチャーシューが三枚の味噌ラーメン。
心身共に疲弊した空きっ腹には、このこってり濃厚な味噌味としょっぱさがたまらないのだ。

お土産も買い、ゆっくりと一服もした。
バスターミナルへは樹林帯の道ではなく梓川沿いの道を歩いた。


それは振り返ればあの山が見えるからだ。

何度も振り返りながら歩いた。
「やっぱり雪山に登りたい」と思い、雪山シーズン最後にと決めた山。
体力的にはかなりきついコースもあったが、登頂し無事下山できればそれもチャラとなる。

そうそう、女房に無事下山のLINEを送らねば。

やっぱり登りたい!「再びのデブリ」

2019年10月03日 00時10分39秒 | Weblog

こんな感じで、いたってお気軽な気分で下山を楽しんでいた。

本谷橋へ向けてやや左へと曲がったところでピタリと足が止まった。
「デブリ」である。
二日前にここを登ってきた時には無かった「もの」が目の前にある。

(「デブリか・・・。足を取られないように気をつけなきゃ。はまったら大変だ。こんなでかくて大きなザックを背負っているだけに抜くのがやっかいになる。それだけならまだましだ。捻挫をしてしまうことだってあり得る。」)
二年前のとこだ。
横尾から涸沢へ向かう途中で左足を取られ膝まで埋まってしまった。
瞬間足首だけは完全に固定された状態で、膝だけをひねってしまい登頂を断念した。
膝の痛みはひどく、横尾山荘まで足を引きずるようにして戻り一晩お世話になった。
翌日は上高地まで7時間近くもかけて戻ったという苦い体験がある。


両側からのデブリだったが、特に右側の斜面からの崩れがひどかった。

トレースっぽいところは比較的雪面が固まっており安心できるポイントなる。
そこを基準として足を運んだ。

気をつけてはいたのだが・・・・・

「あっ!」と思った時には右足は膝どころか大腿部まで埋もれていた。


全く右足の動きが取れないでいる。

幸いだったのはひねることなくストレートに埋もれたこと。
しかしながらかなり深く埋もれてしまい、自分一人ではどうすることも出来ずにいた。
かといって人の手をかりる程のことでもない。
持っていたストックで周囲の重い雪を少しずつかき出し足を自由にさせていった。

「意識してたんだけどなぁ(笑)」
顔では笑っていたが、内心二年前のことを思い出していた。
(「ひねらなくて良かった」)


本谷橋までもうすぐだ。
涸沢から本谷橋まで、この時期であれば一時間程で着くのだが、今回に限っては30分近くオーバーしてしまった。
それでも怪我のリスクを避けながらを考慮すれば致し方あるまい。