ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

バリエーションルートに挑戦!

2014年07月26日 00時46分58秒 | Weblog
今年の冬、厳冬期と残雪期に単独で赤岳(2900m)登頂を果たすことができた。
5月には、そのステップアップとして3106mの雪の北穂高岳に単独登頂を果たした。
そして今回、夏期に12本爪のアイゼンとピッケルを用いて劔岳に登る。
今までは「別山尾根」の往復ルートだったが、三度目の劔岳となる今回は全く別ルートで登頂を目指すことを目標にしている。
いわゆる「バリエーションルート」ってやつだ。
正規のルートを示すポイントも標識も無いやっかいなルートで、標高差約1000mの万年雪の雪渓をひたすら登攀する。
そう、映画「劔岳 点の記」で、測量隊の方達が登頂を果たしたあのルートだ。
現在では案内人の方の名をとって「長治郎谷(ちょうじろうたん)」と呼ばれている。

いつかはあのルートで登ってみたいという思いがあった。
徐々にではあれ、力と経験を積めば自分でも登れるかも知れないと思っていた。
この夏がそのいい機会だと自分で判断して決めた。

頼れるのは将に自分自身しかいない。
事前に調べ上げた地図上のルートと写真。
そしてコンパスと高度計。
最後は自身の経験と技術、間違いの許されない判断力。

天候は今のところまずまずのようだ。
三度目の劔岳でやっと素晴らしい絶景を見ることができそうだ。

残雪の3000越え「アタック開始!」

2014年07月24日 22時34分49秒 | Weblog
バーボンを雪で割り、チビリチビリとやった。
明日の朝は早いので2杯でやめ、トイレに行った。
五月とはいえ、標高2300mを越える雪の山中は冷える。
ダウンジャケットを持ってきて正解だった。


午前3時30分に起床した。
眠い目をこすりながら先ずは体内覚醒の珈琲を一杯。
朝食はできるだけ短時間で簡単に済ませることがコツで、昨夜の残りのアスパラベーコンを基にした雑炊だ。
コンビニで買っておいたおにぎり3つをお湯の中で煮て、そこにアスパラベーコンとお吸い物の粉末を入れて出来上がり。

意外と美味かったなぁ(笑)
そしてもう一杯珈琲を飲んだ。

今日は下山したらそのままテントを撤収し、上高地まで戻る予定だ。
できれば今日中に帰宅したいのだが、時間的にかなり厳しく、おそらくは上高地でもう一泊テント泊をする。
下山後の撤収をすばやくスムーズにするためにも、食後の荷物整理は重要になってくる。
テント以外の物をザックに詰めておくだけでも後が楽だ。

5時。
いよいよ北穂高岳に向けてアタック開始。

ゴルジュを越え、途中のイルンゼまでは順調に登攀できるだろう。
事前に調べておいたルート状況では、イルンゼを左に越えてからがとんでもない急斜面になっているとのこと。
こんな自分がどこまで頑張れるかという不安はまだある。
チャレンジするにはもってこいの山なのだ。


登攀してから暫くは下を振り返ることなく登り続けた。
日はまだ差してこないが、まずまずの好天のようだ。
一息つき、カールを見下ろした。
豆粒以下の小さな「点」が見える。
自分のテントが何処にあるかが分かった。
「けっこう登ったんだけどなぁ。まだ先かぁ・・・」

今居るポイントの斜度はこんな程度だ。

それなりにきついのだが、アイゼンの爪がよく利いてくれている。
軽いキックステップで十分に登れることができている。
これも早朝ゆえのことで、太陽が雪面に当たるようになってしまえば当然雪が緩くなってきてしまう。
登攀においてはできるだけ気温の低い時間帯に距離を稼いでおきたいのだ。


「シリセード」と思われる跡があった。
「楽なんだろうなぁ・・・。あ~早く登り切りたい!」
そんなことを思いながらの登攀が続いたが、よく見ればイルンゼが確認できた。
「あそこだ。あそこを左に巻いてからが厳しいんだな。」
45°以上の危険な急斜面らしいのだが、危険なのはそれだけではない。
頻繁に落石があるらしいのだ。
しかも雪面を落ちてくるから、ほとんど音が聞こえないらしい。
どうしても足下を見ながらの登攀であるので、落石に気付くのは避けきれないほど体の近くになってからだという情報だった。
休憩する時も下の方を向いての休憩ではなく、落石に注意できるようできるだけ横を向いて休むようにと小屋の人にアドアイスをいただいた。


ということで二回目の休憩をとった。
左を向けば前穂高岳、右を向けば北穂高岳。
何という贅沢なポジション!(笑)
煙草も美味いね♪

これから先、辛くなることは分かりきっている。
でも今はまだまだ元気で登ってます。

残雪の3000越え「卵ってありがたいね!」

2014年07月17日 23時11分48秒 | Weblog
時折前穂高方面からの強い吹き下ろしに悩まされたが、テント設営は順調に進んだ。
それもそのはず、なにせGW期間中に多くのテン泊者が残しておいてくれた設営跡をそのまま利用させていただいたからだ。(感謝!)
接地面はスコップで軽くならした程度で十分だった。
時間に余裕もあり、慌てることなく設営をこなし続けた。


後は防風のための雪壁を作るだけとなった。
大汗をかきながらの設営だったが、反省が無かった訳ではない。
詳細は後日綴るが、厳冬期と残雪期とでは、同じ材料での設営には無理があることを改めて知ることとなった。


中から入り口を開ければ、ご覧の通り!
明日登頂を目指す北穂高岳がくっきりと見えている。
いやが上にもテンションが上がってきた。

夕食と朝食に必要なギアと食材を一まとめにし、着替えを済ませた。
明日のスタートまで、アクシデントさえ無ければもう汗をかくことはない。
これでやっと落ち着いて珈琲を飲むことができる。

お隣の青年さんは、自分とはかなり違って相当丁寧で堅牢なテン場作りに励んでいた。
それは見事なまでの雪壁であり、かなりの強風がきてもびくともしないだろう。

さて、待ちに待ったディナータイムだ。
では今夜のメニューと食材の紹介を。
メインディッシュは「丼物」で、敢えて名前を付けるなら「アスパラベーコン丼」とでも言っておこう。
材料はご覧の通り。

・アスパラガス3本(自宅で洗ってきてある)
・ベーコン(大好きなのでちょっと多めに持ってきた)
・オリーブオイル
・卵2個(1個でもOK)
・だし汁(めんつゆを薄めたもの)
・FD白米
・FDみそ汁
・ちゃんぽん麺(予備食)
・珈琲

生卵は晩秋から残雪期までの期間限定食材で、これがあると無いとではバリエーションに雲泥の差が生じると言っても過言ではないだろう。
さすがに夏期には持参することはできないので本当にありがたい食材だ。


・先ずお湯を沸かし、FD白米のパックに入れる。
 15分ほど待ち時間があるので、その間に調理をする。
・食材を適当に切る。(小さく薄く切った方が早く火が通る)
・卵を割り、中にだし汁を入れてかき混ぜる。


・弱火で具材を炒め、火が通ったらだし汁を入れて軽くかき混ぜる。
(火が通ったかどうかはかなりいい加減だった)


・卵が少し固まってきたら火を止めて出来上がり。
(本当は卵が半熟程度のとろとろ状態が良かったのだが・・・)


・ご飯の上にきれいに盛ることができずにちょっと残念。


ではいただきます♪

いやはや、腹が減っていたせいもあろうが我ながら実に美味いアスパラベーコン丼だ!
ここまで重いザックを背負ってきた甲斐があったというもの。
自己満足の調理ではあっても至福のひとときだった。

食後はちょっと甘めにスティック珈琲。

時刻は18時を少し過ぎていた。
ゆっくりと煙草を吸いながら、北穂高を見つめて飲む夕暮れ時の珈琲は実に贅沢だ。
もちろんまだ不安はあるが、目標クリアのためにここまで来たのだ。
でなきゃこんな重いザックなんぞ誰が好きこのんで背負うものか。
いろいろな思いが混沌としながら次第に夕闇がせまってきた。

後片付けを済ませ、もう一度明日のアタックに必要なギアの整理をした。
少しだけ酒を飲んで寝よう。


残雪の3000越え「まだ着かない!」

2014年07月13日 00時03分59秒 | Weblog
横尾から橋を渡れば樹林帯のルートへと変わる。
あまり日が差し込まないこともあり、そこここで残雪が見られるようになってきた。
まだアイゼンは装着しない。
このルートは過去何度も通ったが、約2年振りのことで記憶に新しい。
樹林帯を進むに連れてかなりの残雪が目立ってきた。

暑い。
大汗をかきながらの樹林帯ルートだが、左手にはまだ雪を纏った「屏風岩」がドドーント構えていた。
その屏風岩を過ぎようかというポイントになった頃、遂にあの山が見えてきた。
明日登攀予定の「北穂高岳」だ。

実際には見えている岩壁の反対側からの登攀となるのだが、これだけの雪の北穂をこの目で見たのはもちろん初めてとなる。
「おぉ~すげぇ・・・・。俺なんかに登れるのかぁ?」
思わず出た言葉だった。
自信がないわけではない・・・が、実際に自分の目で見た雪の北穂高岳は将に屹立した存在感で迫ってきた。

本谷橋に着き休憩。
一服しながら昼食を摂り、ここでアイゼンを装着した。
(「5月に12本爪か・・・、去年の雷鳥坂以来だな。」)
ここまで来れば涸沢まで2時間程で着ける。
ザックは重いが、あと2時間だと思えばさほど苦にはならなかった。
実際には重くて嫌になっていたのだが(笑)。

この休憩時に、一人の青年と出会った。
自分と同じ涸沢まで行きテン泊し、明日は北穂を目指すというので今日と明日はお仲間さんということになる。
明朗快活で、将に「山男!」って言葉がピッタリな青年だった。

彼にシャッターをお願いし、一足お先に涸沢へと向かった。
だが、さすがに若さ溢れる山男。
途中の休憩時にさっさと追い越されてしまった。(羨ましい・・・)

今居るルート上は渓谷で、夏山ルートではない。
雪の時期ならではの専用ルートだ。
斜度がきつくなるに連れ、足下は「デブリ状態」となっていった。
左右どちかからも崩れ落ちたのだろうと推測できる。
そして登っているときは先を見てもそれほどの斜度は感じないのだが、かなり厳しかった。
「かぁーっ! まだか・・・。涸沢ってこんなに遠いんだっけ・・・。」
振り返ると登ってきたルートの斜度がいかに厳しかったが分かった。


遠くに涸沢ヒュッテらしき建物が見えた。
いや、あのポイントにあるのは涸沢ヒュッテ以外にはあり得ないのだから、見えているのは間違いなくそうだ。

この時、事前にネットで調べた情報を思い出した。
「ヒュッテは見えてはいるのだが、なかなか辿り着かない。」
「一歩一歩が重い。」
「ザックの重さを恨む。」
etc・・・etc・・・

嫌なことを思い出してしまったが、実際この時は相当きつかった。
見えているのに・・・。人影だって分かる程なのにまだ着かない。
そしてトレースの上を踏んでいても、時に「ズボッ!」ってな感じで膝まで雪に埋もれてしまった。
一度埋もれてしまえば、残雪期の雪ほどやっかいな雪はない。
水分を豊富に含んだ残雪からは、そんじょそこらの力でははい出せないのだ。
しかも「体重+ザック」の重量のせいもあるし。
疲れてはいても、足を引き抜く為にほぼ全身の力を使わなければならない。
はっきり言ってこれは体力の浪費と言ってもいいくらいだ。
状況によってはいちいちザックを降ろし、身軽にならなければ抜くことができない時もある。
「なんでこんなことで余計な体力を。小屋は目の前だって言うのに・・・。」
悔しくてバカらしくて情け無くて仕方がなかった。

上高地をスタートし、途中休憩、昼食をはさみ約6時間30分でやっと涸沢ヒュッテに到着した。
いつもは下山時まで我慢して飲むことのないコーラを購入。
あーーーっ! うまっ!!!
いやぁー本当に美味いコーラだった。

さて、一息ついたら今度はテントの設営だ。
天気もいいし、頑張っちゃおう!

残雪の3000越え 「憧憬と目標」

2014年07月08日 22時10分53秒 | Weblog
今年の冬は、八ヶ岳連峰の赤岳に二度単独登攀してきた。
(三度挑戦して、二回目は猛吹雪で途中リタイア)
2750m以上の雪山をソロで登ったのは初めてのことであり、この上ない感動と充実感を得ることができた。
そしてそれにより3000m級の雪山を目指すことは、単なる憧れではなく明確な「目標」へと変わっていった。
もちろん単独登攀が自分に課した条件であり、できればテント泊としたい。

5月のGW中は、毎年同じような混雑で賑わう涸沢。
色とりどりのテントの花が咲き、多くの登山者が北穂高岳や奥穂高岳を目指す。
まぁ仕事でそれどころではなかったのが事実だが・・・。
ということで、GWの翌週5/12~14で涸沢にテント泊をし、北穂高、もしくは奥穂高を目指した。
二つの山を登ることは日程的には厳しく、どちらかにターゲットを絞らねばならなかった。
いろいろと事前に調べたのだが、どちらも危険であることには変わりない。
しかもGW中には死亡事故も多発している。
何人かの知人にも聞いてみたが、「北穂は危ないから奥穂がいいよ。」とか、「北穂の方が危険性は少ないんじゃないか・・・」とかいった全く違った答えが返ってきた。
自分としての第一の目標は北穂高岳。
理由は雪の大キレットと槍ヶ岳をこの目で見たいからだ。
とにかく先ずは涸沢まで行き、小屋のスタッフに確認してから決めることにした。

5/12。
仕事を早めに切り上げ、いつもの夜行バスで上高地入りした。
しとしとと静かな雨が降り注ぐ上高地。
やはりここの早朝はまだ寒かった。

前日にコンビニで買ったおにぎりとパンが朝食。
できれば温かな飲み物があればベターなのだが、ここは我慢。
そして登山届けの記入だ。

やはり事故の報告が大きく貼られていた。
今のところどの山でも事故は起きているが、まだ決めるのは早い。

音もないくらいの雨の中をスタートした。
天気予報では回復傾向にあるのだが、果たしてどの辺りで青空が望めるのかは分からない。

最初の休憩ポイントである「明神館」へと到着した。
ゆっくりと歩いたつもりだったが45分で来た。
ザックを降ろし水分補給。
久々のテント泊、20㎏のザックは痩躯に堪えるなぁ。

次に目指すのは「氷壁の宿」で有名な「徳澤園」だ。
途中の樹林帯では、猿の群れと出会った。
少々身の危険を感じたが、自分がすぐ傍を通り過ぎても一向に感心を示すことはなかった。

猿と言えば、どうしても地元である日光の猿を思い出してしまう。
日光の猿は、そりゃぁもう人間慣れしてしまっており、食べ物でも手にしていたら大事。
すぐに襲いかかるようにして奪い取りに来る。
去年の男体山の時など、自分が歩いているだけで威嚇するように歯をむき出しにして鳴き始めた。
「この野郎!」と思い、ぶら下げていた笛で逆に威嚇したら赤い尻を見せながら逃げていったっけ(笑)。

気がつけば雨は上がり、アルパインジャケットでは暑すぎるほどになっていた。
徳澤園まではもうすぐだし、そこまでは脱がずに歩いた。
徳澤園・・・そう、あの超美味なソフトクリームがある。
う~~ん、どうするか・・・。
いや、ここはやっぱり我慢だ。
明日の下山時に食べよう。
そうだ、北穂に登頂できたらそのご褒美に二つ食べよう!
よし、決めた!
いい歳したおっさんが何を考えているのか(笑)。
だが、無事登頂し、下山した時のソフトクリームとコーラとラーメン程美味い物はないと信じている。
ソフトクリームの看板を横目に、明日の下山時を夢見て「横尾」を目指した。

横尾までの途中ではルートが残雪で塞がれており、梓川沿いの河原を歩くことになった。
「こりゃラッキーかも♪」
そう、なんども通っているルートだが、河原のルートは初めてのことだった。

空も晴れてきたし、空気は美味いし、今日はついてるなぁと嬉しくなってきた。
心なしか足取りも軽い・・・気がする。

休憩時間を含めて横尾まで150分だった。
ザックが重い割りにはまずまずのルートタイムだろうか。

残雪の山脈(やまなみ)が青空に映え渡っている。

夏山の蒼々とした緑とのコントラストもいいが、白い雪と岩稜にも合う。
空の碧さとはかくも不思議なものだ。

ここで行動食を食べ、この先の雪道へと備えた。
ここを過ぎればもうすぐアイゼンを装着しなければならない。
テント場まであと3時間だ。

厳冬期になったら・・・「ON THE ROCKS」

2014年07月08日 21時21分44秒 | Weblog
ザックをデポした地点まで戻り、そっさくお湯を沸かした。
お湯が沸くまでの間、そしてカップ麺が出来上がるまでの間に、ちょっとだけアルコールを頂いた。

ルートの途中で見つけた「つらら」を数本持ち込み、天然氷のオンザロックだ。
もちろん景観を損ねてしまうようなポイントのつららではないので、ご容赦を。


この時期、ここならではのイベントだ。
彼女たちも満足してもらえたようで嬉しいね。

カップ麺で腹ごしらえをした後は、食後の珈琲。
気温は明らかに氷点下なのだが、無風であるためかそれほど寒さを感じることはなかった。
しかし、この一杯の珈琲がことのほか美味い!


下山はピストンルートで戻った。
彼女たちにとっては初めての雪のルートだったが、懸念していたよりもずっと楽しんでくれたようだ。
また来年のこの時期までおあずけとなる雲龍渓谷だが、是非とも訪れたい。

厳冬期になったら・・・「やっぱりいい!」

2014年07月04日 23時49分39秒 | Weblog
さてさて、季節はもう夏だというのに今更ながら厳冬期の山行の思い出であり申し訳ない。

氷の神殿から雲龍瀑へと向かうには、それなりに斜度のあるポイントを登り、高巻きしなけれなならない。
6本爪の軽アイゼンではあるが、一歩一歩ゆっくりと登れば行けるという確信はある。

いきなりの急勾配だが、ストックを短く持ち確実なフラットフッティングで登り切ることができた。
(しかし、むしろ下山時が怖い)


「ゆっくり、一歩一歩です。大丈夫ですか?」
「はぁい、けっこう楽しいかも♪」
ちょっと拍子抜けする返事だったが、何とかクリアした。
積雪量が少ないため、むき出しになった土のポイントもあった。
約15分で遂に雲龍瀑に着いた。

いやぁー、やっぱりここはいいね!
全体的な氷壁の少なさはあっても、この氷瀑は一見の価値がある。
何と言っても厳冬期限定だし。


彼女たちの感嘆の声は自分にとっても嬉しかった。
何枚も写真を撮り、満足してもらえたようだ。

ちょっと「ランドネ」っぽいポーズで一枚(笑)。

氷瀑を堪能してもらったが、今度はさっきの急勾配を下ることになる。

この辺りはまだいいが、最後のあの斜面が・・・。


斜面に対し体をできるだけ横向きにし下る。
そう、一歩一歩ゆっくりと。
内心冷や冷やしていたのだが、彼女たちの方は楽しんでいたようだった。

さて、腹も減ってきたし、デポした場所に戻って昼食だ。

無性に腹が立ち、無性に悲しかった言葉

2014年07月01日 23時51分18秒 | Weblog
久しぶりのブログであるにも関わらず、どうしても頭から離れない腹立たしくも悲しいことを綴る。

とある山岳会に所属している女性二人と自分との会話。
一年前の夏に劔岳に登ってきた山岳会であり、その二人もグループの一員として登頂してきたようだ。
俺「どうでしたか、劔は?」
「リーダーが先導してくれたし、前を行ってる人から順次危険ポイントを教えてもらったしね!」
「うん、劔って大したことなかったわよね。」
「そうそう」
俺「・・・・・」
俺「お天気はどうでしたか?」
「晴れてたから眺めもよかったわよ」
俺「そりゃぁよかったですね」

あまりにもショックな一言だった。
「大したことなかったわよ」・・・か。

自分が最も思い入れの強い山である劔岳。
最も憧れ、最も畏敬の念を抱き、そして過去に最も事前準備に力を注いだのも劔岳だった。
初めて眼前にその姿を現した時は、その圧倒的岩稜群に畏怖心さえも・・・。
「俺なんかが登ってもいいのだろうか。」
山に対する信仰心なんて持ち合わせていなかった自分であるはずなのに、「山に神様がいる」と初めて思わざるを得なかったのも劔岳であった。

その劔岳が「大したことなかったわよ」・・・か。
まるで計画から準備、そして登下山までのすべてをたった一人でこなしてきたような言葉だった。
完全に自立した登山者かのような言葉だった。

果たして彼女たちはどこからどこまでを一人でこなしたのだろうか。
リーダーから地図と準備物一覧表、そして登山計画書を手渡され、それを見て準備をする。
ルートの状況、危険箇所等々をリーダーから与えられた知識で得る。
自分で下調べをする必要など無い。
各々が事前にやることと言えば個人の荷物を整えるだけ。
いざ、スタートしても前の人が後続者へとスタンスポイント、ホールドポイントを伝えてくれる。
ルートファインディングなど一切必要なく、リーダーについて行けばそれで済む。
それで「大したことなかった」だ。

思い入れが強いのは俺自身の勝手ではあるが、正直無性に腹が立った。
「そんな軽い一言で済むのか。そんな大したことのない山なのか、あの劔が・・・。」
それでも顔では笑って応えた。
ぐっと堪えながらその場を立ち去ったが、悔しさにも似た感情だけは殺せなかった。

何をしていてもさっきの一言が脳裏から離れない。
忘れようにも忘れることができない。
そして腹立たしい思いは悲しさへと変わっていった。

劔岳に関する歴史は、書籍や映画でしか知らない。
代表作である「劔岳 点の記」では、遙か明治の時代に先人達が命を懸けて測量を行い、遂に登頂を果たした。
初登頂は平安時代の修験者だったが、それでも地図を作るという事のためだけに初登頂を果たしたのはまぎれもなく陸地測量隊と案内人の方達である。
彼等の並々ならぬ苦労の果てに現在があるのだ。

仮に山岳会の彼女たちが、一から十までの準備のすべてを一人でこなし、単独で登頂したとしよう。
たとえそうであっても「大したことなかったわよ」という言葉は絶対に言えないはずだ。
言ってはならない言葉なのだ。
何故なら・・・。
先人達の命を懸けた苦労の果てに劔岳は開山され、その苦労を受け継ぎ、登山者の安全のためだけに現在も陰で苦労をしている人達がいるのだ。
地元の山小屋のスタッフが、鋤や鍬を持ち雪渓をならしてルートをつくってくれている。
更にはそのルートから外れることのないよう赤い釉薬の粉を蒔いて目印として導いてくれている。
それだけではない。
遭対協や山岳警備隊の方達と一緒になって、ルートの要所要所にペンキで印をつけ、標識を立て直し、鎖やボルトのチェックをする。
すべては登山者の安全を願ってのことであり、登山者の知らないところで活動しているのだ。
そんな彼等がいてこそ、我々は安心して山に登り、山を満喫することができるのだ。
言い換えるのなら、彼等がいなければ、彼等の活動が無ければ何もできないと言っても過言ではない。
絶対に一人の力だけで山に登ることなど不可能なのだ。
そのことが分かっているのであれば、もっと感謝の言葉があるべきであり「大したことなかったわよ」などと戯れ事めいた言葉を言えるわけがない。
我々登山者は本当に無力なのだ。
そして登山者は、自然に対し、山に対してもっと謙虚でなければならないのだ。

「○○山岳会」とたいそうに名乗るのであれば、山に登る前にもっと知っておくべきことがたくさんあろう。

無性に腹が立ち、悔しくて、そして悲しかった。