ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳リベンジ「頭(づこ)で昼食を」

2020年12月30日 00時34分37秒 | Weblog
前剱から一緒だった三名とはここでお別れになる。
少し寂しい思いもあったが、自分にとっての縦走はここからが本番の様なもの。
ここから北方稜線へと下り、長治郎の頭(づこ)辺りで昼食を食べピストンで下山するのが今回の目的だ。

握手を交わしお互いの無事を願って別れた。
目指すは先ずは「長治郎のコル」。
このルートは何度も通っているとは言え、下るのはまだ二度目に過ぎない。
一度目は二年前の夏。
下っている途中でとんでもない岩雪崩を起こしてしまった苦い経験がある。
思い出したくもないことだが、忘れてはいけないことでもあろう・・・。


劔の頂上からすぐの所はまだ比較的穏やかな岩稜ルートであり、振り返れば劔のてっぺんで休憩している多くの登山者の姿が見えた。
北方稜線方面へと向かう者は自分一人。
何か急に心細くなってしまった思いだが、単独での本格的登山が久しぶりであることも原因なのだろう。


長治郎谷、そして長治郎の頭が見えてきた。
ここからでは残雪は全く見えない。
だが、二年続けて昼食を食べたあの「モアイ像」のポイントが目視できた。
昼食はそこでも良かったのだが、今回はどうしても長治郎の頭にこだわった。

長治郎の頭は4回通ってはいるが、その4回の内三度は違うルートでの通過となった。
つまりは残雪の積雪量や、崩れ落ち堆積した岩による通過不可能などにより違うルートを見つけなければならなかったのだ。
これがバリエーションルートの証でもある。
だから長治郎の頭はいつも通過することが一杯一杯の状態で、このポイントが具体的にどのようになっているのかなどゆっくりと見て回る余裕が無かったのだ。
今回はどうしてもこのポイントで食事をしてみたかった。


赤い線が過去に越えてきた3ルート。
ルートははっきりと見えてはいるが、それよりも先ずはコルに下りなければならない。
登るよりも緊張する下りだ。

2年前に危うく下りかけた大きな溝があった。
一昨年よりも、去年よりも更に深くえぐられており危険を感じた。
溝を避け、左手よりルートを探した。
何とかコルまで下りることはできたが、やはりこの辺りの下りはルートファインディングのミスが起きやすく、危険が多いと改めて感じた。

コルから先は初めてここを通過したルートで挑んだ。
もちろん逆ルートになるのだが、崩れ落ちていた岩は少なく頭を谷側から巻いて通過することができた。
問題はここからだ。
できるだけ頭のてっぺんを目指した。
・・・が、いくらルートファインディングをしてもてっぺんへと繋がるルートは見つけることができなかった。
悔しい思いではあったが、自分の経験、知識、技術ではこの辺りが限界なのだろう。

それでもまだ時間に余裕があったことからもう少しだけルートを探してみた。
実際に登れそうなルートを見つけることはできたのだが、登ったはいいが、果たして下りることができるだろうかという不安があった。
(そう、往復できか否かを考えて挑むのがバリエーションルートにおけるルートファインディングの基本である。)
座って昼食を食べられそうなポイントは見えてはいるのに・・・。

自分の限界、そして単独での限界だった。
仕方なく去年通過したルートを探した。
実はやや斜面気味になってはいるが、確か座って休憩することができるスペースはあったはずだ。
たいしてあてにはならない自分の記憶だが、行くだけ行ってみようと決めた。


見覚えのあるフィックスロープがあった。
「まだあったんだ。でも今日はこれを使って下りるのはやめた方がいいだろうなぁ。来たルートで戻ろう。」

やはり記憶は当てにはならなかった。
座るには十分なスペースだが、思っていた以上に斜度があったのだ。
「まぁいいか。とにかく腹も減ったし。」
そう思いザックを下ろし昼食準備に取りかかった。


赤○のポイントで昼食を食べた。
と言ってもカップ麺だが(笑)。

残念ながらこの時の写真は無い。
バーナーでお湯を沸かす為の僅かな平坦(に近い)スペースがあるだけで、ザックをそのまま置いてしまうとズルズルと落ちてしまう程の斜度だったからだ。
カラビナでザックをフィックスロープに掛け固定した。
ちょっと緊張する昼食となったが、目的達成に満足した。

ギアを一つでも落としてしまうとやっかいなことになるので、できるだけザックから出す物は少なくした。
本当はここで珈琲を飲みたかったのだが、それは復路での劔のてっぺんですることにした。

来たルートを戻り、再びコルへと下りた。
「上りなら楽なんだよなぁ」と、独り言を言いながら再び劔の頂上を目指す。
すると、下っている時には気づかなかったあの岩のポイントに着いた。


夏には黄色い花を咲かせていたであろう「ミヤマダイコンソウ」の名残がある岩だ。

このポイント、この岩、そして岩の僅かな裂け目から咲いているミヤマダイコンソウ。
忘れもしない、初めてこのルートを通った時に、この花を見て感動したものだ。
「こんな所に・・・。こんな岩の裂け目から・・・。凄いな。」
もう6年も前になろうか。

やがて劔の頂上が見えてきた。
早く珈琲が飲みたい。








劔岳リベンジ「マスクケース」

2020年12月28日 23時51分44秒 | Weblog
久しぶりの単独だったのでさすがにタテバイでの自撮りは難しく、手元足元だけを撮り記録に残した。


先ずは取り付き口。
慣れたポイントではあるが、滑落すれば一発アウトであり確実な登攀技術で挑む。


撮れそうなポイントでのみシャッターを押した。
まぁ普通はやらないのだろうが、いつものことと言えばいつものことなので、慌てることなく記録に残した。


環境省の方々が登攀開始。
仕事でタテバイを登ることができるだなんて・・・。
と、勝手に羨ましがってしまった。

タテバイは難なくクリア。
落ち着けるポイントで三名を待った。
そして三名とも無事タテバイをクリア。

申し訳ないと思ったが、せっかくなので一枚撮っていただいた。

本来このポイントはそそくさと通過しなければならないポイントであるが、今日は登山者も少なくあの御一行様はまだ平蔵の頭にすら来ていなかったこともあり、刹那の休憩。
と言うよりは、一度で良いからこのポイントで崖に座ったポーズで撮りたかったのだ(笑)。
19回目の劔岳、そして8回目のタテバイで初めて記念に撮った。

ヨコバイとの合流点を過ぎ、いよいよ頂上への最後の登攀となった。
三名の内二名は初めての劔岳であり、仕事とはいえ感慨深いものだろうと推測した。


頂上の祠が見えた。
「ほら、あの小さな祠がてっぺんですよ。」
二人の顔がほころんだ。

一歩ずつてっぺんへと近づく。
そして19回目の登頂。
「初登頂おめでとうございます」といい、握手を交わした。
お互い写真を取り合った。


ちょっと見えにくいかも知れないが、地図の裏側に書いた「19(8)」の数字。
19回目の登頂と別山尾根ルートからは8回目を意味する。

そうそう、これを忘れちゃいけない。


可愛いマスクケースだ。

職場の同僚の娘さん(小学生)が自分に作ってくれた物だ。
大好きな青(水色)のケースに、手描きで麓の樹林帯とバックに雪山が描かれた物。
ありがたい。
本当にありがたい思いだった。
○○ちゃん、ありがとうね。これ劔まで持ってきたよ!

劔岳リベンジ「さっさと登ってしまおう!」

2020年12月27日 00時25分40秒 | Weblog
グループの一行を追い越し、無理のない範囲で距離を離そうと考えた。
まぁさほど急ぐ必要は無いとも思ったのだが、追いつかれては元も子もない。


前剱を越え、しばらくして前剱の門が見えてきた。
あの細い一本の鉄の橋だ。

環境省の三名とは、ここから劔登頂まではほぼ一緒となった。
仕事とはいえ、登頂のペースは速くいい感じだった。


前剱のてっぺんではゆっくりともしてられず、ここで一服をした。
環境省の方に撮っていただいた一枚。


一本橋を渡る。
相変わらず狭い橋だが、この橋が有ると無いとでは大違い。
さらには「いよいよここからが劔岳の名に相応しい難コース」へと変わるポイントでもある。


岩崖に沿って巻いて登る・・・が、何か変だ。
そう、クサリはあってもスタンスポイントとなる「杭」が無い。
決して自分の勘違いなどではなく、間違いなくあったはずなのだがそれが無くなっていた。
疑問に思いながらも、ここであーだこーだと考え込んでしまい集中力を切らしてしまうことの方が危険と判断し、ここは杭のことはスルーした。


しかしやはり無いものは無い。
はて?・・・まっいいか。

前剱の門を越え、次は平蔵の頭となる。

目の前にそれは見えるが、初めて来た人には分からないだろう。
往路からでは決して目立ったポイントではないのが平蔵の頭なのだ。


往路における頭の上り。
距離は短いので楽だが、それでも落ちれば軽くても数カ所の骨折は免れない。


往路における頭の下り。
約20mのルンゼに沿って下って行く。


平蔵の頭を下り終えてから見たカニのタテバイ。そして劔本峰。

タテバイの手前にある平蔵のコルで小休止を取った。
グループ御一行様の声は全く聞こえてこなかった。
少し安堵した(笑)。


平蔵の頭を振り返ってみた画像。
赤い矢印が往路で下ってきたルート。

三名の方と同行的な形となったが、タテバイの上りは自分が先陣を切らせてもらった。
「早いとこ登ってしまいたい。絶対に(ご一行様には)追いつかれたくはない。」
その思いは大なり小なり誰も同じだった。

心にぽっかりと・・・

2020年12月26日 23時15分22秒 | Weblog
久々のアップとなる。

師走となり何かと忙しい日々なのだが、忙しいと言っている(思っている)他方で心にぽっかりと穴が空いてしまった。
娘が嫁いだのだ。
コロナ禍の中、挙式などはせずただ嫁いでいった形だった。
娘は決して飾り物などではない。
「いつかは・・・」と分かっていたつもりではあったが、いざそれが現実となり家を離れていった。

家を離れる二日前の夜。
ほんの数分だったが、娘と二人きりで話をした。
初めは淡々とごく普通の会話だったが、次第に感情がこみ上げてきて思わず娘の両手を握った。
父親として家に居る時に言ってあげられる最後の言葉は、ごくありきたりのものだった。
「平凡でいい。飾らなくてもいい。二人で幸せを築きあげなさい。お互いに我慢の連続かも知れない。妥協の連続かも知れない。それでも一緒になって良かったと思えるなら我慢も妥協も必要なこと。」
そんなことを言った。

娘の両手を握りしめながら涙が出てしまった。
めでたいことなのにやはり淋しい・・・。
そして最後に娘を思いきり抱きしめ頭をなでた。
二十数年ぶりだろうか、これほど強く娘を抱きしめたのは。

嫁ぐ前日の夜、娘に言った。
「嫌なら無理にとは言わないけど、今夜はお母さんと一緒に寝てあげなさい。」
あっけらかんとしながらも「うん、わかった」という返事。
親子で一つの部屋に寝たのも二十数年ぶりのことだった。

あれから数週間が過ぎている。
まだどこかぽっかりと心の穴は空いたままだ。
だが、女房はまた自分とは違った形で穴は空いているのだろう。

劔岳リベンジ「追い越してしまった方がいいかも・・・」

2020年12月03日 23時38分35秒 | Weblog
アタック当日の朝は4時過ぎに目が覚めた。
朝食は5時からなので一度外へ出て天候の確認をすることにした。
9月のこの時期の5時はまだ暗く、いくつもの星を確認することができた。
「大丈夫そうだな。予報通りだ。」
そう思い煙草に火を付けた。

今年の劔はどんな山行になるのだろうか・・・。
19回目の劔岳となるが、毎回毎回心に残る山行ではある。
もちろんアクシデントもあったが、「来て良かった。登って良かった。」と思える。
そんなことを考えながら、まだぼんやりと黒いシルエットの劔岳を見上げた。

朝食は目一杯・・・ではなく、腹八分目程度とした。
カロリー満タンにしたいのはやまやまなのだが、あまり詰め込んでしまうと動くことがかえってきついとも感じるのだ。
ましてや劔岳だ、全身を動かしての登攀になることは必至。
あとは行動食と昼食で賄う方がベターだろう。


朝食を終えた直後の朝焼け。(5時30分頃)
少しずつ東の空が白み始めてきた。
出発予定は6時、軽く準備体操をしておこう。


6時頃の朝焼け。
小屋をスタートした。
単独でのスタートは4年振りの事になるかな。
朝焼けの中、ヘッデンを灯して歩き始めた。
そう言えば去年はヘッデンの電池が切れ、新しい物を入れ直しても点かなかった事を思い出した。
「あれはまずかったなぁ。なんであんな初歩的なミスを・・・」
ちょっと苦笑いをしながら歩く。
徐々に周囲は明るくなり始め、ヘッデンのお世話も不要となった。


「一服劔」に咲いていた花。
花びらの先に産毛の様なものがあれば「チシマギキョウ」で、無ければ「イワギキョウ」。
まだ閉じておりどちらかは分からなかった。
(ただのリンドウだったりして・・・笑)


一服劔から見た前剱方面。(赤い線が基本登頂ルート)
ここから一時間もあれば前剱へは登頂できようか。
「ん? ずいぶんとにぎやかな声が聞こえるな。」
と思い、暫し前剱方面を凝視してみた。
「なるほど、あの団体さんか(笑)」
(青い○の中に10名程の団体さんがいる)

過去の山行において、10名程のグループとはあまり良い思い出がない。
それだけの人数ともなれば各自の力量に差もあるし、難所の通過であればどうしても時間を要してしまう。
順番待ちの難所通過ともなれば、やや苛ついてしまうこともあった。
「できれば前剱の門の前に追い越してしまいたいなぁ」
そう思い先を急いだ。
団体さんのペースがどれ程のものかはここからでは分からないが、危険地帯に入る前には追い越してしまおうと決めた。
前述した苛つきもあるのだが、それよりも順番待ちによる体の冷えだけは何としても防ぎたかった。

前剱の取り付き口まではそれほど危険もないことからペースを上げた。
団体さんとはかなり近づいてきているのが分かった。
と言うより、「えっ? まだあそこなの・・・」
という程ペースは遅かった。
これなら前剱登頂の前に追い越せそうだった。
しかし問題なのは前剱のガレ場で追い越すことそのものが危険であるという事実だ。
まぁ行けるところまで行って、後は団体さんのリーダー次第ってことになるだろうか。

とにかく声が大きい。
互いによく喋る。
元気がいい。
決して悪いことではないのだが、もう少し集中した方が良いのではないだろうかと思える団体さんだった(笑)。
案の定急登攀の途中のガレ場で追いついてしまった。
人数は10名程で、前後をインストラクターらしき人が挟むような形だった。
年齢構成は全員明らかに自分よりは上で、下から見上げながら見た限りの技術はお世辞にも「中の下」だろうか。
驚愕である。
よくこの程度の技術の人たちを連れてきたものだと思う。
もし自分がインストラクターであったなら絶対にお断りしていた。
いや、自分が巧いと言うのではなく、劔岳を知っているからこそ尚のことそう思う。
(「今年もまた関わりたくはない人たちと出会ってしまったか・・・」)
本音を言えばそんなところだ。

殿(しんがり)の人が安全なポイントでのタイミングを見て「お先にどうぞ」と言ってくれた。
比較的安全とはいえ、ここは前剱のガレ場である、そんなポイントでもみなさんの口は開きっぱなしでおしゃべりに余念がなかった。

実を言えば、自分のすぐ後方に3人の登山者がいた。
彼等は趣味での登山ではなく、仕事で登っている。
詳細は不明だが、環境省の方達でルートの状況を多角的に調査しているらしい。
その3名も同時に追い越していった。


もうすぐ前剱頂上だ。
ここまで来てしまえば追いつかれることもあるまい。


前剱頂上手前からみた日本海(富山湾)。
快晴ではなかったが、ごく軽く汗をかく程度であり助かっている。


8時20分、前剱登頂。
ここまで2時間とちょっとだった。(まずまずのペースだろう)

本当ならここで行動食を食べ、一服してゆっくりとしたかったのだが、あのざわめく声が聞こえているだけにそうも言ってられなかった。
ここから先は「前剱の門」「平蔵の頭」そしてタテバイへと続く。
追いつかれては面倒になるポイントばかりだ。
休憩もそこそこに切り上げ再スタートした。

劔岳リベンジ「コロナ禍の中で・・・」

2020年12月01日 23時17分04秒 | Weblog
別山乗越で二人と別れ、劔沢へ向けて下り始めた。

この辺り一面は夏であれば高山植物(花)の宝庫であり、一面チングルマ、ミヤマダイコンソウ、ハクサンイチゲ、コイワカガミ、ミヤマキンポウゲ、シナノキンバイ、タテヤマリンドウなどの色とりどりの花で埋め尽くされている。
初めて訪れた時には「こんなお花畑が本当にあるんだ!」と、あまりの色鮮やかさに驚愕したものだった。


チングルマの名残。
目立った花はイワギキョウそれともチシマギキョウ程度だ。
今はもう秋の北アルプス。
花を愛でる時期は終わっている。


劔岳が徐々に近づいてくる。
見慣れた風景であっても、何度訪れても圧巻の全貌である。

程良く汗をかきながら劔沢へと下ってきた。
そして劔沢テント場が見えてきた。
「やっぱりこんなものか・・・」
そう思わざるを得ない閑散としたテント場だった。
これも新型ウィルスの影響なのだろう。

テント場を過ぎいつものあの赤い屋根がはっきりと目視できた。
「新平さん、今年も来ました。お世話になりますね。」
心の中でそう呟くと、急に腹が減ってきた(笑)。
そういえば、昼食はまともに食べなかったなぁと今更ながら思い出した。
「おかわり何杯しようか」と勝手に夕食のことを妄想しながら小屋へと入った。

一端ザックを下ろし、自分の部屋(寝床)を確認した。
「広く使えるなぁ」とちょっと嬉しくもなったが、この状況もコロナの影響であることは間違いない。
小屋の玄関に入るやいなや、真っ先に目に入ったのは消毒液の入ったボトルだったし、靴棚を見れば、例年の様なぎっしりと詰め合っていることもなく、余裕の靴棚となっていた。

部屋は本来であれば最大で一部屋10名なのだが、今年は6名までとなっていたし、寝床には仕切り板が設置されており、直接的な接触は一切無い。
もちろん小屋内はマスク着用が前提となっている。
その他にも例年にはないルールやお願いが設けられており、運営の苦労が垣間見れた。

山小屋が存在するには当然その理由がある。
*登山者の為に宿泊として、或いは途中休憩として利用する。
*何らかの事故が起きてしまった時に救助として駆けつける。
*安全登山への道標となるべく、指導や案内、登山道の整備に当たる。
などが考えられるが、山小屋とてこの様な新型ウィルスによる対策は初めてであろうし、山小屋ならではの対策運営方法には四苦八苦したのではないだろうか。
もし事が起きてしまったら、病人の搬送はヘリ以外にはないだろうし、ましてや今年の夏は営業を諦めた小屋もあるのだから・・・。
だからこそ苦労をしながらでも営業してくれている、それだけでもありがたいと思う。
自分にとっての劔沢小屋は、いろんな意味で特別な存在でもある。
一つ残念だったことは、毎年スタッフとして来てくれているネパール人のアン・ヌル・シェルパさんはコロナの影響で来日できなかったそうだ。
楽しみにしていた再会だったが、また来年まで待つしかない。

シャワーを浴び終え、外へ出て劔を見た。
いつもであればTシャツ一枚で冷えた缶ビールを片手に見る劔だが、さすがに半袖では寒い。
ビールよりも熱い珈琲がほしいくらいだった。
明日は19回目の劔岳となる。
どんな山行となるのか・・・。

夕食の時刻となった。
食堂へと行き、指定された席に座った。
できたて熱々のメインディッシュが運ばれてきた。


大好きな焼き肉だ!
そしてカボチャのポタージュスープ。
ご飯おかわり三杯で満足の夕食だった。
だが、この食事においても当然ながらコロナ対策はなされていた。


本来であれば、30人程が入れる食堂なのだが、今年は一回の食事で9名程度で止められていた。
やや淋しい食事ではあったが、味そのものはいつもの通り大満足だった。
特にカボチャのポタージュスープは、ここはレストランじゃないかと思える程の美味だった。
さすがは元調理師の新平さん、味にはこだわりがある。
ごちそうさまでした。