ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

阿弥陀岳:滑落事故

2018年04月30日 23時19分55秒 | Weblog
3月25日の朝に入ってきたニュース。
「八ヶ岳の阿弥陀岳において滑落事故があり、何名かの登山者が心肺停止状態だそうです。」
スマホで見ただけであり、まだ詳細は分かっていないが、真っ先に思い浮かんだのは女房の顔だった。

その日は勤務シフトが遅番であり、10時30分頃に家を出た。
車の中には雪山登山のための一式が入っている。
この日の仕事が終わったら雪山へ出かけることになっていたからだ。
目的の山は八ヶ岳の阿弥陀岳だ。
「よりによって出発の日に阿弥陀で事故か・・・。」
このニュースはいずれ間違いなく女房も知ることになるだろう。
そして昨夜女房に手渡した山行計画書を見てハッとすることだろう。

予感は的中した。
勤務中に何通かのラインメッセージが入っていた。
「登山やめにして。」
「今回は行かないで。」
そんなメッセージだった。
折り返し送った内容は「同じ阿弥陀岳でもルートが違うから大丈夫。」だったが、素人の女房にとっては「山は山。阿弥陀は阿弥陀。」だろう。

仕事が終わり、出発前に安心させるためにも電話をした。
「危険を感じたら絶対に無理はしないし、違う山に登るから大丈夫。」
顔は見えないが、おそらくは怒っているんだろうなぁ・・・。

やや行きにくい思いではあったが、天気予報では絶好の雪山登山日和だ。
逃したくはなかった。

オジカ沢の頭:やっぱり定番 + 肉

2018年04月17日 23時12分42秒 | Weblog
年末に谷川岳に登った時は、肩の小屋よりもかなり標高の低い熊穴澤小屋を利用した。
同じ時間帯でも、標高が高く時期的にも今の方が寒いはずのに肩の小屋は暖かく感じた。
まぁそれでも零下12°しかないのだが・・・。

さて、今田のメニューも定番の鍋料理だ。
何鍋にするのかをAM君に一任したところ、「もつ鍋で行きましょう!」とのことで一発OK。
早速取りかかろうとしたのだが、「実は鍋の前にスペシャルメニューを用意したんですよ(笑)」
はてさてスペシャルとは気になるところだ。


「ジャーン! 高級カルビですよ~♪」
おぉ~なんと肉じゃないか!
これは贅沢、確かにスペシャルだ。

いい匂いが部屋中に広まった。
腹一杯というわけにはいかないが、空きっ腹にはたまらない味だった。

さて次はメインディッシュのもつ鍋の出番だ。
白菜、エノキダケ、ニラ、ネギ、水餃子、そしてもつ肉を辛みのある汁で煮込んだ。

毎度毎度の鍋料理だが、雪山ではお手頃料理で腹も十分満たされる鍋は日本ならではの「もってこい雪山料理」だと思う。
味も具材も多種多様だし、準備さへ事前にやっておけばすぐに食べられる。


美味いねぇ~、笑顔になるねぇ~。

〆は雑炊とし、今夜は酒は無し。
病み上がりの身としてはアルコールは飲まない方がいいだろう。
大人しく珈琲で我慢した。

やはりどことなく体の疲労は抜け切れていない感じがした。
夜は早めに就寝とし明日に備えた。
明日は天候があまり良くないが、予定としてはピークを越え一ノ倉岳も越え茂倉岳まで行くつもりだ。

ところが夜半過ぎから強風となり、朝は予報通りの悪天候となっていた。
風はそれほど無かったのだが、360°完璧なまでのホワイトアウト。
「無理だね。やめておこう。」
残念ではあったが、このガスでは危険すぎる。
小屋から下山することさへも危険が多い状況では絶対に無理はしない方が賢明だと判断した。

下山開始から暫くはホワイトアウトの中となったが、コンパスで細かく確認しながら無事ルートに沿って下りることができた。

「来月は絶対に八ヶ岳に行こうぜ」
来月は赤岳と阿弥陀岳の縦走だが、出発した3月25日のニュースで大きな山岳遭難事故の一報を聞くこととなった。

オジカ沢の頭:夕焼け

2018年04月14日 00時48分43秒 | Weblog
「疲れたーっ!」
アイゼンを外し、アルパインブーツを脱いで部屋に入った時に出たでかい声だった。

何はともあれ目標は達成できた。
しかしインフルエンザの「つけ」がまさかこの程度の縦走で現れるとは・・・、それとも単に自分の体力の無さなのか・・・。
「先ずは水だけは作っておこう」
部屋に入る前にレジ袋に詰め込んでおいた新鮮(?)な雪を溶かし、命の水を作ることが先決だ。


AM君ももう融雪による水作りは慣れたもので、手際よく作業を進めている。
自分としてはまだ疲労感は残ってはいたが、座っての作業であり体力を回復させながら融雪作業ができた。

「今日はたぶん夕日が綺麗だと思うよ。せっかくだからもう少ししたら外に出てみようか。」
「えっ本当ですか? 雪山で見る夕日なんて初めてですよ。」
その返事にはやや興奮気味の様子が伺えるAM君だった。

17時30分を過ぎた頃外へ出てみた。
風はないが、太陽が沈む時間帯ともなればかなり寒い。
「もうすぐいい頃合いかな。」
若干雲がかかっては来たが夕日は確実に見ることはできるだろう。


「おぉ~綺麗ですね。感動です。」
今更言葉はいらない。
逆光ではあるが、白銀の彼方にオレンジ色の光。
雪山ならではの神秘性さへ感じた。

でもって、ちょいとおちゃらけ。

いい歳をしてハートマーク(笑)。

サッカー日本代表よ・・・

2018年04月13日 00時17分06秒 | Weblog
突然の(監督)解任劇。
それは突然だったのか、何らかの前触れがあったのか・・・。
後任監督は当然水面下では決まっていたのだと思うが、唐突であったことに違いはない。

各分野からの情報を見ても解任の理由は様々であったが、憶測も含め一言で言うのなら「コミュニケーション」の問題らしい。
更にはハリル前監督が選手個々に求めるスキルがあまりにも高かったらしい。
高みを目指すことは当然のことだが、そのハードルが世界レベルであったことから選手からも不満が漏れていたとのことだ。
前監督が求めていた世界レベルとは一体どの程度のレベルだったのだろうか。
FIFAランクで一桁あたりのものを求めたのか、はたまた20位くらいまでのものを求めていたのか、それは分からない。

自分はサッカーは素人だ。
だから意見は言えても戦術的な知識はたかが知れている。
それをふまえて自分なりの考えとして挙げるのなら、ハリル前監督が常に口を酸っぱくして言っていた2点をあまりにも表に出しすぎてしまっていたのではないだろうか。
①「縦への意識・・・パスと突破」
②「一対一での個の技術による攻撃と防御(前監督がデュエルと呼んでいた)」
どちらも重要なことであり、試合においては欠かすことのできないものだ。
ただそれらへの意識の高さと現実性を追求し過ぎるあまりに、本来持っている日本人特有の、日本チームならではの良さを消してしまっていたのかも知れない。

体格やスピードで劣る日本が世界に対抗するには、パスワークは絶対的に外すことはできないと思っている。
そのパスワークを中心として、第2、第3、そして第4の周囲の動きが重要になってくる。
先ずは正確で早いパスありき。
同時に周囲の仲間が何人動けるか。
①の縦への意識のために一端横に出し、そして縦へと繋ぐ。
だがその程度のことは自分などより選手達の方が分かりきっていたはずだ。

新体制は全員が日本人で臨むことになった。
これで「コミュニケーションが・・・」ってことにはならない(はずだ)。
残り僅かに2か月。
今回の決定がどう出るのかは全く予想ができないが、もちろん良い方向に向かいそれなりの結果を出して欲しい。
それでなくてもW杯の予選グループを見れば、1勝をあげることがどれほど困難であるかは自分でも分かるのだから・・・。

サッカー日本代表よ、愛してるぜ!!

オジカ沢の頭:疲労

2018年04月11日 23時42分47秒 | Weblog
偽ピークを越えるため、稜線の南側を進んだ。
「あそこを超えれば頭が見えてくるはずだからもう少しだ。」
初めてのルートだけに期待感が膨らむ。


時刻は14時30分を過ぎている。
頭まで辿り着き一休みをして折り返せば15時にはなっているだろう。
小屋に戻る頃には16時はまわっているかも知れない。
計算上はそうなのだが、そうなると小屋に戻ってそうゆっくりとはしていられない。
融雪をして水を作らねばならないし、食事の準備はその後になる。
ここに来るまでにいろいろと遊んでしまっただけに復路は真っ直ぐ戻った方が賢明だ。

偽ピークを越え、その先に頭の指標と思えるポイントが目視できた。

(赤○のポイントが頭の指標)

足取りが軽い。
やや空腹気味ではあったが、目標がはっきりと定まったことで安心感が出た。


ほぼ15時、オジカ沢の頭に登頂。
360°の銀世界に魅了されながらの縦走は2時間も要してしまった。
それでも初めての場所は気持ちが良い。
感動がある。
お互い自己満足だろうが、そんなことは関係ない。
トレースに助けられながらも自分たちの力で来た初めての場所というだけで嬉しい思いになる。


新潟県をバックにAM君、ハイポーズ。


太陽をバックにハイポーズ。

この太陽ももうすぐ夕焼けに変わってくるだろう。
だからその前にどうしても小屋へ戻らねばならない。
安全のためにも最低限の絶対条件だ。

復路は往路と全く同じルートの縦走となる。
偽ピークを下り縦走、そしてマツダランプの指標を過ぎ、再びマツダランプの指標。
肩の小屋は見えているが、この辺りから突然疲労感に襲われた。
「えっ、まずいな。力が入らない。行動食は定期的に摂っていたはずなんだが・・・」

何でもない緩やかな上りが異様にきつく感じた。
背負っているザックは僅か20リットルのアタックザック。
それが重く感じた。

リフトを降り肩の小屋まで約3時間だった。
そしてオジカ沢の頭の往路が2時間。
復路は1時間だし、たった6時間程度でバテてしまったのだろうか・・・。
経験値だけで判断するのは危険だが、思い当たる原因とすればあれしかない。
「インフルエンザ」による体力の消耗。
もしそうであれば自分もそれなりに歳を取ったということになる。

考えてもみるがいい。
5年前の自分の体力と今の体力とに差があることははっきりと自覚している。
そこに直前のインフルともなれば消耗がどれ程のものか自ずと分かる。

小屋に着く最後の緩やかな上り。
その20分が辛かった。

「かぁ~バテた!」
扉の手前で思わず出た一言だった。

オジカ沢の頭:偽ピークへ

2018年04月09日 22時21分13秒 | Weblog
やや幅の広い安定した稜線を進んだ。
安心感は増すが、ちょっと物足りない気もする。

ほどなくして二つ目のマツダランプの指標に辿り着いた。

目標の頭までもうすぐであるが、頭の指標はここからでは確認できない。
最も手前にあるピークが通称「偽ピーク」であることだけは確かだった。

人が来る。
間違いなくトレースの本人であろう。
すれ違いざまにルート状況を聞いたところ、頭手前の登りの雪がなんともいやらしいらしい。
つまり見た目よりも柔らかく、足を取られやすいということだ。
この現場の正確な情報を知っている唯一の人であり、大変ありがたい。
また自分の方からこんなことを言った。
「あなたのルートファインディングの正確さには驚きました。安全性と雪質を見抜く力は相当雪山慣れしているんでしょうね。おかげで自分たちも安全にここまで来れました。ありがとうございます。」
本人は照れながらも「いやいやそんなことはないんです。でも仮に正確であったとした場合、それが正確であることが分かると言うことはあなた方も相当なものだということじゃないですか。お互い安全登山を続けましょう。」

いやはや何て爽やかな雪山男なんだ。
別れ際にシャッターをお願いし、握手で無事の下山を祈った。

なんとも清々しい気分にさせてくれる雪山男。
自分もああなりたいものだ。

さて、縦走は続く。
偽ピークに近づく為の登攀に入った。

自分が先に登り雪質とルート状況を確かめた。
後からAM君が登ってくる。

ここを登り切ると偽ピークがはっきりと目の前に現れた。
ろくに地図の見方を知らないと「よっしゃ、あれが頭だ!」と、ぬか喜びを味わうことになる。
やっぱ地図は「見る」ではなく「読む」力なのだ。

ナイフとまでは行かないが、まぁそれに近いリッジとなった。
このポイントは左右どちら側に踏み外しても滑落は免れない。
慎重に進み偽ピークを目指す。


コントラスををやや深くしてみた。
「おぉ~この青が好き♪」

とんちんかんな謝罪

2018年04月07日 00時14分07秒 | Weblog
メディアで話題となったあの話。
「女性は土俵から降りてください」×3回

「うっそぉ~! 人の命よりも伝統かよ!」
俄に信じがたいことであったが、残念ながらやはり事実らしい。
進行役の若手行司がアナウンスしたらしいが、人の命が一分一秒を争う危篤状態の時によく伝統だのしきたりだのを優先して考えるなぁと思った。
まさかその行司さん、真っ先に八角理事長の顔が思い浮かんだのでは(笑)。
将に全世界に日本の恥をさらしたことになったわけだ。

ネットや新聞によれば、八角さんは「不適切な対応だった。人命救助をした女性に対して謝罪と御礼を言いたい。」とある。

おいおい、八角さん、何か勘違いしてやいないかい?
先ず第一に言うべき事は「リスクマネージメントの欠如と意識の希薄さ」だろ。
市長さんが倒れた時、土俵にいた数人の男性陣は一体何をしていた?
何もせず、いや、何もできずただぼーっと立っていただけじゃなかったかい。
リスクマネージメントっていうのは地震や火災の時だけじゃなく、生命に関わることすべてに関係しているってことが分かっていない。
だから誰も何もできなかったし、できる人がいなかった。

もう一つ。
もし、仮に自分がその女性だったら理事長からの謝罪も御礼も一切受け入れないし、聞く耳は持たない。
そしてこう言う。
「あの後、土俵に大量の塩をまかれたそうですね。事故や怪我が起きないようにという意味かも知れませんが、私が上がってしまったからかも知れませんね。お清めの塩であるならば、私のような不浄な女があなたのような偉い方からお詫びの言葉を頂くなんて恐れ多いことです。私は汚れた女ですからどうぞお引き取り下さい。」

オジカ沢の頭:マツダランプ

2018年04月06日 00時35分50秒 | Weblog
見渡す限り青と白の世界。
今縦走しているルートは、まるで延々と果てしなく続く縦走路のように感じてならなかった。

「気持ちいいね! 本当に気持ちいいね。」
「来て良かったですね!」
AM君の返ってくる言葉には力強さがこもっていた。


ガツガツと登攀するようなポイントでもなく、かといって踏み外せば滑落は免れない。
程よい緊張感を保ちつつ歩き続けた。

分岐点を示す指標が目視できた。
直進と左に折れる分岐点だ。
そして「ひょっとしてあれが・・・」と思われるもう一つの指標のような物が見えた。

画像でしか見たことのない指標。
そして悲劇が元で設置された指標。
たぶんあれがそうだろう。


通称「マツダランプ」の指標。
縦走ルート沿いに500mおきに設置されているものだ。
嘗てこの縦走ルートで遭難事故が起き、何名かの方が亡くなられた。
その事故をきっかけとし指標として作られた物だ。
今自分たちは肩の小屋からちょうど500mだけ進んだことになる。
ホワイトアウト、更にはブリザードなどの時、たとえ進むべき方角が分かったとしても、安心して体を休めることのできるポイントまでの距離がはっきりとしている言うことがどれほどありがたいことか。
「あと500mだ。500m進めば小屋がある。がんばろう。」
そんな「生」への希望と渇望が湧いてくる。
たった一本の指標の存在にはそれだけの意味がある。


オジカ沢の頭に着くまでには、距離的にはもう一箇所マツダランプの指標があるはずだ。
先ずは360°メンソールのような世界に浸りながらそこを目指そう。

一本のトレースが雪面にできる。
メジャーな雪山のルートであれば、トレースは幅数メートルに及ぶこともある。
ここにはたった一本のトレースしかない。

「なんて綺麗なんだ・・・」
柄にもない言葉が思わず出てしまった(笑)。
天候に恵まれたこともあろうが、やはり冬の山はシンプルで美しい。
時に牙を向けることもあるが、今日の冬山は優しかった。


オジカ沢の頭:稜線縦走

2018年04月04日 01時15分01秒 | Weblog
「オジカ沢の頭」
頭=「かしら」と読む。
一般的な山における読み方は「かしら」が多いが、富山県では「ずこ」と読む。
例えば「長治郎の頭(ずこ)」とか「池ノ谷の頭(ずこ)」などが代表だろうか。
さらには「谷=たん」と読むことから、「池ノ谷の頭=いけのたんのずこ」と読むのが正しい。

さて勝手な蘊蓄はさておき、肩の小屋を出発し本日の第二弾としてオジカ沢の頭へと向かった。
一端緩やかに下りほぼ直線的に縦走する。
幸いに風は穏やかで、ふと立ち止まりながらまだまだ先に見える「頭」を望む。


事前に調べては来たが、具体的なルート状況は歩いてみるまでは分からない。
それが不安であり楽しみでもある。
怖いのは「踏み抜き」と右側の急斜面だろうか。
左手も斜面にはなっているが、斜度はそうはない。
右手に滑落でもしたらおそらく停止は無理だろう。

期待と不安を同時に感じながら一歩一歩雪を踏みしめる。
すると、ところどころに完全なトレースがあることに気付いた。
「ひょっとして小屋に置いてあったザックの人かもね。」
だとすればこの先に人の動きが目視できても良いのだがハッキリとは分からなかった。


トレースをある程度頼りにしながら進むが、この人は雪山はかなりのベテランであることが容易に想像できた。
その理由は、先ず第一にアイゼンの爪が適度に刺さりやすい雪面を選んで歩いていることだ。
雪面の僅かな固さの違いや、表面の反射具合をほぼ確実に捉え、それにより踏み抜きを避けているのだ。
「この人すごい・・・フラットな雪面を的確な判断で歩いている。俺もある程度は分かっているつもりだったけど、この人はほぼ間違いがない。」
この時のルートファインディングはかなり勉強になった。


しばらく進むと小さなアップダウンのルートとなった。
今までやや単調気味であっただけに、この変化は楽しい。
ピンポイントではあったがかなりの斜度でもあり、ここは確実にキックステップで登攀した。
初めてのルートであれば、尚のこと基本に忠実に進まねば危険度は増すだけだ。

病み上がりでもあり、アタックザックでの縦走は体への負担を大いに軽減してくれていた。
天候も申し分ない。
ささやかながら贅沢な気分での縦走である。


二人でのんびりと進んではいるが、頭に近づくにつれ肩の小屋からでは分からなかった細かな状況が見えてきた。
小ピークが幾つか連なっているのだ。
小ピークとは言ってもアップダウンの標高差は10mなどない。
だから地形図を見ても全く分からないし判断ができない。
そのようなことは今まで何度も経験はしてきているが、ここは雪山、ましてやまだ厳冬期だ。
決して気を緩めず基本に忠実に行かねばならない。

再び小さなアップダウンとなった。
見上げた先には「おっ、あれって『窓』みたいだ。へぇ~こんなところに窓かぁ。」

「窓」とはこれまた富山県地方ならではの表現で、長野県で言う「切戸(キレット)」とほぼ同じ意味合いをなす。
詳細は省くが、劔岳をこよなく愛する自分にとってはキレットよりも「窓」と呼ぶ方がどことなく愛着が湧き好きである。


この画像における雪と雪の合間にある小さな切れ目が窓である。
実際にある裏劔の「三ノ窓」などはとてつもなく大きなものであり、ましてや南岳と北穂高の間にある「大切戸(キレット)」などもそのスケールはでかい。
だから画像に見える切れ目は「窓」どころかガラスに入ったごく僅かなひびの様なものかも知れない。

オジカ沢の頭:予定変更

2018年04月02日 22時21分57秒 | Weblog
2月の後半に八ヶ岳方面に登りに行く予定であった。
「いよいよ来週かぁ・・・」などと期待に胸膨らませていた矢先のことだった。
「なんか喉が・・・」
「熱っぽいかな・・・」

そう思っていた日の夕方頃だった。
一応熱を測ってみたのだが体温計の数値を見た瞬間、あれだけ熱っぽかった体が凍りついた。
38.6℃

「これって・・・冗談じゃないよ・・・」
トホホの数値にがっくりとなってしまった。
間違いなくインフルエンザだろう。
まぁ時期的にこれは仕方のないことかも知れないが、トホホな問題は来週に控えている八ヶ岳だ。
一般的に5日間ほどの休養として、その直後の八ヶ岳登山はあまりにも厳し過ぎる。
「どう考えても無理かなぁ・・・。やっぱり無理か。」
病院へ行き早速検査を受けた。
「A型ですね」
重い一言だった。

同行するAM君に連絡を取り、急遽取りやめとした。
しかしこのままではもともと取ってあった休暇がもったいないと思い、AM君と相談。
「軽く近間で一泊程度なら」と、年末に登った谷川岳に予定を変更した。
谷川岳とは言っても「トマ・オキ」だけではなく、前回行けなかった「オジカ沢の頭」まで足を伸ばそうと計画した。


車中泊をし、一番のゴンドラリフトに乗りスキー場をスタートした。
天候は問題なしのどピーカン!
だが、どことなくまだ体が重い。
寝ている間の三日間は食欲が無く、野菜ジュースとアセロラドリンクばかり飲んでいた。
ザックの重量は約15キロほどに抑えてはあるが、その僅か15キロがいつもと違った重さに感じてならない。
不安が走る・・・。
「肩の小屋までなら3~4時間あればなんとか登れるだろう。」
そんな浅はかな経験値から来る判断だったが、体は正直だった。
「きつい・・・重い・・・つらい・・・」
慣れているはずの雪山登攀なのに、足が思うように上がってくれない。
ストックを用いて腕の力も併用しているのだが、それでもいつもとは違う体の感覚を感じていた。

1時間ほど進むと熊穴澤小屋のポイントまで来た。
さすがにこの時期ともなれば一年で最も雪深く、小屋そのものがすっぽりと雪の中に埋まってしまっていた。

見えているのは煙突の上部だけ。
これは正確には煙突ではなく、このように完全に雪に埋没してしまった場合の最低限の空気を取り入れるためのパイプの様なものだ。
そして登山者の為への目印ともなっている。


小休止を取り再び登攀開始。
天気は最高だが、まだ体が出来上がってこない。
いつもであれば1時間も登っていれば十分に体がこなれてきて「よっしゃ!」ってな具合になるのだが、やはりインフルの影響が残っているのだろう。
「まだ乗り切れていないなぁ・・・」
そんな独り言が何度も出てきた。

途中「天狗のたまり場」などのポイントで休憩を取りながら登り続けた。
次第に調子が出てきたようで、スムーズな足運びとなってくれた。
「これなら(オジカ沢の頭)まで行けるな」


宿泊予定の肩の小屋が見えてきた。
正直ホッとした気分だった。
小屋まで休憩を入れて丁度3時間の登攀だった。
幸い足がつることもなく、クエン酸を摂取した甲斐があった。


自分たちの真後ろに一直線に伸びている稜線の先にオジカ沢の頭が見えている。
雪は固そうだった。
初めてのルートだけに慎重に進まなければならない。

小屋の利用者は他には誰もなく、自分たちだけのようだ。
だが、大型のザックだけがポツリと置いてあり、誰かが利用した、或いは利用している形跡があった。

「先ずは飯。終わったらアタックザックに必要な物だけを詰め替えて出発しよう。」
軽く昼食を済ませ、必要最低限の物だけをアタックザックに詰めた。
小屋スタートが丁度13時。
どれほど遅くとも16時頃までには戻ってきたい。