ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

唯一の雪山泊「みぞれ・・・寒い」

2020年07月23日 23時16分22秒 | Weblog
なかなか寝付けなかったが、ひそひそ話の声よりも睡魔が上回ってくれたおかげでいつしか眠りに就いてしまったようだ。

翌朝は5時起床の予定だったが6時に変更し、7時小屋発とした。
早朝6時丁度に起き、軽く朝食を済ませた。
ガサゴソとどうしても音は出てしまうが、深夜まで明かりを灯しおしゃべりをし続けているよりはまだ自分たちの方がまともだろう。

身支度を済ませアイゼンを装着した。
小屋のドアを開けた途端、予想していた通りの光景が目の前に広がっていた。


ストロボ撮影でこの有様だ。
ガスと降雪と猛烈な風が吹き荒れている。
やや心が挫けそうになってしまいそうな天候だったが、無理はせず行けるところまでは行こうとなった。


夜明け前の雪山は夏山と比べて怖さを感じる。
ましてやこれだけの強風、そして雪は雨まじりのみぞれ状態だった。

トマ・オキのPEAKは避けて「一ノ倉岳」山頂を目指す。

まだほの暗い雪山はルートファインディングのミスを誘発しやすいだけに、地図とコンパスで現在地と進行方向を確認しながら進むことがより大切になってくる。
幸い例年よりも降雪量が少なかったこともあり、夏道に設置してある分岐点の指標はヘッデンの灯りで確認することができた。


ヘッデンの光量を強くしてはいるが、ガスの濃さによっては有効視界は15mほどになっていた。
「早く日の出になってくれないものか・・・。そうなれば少しは安心できるんだけど・・・。」

アルパインジャケットとザックに間断なく大粒の雨が当たる音がする。
かなりのみぞれであることがわかるが、同時にこの強風が盛んに不安を煽っている。
お互い殆ど会話はなく、無言でひたすら一ノ倉岳を目指した。

ほどなくして「浅間神社奥ノ院」に到着した。

冬期に登頂してこの鳥居を目にしたことは殆ど無かった。
ましてやこれだけはっきりと鳥居全体が雪に埋もれていない状態の時など記憶がなかった。
「まぁ目印にはなってくれるから、これはこれでありがたいかな(笑)」
この時は声にこそ出さなかったが、表情だけは笑っていたような覚えがある。

しばらくは稜線づたいに進むのだが、みぞれはほぼ雨へと変わってきた。
下界にいても冬の雨の冷たさはそれなりのものであるわけだから、ここ標高約2000mでの雨の冷たさときたらたまったもんじゃなかった。
「せめてこの風だけでも収まってくれれば助かるんだけどなぁ。」
ずっとそう思いながらも足だけは動かし続けていた。


比較的安全なポイントや区間はN君に先導を譲った。
これもルートファインディングを初めとした経験に繋がる。
右に寄り過ぎさへしなければ大きな危険は無いだろうし、後ろからアドバイスもできる。
ただ、何もこんなことをしてまでも経験値を積む必要は無いのかも知れない。
もっと天気の良い時にすればいいだけなのだろう。

ふと気付けばヘッデンの灯りも必要のないくらいに明るくなっていた。
これはこれで大変助かる。
いくらガスが濃いとは言え、ある程度は視界が効くだけにあとはコンパスで進行方向を確認すればよい。
それでもこの雨と強風だけは止まないだろうなぁ・・・。

トレースなどはもとより無く、足元の踏み抜きにはかなりの注意が必要だった。
「踏み抜きに気をつけて進む方向を間違わなければ大丈夫だ。」
そう言い続けながらアップダウンを繰り返し稜線を進む。


風が一層強さを増してきたようだった。
スタートした時よりも体が大きく煽られる。
今はまだ地形的にも助かってはいるが、一ノ倉の頂上稜線に出たらどれほど煽られることか・・・。
無理はできないかもしれない。
そして休憩も必要であることは分かってはいたが、この寒さの中で短時間とはいえじっとして動かないでいる事の方がかえって低体温症になりかねないような気もした。

下山・家へと向かう車窓

2020年07月18日 21時51分29秒 | Weblog
山へと向かう時だけでなく、下山後にもいつしか気になる、心に留まるような車窓(情景)がある。

上高地へと下山し、バスで沢渡(さわんど)へと向かう。
そこから自分の車に乗り換えて自宅へと帰るのだが、先ずは松本市へ向けてR158号線走る。
時刻はほぼ16時から17時の間くらいだ。
沢渡からR158号線を走るということは、途中から松本電鉄の線路とほぼ平行して走ることになるのだが、道路沿いに「梓川高校」という学校がある。
「梓川高校」、なんとも美しい響きの名ではないか!
まぁ勝手に自分がそう決めてしまっているに過ぎないのだが・・・。
それでも上高地と穂高・槍との往復ルートで道沿いに流れているあの清流と同じ名前というだけで身近に感じてならない。

その高校の横を通過する時間帯が下校時刻とほぼ重なっている。
友人と一緒におしゃべりをしながら下校する生徒や校庭では部活動に汗を流している生徒もいる。
道を一本挟めば松本電鉄の「下島駅」があり、駅のホームで電車を待つ生徒達の姿も見ることができる。
ありふれた日常的な風景なのだが、ふと下校指導をしていた時の教員時代を思い出してしまう。
そして毎回思うことは一つ。
「あぁ、もう下山してしまったんだなぁ、あとは家に帰るだけか・・・」
ということ。
上高地へと戻ってくればそれが即ち下山ではあるのだが、自分の場合それよりも梓川高校の生徒達の下校風景や部活動に励む姿を見ることで完全なる下山という思いになる。
その思いがいつの頃からだったのかは覚えていないが、運転席の車窓から見えるあの高校生達の後ろ姿が無事下山できた事への何よりの証であり下山の風景なのだ。

山へと向かう車窓

2020年07月08日 00時17分40秒 | Weblog
車で山へと向かう時、その殆どは深夜帯となる。
仕事を終え途中で夕食を済ませて高速にのる。
音楽を聴きながら、時にラジオを聞きながら運転をする。
どちらも人の声ではあるが、歌と語りでは聞き手の自分にとってその受け止め方は大きく違ってくる。
歌には歌の良さがあり、DJの語りにはまた違った良さがある。
深夜独りで高速を走らせているというある意味特殊な状況であれば、特にDJの語りはまるで自分との会話のようにさへ感じることもある。
「そうだよねぇ」なんて勝手に返事をしてしまうこともあったかな。(笑)

山へと向かうルートであれば、ほぼ長野県を目指すことになる。
その多くは一度松本市へと入るのだが、そこから上高地方面と信濃大町方面とに分かれる。
回数とすれば信濃大町方面へと向かう方が多いだろうか。
つまりは「劔岳」へと向かうわけだ。
松本市から幾つかルートはあるのだが、いつしか自分の好きなルートができてしまっていた。
ナビを用いての最短ルートが最も早く「扇沢」の駐車場に着くことは分かってはいても、それでも「あの街並み」を通りたいと思うようになった。

R147を北上し、信濃大町駅方面へと走る。
駅前を通り越し、扇沢へと曲がる「俵町一」交差点までの僅かな区間。
その深夜の街並みがたまらなく好きだ。
通る時間はほぼ深夜の2時から3時の間だろうか。
まだ駅から近いこともあり、商店街とまでは行かないが店も多い。(当然閉まっているが)
自分以外に走っている車はほぼ皆無で、灯りと言えば街灯、信号機、自販機、コンビニ程度だ。
ごくたまに自分の前を走る車のテールランプがやけに目立つが、それよりもすれ違った後、バックミラーに映るテールランプが少しずつ小さくなって行く時の赤が何故か印象的で、深夜ならではの独特の色合いに見える。

そしてここ数年、ハンドルを握りながらフロントガラスそしてサイドガラスから見える車窓を見ると毎回思うことがある。
「あぁまた今年もここに来たんだなぁ・・・。俺はまた劔に登るんだなぁ。」という思い。
どうしてかは分からないし、上手く説明はできないが、信濃大町駅前を過ぎ、俵町一交差点までの車窓は自分にとって不思議な空間の様に思えてならない。