ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

孤高のブナ「思ったよりもきつい!

2020年08月26日 22時07分27秒 | Weblog
まだ春ということもあり、樹林帯の中は新緑の世界といった感じだった。
大きな葉が生い茂っている訳ではなく、隙間だらけの樹林帯だった。
そして幸いなことにバリエーションルートにも関わらず、ルートは明瞭に残されており迷うことは殆ど無かった。

しかしだ・・・

「いやぁ結構な急登攀だね!」
お互い異口同音に、そして何度も繰り返し口から出る言葉だ。
登攀開始早々はストックは用いずに登っていたが、途中から「やっぱあった方が楽かな・・・」と思い、ストックを利用しての登攀となった。


画像で見るよりもかなりきつい斜度であり、息を切らせながらの登攀がしばらくは続いた。

分岐点から凡そ標高差600mを一気に登ることになるこのルート。
標高差600mと言えば、劔岳へのアプローチルートである「雷鳥坂」よりも100m近く余計に登らなければならない。
だが、広大な北アルプスの雷鳥坂と違って樹林帯の中の登攀ということもあり視野が狭く、そのためか不思議と標高差600mという実感が湧いては来なかった。
それでもきついことは確かで、標高を100m上げる毎に小休止をとった。

程良く汗もかいてくるが、幸いなことは天候が曇天であること。
青空を望むことはできないが、気温の低さが大量の発汗を抑えてくれている。
これはこれで楽なことに違いはないのだが、稜線に出てからの展望はやはり拝みたいものだ。


小休止を繰り返し標高を稼ぐが、周囲の風景は全くと言って良い程に変わらず若葉が出て間もない樹林帯。
「いい加減気分転換になるような風景が見たいものだね(笑)」
「せめて稜線に出れば違うんですけどね」
と言って地図で現在地を確認するも、待望の稜線ルートまではまだ300mほど登らなければならなかった。

「こりゃぁ明日は筋肉痛かな・・・」
そんな嫌な予感を持ちながらウダウダと登る。
シャクナゲや赤ヤシオツツジなどが生息していれば、ただそれだけでモティべーションも上がるのだが、花を咲かせたたった一本の樹木すらお目にかかることはなかった。
我慢の急登攀だけが続く・・・が、ふと顔を上げルートの先を見ると、待ちに待った稜線らしきラインを発見。
「あれだよ、間違いなくあれは稜線だよ!」
すかさず地図で現在地を確認し、進行方向10時の方角に見えるラインに大喜びをした。


この稜線づたいに進めば斜度は緩くなっているし、中倉山山頂にぐっと近づく。
できれば花の咲く木も見てみたいものだ。

孤高のブナ「ルート決定」

2020年08月18日 23時18分41秒 | Weblog
ガイドブックに掲載されているルートは一本のみ。
ネットで調べたルートは3ルート。
何れもバリエーションルートに違いはなかったのだが、最もおもしろそうなコースは「横場山」を経由して登頂を目指す稜線ルートだった。
「おもしろそう」とは些か語弊はあるが、言い換えるのであれば難易度・危険度が高いルートということである。
「よし、このルートで行ってみよう」と即決したのだが、後日とある筋から得た情報によれば「ダニがすごいですよ」ということで「さすがにダニはちょっとねぇ・・・」と潔く諦めた。
そして再度決めたのは、仁田元沢辺りから登り始める最も一般的なコースとなった。

GWも終わり、山には春の花が色づき始めた。
「銅(あかがね)親水公園」近くにある駐車場に車を止め、いざスタート。
いきなり渡渉しなければならないポイントであったが、少し遠回りをして橋を渡れば一切濡れずに済む。
これは現地に行って初めて分かったことだった。


真正面に見えている山のすぐ先が横場山なのだが、「やっぱりダニはねぇ・・・」。
後々の健康をも考えれば避けるべきルートだろう。

しばらくは道沿いに歩くため迷うことはなかった。
緩やかな勾配であり、そこここに咲いている花を愛でながらののんびりしたスタートとなった。


自分の背丈近くはあった花。
小さくもかなり目立つ黄色い花を付けていた。
残念ながら名前は分からない。(後日調べることもしなかった)


車も通れる道であったが、おそらくは一般車両ではなく、営林所関係などの特別に許可された車のみが通れるのだろうと推測する。
のんびりと約一時間程歩いたのだが、気をつけなければならないことは登山口(登り口)を見落とさないことだった。
そのポイントを見落としてしまうとほぼ永遠に中倉山を目指すことはできない。
地図を片手に道の曲がり具合や山肌の尾根と谷の変化をチェックしながら登山口を見つけることができた。
やっぱり地図読みは登山の基礎であると改めて思った。

などと偉そうなことを言ってはいるが、登山口(分岐点)は思っていた以上に明瞭なルートとなっており、しかもピンクテープが樹木に巻き付けてあったおかげでそれほど苦労せず見つけることができた。


右に折れて中倉山を目指す。

冬の間も春になっても日帰り程度の登山しかしておらず、体力にやや不安はあった。
その不安はこの後見事に的中することになる。
それほどまでに斜度はあり、標高差凡そ600mをひたすら登攀することになるのだった。

孤高のブナ「孤高のブナ」

2020年08月16日 19時57分37秒 | Weblog
毎年7月末に出かけている劔岳。
今年も予定通りになるはずだったが、想定外の長梅雨の影響で叶わなかった。
劔沢テン場で一泊したのみで、アタック日は初日よりも風雨が強くそそくさと下山。
残念と言うよりは悔しい思いでの下山となった。

本格的な夏山は潔く諦め、秋の北アルプスへと目標を変更しよう。
・・・とその前に、春に登った日帰り低山の思い出を綴ってみたい。

以前から一度登ってみたいと考えていた山がある。
正確には山に登ると言うよりも、一本の樹木を見てみたいという思いだった。
その樹木の名は「孤高のブナ」。
いつ頃から、そして誰が名付けたのかも分からない。
画像でしか知らなかったその木を見に、旧足尾町(現日光市)にある中倉山へと向かった。



「孤高のブナ」とは・・・。

嘗て、足尾銅山として栄えた足尾町。
しかしその「公害」とも呼べる影響は自然界にも大きく及んだ。
旧足尾銅山精錬所から出ていた亜硫酸ガスにより山の樹木は枯れ、山肌はむき出しとなった。
幸いに煙害を逃れた一部の斜面だけは今でも樹木は生き生きと育っているが、山の稜線を分けて今でも植物が育たない不毛の地がある。
その稜線上にたった一本だけ生き残ったブナの木がある。
樹齢は100年以上とも言われており、精錬所の操業開始が1884年だから、煙害が収まった1956年までの間ずっと厳しい環境を耐え抜いてきたことになる。
いつ頃から「孤高の・・・」と呼ばれるようになったのかは知らない。
ただ、地元の栃木県であるだけに見るべき、知るべき価値はありそうだ。

心配なことがあった。
中倉山に登る為の登山道は無いということだ。
よくよく調べると3本のルートがあるようなのだが、その3本ともバリエーションルートであり正規の登山道ではない。
果たしてどのルートが最も安全なのか、どれだけのルートファインディング力が必要なのかは未知数だった。
そしてもう一つ気になる情報があった。
熊の出没情報だった。
ちょうど冬眠から覚めて間もない時であり、空腹を満たすためにあちこち歩き回っているという事前情報を得ることができた。
同行者は「是非とも一緒に!」という本人の強い要望もあり、N君と一緒。
熊出没の件もあり、心強い仲間を得ることができた思いだ。

事前の下調べにおいて最も念には念を入れたのは地図作りだった。
一般登山道ではないが、地元の山ガイドブックには一応の登山道が記されていた。
そしてネットで念入りに調べたルートとほぼ一致している事が分かった。
標高は2000m未満であり決して高山ではない。
だからこそいつの間にか幾つものルートっぽい道が出来上がってしまい、それが道迷いへと繋がる可能性は侮れないものがある。
北アルプスのバリエーションルートとはまた違った不安はあったが、「あの木を見てみたい」という強い思いも更に高まった。
いざ、中倉山へ!

唯一の雪山泊「写真は絶対NG!」

2020年08月01日 23時29分15秒 | Weblog
ルート(と思えるコース)を縦走し、通称「のぞき」と言われているあたりのポイントまで来た。
「のぞき」とは些か笑ってしまうような表現だが、晴れていればこの辺りから真下を覗けば一ノ倉沢の断崖絶壁が見えるということ。
そう、一ノ倉沢の断崖絶壁と言えば、多くの山を登った者であれば一度は耳にしたことのある言葉で、ギネスブックスにも載っている。
残念ながら負の意味でのギネス記録で、滑落・転落死亡者がダントツで世界一位となってしまっている岩壁である。
それだけに多くのいわくがつきまとい、幽霊話も後を絶たない。
しかし今はそんなことよりも、この悪天候の中どれだけ安全確実に一ノ倉岳を目指せるかの方が重要だった。


「のぞき」あたりのポイントで真下を覗いているN君。
「どう、何か見える? うっすらと人影みたいのがあっちこっちウロウロしてないかい(笑)」
「真っ白でーす! 何も見えませーん!」
そりゃそうだろう。この荒天でもし人らしきものが見えたら、それこそやばいものを見てしまったことになる(笑・・・いや笑えない)。

すぐ近くに居ながらもお互いの声をはっきりと聞き取ることが困難な程に風雨は強まっていた。
不安は募る一方だったが、「行けるところまでは・・・」という思いで一歩を踏み出した。


記憶が正しければ、この上りが終われば一ノ倉岳のてっぺんへと繋がる稜線へと出ることができる。
「もうすぐだ・・・」という思い、そして「稜線上はこの強風が果たしてどれだけ更に強くなっているのだろうか」という思いが混沌としていた。

稜線へと出た。
いきなり体が右へ右へと煽られた。


想定していた以上の強風となっていた。
「果たしてどこまで・・・」と思いながらも、確実な一歩を踏み出さねば立っていられない。
「こんな強風は3年ぶりかも知れない」と、ふと3年前の横岳(八ヶ岳)を目指した時を思い出した。
あの時は体感で風速30m程にもなっており、何度も体を真横に吹き飛ばされ雪上を無抵抗のまま横転した。
その時の風速を体がまだ覚えていた。
まともに直立はできないが、今は踏ん張ればなんとか横転だけは免れている。
N君にとっては初めての体験だろうし、不安は自分以上になっているはずだ。
この時、茂倉岳は無理だと断念を決めた。
N君にこのことを伝え、一ノ倉までで引き返すことにした。
そしてもう一言付け加えた。
前にも何度か伝えてあったことだが、いざこの場に来てもう一度確認の意味で声がかき消されないよう大声で伝えた。
「もうすぐ一ノ倉の避難小屋が見えてくると思うけど、絶対に写真は撮らない方がいい。記念だからといって安易に撮ってしまうと、写らなくてもいいものが写ってしまうことがあるから!」
ゴーグルで表情は分からなかったが「はい、やっぱり自分も恐いんでやめときます。」と大声での返事だった。

何故写真を撮らない方がいいのか・・・詳細は敢えて綴らない。
もしこの記事を読んだ方がいたら、個人的にネットで調べてみてほしいとだけ言っておきます。

体感で風速は20~25mだろうと推測した。
なんとか一ノ倉岳にたどり着き、5分も経たぬうちにそそくさと下山開始。
じっとしていることが辛いと感じる程体は冷えていた。
(「少しでも動いていれば熱エネルギーを感じることができる。ゆっくりでいいから動かし続けよう」)
登頂の歓びは殆ど無く、無事の下山をすることに専念した。

トマ・オキへと近づくに連れ、風だけは僅かに弱まってくれるようになった。
(「早く小屋へ戻って温かい珈琲が飲みたいものだ。着替えをして冷え切った体を回復させなけりゃ。」)
言葉にこそ出さなかったが、低体温症への危機感も芽生えていた。

低体温症は何度か経験している。
いや、「してしまっている」といった方が正しいのだろう。
体の震えだけならまだましな方で、意識障害の一歩手前の状態まで来てしまったことがあった。
あの時は生命の危機をもあったのだが、仲間の大声での呼びかけで事なきを得ることができた。

何とか小屋まで戻り、先ずは衣服のすべてを着替えた。
汗と雨でびっしょりに濡れた衣類はことのほか重く、まるで鎧を纏っていたかのように思えた。
そして濡れていない僅か一枚の肌着がとてつもなく温かく、ありがたい存在だった。
さっそくお湯を沸かし珈琲を飲んだ。
酒ではないが、五臓六腑にしみ渡る温かさだ。
しばし体を休め、早めの昼食をとり麓への下山を開始した。
ゴンドラ山頂駅へ着く頃には、あの稜線上の猛烈な風はいったいどこへやら・・・。
晴れてこそはいなかったものの、何事もなかったかのような拍子抜けする雪山だった。

下山のゴンドラの中で、敢えて一ノ倉岳での写真撮影のことには触れなかった。
(お互いそれには触れない方がいいと分かっていた)
「どうだった、あの強風は?」
「やっぱり自然ってのはすごいんですね。これも経験値なんでしょうけど、続行か撤退かのいい判断基準になったと思います。」

今年の年末、茂倉岳までリベンジしたいと密かに考えている。
もちろん、たとえ天候に恵まれても写真だけはNGだが・・・。