あと一ヵ所、西側を大きくトラバースし、ルンゼを下るための登りがあるはずだった。
見下ろせば赤岳鉱泉小屋が見えた。
ここも危険なポイントであることには違いない。
5分間だけ小休止をし煙草に火を付けた。
「あのリッジはどうなっているかなぁ・・・」
二ヶ月前の苦い思い出、辛い経験が急に蘇ってきた。
思い出したくもないことではあるのだが、ほんの少しだけ「経験値」として受け入れられる気持ちのゆとりがあった。
西側へのトラバースポイントに出た。
ここもよく覚えている。
猛烈な強風に、体を岩に叩き付けられるようにしながら越えたところだ。
今日も風は強いが、前回よりははるかにましだった。
「ここを登ればルンゼに出るんだったな。そしたらあそこか・・・」
登り詰めたことろからは、再び赤岳が目の前に迫ってきた。
・・・が、それよりも自分の視線はピンポイントであのリッジを捉えていた。
(赤丸部分が、前回苦労したトラバースポイント)
「先ずはここ(ルンゼ)を下りよう。」
かなりの急斜面であることは分かっていたが、雪面の固さが味方してくれている。
バランスとアイゼンワークを間違わなければ大丈夫だ。
さらさらの雪質は、登攀においても下降においても嫌なもので、アイゼンの爪もピッケルのピックもあまり役に立たない時もある。
前回がそうであったように、単独ラッセルではかなり体力を消耗させられた。
下りながらも時々立ち止まっては、視線を上げあのポイントを見つめた。
しっかりとしたトレースがはっきりと目視できた。
大丈夫と分かっていても、緊張感が膨らんできていた。
そして、一歩一歩リッジに近づくほど、東側の谷の深さにあらためて驚いた。
トラバースへの怖さは無かったが、今回はじっくりと目の前のルートを確認するように凝視した。
一歩が踏み出せないわけでは無かった。
ただ不思議とあの苦い経験を噛みしめるような思いだった。
途中で立ち止まり、右手の岩肌を見た。
「ここにピッケルとバイルを刺して、向かい合うようにしながらのトラバースだったんだ・・・。」
そんなことをどこか懐かしむような思いで通過した。
今回の通過タイム。
なんと、1分!!
「なんじゃぁこりゃ~」ってな感じのトラバース(笑)。
二十三峰でリッジを振り返った。
「初めから残雪期にすればよかったのかなぁ・・・(苦笑)」
そんな思いもあったのだが、厳冬期のあの経験は無理にしなくてもよかったはずだ。
何とか下山できたからこそ言えることだが、だからといって決して無駄ではないはずだ。
多くのことに気付かされ、己と対峙し続け、そして努力もした。
無駄なはずがなかろう。
見下ろせば赤岳鉱泉小屋が見えた。
ここも危険なポイントであることには違いない。
5分間だけ小休止をし煙草に火を付けた。
「あのリッジはどうなっているかなぁ・・・」
二ヶ月前の苦い思い出、辛い経験が急に蘇ってきた。
思い出したくもないことではあるのだが、ほんの少しだけ「経験値」として受け入れられる気持ちのゆとりがあった。
西側へのトラバースポイントに出た。
ここもよく覚えている。
猛烈な強風に、体を岩に叩き付けられるようにしながら越えたところだ。
今日も風は強いが、前回よりははるかにましだった。
「ここを登ればルンゼに出るんだったな。そしたらあそこか・・・」
登り詰めたことろからは、再び赤岳が目の前に迫ってきた。
・・・が、それよりも自分の視線はピンポイントであのリッジを捉えていた。
(赤丸部分が、前回苦労したトラバースポイント)
「先ずはここ(ルンゼ)を下りよう。」
かなりの急斜面であることは分かっていたが、雪面の固さが味方してくれている。
バランスとアイゼンワークを間違わなければ大丈夫だ。
さらさらの雪質は、登攀においても下降においても嫌なもので、アイゼンの爪もピッケルのピックもあまり役に立たない時もある。
前回がそうであったように、単独ラッセルではかなり体力を消耗させられた。
下りながらも時々立ち止まっては、視線を上げあのポイントを見つめた。
しっかりとしたトレースがはっきりと目視できた。
大丈夫と分かっていても、緊張感が膨らんできていた。
そして、一歩一歩リッジに近づくほど、東側の谷の深さにあらためて驚いた。
トラバースへの怖さは無かったが、今回はじっくりと目の前のルートを確認するように凝視した。
一歩が踏み出せないわけでは無かった。
ただ不思議とあの苦い経験を噛みしめるような思いだった。
途中で立ち止まり、右手の岩肌を見た。
「ここにピッケルとバイルを刺して、向かい合うようにしながらのトラバースだったんだ・・・。」
そんなことをどこか懐かしむような思いで通過した。
今回の通過タイム。
なんと、1分!!
「なんじゃぁこりゃ~」ってな感じのトラバース(笑)。
二十三峰でリッジを振り返った。
「初めから残雪期にすればよかったのかなぁ・・・(苦笑)」
そんな思いもあったのだが、厳冬期のあの経験は無理にしなくてもよかったはずだ。
何とか下山できたからこそ言えることだが、だからといって決して無駄ではないはずだ。
多くのことに気付かされ、己と対峙し続け、そして努力もした。
無駄なはずがなかろう。