ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猫魔ヶ岳へ 「温かい物には理由が・・・」

2022年06月29日 21時45分10秒 | Weblog
厳しい急斜面を何とか下り終え、やっとフラットなルートへと出た。
予定している昼食ポイントまではもう一登りする必要があるが、それほどの斜度ではないはずなのに結構きつく感じた。
これも空腹感から来る感覚なのだろう。


あと一登りしなきゃならないが、ここまで来れば楽勝!
・・・と思っていた。

決して急な登りではないが、ダラダラと長く続く登りだ。
先は見えているものの「まだ着かない・・・」と思えるほど長く感じたが、やっと登り終えれば今度は緩やかな下りルート。
そして目の前には「お好きな場所でどうぞ」とばかりに、木々の隙間が広い昼食にはもってこいのポイントが幾つも点在していた。

できるだけ平坦なポイントを選びさっそく場所作り。
この時のためのスノースコップを取り出し、腰を下ろす場所、足場、テーブルを作った。
そして最後は雪面を固めて平らにする。
時間にして5分ほどだったろうか、雪のテーブルのできあがり。


足を置く場所が低くなっていると実際に活動しやすく、食事も摂りやすい。
今日のメニューはみんなカップ麺。
フリーズドライのごはんものやスープも考えたのだが、冬期においては何と言っても「汁物」に限る。
第一に体内から体を暖めることができるし、もう一つの大きな理由は「冷めにくい」こと。
つまり最後まで温かいものが食べられると言うことだ。
実際に雪山でレトルトカレーなどを食べたこともあるが、温かいのは最初の数分のみで、途中から冷めたカレーを食べざるを得なくなった経験がある。
腹は満たされるが、やはりカップ麺や鍋などの汁物が何よりも有り難さを感じる。


お湯が沸くまでもう少し、かなりの空きっ腹状態だ(笑)。


最近の雪山ではカップ麺も大盛りを持ってきている。
味はやっぱり「醤油味」かな・・・。


Yさんはサーモボトルのお湯だったので先に食べてもらい始めた。
実に美味そう~


O氏は自分と同じ3分待ちタイプ。
早く食べたいね。

「いただきます」の前に、やっぱりこれ!
O氏と一緒の時には恒例の一口目だ。


互いの腕を絡ませての一口目ポーズ。
もちろん酒の時にもO氏とは必ずやっている(笑)。

寒かったし、空腹だったし、一口目の何と美味いことか!
たまに休日の昼食に一人でカップ麺を食べることもあるが、味は格段に山の方が美味い。
これは毎回間違いのないことで、汗をかいた身体的疲労感から来る美味さも加わっていよう。

今日の昼食には、O氏からのとっておきのサプライズ(飲み物)があるようだ。
食後にいただく「ホットワイン」だ。
温めて飲む専用のワインのようで、アルコールはフリー。
酔って足元がふらつくようなことにはならないので心配ない。
なおさら体内を暖めるにはもってこいのドリンクだった。


〆にホットワインで乾杯。

身も心も満足し下山開始の準備だ。

猫魔ヶ岳へ 「登頂 そして急斜面へ」

2022年06月25日 21時45分20秒 | Weblog
山頂まではもう間もなくだ。
周囲の樹木は殆ど無くなり、それが近いことを感じる。


ここを登り切れば猫魔ヶ岳山頂までほんの僅か。
自分とO氏は何度も来ているので最後の登頂の瞬間は是非Yさんにと、トップをしてもらった。
ガンバレYさん、もうちょっと!

11時30分、猫魔ヶ岳に登頂。
視界は良好、気分が良い♪
山頂からは磐梯山が見えたが、やや雲がかかっており全容は拝めなかった。
また風が強く、じっとしていると全身が震えるほどの寒さに襲われた。


お茶目なおO氏(笑)。


三人揃ってハイ、ポーズ♪

単独での登山との違いは感動の共有だろうか。
登頂の思いはそれぞれでも、雪山ならではの疲労や寒さを共にした者だけが得られる感動がある。
夏山とはまた違った感動だ。


磐梯山をバックにご機嫌のO氏。
残念、雲が・・・


女性ながらすごい体力のYさん。
猫魔ヶ岳初登頂おめでとう!


感動はあったのだが、腹が減って座り込んでしまった。
でも煙草は美味い♪

今年の冬は積雪量が多く、山頂にある指標などはすべて雪に埋もれてしまっていた。
雪庇が発達しているのもうなずける。
それにしても体が冷える。
もう少しここにいたい思いはあったのだが、体を動かして体内から熱量を上げなければならない。
そろそろ下山し、昼食のポイントを決めよう。

山頂からの下山ルートにおいて、実はスタート直後の区間が最も危険を伴う。
斜度が厳しく、しかも稜線ルートとなっているため左右どちらに滑落してもアウトとなってしまう。
ここからは再び自分が先導し、安全地帯まで下ることにした。


先導するのはいいのだが、下山開始となったとたんにかなりの強風に襲われた。
ゴーグルをすべきか否か迷ったが、なんとかサングラスででも大丈夫と判断。
さぁ行くよ!


急斜度の途中から振り返りYさんを見た。
大丈夫そうなので安心した。
雪面は殆ど固まってはおらず、ズボズボ状態でスノーシューでも足を取られる。
同時に体のバランスを崩しやすく、滑落には尚のこと気をつけなければならなかった。

・・・と思っていると


はまってしまった。
足が抜けない(笑)。
腕をつかんで引き上げてもらうことは簡単だが、このような場合引き上げる方の体がバランスを崩しやすい。
これは北アルプスや八ヶ岳の雪山縦走で何度も経験している。
「大丈夫だからそこを動かないで」とだけ言い、自力で抜け出した。


とにかく各自のペースでゆっくりと一歩ずつ。
フェイスアウトでの体勢が厳しいと感じたらサイドステップで下ればいい。

この辺りまでくればもうほぼ安心できるだろうというポイントでO氏に先導を譲った。
「どうYさん、きつかった?」と聞くと「最初の数十メートルが恐かったですね。でもここまで来ればだいぶ楽になりました。」との返事。
この区間だけは猫魔ヶ岳縦走ルートの中で唯一のスノーシュー上級コースになろう。

一息付けそうなポイントまでもう少し。
・・・と思っていると


ありゃりゃ、今度はYさんがズボッ!
笑ってはいけないのだが、思わず吹き出しそうになってしまった。
やはりまだ安心はできない区間だ。

さぁこの先で食事のできるスペースを探そう。

猫魔ヶ岳へ 「もうすぐ!」

2022年06月23日 22時14分36秒 | Weblog
まだ暗い内に地元を出発し、その分朝食も早かった。
今の時間は11時前であるがそれなりに空腹感を感じ始めていた。
もちろん途中で行動食は摂ってはいるが、あくまでもおやつ程度のものであり、ごく軽い「つなぎ」的なものに過ぎない。
ましてや登攀が続く現状ルートともなればそこに喉の渇きも加わってくる。


樹林帯の中をひたすら登る。
この登りを越えて、もう一つの登りを越えれば猫魔ヶ岳山頂となる予定だ。
記憶が正しければ、樹林帯らしい登りはここで終わるはず。
山頂付近になれば樹木は殆ど無く、見晴らしの利く登りだったはず。
腹減った、でも頑張ろう!

ズボズボに埋まる樹林帯をやっとのこと越え、視界の良いフラット気味のポイントへと出ることができた。
右手後方に雄国沼が見える。
ほぼ全面を氷で覆われ、この時期であれば凍った湖面を歩くこともできる。


画像中央の真っ白な部分が湖面の凍っている雄国沼。
実はまだこの辺りへは足を踏み入れたことがない。
計画としては、冬期に雄国沼周辺を歩き、沼の畔にある無人の休憩所に一泊したいと考えている。
赤い○印あたりに休憩所があるはずだが、検索で調べた限りでは建物の中は結構広い空間(ロビー的な感じ)となっている。
多くのトレッカーが休憩できるように設計されているのだと思うが、冬期に限ってはこの広い空間での泊まりはかなりやっかいな事になりそうだと懸念している。
つまり、空間が広いと言うことは、風を防ぐことはできても暖かさは期待できないということ。
雪山登山は慣れてはいるが、広い空間のある避難小屋での寒さが尋常ではないことを何度も経験しているのだ。
以前O氏に「やってみないか?」と話を持ちかけたことがあり、「是非!」との返事だったが未だ実行には至っていない。
厳冬期における広い空間がある小屋泊まり対策はテントかツェルトを活用した方が良いだろう。
小屋泊まりなのにわざわざとも思えるが、体が真から冷え震えて眠れない寒さはもう十分だ(笑)。
さて話が逸れてしまったが、雄国沼の眺望が利いたこともあり元気をもらった気分となった。


まだまだ行けるよー!
さすが運動神経抜群のO氏。


色気? 食い気?
それともやっぱり山かな・・・


景色が良いと空腹感も忘れる・・・ってことはないが、やっぱり気分は良い。

ここまでくれば山頂はもうすぐだ。
登りとはなっているがたかが知れている。

PEAK手前でちょっとコースから離れて振り返ると、いかにも雪山縦走っぽい写真が撮れた。


山の稜線がはっきりとわかる画像。
そして振り返ればスタート地点のリフト山頂駅が見えた。


赤○ポイントがリフトの山頂駅。
こうしてみるとそれなりに歩いてきなぁと実感できるし、通ってきたルートも分かる。
あらためて冬の自然は厳しくも美しいと思えた。

猫魔ヶ岳へ 「ドサッと来た!」

2022年06月21日 22時54分09秒 | Weblog
雪原のど真ん中での休憩はことのほか一服が美味いと感じた。


身支度を整えて再スタート。
これから先はたまにフラット気味のポイントもあるが全体的には登攀が主だ。
今日一番の頑張り処になるだろう。
おそらくは雪面の固さにあまり期待はできない。
どの辺りまで埋もれてしまうかは分からないが、過去二度の縦走経験から言えば今までのように楽な登攀とはならないだろう。


雪原を越え山頂を目指す。
予定しているコースは赤い矢印の通りだが、実を言えば雪山ならではの自由なコース取りというものがある。
夏山であればコース(登山道)は決められており、コースを外れてしまうと言うことは道迷いに繋がるだけでなく、滑落などの危険性が高くなる。
更には怪我をせずに済んだとしても、余計な自然破壊をもしてしまっていることになる。
雪山ならではの自由さとは、雪上であればどこでもOKと言うことだ。
危険性の低いルートファインディングをしながらも、直登であれジグザグ登攀であれ自分で考えコースを決めて進むことができる。
それが楽しくもあり難しくもある。
画像の赤い矢印はあくまでも見た目のコース取りに過ぎない。

雪原を過ぎるとやはりスノーシューでも埋もれてしまうような雪質となってきた。
登攀ルートであれば思わず「重い!」と愚痴も出よう。


女性ではあるがかなり体力のあるYさん。
むしろ自分の体力の方を懸念すべきだろうか・・・(笑)。


まだ笑顔ではあるが久しぶりのスノーシューはやっぱり辛いと感じる。


ほどなくしてややフラット気味のポイントへと出た。
少しだけ楽になるが、この後も登攀コースは続く。

徐々に雪に埋もれる深さも増してきたように感じる。
決してパウダースノーという程の雪質ではないだけに「重い!」という言葉が出てしまう。


突然トレースが見えた。
おそらくは雄国沼辺りから縦走してきた人のものだろうと推測した。
ここでもトレースを利用させてもらった。
僅かに圧雪されているだけだが、それでも「ズボッ!」というのを軽減してくれるのはありがたい。
ここは一気に登ってしまおう。
・・・・・・・・・・
・・・・・・やはり息が切れる(笑)。
無理はせず一定のペースで登るべきだった。
先導者としてやってはいけないことをしてしまったと反省だ。

少しだけ息を整えさせてもらい数分の休憩を取った。
が、その時だった。
一瞬何が起きたのか訳が分からなかった。
はっきりしていたのは首筋への衝撃とものすごい冷たさを感じたことだった。
二人は大笑いして自分を見ているが、当の本人は「な・何だ? 何が起きたんだ?」と口をポカーン。
O氏が「上、上」と言って指を差している。
言われるがままに上を見てやっと現状を把握できた。
「タイミング良過ぎ」と言ってYさんも笑っている。


自分のほぼ頭上にある枝に固まっていた雪が。そっくりそのまま首筋に落ちてきたのだった。
キャップとジャケットとの隙間を正確に狙うように「ドサッ!」と来たのだ。
「バスケットボールくらいだったよ」
O氏の笑いが止まらない。
いやはや何とも運が悪いとしか言いようがないが、こうしてみんなが笑って済んだことで良しとしよう。


登攀はまだまだ続く。
きつそう・・・

猫魔ヶ岳へ 「雪原」

2022年06月20日 18時52分15秒 | Weblog
いきなりの急登攀というのはかなり体に堪える。
軽く準備体操をした程度での登りだけに、まだ心肺機能が十分に出来上がっていないからで、車で言えば冬期に暖機運転無しでのスタートみたいなもの(だろうか)。


画像ではよく分からないが、結構な斜度のコースとなっていた。
僅かにトレースとなっている部分を利用しながら標高を稼ぐが、汗がしたたり落ちてくる。
水を余分に持参してきて正解だった。
まぁいざとなれば融雪して水を作れば何とかなるだろう。

やっとのこと本来のスタート地点であるポイントに到着した。
息も切れ切れだが、風は穏やかで視界も十分に効く。
檜原湖が目視でき、冬の凍った湖を見ているだけで疲れを癒してくれた。


ここからが縦走となる。
目指すは猫魔ヶ岳山頂、そしてゴールドラインへ向けて下山。

ほぼフラット気味に樹林帯の中を抜けて行くが、天候に恵まれたこともあり細い枝先あたりの凍った部分がキラキラと太陽に反射して美しい。
がちで岩稜地帯を越えて行くのもいいが、今日のような樹林帯もまた雪山登山の魅力だろう。


一切のトレースがない樹林帯を抜ける。
かなり贅沢な縦走だ。
その分ルートファインディングのミスを起こしやすいだけに、地図とコンパスでの確認作業を怠ってはならない。


厳しい斜度を越えた後だけに、このフラットな樹林帯は将に天国のようだ。
自然とみんな笑顔になってくる。


この辺りは雪の表面は固く、埋もれてしまうこともない。
足取りも軽くいくらでも進めそうだ。

コース取りと段差に注意しながら鼻歌を歌うような気分で樹林帯を進む。
樹林帯だけに視界はそれほど効かないのだが、この辺りは落葉樹なので雪と氷を纏った枝が張り巡らされている
だけだ。
それがかえって美しいと感じる。

記憶が正しければこの樹林帯を抜ければコルへと出る。
地図で確認はしており間違いはないだろうが、コルと言うよりは将に雪原という言葉がピッタリの状況だった覚えがある。
楽しみでならない。


やっと樹林帯を抜け、緩やかに下る。
目の前には雪原が広がっている。
気分は「ヤッホー!」ってところだろう。


青い空がより青く見えるのは純白の雪のせいだろうか。
夏山の緑の大地と青空もいいが、冬の白と青もたまらなく美しい。
これは比べられないかな・・・(笑)


トレースが無い。
なんて贅沢なんだろう。
「せっかくだから、ここのど真ん中で休憩しよう」と言うと、二人とも大賛成。
真正面に見える猫魔ヶ岳を見ながら、これまた贅沢な休憩となりそうだ。

猫魔ヶ岳へ 「スノーシューで登山」

2022年06月18日 23時59分54秒 | Weblog
いきなりだが、はっきり言ってしまうとスノーシューを活用しての雪山登山はあまり好きではない。
好みとしてはやはりアイゼンを装着しての雪山登山に軍配は上がる。
しかし、積雪状況や斜度などによってはスノーシューを用いた方が登下山や縦走に適している場合もある。

2月、数年ぶりに福島県裏磐梯にある「猫魔ヶ岳」へ登ってきた。
この山を縦走するにはベースとなるのはスノーシューであり、アイゼンはやや不向きだ。
それは積雪状況が主な理由で、ズボッズボッと膝近くまで埋もれてしまう様なコースが殆どだからだ。
かなり斜度の厳しいポイントもあるが、そこは一定以上のスペックがあるスノーシューであれば大きな問題はない。

今回のメンバーは嘗ての職場の同僚であるO氏、そしてO氏の山仲間であるYさん(女性)。
Yさんとは昨年一緒にスノーシュートレッキングをしているので一年ぶりの再会だった。
早朝まだ暗い内に一路福島方面へと出発。
さすがに2月、厳冬期の夜明け前は寒い。

先ずは裏磐梯猫魔スキー場へ行き、そこからリフトを利用して一気に標高を稼ぐ。
だが、このコロナ禍の影響もあり、すべてのリフトが運行しているわけではなかった。
猫魔ヶ岳へは三度目になるが、今回は今まで利用していたリフトではなく、もう少し標高の低いポイントまでしか行かないものとなった。
つまりはリフトを降りてからちょっと頑張って自力で登攀しなければならないということになる。
結果として頑張るのは「ちょっと」ではなく、かなり頑張らねばならない羽目になるのだが(笑)。


8時過ぎにスキー場へ到着。
しばらく空を見上げ、雲の流れを観察しながら風向きや強さを計った。
幸いに強風ではないことは確かであり、これならまずまずの縦走を楽しめると思えた。
さぁリフトに乗って山腹の途中まで。


O氏が撮ってくれた。

この時はまだのんびりとしているように見えるが、このリフトを降りてからどのコースで標高を上げて行くのかを乗る前に地図で確認したところ、「こりゃぁいきなりだな・・・」と痛感していた。
だが、斜度はまだいい、問題は積雪の状況である。
どこまで埋もれてしまうのかが未知数なのだ。
それなりに不安を抱きながら上を目指した。

リフトを降りすぐに目に入ったのがこれから登攀するルート。
本来であればスキーのコースになっているルートであり、雪面は固められている。
しかし今は閉鎖されており一切のシュプールは無い。


赤い矢印が予定しているルート。

直登しても良いのだが、ジクザグ上にトレースが見えた。
おそらくは誰かがスノーシューで登攀した跡だろうと推測できた。
こうなったらラッセル泥棒と呼ばれようが、そんなことは気にしていられない。
僅かでもトレースを利用させてもらい楽に標高を稼ぎたい。

自分が先導し、安全を確認しながら登攀を開始した。
確かにトレースであるには違いないのだが、明らかに数日前のトレースであり、トレースの上にも降雪が見られ、深いところでは膝まで埋もれながらの登りとなった。
これが結構きつい!
体力を奪われて行くのが嫌でも分かるだけでなく、息切れも激しくなってくる。
当然汗がしたたり落ちる。
喉も渇いてくる。
それでも「こりゃぁアイゼンじゃ到底無理だなぁ・・・」と言えるだけに、スノーシューの有り難さを感じながらひたすら登り続けるしかなかった。
いやはやきつい!

雲龍渓谷 「雲龍瀑 滝壷へ」

2022年06月15日 22時16分22秒 | Weblog
氷柱ポイントから滝壷へは20分もあれば着くことができる。
しかし途中結構際どいポイントもあり気を抜くことはできない。

まずはいきなりの急登攀。
登りはまだ良いが、このようなコース状況に慣れていない人は下りでビビる。
サイドステップで下れば大したことはないのだが、雪山に慣れていない人にとっては少々厳しいかも知れない。

次は急斜面のアップダウンとトラバース。
交互通行するにはかなり無理があり、どちらかが端に寄って待機しなければならないケースが殆どだ。
待機する場所を山側にするのか谷側にするのかで安全面(安心面)での違いに大きな差が出る。


この辺りも交互通行しなければならないエリアだが、誰も来ることがなさそうだったのでシャッターチャンスとばかりに撮った。
眼下に氷柱が見えるなかなかの場所だ。


少し進んでもう一枚。
それなりに高度感があるポイントだ。

ここまで来れば氷瀑が見えるポイントまで5分とかからない。
だが、滝壷へと下りるすぐ手前に最後の難所が控えている。
この辺りも雪山登山に慣れていない人にとっては恐いと感じるだろう。
右手は雪の壁、左手は急斜面の崖。
そして道幅は30㎝程度しかない。
当然交互通行などできるはずもなく、また何処で待機すればよいのかも迷う。
交互通行はお互い様であり、そのあたりのさじ加減は登山の「慣れ」で計るしかないだろうか。

氷瀑、そして滝壷が見えてきた。
想定していた以上に発達しており見応えがある。


滝壷には人がおり、氷瀑の大きさが分かる。


縦画像で見るとまた違った大きさにも見える。

ん? 何か物足りない感じがする。
氷瀑は確か高さ100m程はあったはずだ。
このポイントからであれば、もっと高い部分も見えたはずだが、どう見ても100mは無い。
自分の記憶違いかも知れないが、もっと高さはあったはずだと感じた。

とりあえず滝壷まで下り、休憩を取った。
高さがどうのこうのと感じてはいたが、それでも圧巻である。


一年で最も寒さの厳しいこの時期だからこその芸術品。

アイスクライミングをしている人がいた。
自分も経験程度でやったことはあるが、氷の脆さを含めての経験であり、知識と技術、そして危険認知への直感の様なものが必要だと思った。


おきまりの場所ではいポーズ。
いい加減腹も減ってきたし、もう少し安全な場所へ移動し昼食としよう。








雲龍渓谷 「氷柱 神殿」

2022年06月14日 21時12分40秒 | Weblog
友知らずを過ぎると次に現れてくるのが氷柱となる。
今年の冬は寒さが厳しく、氷柱はかなり発達していると聞いていたが果たして・・・


画像の右に見えているのが友知らずのラストに控えていた超巨大つらら。
一見すると氷壁にも見えるのだが、これは太く長いつららが束になっているもの。
そして左下の奥に見えているのが氷柱。
「お~なかなか立派だね。いい感じ♪」
すぐにでも氷柱へと足を運びたかったのだが、このポイントでも写真を数枚撮った。


つららの裏側から見た氷柱群。
立派に発達した氷柱が2本視認できた。
できれば3本あって欲しかったのだが、まぁこればかりは自然が成せる業であり致し方あるまい。


短めのつららの先端をちょっと味見。
さて、おふざけもこのあたりまでとし、氷柱へ行こう。


氷柱はつららが発達し上下が繋がったものであるが、これだけ大きく発達した状態を見るのは何年ぶりだろうか・・・。
因みにこの氷柱があるポイントは通称「神殿」と呼ばれている。
おそらくは「パルテノン神殿」の石柱をイメージしての通称なのだろう。

ここへきたら必ずやること、と言うよりはやるべき事は、氷柱の裏側へ行きそこから氷瀑を見ることだ。
すぐにでも裏側へと思うが、焦ってはいけない。
足元や壁などすべてが氷で固められており、なかり危険なエリアとなっている。
アイゼンを装着しているとは言え、一歩ずつ安全を意識しながら歩かねばならない。


氷柱の裏エリア。
この辺りまで来てしまうとストックなどは殆ど役に立たず、ピッケルでなければ対応できない。


そして裏側から見た雲龍瀑。
見事に滝が凍っているのが見える。


氷柱を抜け振り返ってみる。
これもまた見事なり。

この神殿エリアは、実を言えば最も危険なエリアと言っても過言ではない。
今はまだ厳冬期ではあるが、2月も中旬となれば僅かながらにも気温は緩くなってくる。
その年によって差はあるが、2月後半となるとこのとてつもない氷柱がいつ崩落するかわからないのだ。
その崩落に巻き込まれでもしたらどのような結果となってしまうかは言わずもがなであろう。
それが証拠に・・・


これは崩落してきた氷柱のごく一部である。
画像では分かりにくいが、大きさは成人男子とほぼ同じくらいだった。
最も寒さの厳しいこの時期であるにも関わらず、崩れる時は崩れるという証だ。
これの直撃をくらったらどうなるか・・・である。


神殿をバックに一枚。
さて、ここから氷瀑へと進むのだがルートの状況は一変する。
今までの比較的緩やかな斜度とはおさらばし、いきなりの急登攀となる。
落ちればそれなりの結末となってしまうエリアだ。
楽しみは楽しみとしてとっておき、慎重に行かねばならない。

雲龍渓谷 「氷壁 友知らず」

2022年06月13日 22時34分50秒 | Weblog
氷壁「友知らず」の入り口付近から次第に足取りが遅くなってきた。
圧巻とまでは言えないまでも、やはりついつい見とれてしまう自然界の造形美に、立ち止まっては視線を上げてしまっていた。


見事ではあるが、過去のより大規模な氷壁を見ているだけに「まぁこんなものかな・・・」とも感じてしまう。


それでもせっかくなので一緒に記念写真を一枚。
氷壁は進行方向右手であり、ルートは川を挟んで左側となっているが、ここは偶然ルートが右へと曲がっているポイントだった。(ラッキー!)


少し進んだだけで違う表情を見せて(魅せて)くれる氷壁。
実に美しい。


今度は振り返っての一枚。
同じポイントでもまた違った氷壁に見えるから不思議だ。

シャッターを押す回数が増え、一向に先に進まなくなってしまっていた。
だが、一年の中で僅かに数週間しか見ることのできないこの美しさは記憶にも記録にも残しておきたいものだ。


友知らず核心部あたりだろうか。
見とれてしまい、川に落ちそうにもなってしまった。

対岸に渡れそうなピンポイントを見つけた。
これはチャンス、だが「ドボン!」とならないためにもピッケルでスタンスポイントを刺しながら渡った。


やっと氷壁に触れることができた。



もう10年ほど前になるだろうか。
雪の降りしきる荒天の日にここへ来たことがあった。
休日であるにも関わらず登山者は少なく、終始雪は降り続いていた。
友知らず辺りに来ると、視界が効く周辺はまるでモノトーンの世界だった。
水墨画で描けるのではないかと思えるほど暗く感じたのだが、この時の雲龍渓谷、雲龍瀑、そして友知らずが今までの中で最も美しかったと思える。


荒天の雲龍渓谷。
氷柱ポイントからから友知らずを振り返る。
無茶苦茶寒かったのを思い出した(笑)。

忘れられない眼差し そして感謝

2022年06月05日 21時10分14秒 | Weblog
毎年夏か秋に登っている剣岳。
初日はテン泊でも二日目はほぼ必ず利用している劔沢小屋。
その劔沢小屋の二代目のご主人であった佐伯友邦さんが亡くなられた。
享年79歳。
2014年の8月に大動脈瘤解離を発病し、それ以来シーズン中でも小屋には来られなくなった。
致し方のないことではあるが、あの優しい眼差しが忘れられない。

初めて友邦さんとお会いしたのはもう随分と昔のことになる。
それ以前から氏のことは知ってはいたが、小屋に泊まり実際に会い劔岳の話を聞かせていただいた時は、まるで劔の主(ぬし)と会っているかのような錯覚を覚えた。
それから毎年小屋を利用する時は、氏が小屋の外へ出て煙草を吸っている時がチャンスとばかりに自分も外へ出て何気なく話しかけた。
それは自分にとってここに来たら必ず行うルーティンの様なものであった。

バリエーションルートの事はもちろんだが、昔の山小屋のこと、過去の遭難事故や救助のこと、そして山岳警備隊(警察)の創設時に訓練を指導したことなど話は尽きなかった。
と言うよりは自分の方から聞きたいことが山ほど有り、時間はいくらあっても足りないと感じていた。
記憶に残っている話は幾つもあるが、最も印象的だったのは話の内容よりも、友邦さんの眼差しだった。
自分の目を見ながら語りかけてくれるのだが、ふと顔を横に向ける。
その視線は劔岳を見つめていた。
劔岳を見つめながら懐かしそうに目を細める。
山を知り尽くしている目だと直感した。
しかし、山岳事故の救助の話になると打って変わって厳しく、そして淋しげな目となる。
事故の悲惨さがどれほどのものなのかを知っているからに他ならない。
あの厳しくも淋しげな眼差しは、どんな名優でも決して演じることはできないだろう。
そしてまたあの優しい目に戻る。
僅かに10分足らずの時間だったが、自分にとってかけがえのない貴重なひとときだった。

友邦さんと最後にお会いしたのは2014年の7月だった。
今にして思えば、病気を患う直前だったことになる。
その年は長治郎谷左俣から直登し、裏から劔岳を目指すルートだった。
前日に三代目の新平さんからルートの情報を得てはいたが、出発する日の早朝に友邦さんから話しかけられ、直接幾つかのアドバイスを得ることができた。

小屋の朝食は早朝5時となっているが、自分の場合5時に小屋を出発しないといけないルートであり、4時に起き事前に作って頂いていた朝食の弁当を小屋の食堂で一人で食べ始めた。
すると友邦さんが食堂へやってきて自らお茶を入れてくれたり、お湯を注いで味噌汁を出してくれた。
小屋の人たちにとってはごく当たり前の事かも知れないが、あの友邦さんがたった一人ために出してくれたお茶と味噌汁は格別な味がした。
心から感謝だった。

小屋の玄関を出ていざ出発と言う時、「ゆっくりでいいんですよ。ゆっくりで。山頂についたら私の所に携帯で連絡してください。戻ったら話を聞かせてくださいね。」
深々と頭を下げ「では行ってきます」と言った。
最後まで登山者の安全を願ってやまない主の励ましに見送られての出発だった。



もう一度お会いしたかった。
会って感謝の言葉を伝えたかった。
山の話も聞きたかった。

友邦さん、本当に本当にありがとうございました。


2014年7月。
劔岳下山日の朝、友邦さんと劔沢小屋にて。