ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

南八ヶ岳縦走 「体力が心配」

2022年07月31日 21時43分25秒 | Weblog
自分にとって毎年5月までが雪山シーズンとなっているのだが、GWが明けた頃に穂高連峰に行けるか否かは仕事の都合もあり定かではない。
ならば天候が安定しはじめた3月に本格的雪山に登ってしまおう!
と思い決めていたのが南八ヶ岳の縦走だった。
単独での縦走をと考えていたのだが、まだ雪の八ヶ岳を経験していないN君が半ば「ぼくも~」ってな顔をしていたので一緒に登ることになった。
まぁ実際には自分から誘ったのだが・・・

3月7日、仕事を終え車で一路長野県茅野方面へと出発。
美濃戸口の駐車場に着いたのが深夜の2時頃だった。
足元を十分に暖かくし、毛布を被って車中泊。
3月とは言えここは標高約1500m、さすがに底冷えする感じがした。
夜が明けての出発は8時過ぎを予定している。
初日はテン場の赤岳鉱泉小屋までなので、慌てる必要はなく5時間は眠れる。
前泊が車中泊の場合、睡眠時間が2時間ほどしかない場合もあるだけに、5時間というのは極めて貴重でありありがたい。

7時に起床し、目覚めの缶珈琲を飲んだ。
胃袋に温かい珈琲が届いて行くのが伝わってくる。
それほど冷え切った朝だった。


美濃戸口の駐車場。
圧雪された部分は完璧なアイスバーン状態だ。
自販機に行くにも慎重に歩かなければならない。

軽く朝食を済ませ、8時30分美濃戸口を出発した。
事前に調べて情報は得ていたが、想定していた以上に積雪量は多かった。
(これはこれで嬉しい)
ここから美濃戸にある小屋周辺までは約一時間の行程だが、まだ体が出来上がっていないこともありゆっくりと歩いた。


美濃戸へと続くルート。
車道でもあり道幅は広い。
太陽も徐々に昇り眩しさを感じる。
今日明日の天候は良好なようで楽しみな限りだ。

美濃戸で小休止を取った。
ここからルートは「北沢ルート」と「南沢ルート」の二つに分かれる。
今回は赤岳鉱泉小屋へと向かうため北沢となる。


左へと進むのが北沢ルート。
斜度も少しずつ増し、樹林帯ルートとなってくる。

途中何人かの下山者とすれ違った。
その都度予定している縦走ルートの情報を仕入れてはいるのだが、殆どの人が赤岳のみか硫黄岳のみであり、最も知りたかった横岳から赤岳への縦走をした人はいなかった。
これはこれで仕方あるまい。

今回の縦走ルートは、鉱泉小屋を基点とし硫黄岳へと登攀する。
そこから横岳へと縦走し、更に三叉峰、石尊峰、鉾岳、日の岳、二十三夜峰を経由して赤岳を目指す。
今までに何度もトライしてはいるコースなのだが、硫黄岳から赤岳へと一気に縦走するのは久しぶりとなる。
過去の縦走の多くは初日は赤岳のみで、翌日に硫黄岳から横岳を縦走し「地蔵の頭」から下山するというもの。
それだけに懸念しているのは自分の体力と持久力だ。
自信がないわけではないが、もう歳も歳だしいい加減無理は利かないと思う。
幸いに明日はアタックザックのみでの縦走なので、今日よりは負荷は少ない。

美濃戸分岐点から約一時間で「堰」のポイントに着いた。
ここで軽く腹を満たし、アイゼンを装着した。
ここから先のラスト一時間はより積雪が増し、アイゼン無しでは厳しいルートとなる。
テントを背負ってとなると、尚のこと体重が増すわけだからズボッと埋まってしまうのは目に見えている。


アイゼン装着。
ピッケルはまだ不要。
テン場到着は昼頃を予定しているので、全く急ぐ必要はない。
到着したらのんびりとテントを設営し、のんびりと昼食を食べよう。

青春時代と呼べる唄 「路地裏の少年」

2022年07月23日 21時38分11秒 | Weblog
唐突に思い立った訳ではない。
かなり以前から「いつかはあの頃の思い出の数々を、記憶としてだけでなく文章として残しておきたい」と思っていた。
思い出とは、言葉であり、唄(歌)であり、物であり、形としては残っていない出来事でもある。
ある意味終活的な側面を持ったものになるのだろうか(笑)・・・
順不同で書いてみたいのだが、何から始めれば良いやら見当も付かない。
それ故に思いつくがままにと考えている。
山行記録をアップする合間に時々綴ってみたい。

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高校生の時、浜田省吾というフォークシンガーがデビューした。
デビュー当初はそれほど気にも留めてはいなかったが、大学に入り更に学生寮へと入ったことで多くの友と即出会うことになった。
自分と同様にフォークソングやロックが好きな同期が何人かいた。
その中の一人、「K」という同期と特に親しくなり、同じ趣味であったギターを一緒に奏でるようになった。
いや、「K」などと言うのはやめよう。
敢えて「誠」と書こう。

自分は甲斐バンドやアリスが好きで、誠は浜田省吾が好きだった。
互いに自分の好きな曲を教えあい、真夜中まで部屋の中にはギターの音色が響いていた。
そんな中、彼から教えてもらった浜田省吾の歌の中で一生忘れることのない一曲と出会った。
浜田のデビュー曲である「路地裏の少年」という歌だった。
もちろんその曲は知ってはいたが、ただ聞いたことがあるという程度で歌詞などは特に覚えてはいなかった。
テンポ良くリズミカルな曲であるはずなのに、どことなく悲しげなメロディー。
そして何よりも自分にとって衝撃的だったのは、その歌詞だった。

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真夜中の校舎の白い壁に  訣別(わかれ)の詩(うた)刻み込んだ
朝焼けのホームに あいつの顔 探したけど涙で見えず
「旅に出ます」書き置き机の上
ハーモニカ  ポケットに少しの小銭
ああ「さよなら」の意味さえも知らないで
ああ訳もなく砕けては 手のひらから落ちた
あれは 俺16
遠い空を憧れてた 路地裏で

アルバイト 電車で横浜まで帰る頃は午前0時
古ぼけたフォークギター窓にもたれ 覚えたての「風に吹かれて」
狭い部屋で仲間と夢描いた
いつかはこの国 目を覚すと・・・
ああ「裏切り」の意味さえも知らないで
ああ 訳もなく砕けては 手のひらから落ちた
あれは 俺18
肩窄めて待ち続けた 路地裏で

赤茶けた工場の高い壁に倒れかけた 帰り道
家を出て 初めて故郷(くに)の母に「元気です」と 書いた手紙
恋に落ちて 戸惑う熱の中で
いつしか二人で過ごす 夜毎に
ああ 「やさしさ」の意味さえも知らないで
ああ 訳もなく砕けては 手のひらから落ちた
あれは 俺21
細い肩を抱きしめてた 路地裏で

口づさめば 悲しい歌ばかり
届かぬ想いに 胸を痛めて
ああ 今日もまた呼ぶ声に応えては
ああ 訳もなく砕かれて 手のひらから落ちて
今は俺22
初めて知る行き止まりの 路地裏で

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デビュー当初の歌詞は2番まで(レコードの録音時間の関係)。
3番の歌詞をつけ、後にフルバージョンとして発売された。
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詳細は不明だが、おそらくは浜田自身の過ごした少年期から青年期への出来事、心情を綴った歌詞なのではないかと推測する。
16歳で旅立ち、夢と現実との大きなギャップに22歳で挫折し、路地裏に独り立ち尽くすまでを比喩的な表現もなく、決して飾らないストレートな言葉で書き綴っている。
喘ぎもがき苦しむ多感な年頃だった一つの時代。
社会のしがらみとはまだ殆ど無縁であったが故に、「良いものは良い、悪いものは悪い」と言えたあの頃の自分に、直球ど真ん中で胸に突き刺さった歌だった。
それはこの歳になった今でも同じ思いがあり、この曲を聴く度にあの頃を思い出す。

>家を出て 初めて故郷(くに)の母に「元気です」と 書いた手紙

この歌詞の部分を聞いた時、自分がしてきた母への悪態を恥じ泣いた。
何故もっと大切にしてあげられないのか・・・
そしてギターで弾く度に思い出す一人の友。
12年前に亡くなった誠だ。
この曲を教えてくれたあいつだ。
大学四年間を同じ寮で過ごしたあいつだ。
四畳半の狭い部屋の中、酒を呑み煙草をふかしながら二人で歌った「路地裏の少年」。
目を閉じずとも、誠の顔が、歌声があの頃のままに蘇ってくる。

猫魔ヶ岳へ 「下山・・・疲れた」

2022年07月07日 22時24分37秒 | Weblog
昼食を終えれば、後はのんびりと下山するだけ。
時間的には余裕もあり、右手後方にそびえ立つ磐梯山を時折眺めながら下った。


雲の合間からその勇姿を覗かせてくれた磐梯山。
冬の磐梯山もなかなかのもので久しぶりにやってみたくなった。

樹林帯の中を自由にコースを取りゴールドラインを目指す。
ゴールドラインは本来であれば車が行き来する車道であり、車窓から見る裏磐梯の景色は素晴らしい。
が、今は冬期のため閉鎖されている故に好き勝手に歩くことができる。
冬ならではの楽しみだろう。


ここまで下りてくればゴールドラインはすぐそこだ。
密かに期待している「あの景色」はみられるだろうか・・・。


正面の小高い山から下山してきた。
右手に見える小屋は閉鎖中のトイレ・・・だったかな。

そして進行方向には一直線に伸びている真っ白なラインが・・・


車が通った跡はもちろん無い。
人が歩いたトレースも無い。
見事なまでに真っさらな白い直線が延びていた。

「これが見たかったんだよ。」
O氏もYさんも頷きながら見とれていた。
一切のトレースがない白い一本道を歩くことができる嬉しさは、将に贅沢そのものだった。


意識的にゆっくりと歩いた。
降ってからそう日は経っていないであろう柔らかな雪は、まるで真綿を幾重にも重ね合わせたようで、ふわふわとした感触が足裏から伝わってきた。


自分のトレースだけが残る道。
冬の遊びの贅沢の一つだろう。

数㎞歩き、途中で左に折れ再び樹林帯の中を歩く。
そして程なくしてスキー場へと戻ってきた。


逆光になってしまったが、スキー場に到着。

距離や時間は大したことはないのだが、積雪の抵抗がある為その分筋力は使う。
まぁいきなりの急登攀には参ったが、今となってはそれも楽しい思い出となってくれた。
これでもし吹雪いていたらメンタルも相当辛いことになっていただろう。

日帰りのアイゼンとピッケルを使っての登山も数回できた。
スノーシューもやった。
残っているのは、冬期本格的縦走登山だけとなった。
計画はできている。
準備も進んでいる。
数年ぶりにトライするあのコース。
今年の八ヶ岳は雪が多いぞー!