ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

25年目のもう一つの山(本編):贅沢な縦走

2012年10月31日 22時40分49秒 | Weblog

みごとな朝焼けに寒さも忘れ見入っていた。
本当に美しい景色だ。

東から南方面に向けてのすべての山々がシルエットとなり、刻一刻と変わる色合いに目を奪われる。
今日目指す槍ヶ岳は一際屹立したシルエットとなり、時刻はまだ5時を過ぎたばかりだというのに、すでに気分はハイテンション。
いい感じのモチベーションでスタートが切れそうだ。


ただやっぱり寒い。
手は常にポケットに入れたまま。
小刻みに体は震えるのだが、朝食の時間ギリギリまで朝焼けを見ていた。


6時10分に南岳小屋をスタート。
休憩時間を除いて約3時間で槍ヶ岳山荘まで到着したい。

もう一度大キレットを振り返った。
25年間ずっと振り切れなかったトラウマのようなものともおさらばだ。
自己満足とはいえ、それを自分だけの力で振り切ったことが何よりも嬉しい。


3000メートルの縦走を、こんな贅沢な風景を愛おしみながら味わいたい。
それは槍に着くまでのわずか3時間ほどの短いひとときだが、ここまでくればもう高山病を懸念する必要も殆どなかろう。
そんな安堵感も手伝ってか、足取りは軽かった。
北アルプスに入って今日で三日目。
本来であれば疲労もあるはずなのだが、今は精神が肉体を上回っているような気がしてならない。


少しずつだが明らかに槍が近づいている。
こんな充実した縦走は今まであっただろうか。
天候には恐ろしいほどに恵まれ、体調も万全で、膝の痛みもない。
ザックの重さなどまったく気にならない。
まるで一年分の「運」を使い切ってしまうような思いだった。


ほどよく汗をかき始めた。
できることなら小さな雪渓の上で一休みしたい考えはあるのだが、時間のロスになることは明白。
当初の予定通り、ルート上での休憩で行こう。


遂に槍ヶ岳山荘が見えた。
急なアップダウンは無いとは言え、ここまで3000メートル級の山を4つ越えてきたことになる。
それだけでも嬉しいね♪

「大喰岳」のピークを下りかけている時に、3人組の方達とすれ違った。
その方達にシャッターをお願いしたのだが、よく見ると男性一人に女性二人。
なんと「両手に花」状態ではないか。
な~んて羨ましい!
こんなハーレムな登山なんて一度たりとも経験したことないなぁ(笑)。
一瞬「いったいどんな関係なんだろう?」と、余計な詮索をしてしまった。(失礼)
若い3人組だったが、言葉遣いが丁寧で、挨拶もマナーもしっかりとしていた。
会話をしていても実に清々しい気分だった。

さぁこのいい気分のまま、一気に槍まで行っちゃえー!

25年目のもう一つの山(本編):3000メートルの夜

2012年10月29日 21時14分39秒 | Weblog
ROOKIEさんにも電話を入れてみたが、残念ながらちょとしたすれ違いで話をすることはできなかった。

ROOKIEさんは、この数日後に自分とは逆のコースを縦走する予定にある。
しかも槍から西穂高までのロングトレイルだ。
そしてこの南岳小屋にも泊まる。

ごく短い手紙を書いてみた。
たいした内容ではないが、少しでも励みになればと思ったのだ。
その手紙を小屋のスタッフに託し、ROOKIEさんが来た時に渡してもらうことにした。


部屋はこんな感じ。
布団一枚分の自分のスペースが確保されているだけでありがたい。

荷物の整理も終わり、再び外へと出てみた。
北方面には明日目指す槍ヶ岳、南方面には今日縦走してきた北穂の勇姿が見えた。

大キレットにガスかかる。
北穂の小屋の灯りが見えた。
ここから見る限りではそれほどの距離には思えないのだが、やっと落ち着いて振りかえることができた。
「25年前の記憶なんていい加減なものだなぁ・・・。」
リベンジの半分を達成したというのに、充実感や満足感よりも記憶の曖昧さに笑ってしまう自分だった。
そして改めて人間のちっぽけさを思い知らされた。
「たったこれだけの距離なのになぁ・・・。」

日が落ち始め、次第に肌寒さを感じてきた。
3000メートルの標高で夜を迎えるのも25年ぶりなのだ。

小屋へ戻ると、受付をした時には気付かなかったプレートが目に入った。
「そっか、ここもそうだったっけ(笑)。」

「モンベルフレンドショップ」。
モンベルクラブのメンバーであればちょっとしたサービスが受けられるのだ。

会員証を見せると、オリジナルの絵葉書を頂いた。
ささやかなものではあるが、南岳小屋限定品となればそれなりに嬉しいもので、思い出にもなる。

夕食は17時30分から。
何だかんだと言っても、日中は行動食とおやつ程度しか食べていないだけに待ちきれない思いだった。


ここの食堂はテーブルと椅子ではなく、畳の上に座って食べる形式となっていた。
「へぇー、こんな感じもいいもんだな。」
当然ごはんと味噌汁はおかわり自由であり、ここでも4杯食べた。
同じテーブルの方達はせいぜい3杯まで。
自分が食べ過ぎているのだろうか・・・(笑)
「いやぁ、その細い体ですごいですねぇ。」
と言われたが、腹が減るんだからしかたない(笑)。

食事が済めばあとは寝るだけなのだが、
談話室で今日の出来事を箇条書きにまとめてみた。
このことは毎回行っていることで、後日ブログに書く時にはかなり役立っている。

あの時何を思い、どう考えていたのか。
そして何故そう考えるに至ったのか。
あの時自分がとった行動は正しかったのか・・・判断に誤りはなかったのか。
何を食べたのか。
どんな人とすれ違い、どんな会話をしたのか。

等々、些細なこと、くだらないことであっても一つ一つがかけがえのない思い出となってくれる。
そして山での人との出会いは、自分にとって次の山行への橋渡し的なものでもあるのだ。

夜は20時過ぎには眠りに入った。
一応耳栓とアイマスクを活用した。

ふと目が覚めた。
まだ窓の外は真っ暗闇だ。
腕時計を見ると12時の少し手前。
4時間ほどしか眠ってはいなかった。
「たった4時間かぁ・・・。」
という思いよりも、別の嬉しさ、安心感があった。
まだ高山病の症状が出ていないことだった。
このことは本当に嬉しかった。
「よしっ、大丈夫だ!」

その後も目は閉じていたが、結局は朝の4時30分まで眠ることはなかった。

布団から出るとそれなりに寒さを感じた。
予め準備していたダウンジャケットを着て小屋の外に出てみることにした。
朝食の前に日の出を見ようと前日から考えていたのだ。
天気予報では今日も快晴。
であれば、この歳になって初めて見る3000メートルからの日の出となる。

25年目のもう一つの山(本編):喉は渇くし腹は減る・・・

2012年10月26日 23時16分45秒 | Weblog

難所は越えたが、ここからは尾根の縦走と壁の登攀が待っている。

「あの壁の手前まで行って休もう・・・」
そう決めて歩き出した。
途中ルートを見失いかけたが、何とか元のルートに戻ることができた。

15時までには南岳小屋には到着したかった。
一般のルートタイムで言えば十分に間に合うのだが、体の踏ん張りが効かないような感じになっていた。
おそらくは「シャリバテ」気味なんだろう。
何でもいいから口に入れた方がいいことはわかっていたが、とにかく「あそこ」まで・・・。


いやぁーみごとな壁だね!
ここを登り切れば小屋はすぐだ。

北穂高をスタートし、初めての本格的な休憩をとった。
ドライフルーツ(バナナ)、ソイジョイ、塩飴、チョコレート、そしてBCAAと水分だ。
はっきり言ってまったく物足りなかった。
お湯を沸かせば非常食用のカップ麺が食べられるのだが、まだそこまでの非常時ではない。
それよりも気になったのが残りの水の量だった。
北穂の小屋で水分(スポーツドリンク)を補充した時は約2リットル。
そして「水」は500ccほど。
今、ハイドレーション内のスポーツドリンクはほぼ空状態だから水分そのものの残量はペットボトル一本分のみだ。
「ちょっと飲み過ぎたかなぁ・・・。」

高山病予防として途中途中の水分補給はかなりこまめに摂ってきたが、気にし過ぎたようだ。

岩肌にもたれながら煙草を吸い上を見上げる。
壁を登り切らなければ終わらないと分かっていながら、大キレットを越えることができたという安心感と達成感のようなものからか、緊張の糸が切れかけていた。
いつのまにかうなだれるようにしてその場で眠ってしまった。

ふと目が覚め、ボーッとしながら腕時計を見る。
「やっばいな!30分も寝ちまったか・・・」
これには焦った。
15時までには小屋入りしたいと計画していただけに、間に合うかどうか・・・。
かといってこの壁だし、あわてることだけは禁物だ。


幸い「鉄梯子」も備えられており、これなら間に合いそうだった。

それでもどうしても体に力が入らない。
エネルギー不足なのだろうか・・・。
喉も渇いているが、この500ccだけは最後の最後まで飲まずに残しておかなければならないと決めていた。
そう、本当に非常時となった時のみに許される水だからだ。


この高度感がたまらない!
そりゃぁ落ちたら即死だとわかってはいるが、北アルプスはこうでなきゃね!

「もうすぐもうすぐ、ここからここから、がんばがんば、一歩一歩」
「岳」の台詞を呟きながら三点確保で登攀した。
この壁が最後だ。小屋に着いたら水を飲んで何か食べよう。


14時30分、南岳小屋に到着。
ここまで8時間50分。
寝てしまったことが大きいかな(笑)。

25年前にはこの山小屋はなく、小さな避難小屋があった。
傷の痛みと高山病でフラフラ状態だったが、その避難小屋には入らず、槍ヶ岳山荘まで意地でたどり着いた。
そう考えると山小屋という存在は本当にありがたいものだ。


受付を済ませ、荷物を置き着替えた。
先ずは水分とカロリー摂取。
ペットボトルのお茶、ポテトチップ、そしてハチミツドーナツを買い食べた。
不思議と元気を取り戻せたような気がする。
行動食というものは、基本あまり荷物にならない大きさのもの。
つまりは量としては少ないものを携行する。
少ない量でできるだけ多くのカロリーを摂取するのだが、やはり「量」も大切だ。あの時食べたポテトチップとハチミツドーナツ、本当に美味かったなぁ・・・。

携帯電話が通じるかもしれないというピンポイントを教えていただき、小屋の裏にある小高い丘に登った。
「おっ!アンテナが全部立っている。これなら・・・。」
モンベルおやまゆうえん店へ電話を入れ、大キレット無事通過の報告をした。
そして自宅にも連絡し、今のところほぼ予定通りにきていること。怪我はしていないこと。高山病も大丈夫であることを伝えた。
女房の「大丈夫なの?」と繰り返し聞いてきた声が嬉しかった。

今日は休憩を抜かせば約7時間の登攀と縦走だった。
けっこうきつかったのだが、実に充実した一日だった。
急登攀から始まり、崖を登って下りてトラバースしてのバリエーション豊かなルートだった。
明日は「登る」と言えば「槍ヶ岳」程度だ。
それも楽しみだが、槍に着くまでの3000メートルの世界を縦走できることが嬉しい。
そのためにも飯は目一杯食べてやるぞー!!!

25年目のもう一つの山(本編):「ちょっと待って!」

2012年10月25日 20時22分24秒 | Weblog
落石事故に遭った現場を思い出せないでいることに対して、自分自身への苛立ちのようなものを感じ始めていた。
「スッキリしたい」という、ただそれだけのことなのだが、その場所が明確になったところでどうだっていうんだ。
今はここを安全確実に通過することだけに集中しなければならない時。
おそらくはすでに通り過ぎてしまっているだろう。


あの時、周囲の状況は殆ど見えなかったが、このくさり場のトラバースは覚えている。
写真にも残しておいたポイントだ。
「そっか、周りはこんな感じだったんだ・・・」
大キレットを記憶にも残したかった訳で、手もと足もとに視点を集中しながらも可能な限り周囲の状況、景色を目に焼き付けながら縦走し続けた。


いよいよ「長谷川ピーク」が現れた。
通過距離としてはたいしたことはないのだが、最も慎重さを必要とするポイントだろう。
まるでゴジラや魚の背びれみたいだった。
よく見ると、その先には南岳への岩壁が見えた。
「まだまだ先だな・・・。少し腹も減ってきたけど、落ち着いたら何か食べるか。」
そう思い先を急いだ。


垂直の登りだ。
三点支持さえしっかりとしていれば問題はないだろう。
と思いつつも、ザックの重さはそれなりにあるのだから、重心を常に体の前方気味にさせておかねばなるまい。


目の前には固い岩肌が。
そして見上げれば青空が。
劔の時は真っ白なガスの中だったが、空が見えるってやっぱりいいよなぁ・・・。


今度はトラバース。
足の置き場が登山靴の幅よりも狭い。
それなりに高度感を感じながらも怖さは無かった。
「落ちるかも・・・。落ちたらやばい。」と考えるよりも、今俺がこの場所にいることの現実。やっとここへ来たということ。
そしてトラウマを振り払うことだけを考えていた。
そしてそして、やっぱりこんな場所って 『嬉しい!!!』
ふと、来年は「馬の背、ジャンダルム」かな・・・と考えた(笑)。

だが、落ちたらあの岩にぶつかって、体は原型をとどめてはいないだろうなぁ。
いかんいかん。集中しよう!


遂に長谷川ピークに到着。
大人二人がお互いに向かい合い、抱き合って何とか立っていられるだけのスペースだ。
よくもまぁこんなポイントをルートにしたもんだと思ったが、遠回りの安全なルートにしなかったのではなく、やはりここしかなかったんだろう。
最初に開拓をした方達の努力に感謝だ。

さて、ここで三脚を用いて自動シャッターを切った。
構図を決めてシャッターを押したのはいいが、ほんの2メートルほどしか離れていないのに、そこまで戻るのが一苦労だった。
小走りは無理。
体のバランスを重視し、「おっとっと・・・」的な感じで斜めの岩を小幅で歩く。
「待て! ちょっと待って!」と、カメラ相手に声を出しながらハイポーズ♪


まだ大キレットを通過し終えた訳ではないが、最大の難所はクリアした。
少し安心したためか空腹感を感じる。
もう少し行ったら休憩することにした。


ちょっとミーハー的に・・・(燕ダイジェスト②)

2012年10月24日 23時49分34秒 | Weblog
燕岳は4~5時間登れば北アルプスを十分堪能できるということで、北アルプスの初心者向けコースとして有名らしい。
そのため、山頂の「燕山荘(えんざんそう)」は超人気の山小屋だ。
夏の小屋泊であれば、ザックは30リットルもあればOKだし、巻きスカート姿の山ガールがわんさかと押し寄せてくる。

今回も礼儀知らず、マナーそっちのけの山ガールと何度もすれ違ったし、小屋の付近はカラフルな衣装をまとった乙女達で溢れかえっていた。
(敢えて「衣装」と書いた)

それはもう賑やかな山頂だった。
キャッキャキャッキャという声があちこちで聞こえ、「ここはいったい何処なんだ?」とさえ思えてきた。
「なるほど、ミーハーな山とはこのことか・・・」
まぁ、あっちはあっち、こっちはこっちでよしとしよう(はぁ~疲れる・・・)

翌朝は5時に目が覚めた。
だが、もうちょっと眠りたい・・・。
テントの中でまどろんでいると、お隣さんの声が聞こえてきた。
「さぁて、俺も起きるか・・・」

テントの前室を開け、冷たくも最高に美味い空気で思い切り深呼吸した。
鼻腔が痛くなるほどの冷たさだった。
「おはようございます。昨日はありがとうございました。」
お隣さんから挨拶をいただいた。

実はこの方達、煙草を買い忘れてきてしまったようで、自分に「煙草があったら売ってくれませんか?」と聞いてきた。
2箱持ってきているので1箱売ってもよかったのだが、お隣さんのテントがモンベルだったということだけで嬉しくて「いえいえ、これどうぞ」と言って10本ほど差し上げた経緯がある。

まずはお湯を沸かし甘い珈琲を飲んだ。
カロリーを摂るために甘くしたのだが、冷えた体にはこの甘さも嬉しいね♪

写真ではわからないが、朝日のほぼ真下には「富士山」が見えていた。
山に、晴天に、そして大自然に「おはようございます!」だ。

珈琲を飲み終えテントに戻ると、お隣さん達が朝食の準備をしていた。
合間に山のことやお互いのことなどで会話が弾んだ。

一人は5年間もアメリカに滞在し、山岳地帯で生活をし「トレイルランニング」に夢中になっていたそうだ。
また、もう一人の方はこれから北海道に移住し、山と海のアウトドアを楽しむ計画をしているという。
それぞれの人生、色々あるんだなぁと思った。
もちろん自分のことも話したがビックリされた。
(そうだろうなぁ・・・)

一期一会の出会いかも知れないが、人には人の人生があり、いろんな生き方があるんだとしみじみと思った。
そしてそれは決して小さな人生ではないことを痛感した。
何故か最後には「感動する話を聞けてありがとうございました。」
などと言われてしまった。(照れる)

朝食はFDのピラフとしじみの味噌汁。
ごく簡単に済ませ、さっそく燕の山頂へと向かった。
アタックザックの中身はカメラと三脚。そしてバーナー、マイカップ、ドリップ珈琲。
でもって忘れてならない地図とコンパス。

途中から振りかえれば、雲海の彼方に富士山がはっきりと見えた。
まるで水墨画の様な大自然の景色に感動!

そして穂高連峰と槍、笠ヶ岳の岩肌までもがくっきりと見ることができた。
山を見るならやっぱり朝だね!


やっぱりいました「雷鳥」さんです!
今年は三度の北アルプスで三度とも会えた。

「イルカ岩」を過ぎ、PEAKへと・・・。
すぐに山岳地図を広げ、コンパスを磁北線に合わせた。
「どこだどこだ。え~っと・・・。」
方角を確認して真っ先に見つけたかったのは「劔岳」だった。


「あれだ!間違いない。」
僅かに小さな雪渓を確認し、その左手(西)に見えるのが劔岳だ。
そりゃぁ嬉しかったなんてものじゃない。
寒さも忘れ、ただただずっと劔岳だけを見ていた。
「来てよかった・・・。本当に来てよかった。」
声にこそ出さなかったが、心底そう思えた瞬間だった。

夏に登った槍の頂からは、悔しいかな劔岳だけが雲に隠れて見えなかった。
他人から見ればバカらしいことなのだろうけれども、自分にとってはどれだけこの時を望んでいたことか。

さて、ここで珈琲タイムだ。
風よけのために岩陰でお湯を沸かし、ドリップ珈琲をいれた。
準備はOK。


燕に、劔に、北アルプスに、山に感謝し、乾杯!

たったこれだけのことをするために重いザックを背負い、汗を流して山頂へ・・・。
まぁいいじゃないか(笑)

珈琲を飲み終え、思い切り両手を広げてみた。
右手の先には鹿島槍と白馬が。
左手の先には槍と穂高連峰が。
たまらないね!
夏の北アルプス縦走では、一年分の「運」を使い切ってしまったと思うほど晴天に恵まれたが、まだ少し運が残っていたようだ(笑)。

テント場へと戻った時には既に9時を過ぎてしまっていた。
山頂には一時間半もいたことになる。
荷物をまとめ、テントの撤収開始。
もう少しこの場にいたいのが本音だが、今度は是非仲間と一緒に来たい。


山荘のスタッフの方に御礼を言い、下山開始。
ザックの重さも昨日と比べれば少しは軽くなっている。
だが、その軽さは実質的な重量としての軽さだけではない。
これも天候に恵まれた故のことと思う。


下山後にどうしても寄ってみたかった所があった。
事前にアクセスを調べていて、気になっていた名前の駅だった。
「穂高駅」
いい駅名だ!

今回のソロテント泊では、これからの雪山に向けかなり有効なデータを得ることができた。
それは防寒対策が主だが、「たったこれだけの寒さでここまでしなければならないのだから、真冬はどうすればいいのか。」ということ。
書籍だけでは決して得られない、経験と失敗があるからこそ得られた「生きたデータ」だと言える。


ちょっとミーハー的に・・・(燕ダイジェスト①)

2012年10月23日 21時59分36秒 | Weblog
職場仲間が体調不良となり、ソロで「燕岳」へ登ってきた。
一緒に登れなかったのは残念だが、病だけに致し方ない。

今回はテント泊のため、ザックは60リットルの大型。
シュラフも冬季用の「♯0」を持参。
水は山荘で購入できるものの、ザックの重さはそれなりとなった。


10月20日(土)。
21時までの勤務が終了し、22時頃出発した。
登山口の「中房温泉」に到着したのが午前2時頃だった。
車中泊をし、目覚めたのが6時40分。
「おっと、寝過ごした!」
あわてて朝食を腹に詰め込み、軽くストレッチをして7時40分スタート。

正直言ってスタート時はかなりモチベーションが低かった。
目標はあくまでも燕岳。
そして山頂でドリップ珈琲を飲むことなのだが、登れども登れども樹林帯の中。
お手頃な北アルプスと聞いてはいたが、どうにもテンションが上がってくれない。
それでも、途中で知り合った若いご夫婦と仲良くなり、各休憩ポイントで会話が弾んだ。


「合戦小屋」には11時に到着。
ここまで休憩を含めて3時間20分ほど。
この重さのザックでほぼルートタイム通りだからまずまずだろうか。

先に到着していたご夫婦から「一緒に撮りませんか?」と誘われ、ハイポーズ!
おかげで元気をいただいた。感謝感謝!

ここからまた樹林帯か・・・と思いきや、20分ほど登ったところで急に前方の視界が開けた。

「あっ、あれって・・・槍だ! 槍じゃないか!」
今まで低迷していたテンションが一気にヒートアップ。
まったくもっていい加減なものだ(笑)。

登れば登るほどに槍の全容が見えてくる。
「東鎌尾根」までも目視できるようになってきた。
途中ですれ違った人が「山頂からはもっと凄い景色が見られますよ。頑張ってくださいね。」と励まされ、更に足取りは軽くなった。


合戦小屋で30分も休憩してしまったが、燕山荘には12時40分に到着。
すぐにテント泊の受付をしようとしたのだが、ここから見える絶景にしばし言葉を失った。
大天井、槍、穂高連峰の表銀座はもちろん、水晶、鷲羽の裏銀座、燕の東手には後立山連峰まで、180°北アルプスの峰々、稜線群を見渡すことができた。
そしておそらくは燕の陰になっているだけで、間違いなく「劔岳」も見えているはずだ。

何故なんだろう、自然と涙が出てしまった。
俺ってこんなに涙腺が脆かっただろうか・・・。
目の前に広がる山脈に感動しただけではない。
他に理由があるはずなのだが、その訳が自分でもわからなかった。
ただごく自然と涙が流れてしまった。
まったくもって恥ずかしい限りだ。


受付を済ませ、まずは昼食をと予定していたのだが、食事をするのも惜しいほどの絶景だった。
ベンチでお湯を沸かし珈琲を飲んで終わり。
それで十分過ぎるほど満足してしまった。


今日のテント場はガラガラ状態。
「お好きな場所に張ってください。」と言われていたので、できるだけ風を防いでくれて、できるだけ水平な場所を選んだ。
結果として「燕岳」を一望できる場所となった。
写真に写っている左手が自分のテントで、右手は二人組の方のテント。
その二人組の方は、「大天井岳」に行っており留守だったが、煙草がきっかけでいろいろと話をすることができた。



夕食まであと数時間の予定だったが3時のおやつ代わりにカップ麺を食べた。
本来は夜食用にと思い持参してきたものなのだが、午後の3時ともなればいい加減空腹に勝てなかった。
「美味い!」
山頂で食べるラーメンて、どうしてこうも美味いんだろう♪
何度食べても食べ飽きることがない(笑)。

夕方の17時頃には、西に日が沈み始めた。
方角としては水晶や三俣蓮華などの雲ノ平方面だろう。
オレンジ色に染まった空と、次第にシルエットになって行く裏銀座の山脈は美しかった。

しかし、いつまでも感動ばかりしてはいられない。
日が落ちたとたんに急激に気温が下がり始めたのだ。
分かっていたこととは言え、手がかじかむほどの寒さとなった。

急ぎテントに戻り夕食を作り始めた。
今夜のメニューは「洋風中華ごった煮」。

自分でも料理名の意味がよく分からないのだが、材料は以下の通り。
*人参
*じゃがいも
*ウィンナーソーセージ
*水餃子
*中華スープ(お湯を注ぐだけのやつ)
*固形コンソメ

いたって簡単なのだが、かじかむ手でナイフを用い具材を切る時だけは慎重だ。
こんなところで指を切るなど、余計な怪我だけは避けたい。

FDのごはんもちょうどいい頃。
調理時間は25分ほどで終了。
外で食べてもよかったのだが、風が強くなってきておりテント内でディナーとした。

単に中華味だけでもいいのだが、コンソメを入れることで味に「コク」が出た。
まぁ、それだけのことで「洋風」と呼んだだけなのだが(笑)。
具材もたくさん入れたので「おかず兼スープ」と言ったところだろうか。
体が芯から温まってきた。
ちょっと量を多めに作ってしまったこともあり、とにかく腹が一杯。

後片付けも終わる頃には、外はすっかり暗闇。
テントから顔を出し、空を見上げれば満天の星空。


山荘に行き酒を買ってきたが、眼下には「安曇野市」の夜景が広がっていた。

とにかく寒い。
風もあるし、19時の段階でおそらくは既に氷点下となっているだろう。


テントの中は比較的暖かかった。
もちろんそれなりに防寒対策をしてきている。
シュラフは初登場の「モンベルULSSダウンハガー♯0」、シュラフカバー、フリース、ダウンジャケット、アルパイン用ソックス、ネックウォーマー、イヤーウォーマー、手袋3種、そして貼るタイプのカイロ。
これに酒が入れば体内からも暖まることができようってもの。
シュラフに入り缶酎ハイを一本・・・二本・・・で終わり。

時刻は20時を過ぎている。
そろそろ寝ようかと思ったのだが、どうにも足先だけが寒かった。
シュラフ内にカイロを貼り、これでホッカホッカだよ♪

フライシートはかなりピンと張ったつもりだったが、2700メートルでの強い夜風にばたついている音がする。
それもいつしか心地よい音となり眠りについた。




25年目のもう一つの山(本編):ビビリ屋

2012年10月17日 22時53分07秒 | Weblog
北穂の小屋で買う物を買い、身支度を整えいざ大キレットへ下りようとした時だ。
生まれて初めて見る大キレットの全容に息を呑んだ。
「これが大キレットかぁ・・・。すげぇぞ! 今日の目的地はすぐそこに見えるんだけどなぁ・・・」


あの時は完全にガスっており、至近距離の岩肌しか見えなかった。
大キレットの全体像を見たのはこの時が初めてとなる。

ヘルメットは大袈裟だと思ってはいたのだが、やはりどうしても落石事故の影がつきまとっていた。
確率的には相当低い事故であっても、その低い確率が当たってしまったわけであり、「まさか今度も・・・」とまでは考えなかったものの、備えることが自分にとって唯一の「武器」だった。

何度も事前の計画準備をし、「絶対にリベンジしてやる」と闘志(の様なもの)を燃やしながらも、大キレット通過への不安は果てしなく大きかった。
そう、去年の劔岳を登る事前もそうだった。
とにかく不安でならない。
行きたいくせにビビってばかりだった。
だからこそガイドブックやネットを活用してルート状況は詳しく調べておいたのだ。

今回も書籍や画像による下調べは念入りにしておいた。
そして、調べればそれだけ不安は大きくなった。
だが、不思議なもので、劔岳へはもう一度登りたくて仕方がない。
一度登ってしまったことによる安心と自信のようなものがあるからに他ならない。
たった一度きりだが、単独での登攀は複数での登攀よりルートの状況が記憶に残る。
他の者への気遣いや助言など一切する必要が無く、すべて自分一人のために注意を払えば良いからだろう。


大キレットへのスタートは崖を下りることから始まる。
だが、それまで抱いていた不安は穏やかな波となっていた。
「あれっ、このルート状況って劔岳の時に似ている。いや、劔の時の方がもっとやばかったかも・・・。」

劔岳の時と違うのはザックの大きさと重量だ。
一年前はアタックザックのみでの登攀だったが、今回はすべての登山用具を詰め込んでの登攀縦走となっている。
バランスを崩せば滑落の危険性、可能性は明らかに今回の方が大きい。
それでも一年前の経験は生きていた。
「慣れ」とまでは言わないが、三点支持さえ確実に行えばスムーズな行動だ。


少し下ったところで小屋を振り返ってみた。
大キレット越えへの緊張感が無くなったわけではないが、「あ~あ、スタートしちゃったな・・・。今さら戻れないよなぁ。」
と、弱気な思いがよぎった。


彼方に槍が見える。
「なんて美しいんだろう。」
まったくもって柄にもない言葉が出てきた。
少しは気持ちにゆとりが出てきたかな(笑)。
やはり劔の経験は大きいとあらためて思った。

しばらくは崖を下るコースとなった。
もちろん険しいコースであることには違いない。
しかし、一歩でも踏み外せば間違いなく即死のルートだらけであるにも関わらず、一人であることが逆に冷静さを保ってくれていたような気がする。

たまにすれ違う登山者にも気軽に声を掛け、ルートの様子を聞いたり、行動食を交換し合ったり、また、互いに写真を撮り合ったりもした。
そんなささやかな出会いも、落ち着きを維持させていたのかも知れない。


グローブは指先が出ている「フィンガーレスグローブ」を使用。
そして第二関節から指先までは去年と同じようにテーピングテープを巻いてある。
これはバレーボールの経験を応用した。
素手で岩をつかみ三点支持をしてもよかったのだが、手指の怪我を考慮し自分で考えた予防方法だ。
できるだけ素手に近い感覚を保ちながらも、少々の怪我であれば防げるというメリットがあるからだ。


ふと振りかえれば滝谷が見える。
まるで、むき出しになった「岩稜の牙」の様に見えた。
そして下りている時にはほとんど手もと足もとしか見ていなかっただけに、自分が下りてきたルートの険しさに驚いた。

この時あることを思い出そうとしていた。
「俺はいったいどのあたりで落石事故に遭ったんだろう・・・。まったく思い出せない。」
長谷川ピークよりも手前であることだけは覚えているのだが、それ以外のことは殆ど記憶にない。
濃いガス、雨と風、寒さと震え、高山病による頭痛と吐き気、体のふらつき、そして怪我による痛み。

ろくなことしか思い出せないなぁ(笑)。



25年目のもう一つの山(本編):懐かしねぇ・・・(笑)

2012年10月15日 19時17分13秒 | Weblog

15分ごとのプチ休憩では、北穂高のPEAKを見上げるのではなく、後ろを振り返りながら酸素缶吸入をした。
みごとなまでの快晴、雲海、そして彼方に見える富士山。
日本の屋根を南に向かって一直線に見渡すことができる。
ワクワクするような気持ちなのだが、標高を上げる度に高山病への不安も高まってきている。
できるだけ気にするまいと心掛けてはいるのだが、どうしてもあのトラウマから逃れられないでいる。
やはり自分で吹っ切るしかない。だからこそ俺はここまで来たんだ。
25年目の「トラウマ」と言う名の山を越えるために今ここにいるのだ。


北穂の小屋が見えてきた。
もうすぐだ・・・そしてそこからが本当のチャレンジとなる。
はやる心を押さえながら頂へと向かう。
あせるな、深呼吸深呼吸と・・・。


見覚えのある標識だ。
あの時は確かどちらかの矢印が取れかけていた標識だった。
当たり前だが、すっかり新しい物へとなっていた。
あと200メートル・・・。
テント場を越え、遂に北穂高岳に登頂した。
正真正銘の3000メートル越えだ。


小さな声で「やったぜ!」とつぶやいた。
まだプロローグに過ぎないと分かっていても、25年ぶりの正真正銘の3000メートル越えは嬉しい。

懐かしい写真を載せてみた。

25年前に同じ場所で撮った写真だ(笑)。
まさかこの翌日に高山病になってしまっているとは予測できなかった。
それにしてもあまりにも若い!
こうして比べてみると、懐かしくも恥ずかしい写真だ(笑)。

この時は、まさか25年を過ぎてもまだ山に登っているとは思いもよらなかった。若い時だけの趣味に終わっているだろうと思っていた。


「滝谷」が見下ろせた。
ここもよく覚えている。

この写真は初めて北穂に登頂した時のものだから、26年前の写真だ。
恐ろしく若い自分に笑いが止まらない(大笑!)


小屋の前で休憩と行動食を食べた。
また荷物の軽量化を図るために、水は区間毎に必要な量だけとしていたので、ここで水を購入。
更に北穂小屋オリジナルのTシャツも購入。
まったくミーハーだなと思いつつも、北穂のTシャツだけは事前の計画に入れてあった(笑)。
昔からデザインが好きで、来る度に購入している。


まだ遙か遠くに見える槍の先だが、しばし見とれてしまった。
「あれが槍か・・。」
今回の最終的な目標であるが、その間に控えている難所が自分のすぐ足もとに見えている。

いよいよ大キレットへの挑戦だ。
ここを越えなければ来た意味がない。
できるだけ一気に越えたいと考えているが、今回は記憶にも記録にも残しておきたい。

俺にとっての本当のリベンジが始まる。

山は逃げないけど・・・

2012年10月15日 04時23分27秒 | Weblog
三度目の尾瀬方面を計画し、仕事が終わった21時40分に車で出発。
途中食事をし、深夜12時30頃に戸倉駐車場に到着。
このとき、なんとなく体のだるさ(風邪気味っぽさ)を感じてはいた。

「酒飲んで寝りゃ大丈夫だろう」と思い、缶ビールと缶酎ハイをのんでシュラフにくるまり車中泊をした。
早朝の5時に目覚ましをかけておいたのだが、目が覚めたのは6時を少しまわった時だった。
「あっ、やばい。起きなきゃ!」と上体を起こしたが、強烈な頭痛。
はじめは唯の二日酔いか・・・とも思ったが、いくら酒に弱い自分でもたかが2本程度ではありえない。
何となく嫌な予感を覚えつつも身支度を済ませ、朝食を食べた。
だが、食欲がない。
食べたくない・・・。
「今日はダメかな・・・」と思いながらも、無理矢理おにぎりを腹に詰め込んだ。

バスに乗り「鳩待峠」まで行った。
体調がおかしいことに気付いてはいたが、今日は軽いトレッキングだから大丈夫だろうと、それほど気には留めなかった。

7時30分に歩き始めた。
そして歩き始めてまもなくのとき、嘔吐した。
腰を下ろし、救急薬品バックの中にあった体温計で熱を測ってみる。
38.5℃。
「やばいかなぁ・・・」
しばし考え決断した。
「今日は諦めよう。帰ろう。」

駐車場へと戻り、車の中でもう一度シュラフにくるまり眠った。
目覚めたのは昼の12時頃。
解熱剤を飲んで寝たこともあり、熱は37.4℃まで下がってくれていた。
これから3時間かけて家に帰ることは少しきつかったが、このままここにいても仕方がない。

帰宅時間が予定より早くなった分、休日診療の医院に行くことができた。
やはり風邪だった。
点滴を打ちベッドで横になっていると、看護師さんから「早めに下山を決めて正解でしたよ。風邪とはいえ、自力で下山できなくなったら大変なことになってましたね。」と言われた。
その通りだ。
たかが風邪かもしれないが、無理をして登り、もし自力で戻ることができなくなっていたらどれだけの人に迷惑を掛けてしまっていたか・・・。

天候が悪くて諦めたことはあった。
高山病や怪我をしながらも登山を続けたこともあった。
が、それは若さ溢れた時のこと。
体調不良で諦めたのは、おそらく今回が初めてだろう。

自宅に帰った時、「くっそうー! あぁ悔しい・・・」と何度も言ったが、女房からのたった一言に自分のわがままさを思い知らされた。
「無事帰ってきたんだから。みんな安心してるんだから。」

その後もずっと眠り続けた。
現在午前5時、次の登山計画を練り始めている(笑)。

25年目のもう一つの山(本編):ここからが登山

2012年10月13日 01時34分31秒 | Weblog

テラスで一服しながら夕食を待った。
さすがに6時間も歩いて登っての連続では腹が減る。
おでんは美味かったのだが、胃を刺激しただけでかえって空腹感を増長させてしまったようだ(笑)。


今夜のメニューはこれ。
メインディッシュはハンバーグ。うれしいね♪
もちろんごはんと味噌汁はおかわり自由なのだが、さすがに3杯目ともなるとおかずが淋しくなってきた。
味噌汁だけで食べることもできたのだが、テーブルに自由に食べられる「漬け物」などがあればいいなと思った。
確か「尾瀬小屋」に泊まった時は、漬け物が置いてあり、それだけでごはん一杯は食べられた。
あれは嬉しかったなぁ♪
あの時もおかわり4杯で本当に満足だった。

まぁ今さらあーだこーだと言っても始まらない。
結局ご飯は4杯食べたのだが、4杯目はもうおかずは無くなっており、おかず無しでの白米のみとなった。(だって腹減っていたのだからしょ~がない)。

話は逸れるが、成人が一日に消費するカロリーは、平均して2000~2500カロリーとされている。
登山の場合の平均消費カロリーが5000~6000カロリー。
つまりこれが何を意味するかというと、登山の場合は通常よりも2~3倍の量を食べなければ消費したカロリーを取り戻せないってこと。
そう考えれば、山小屋の食事がおかわり自由なら、それなりのおかずの量もあってしかるべきではないだろうか。
いや、それとも自分が食べ過ぎているだけかな・・・(笑)。
いずれにせよ、「痩せたければ山に行け」と昔から言われてきたようだが、自分の場合これ以上痩せたらどうなってしまうのか(笑)。
身長178㎝、体重63㎏。
筋肉が欲しい!


食後の珈琲タイムだ。
明日の荷物の整理がすべて終わってしまったので、今さら火器やコーヒー豆を取り出すことがちょっと面倒になり、ヒュッテの売店で珈琲をたのんだ。
ここは標高2400メートル。
少し肌寒く感じる夕刻でもあり、熱い珈琲が嬉しい。

明日は大キレットの途中で珈琲を飲みたいと考えているのだが、果たして気持ち的にそれだけの余裕があるだろうか。
仮に時間にゆとりがあったとしても、いい意味で緊張を持続させていたいし、できればごく短時間の休憩のみで一気に大キレットを越えたいと思う。


涸沢に夕闇がせまる。
山岳地帯で見る夕焼けは久しぶりだろうか。
寒さを忘れ、しばし見とれてしまった。

明日は4時30分に起床予定だし、高山病予防のためにも十分な睡眠時間を確保しなければなるまい。
まだ眠気は来てはいないが、20時頃に布団に入った。

・・・が、なんと夜中の1時に目が覚めてしまった。
(「あっちゃー、まだこんな時間かぁ・・・。さぁてどうするか。」)

他の同室者はもちろん熟睡中だし、ここで起き出して物音を立ててしまえば迷惑がかかる。
目だけは閉じていたが、結局そのまま眠ることはなかった。

そろそろ起き出してもいいだろうと思い、4時に起床。
朝食は5時だから、「よし、間に合う大丈夫だ。」

ザックから火器と固形燃料、そしてマイカップを取り出しテラスへと出た。
「うわっ、寒い!」
2400メートルでこれだけ寒いのだから、明日は3000メートルを越えた場所で朝を迎えることになっている。
ダウンジャケットを持ってきて良かった!

軽くストレッチ運動をし、珈琲を飲んだ。
体の内外から徐々に覚醒させて行くわけだ。
あとはしっかりと朝食を食べ、いざ3000メートル越えとなる。


穂高連峰に朝日が当たり、山を朱に染めて行く。
「モルゲンロート」とまではちょっといかないが、美しい物は素直に美しい。

今日の昼食は行動食的なものとなるため、その分までをも含めて朝食をしっかりと摂っておかねばなるまい。
少し無理をして3杯おかわりをした。(ちょっと腹がきつい・・・)

5時40分に涸沢ヒュッテを出発。
快晴の空に感謝し、北穂高岳の懐に入った。
昨日までの6時間はただの足慣らしのようなもので、いよいよ本格的な「登山」が始まる。


登攀開始30分もしないうちに、汗がしたたり落ち始めた。
水分補給だけはしっかりとこまめにしなければならない。
これもすべて高山病予防のためだ。
決して大袈裟ではなく、25年前の二の舞だけは絶対に避けたいのだ。


「シシウド」という高山植物を発見。
さすが穂高のシシウドはでかい!
確か尾瀬の大江湿原でも大きく成長したシシウドを見かけたし、この夏二度目のご対面となる。


疲れることはなかったのだが、とにかく暑い。
これだけの好天に恵まれておきながら何を贅沢言っているんだ俺は・・・。とも思う。
それでも時折吹く爽やかな風が肌を慰めてくれる。


今回の山行中において、高山病予防に最も気を遣った区間はこの北穂高岳登攀時だった。
25年前のこの時は、かなり息苦しさを感じての登攀であり、ザックの大きさも重さもあった。
ただ「若さ」という武器で登り切ったようなものだった。

この日は1時間に10分ほどの休憩を必ずとった。
また、15分に一度は立ち止まり携帯酸素缶を用いて鼻から大きく呼吸をした。
大きくゆっくりと酸素を取り入れ、口から吐ききることが大切。
鼻にブリーズドライを貼っておいたことも功を奏し、呼吸はかなり楽なものとなってくれた。
そして重要なことは絶対に「デッドポイント」状態に陥らないこと。
心拍数が上昇することは致し方ないにせよ、バクバクするような状態にまではしないよう気を配った。

二度と、二度とあの苦しさだけは味わいたくないのだ。