ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

ラストジャンダルム「Alphengluehen」

2021年01月28日 22時35分01秒 | Weblog
夜はそれなりに冷えた。
この時期は春秋用のシュラフだが、毎回「できればもうワンランク上のものが欲しい」と思えることが多い。
それが分かっていただけに厚着をして寝ることで寒さを凌いだ。

翌早朝3時30分に起床。
先ずは目覚ましの珈琲を一杯飲む。
テントの外は真っ暗闇だったが、テントから顔だけを出すと、ところどころポツリポツリとテントに明かりが灯っていた。

ごく簡単だが雑炊で腹を満たし、珈琲をもう一杯飲んだ。
もうすぐ出発時刻の5時となる。
外へ出て寒さに慣らそうとしたが、想定していた以上の寒さだった。
幸いにここは風はない・・・が、標高を上げるに連れてどう変わって行くのかが懸念された。

5時、予定通りテン場を出発。
先ずは涸沢小屋へと向かい、樹林帯の中を通過してパノラマロードへと合流する。
初めからパノラマロードを利用するのが一般的なのだろうが、少しでも時間短縮を狙ってのコース選択だった。


「奥穂高岳」の指標。
知っているコースとは言え、この暗闇の中では指標はありがたい存在だ。

すぐに涸沢小屋に着いた。
すでに小屋には明かりが点いており、朝食の準備で忙しそうだった。
出発の準備をしている人たちもいた。
自分たちと同じ奥穂方面へ登るのだろうか、それとも北穂高岳?
あるいは天候を見計らって日の出やアルペングリューエンを見るための人もいるだろう。


画像では確認しにくいが、涸沢のテントの明かりが僅かに目視できた。

小屋を過ぎて樹林帯の中へと突入した。
昼間であれば朱色や黄色に染まった紅葉の世界を突っ切っていることになるのだが、ヘッドランプに照らされているのはごく限られた範囲のみ。
紅葉を愛でるのは下山の時までお預けだ。


N君の手とカメラが影になって写っている(笑)。
スタートして間もないだけに、体はまだ出来上がっていない。
そして少し肌寒かった。


本来なら今は紅葉の世界にいる。
「帰りが楽しみです」とN君。

それなりの急斜面を登ってはいるが、「ここ(樹林帯)抜けるのにこんなに時間がかかったかな?」とも感じていた。
早いとこここを抜け岩場へと辿り着きたい。
つまり視界の効くルートへと出たかったのだ。
おそらく時間的にはもうすぐ夜が明ける。
少しでも明るくなり、そして視界が効くルートへと出ればモティべーションも上がってくるというものだ。


まだかまだかと思いながらもやっと樹林帯を抜け、ザイテングラードが見えるポイントまで登ってきた。
ここから本来であれば右へと逸れパノラマロードへ合流するのだが、このまま直進することにしていた。
つまり三角形状における最短ルートで登山道に合流することになる。


真正面に「涸沢槍」が見えた。
左端にはザイテングラードが見えている。
そろそろヘッデンともおさらばだろうか・・・。

このまま岩場を登り続けることになるのだが、朝日を背にすることになるので、日の出の瞬間的な輝きを見逃したくはなかった。
足元に注意しながら頻繁に振り返り日の出の様子を伺った。
「まだか・・・もうすぐだろう・・・」
何度も思いながら登る。
そしてやっとその時が・・・。


北アルプスに夜明けがきた。

休憩がてら日の出を堪能させてもらった。


寒さも忘れてしばし見とれるN君。


何故か横を向いてしまっている自分。
おそらくこの時「アルペングリューエン」が気になって仕方がなかったのだと思う。

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[ちょっと一息]

モルゲンロートとは登山用語に類するもので、一般的には朝日が岩の山肌に当たり、その当たった部分が赤みを帯びて輝いて見えることを言う。
しかし、モルゲン(Morgen)=朝、ロート(rot)=赤という意味なので直訳すれば「赤い朝」となる。
嘗て意味を調べた時に分かったことだが、本来は「アルペングリューエン(Alphengluehen)」と言うべきなのではないかと疑問を抱いている。
アルペン=山・山脈、グリューエン=燃える、と言う意味なので、どちらかと言えばアルペングリューエンの方が正しいような気がする。
更には、モルゲンロートは赤く染まった雲を意味しているらしいが、いつのまにかモルゲンロートの方が日本では岩肌が赤く染まることを意味していることに定着したらしい。
いずれにせよ、自分の中ではモルゲンロートではなく「アルペングリューエン」で落ち着いている。

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朝日の方をチラ見ながらも、ずっと気にしていたのが吊り尾根方面の岩肌だった。

徐々に色濃く染まって来るのが分かった。
初めは金色っぽく、そして少しずつ赤みを帯びてくる。
遂に・・・


見事なまでのアルペングリューエン。
眩しすぎてサングラス無しでは直視できない程だった。


自分たちは今、アルペングリューエンの真っ只中にいることになる。
気象条件が揃えばそれはいつでも可能なことだが、そうは滅多に遭遇しないタイミングに感動しっぱなしだった。

山肌が赤に染まったのはほんの刹那だった。
太陽はすぐにまた雲の中へと隠れてしまった。
ごく数分だけの自然現象だったが、いやが上にも気分は高まった。
これから先のザイテングラード、奥穂高岳、馬の背、ロバの耳、そしてジャンダルム。
難所は続くーよーどーこまーでーも~♪
などとお気軽なことは言ってられないコースだが、この雄大な大自然の恵みに感謝してラストジャンダルムとしたい思いは一層強くなった。

ラストジャンダルム「新しいテン場発見?!」

2021年01月26日 22時51分45秒 | Weblog
何度も訪れてはいる涸沢だが、「池」のあるポイントへはまだ行ったことがなかった。
涸沢のどの辺りにあるのか知ってはいたが「まっいいか」的な感じで敢えて行くこともなかった。
が、どこかで「行ってみたい」という思いも常に持っていた。

ヒュッテの方に場所を確認すると、ここから歩いて数分の所だった。
「なんだ、こんなに近かったんだ(笑)。」
そんな感じだったが、来てみて少し驚くことがあった。
なんと、この池の周囲にもテントが設営されているではないか。
これだけ広い涸沢のテン場ではあるが、時期が時期ともなれば今日のように混雑し「テント村」と化す。
そんな中でこの池の周囲だけが喧噪から全く縁のない一帯となっていた。


高台となっている涸沢ヒュッテの裏側にある池。
画像には写っていないが、ポツンポツンと幾つかのテントが設営されていた。

「ここいいかもね!」
「静かだし、穴場ですね。」
新たな設営ポイントの発見に、二人ともちょっと得をした様な気分だった。
池の近くであれば増水に注意が必要ではあるが、これだけ混雑したエリアにあってここだけが別世界のようにも思えた。
もし次に涸沢に来ることがあれば、間違いなくこのポイントを設営に利用しようと決めた。

テントに戻り珈琲を飲みながら少しのんびりとした。
明日の計画の確認、そしてアクシデント時の対応の確認などをしながら過ごした。
もちろんアクシデントは無い方が良い。
しかし万が一の事を考えておかねばないらないのも大切。
今だからここに綴れることだが、その万が一が今回実際に起きてしまった。
まぁ大事には至らなかったのだが、結果しばらく通院する羽目になってしまった。
(詳細は後日アップ)


自分のテント。


N君のテント。

二人のテントの間に僅かながらスペースがあり、そこで夕食を作り食べることにした。
自分のメニューは相変わらず「青椒牛肉絲」。
代わり映えしないメニューだが、野菜も肉も摂れて栄養バランスはまずまずだろう。


時刻は17時をまわった。
後片付けを含めて、日が暮れる前に終わりにしたかったので少し早めの調理開始とした。


いつものことではあるが、日中の食事はごく簡単に済ませてばかりだったのでかなり腹は空いている。
この匂いをかいでいるだけで食欲をそそられる。
普段は家で調理は一切しない自分。
出来映えや味付けは女房には及ばないが、腹が空いていれば何でも美味い(笑)。


自分にとってのテント泊の定番メニュー「青椒牛肉絲」のできあがり!


N君も自分で作ったおかずでいただきます。


ここは標高2300mの世界。
気温は自分の住む下界とは約13~14°ほど低くなる。
ダウンジャケットなしでは今の時期の夕刻は厳しいが、それを飯の美味さがかき消してくれているような気がした。


涸沢は地形的に日が暮れるのがかなり早い。
それは西側にそびえる3000m級の岩稜の壁があるからだ。
その岩壁がなければ数時間は日の入りが遅くなるのだが、逆に東側は開けており、条件が揃えば朝日が岩壁に当たる「モルゲンロート」を堪能することができる。
朝日と夕日、できればそのどちらも堪能したいところだ。

日も落ち、周囲は漆黒の闇と化した。
電気(発電機)を利用した明かりは涸沢ヒュッテと涸沢小屋だけであり、あとはテントの中のランタンの灯りのみだ。


テントからヒュッテ方面の画像。
本当はもっと凄い数の明かりが西側方面に散らばっていたが、外に出るとかなり寒さを感じたので止めておいた。


実際にはこんな夜景(?)となるのが、唐沢テント村の夜。(参考画像)

この時期の唐沢は何度も訪れているので、ここの夜間の冷えは十分に体感済みだ。
就寝前、真夜中(シュラフの中)、夜明け前とそれぞれの寒さに若干の違いがあるように感じる。
今は就寝前だが、例年よりも寒い気がしてならない。
ここまで標高が高くなければ毎回持参してきているシュラフでも十分なのだが、夜間と明日の朝が心配になってきた。
もちろん対策もしてきているが、暑さや寒さの感じ方は十人十色でもあり果たして今夜はどうなることか・・・。

20時を過ぎシュラフに入った。
暖かい・・・
だが、一度シュラフに入っても夜中に何度かは目が覚めてしまう。


22時くらいに目が覚めて取った画像。
明日のアタック時の天候はまずまずの予報だが、風は強くなるらしい。
体力維持と温存の為にも眠らなければならない。

涸沢の夜は寒い。

ラストジャンダルム「紅葉真っ盛り!」

2021年01月19日 22時01分45秒 | Weblog
本谷橋で軽く昼食を済ませ、再び重いザックを背負った。
肩にのしかかる重量、これから先の登りルートが思いやられるなぁ(笑)。

橋を過ぎてすぐは、結構きつめの登りルートとなっている。
つづら折りに標高を稼ぐことになってはいるが、毎回通る度に体力の無さを感じる区間でもある。
登山者の数も多く、追いつかれれば「お先にどうぞ」と言って先行を譲る。
狭い登山道では当たり前のことだが、登ることが精一杯で追いつかれたことに気付かずにいる者もいる。
そんな時は「すみません、先に行きますね。」と言って道を譲ってもらう。
まぁ自分も時折追い越される立場にはなるのだが・・・。


この樹林帯ルートを越えなければ涸沢カールは見えてこない。
画像には写っていないが、このルートの北側(右側)の下部は谷で、冬期(或いは残雪期)の登山道となっている。
去年の残雪期にはその谷ルートを攻めて涸沢へと向かった。


このルートは初めてとなるN君。
真夏であればとんでもない暑さに襲われながらの登りとなるが、この時期は心地よい程度の暑さだし、それほど苦にはならないだろう。
しかしまだ再スタートして間もないだけに先は長い。


橋から約一時間が経過し、やっと前穂高岳と吊り尾根が見えるポイントまで登ってきた。
あの真下が涸沢カールである。
まだまだ先だなぁとも感じるのだが、天候に恵まれていることで穂高連峰が見える。
それが登攀意欲をいやが上にもかき立ててくれるのだ。
「よっしゃ、今夜はあそこで美味い飯を食べるぞ!」
「明日はあの3000mの峰を越えて岩稜地帯に突入だ!」
そんな勝手な期待と妄想を膨らませながらひたすら標高を稼ぐ。
ザックの重さと肉体的な辛さは現実だが、期待と妄想が今は辛さを上回っている。


よく覚えているポイントまで来た。
ここまで来れば涸沢ヒュッテ(テント場)は近い(はずだ)。

ここで何故かふと8年程前のことを思い出した。
時期は8月も終わりかけの残暑厳しい時で、もうすぐ涸沢だと思いながらも暑さに辟易し一休みをしている時だった。
ザックを下ろし、自分のすぐ隣で休憩している方(女性)に写真を一枚お願いした。
快く引き受けてくれたのはいいが・・・(笑)
「んまぁ~あなた! 青がとってもお似合いよ♪ ホントよ♡ わたくし決してお世辞は言わないの。
もう一枚取りましょうね♪」
と言って満面の笑顔でシャッターを押してくれた女性。
都会から来たセレブ風の中年女性だったが、上手く返す言葉が見つからずお礼だけを言ってそそくさと出発した。
ふとそんなことを思いだしたが、今でも笑ってしまう思い出だ。

これがその時の写真。(懐かしい)


この後、テント場への直行ルートと涸沢ヒュッテへと向かう分岐点へと来た。
本来であればこのままテン場へと向かいたいところなのだが、実はそのルートは岩場の登りが最後まで延々と続くルートなのだ。
小屋へと向かうルートであれば、小屋までは登りだがそこからテン場へは下りとなっており楽に歩ける。
それを知っていると知らないとでは、最後の最後で体にかかる負担に大きな差が生まれる。
「N君、一端小屋へ向かおう。その方が楽だから(笑)」
事の詳細までは事前に伝えておかなかったが、一端涸沢ヒュッテへと向かった。

涸沢ヒュッテ(テント場)へと到着した。
時計で時刻を確認すると驚いた。
時刻は13時26分。
つまり、上高地からここまで6時間30分で到着したことになる。
驚きと言うよりは「嬉しさ」と言った方が正しいかも知れない。

一般的なコースタイムは、上高地から涸沢までは6時間30分となっている。
だがその中に休憩時間は含まれておらず、あくまでも歩いている時間のみ。
そして想定された登山形態は小屋泊となっている。
つまりザックはせいぜい30~40リットル仕様になるということ。
今回の自分のザックは60リットルで、もちろん小休止や昼食のための休憩も取った。
それを含めて6時間30分で到着したことになるから、実際に歩いた時間は5時間20分となる計算だ。
「へぇー、俺ってまだいけるかもね(笑)。」と言うと
「何言ってるんですか、まだまだですよ:」とN君。
しかし冷静に考えれば、そんなことで喜んでいること自体が「歳を取った」という何よりの証だろう。


涸沢ヒュッテに到着。
思い切りコーラを飲みたいところだが、先ずはテン場の確保が優先される。

ヒュッテを抜け、テン場へと向かうとそこは一面の錦秋の世界、そして色とりどりのテント村となっていた。

正面上部に見えるのが北穂高岳。(赤い○が北穂山頂)
中央左手に見えるのが涸沢小屋。
下部一面の岩場に広がっているのがテント村。
手前に見える紅葉は「ナナカマド」だろう。

疲労も吹き飛ぶ見事な絶景だった。
これだけでも見る価値はあるし、ここまで来なければ見ることのできない景色でもある。
だが、この紅葉も例年であればあと一週間で終わる。
そして雪の季節へと入って行くことになる。
涸沢の冬は早い・・・。


はい、お疲れ様でした。
ここは二度目になるが、この季節は初めてのN君。
辛い思いをしてでも来るだけの価値があったと思う。


ついでに自分も。
雪の季節、真夏の暑さ、そして紅葉。
ここに来るのはもう何度目だろうか・・・。
そして来年以降来ることはあるのだろうか・・・。

ちょっと感傷に浸りながらもテン場を見つけに歩いた。
ヒュッテ(水場・トイレ)にも程近くて、できるだけ平坦で、あまり騒がしくないところ。
そんなポイントはとっくに埋め尽くされている。
少々離れてはいても、できるだけ設営に適したポイントを見つけた。

地面は岩場であり全くの平坦ではないが、それは分かっていたこと。
まずまずではないかな(笑)。


設営ポイントからの画像。
赤い線(矢印)が明日の登攀予定ルート。
ルートは途中までしか写ってはおらず、奥穂高岳は見えてはいない。(もっと左手)
緑の○が「穂高岳山荘」で、休憩ポイントとなる。
緑のラインが「ザイテングラード」と呼ばれる岩稜ルート。

かなり腹は減ってはいるが、設営終了後にとあるポイントまで散策へと出かけた。
何度も訪れている涸沢なのに、まだ一度も行ったことにないポイントだ。

ラストジャンダルム「本谷橋」

2021年01月16日 20時51分04秒 | Weblog
横尾分岐点で小休止を取った後は、ここからが涸沢までの後半戦へと入る。
後半は徐々に勾配が増し、体力的にも厳しくなってくる。


梓川に架かる吊り橋。
この橋を渡り涸沢へと向かう。
橋を渡らずに直進すれば槍ヶ岳方面へと向かうことになる。


若さで頑張るN君。
ザックは重いが心は軽やか(たぶん)。

横尾から約一時間程で「本谷橋」というポイントに着く。
多くの登山者はその本谷橋で昼食を食べ、涸沢へ向けラストスパートの鋭気を養う。
自分達もそこで食事をしエネルギー補充の予定だ。

徐々に暑さを感じてきた。
気温的には決して暑いと感じる数値ではないのだが、この重いザックを背負っていればこそで、汗もしたたり落ちるようになってきた。
それでも夏山の暑さと比べればむしろ程良い暑さであり、体は動いてくれている。

左手に屏風岩が見えてきた。
だがこの屏風岩を通り越さなければ本谷橋は見えてこない。
それでも一つの目安となっているだけに「あとどれくらい」という予測が付く。


左手に見えているのが屏風岩。
先はまだ長いなぁ・・・。

やっと屏風岩のほぼ中央ポイントあたりに来た。
登山者の数もそこそこおり、コロナ禍の中での登山とは思えない。


屏風岩を見上げる。
標高も少しずつだが上がってきている。

この屏風岩を通り越す頃になると、今度はその奥に北穂高岳が見えてくるはずだ。
次に見えてくるのが前穂高岳、吊り尾根(奥穂高岳)、涸沢槍、そして一度隠れていた北穂高岳が再びその姿を見せ、最終的には北・西・南の三方向約270°に3000m級の山脈(やまなみ)が一望できる。
その一望できるポイントこそが涸沢カールであり、自分たちの宿(テント)ともなる。


北穂高岳が見えてきた。
本谷橋も近いぞ!


ザックが重い・・・でも笑顔(笑)

やがて多くの人の声が聞こえてきた。
本谷橋が近い証拠だが、橋はまだ見えてこない。
樹木で遮られているのだ。
腹が空いてきているだけに早く腰を下ろして胃に詰め込みたい。

横尾を出発して丁度一時間、本谷橋に到着。

結構な数の登山者が岩に腰掛け休んでいる。
下山をする人もいるだろうが、それ以外の人は皆涸沢を目指しているだけにテント場が混雑することはこの時点で十分推測できた。


振り返れば青空が見えている。
どうりで暑いはずだ。

二人が十分に休めそうな場所を見つけザックを下ろした。
「いやぁおなか空いたね」
お互い笑いながらザックの中から昼食を取りだした。
昼食とは言ってもごく軽めの物で、メインはパンとおにぎりだ。
本当はお湯を沸かしてスープを飲みたいところなのだが、ここであまり時間を掛けたくはなかった。
すこしでも早く涸沢へ着き、良い設営ポイントを見つけたかったからだ。


ここから涸沢までは約二時間。
登りルートが増え、体力的にもここからが頑張りどころだ。
さぁ食事だ!

ラストジャンダルム「先ずは順調」

2021年01月09日 21時11分45秒 | Weblog
出発は10月5日、仕事を終え車で一路長野県沢渡(さわんど)駐車場へと向かった。
深夜に到着しそのまま車中泊。
翌6日の早朝一番のバスで上高地へと向かった。
沢渡バスターミナルは想定していた以上に登山者が多く、バス停は長蛇の列となっていた。
だが、半数以上の人は小型のザックを背負っており、上高地までの観光者と推測した。
自分たちのように大きなザックのいかにも登山者といういでたちは以外に少なかった。

上高地から徒歩で6時間30分~7時間で涸沢へと着くが、このコースタイムに休憩時間は含まれていない。
途中10分程の休憩を何度入れるか、そして昼食時間をどれくらい取るかにより到着時間は大きく変わってくる。
焦ってはいないが、紅葉真っ盛りの涸沢では如何に良い場所にテントを設営できるかで快適さに違いが出る。
できるだけ早く到着したい思いは誰もが同じだろう。


紅葉の涸沢。
自分たちは、画像上部左手のコルへと登攀し、そこから更に左手の山へと登る。
さらにそこから西へとコースを変えジャンダルムへと向かう。

上高地へと着き、最初にすべきことは登山計画書の提出だ。
多少の予定変更がある場合もあるが、計画書の提出は登山者の義務である。

ここから横尾と呼ばれるポイントまでは約3時間程度。
途中うまい具合に一時間毎に休憩ポイントがあり、給水もできるしトイレもある。
つまり、横尾までなら水は500ccもあれば足りると言うこと。


定番の河童橋での一枚。
奥に見えるのが前穂高から奥穂高への吊り尾根、そしてジャンダルムや天狗岳。
赤い小さな○印が今回の目的であるジャンダルムだ。

河童橋を過ぎてすぐのところに小さな川が流れている。
梓川へと合流するのだが、この川のせせらぎが何とも綺麗で、将に清流と呼ぶに相応しい。


出発する時は「さぁここからだ」。
そして戻ってきた時は「あぁやっと着いたんだな」と思えるのがこの橋の上だ。
すると・・・

こりゃまた可愛い親子の猿。
人間に対する警戒心はあまりなく、いたって涼しげな表情で通り過ぎていった(笑)。

実を言えば、上高地で猿を見かけたことは殆ど記憶にない。
群れとなってすれ違うのはこの先にある「徳澤」というポイントの前後辺りだろうか。
観光客もえさを与えようとすることはなく、また猿たちもえさを求めて人に近づくこともない。
地元の話でお恥ずかしいことだが、日光の猿と言えば人を見れば食べ物を奪おうと襲うこともある。
これは観光客達が「可愛いから」とばかりにえさを勝手に与えてしまったことが要因らしい。
上高地周辺では本来のごく自然な共存の形が成り立っているのだ。

歩き始めて40分、最初の休憩ポイント「明神」へと着いた。


ここでは5分程度の休憩だけですぐ再スタート。
朝食はこの先の徳澤で食べることにしている。

上高地は標高約1500mほど。
自分の住んでいる所と比べれば標高差は1450mあり、気温差は単純計算で8~9°ほど低くなる。
朝早いと言うこともあり、かなり肌寒さを感じていた。
もう少し日が差してくれれば程良く汗もかくのだろうが、まだ長袖ジャケットを脱ぐには早かった。
今日の目的地の涸沢は標高約2300mであり、気温差は14°も低くなる。
夜明け前ともなれば気温は当然一桁であり、そこに風が吹けば体感気温は氷点下となる。
もちろんそのつもりで装備は揃えててきたが、それでも自然が相手のことだけに不安はある。
まぁ今はまだスタートしたばかり、懸念ばかりしていてもつまらない。

徳澤での朝食を済ませ、次なるポイントである横尾へと向かった。
徐々に体もできあがり、足の運びも軽くなってきた。
背負っているザックは60リットルの大型ザックだが、ほぼフラット気味のルートだけに息が切れることもない。

春であればこの辺りはニリンソウの群生が咲き乱れているのだが、もうこの時期に花を見かけることは皆無に等しい。
時折薄紫の花が咲いてはいたが、群生とまでは行かず少々淋しい。


後日名前を調べたところ「関東嫁菜」と言うらしい。
本当か否か、ちょっと笑ってしまいそうな名前だ。

やがて梓川沿いのルートへと入った。
ここまで来れば横尾も近い。(記憶が正しければ・・・)


バックに見えているのが前穂高岳。
右端が屏風岩。


今夜のテント場は、屏風岩を大きく反時計回りに巻いて、画像に見えている前穂高岳の丁度反対側のカールとなる。
予定通りであれば、ここから4時間もあれば着くだろうか。
体も温まってきたし、順調に来ている。

ラストジャンダルム「ジャンダルム、再び・・・」

2021年01月04日 23時49分41秒 | Weblog
2016年10月、職場の後輩であるAM君を連れ、奥穂高岳からジャンダルムまでの往復縦走をしてきた。
その時、登攀中も下山途中でも何度か思ったことがあった。
「もうジャンはこれで最後かな・・・」と。
もう二度とジャンダルムを訪れることはないだろう。
年齢的に言っても、体力的に考えてもおそらくは・・・。
と半ば決めていた。
だから思う存分ジャンを満喫したし、馬の背やロバの耳の超危険地帯を堪能した。
四度目のジャンダルムを「一生の思い出に」と決めていた。

ところがである。

職場の若手ホープ、N君から思いもよらぬ事を言われた。
「○○さん、もうジャンダルムは登らないんですか? 僕はまだ一人で行く自信がないんでできれば連れて行って欲しいんですが・・・。」
初めはちょっとにやけて返事をはぐらかしてはいたが、同じことを何度か言われている内に次第にその気になってきた自分だった。(笑)
「もう一度だけチャレンジしてみるか。登れる自信はある。・・・が、気持ちがまだたぎっていない。今のままじゃ心技体の心が不完全だ。危険過ぎる。」
自分の中でそう言えるだけの中途半端な意欲だった。

自宅のPCで深夜「YOU TUBE」でジャン周辺縦走の動画を繰り返し何度も見た。
はっきりと記憶にあるポイントもあれば、あまり覚えていないポイントもあった。
「あれだけ堪能したつもりだったのに、俺の記憶なんて所詮はこんなものか・・・。よし、もう一度だけジャンに登ろう。ジャンのすべてを記憶に刻むつもりで登ろう。」

数日後、N君に返事をした。
「行こうか! 今からだと紅葉の時期でテン場は混んでいるだろうけど、殆どの人は紅葉止まりだし、登っても奥穂高岳までだからそこから先のジャンまでは空いているよ。」

「紅葉止まり」とは、登山はせずに涸沢でテント泊、或いは小屋泊をし紅葉を愛でて終わりということ。
涸沢は大きなカール状となっており、紅葉の絶景スポットである。
そこがテント場でもあり、二軒の山小屋の所在地となっているのだ。
紅葉の時期ともなれば通称「涸沢テント村」と呼ばれる程、色とりどりのテントで大賑わいとなり、設営するための場所を探すのが一苦労だ。

登ることを決めた以上はもう一度ルート状況の確認を怠りなくしなければならない。
奥穂高岳までならそう大したことはないが、問題はそこから先のジャンダルムまでの難所、危険地帯の縦走にある。
単独で挑む時はもちろんだが、今度は仲間の命も預かることになる。
過去に幾度と登山者の命を飲み込んできたあのルートを往復するのだ。
生半可な気持ちで挑めば滑落は免れない。
それくらいの気持ちが必要だと、過去四度のジャン経験は物語っている。


2016年10月
ジャンダルムの側壁にへばりついてのトラバース中。


2020年10月
ジャンダルム直下にて。


劔岳リベンジ「静かな下山」

2021年01月02日 00時40分00秒 | Weblog
北方稜線上を登り、再び劔岳のてっぺんへと着いた。
まだ多くの登山者達が思い思いに休憩をしており、にぎやかな頂上だった。
往路で一緒だった3名の人たちはとっくに下山をしたようでその姿は無かった。
・・・が、何と!
あの御一行様はまだここに居たではないか。
あっけにとられながらも「何とか辿り着いたんだな・・・。まぁ無事で良かった。」
と思うのだが、自分が往路で登頂してから既に2時間近くは経過している。
なのにまだここにいる。
この人達、下山は大丈夫だろうか・・・。
他人事とは言え心配になってきた。

劔の山頂ではのんびりと珈琲を飲んだ。
すると隣で休んでいたグループの一人から声を掛けられた。
「いったいどこから登ってきたのですか? あっちの方から来たようですけど・・・。」
と言って北方稜線の方角を指さした。
「あっ、はい。一度タテバイから登ってそのまま通過しました。この先の長治郎の頭まで行って戻ってきたところです。」
「えっ、だってここから先は一般登山者は入らないでください。キケンって書いてありますけど、行っちゃったんですか・・・。」

初めて劔に登った人であれば少々驚くことに不思議はない。
敢えてあーだこーだと理由を言うのがちょっと面倒だったのでバリエーションルートについて説明し、分かってもらえたようだ。(たぶん)

慌てることのない下山予定だったが、例の御一行様達よりは先に出発したかった。
荷物をまとめ、お先に失礼とばかりヨコバイへと向かった。


ヨコバイへの取り付き口。最初の一歩を置くスタンスポジションの画像。
滅多に撮ることのない画像だが、今日はひとりだったので、せめて足元だけでも撮っておいた。


ヨコバイのトラバース画像。
後から下山してくる人もいなかったのでのんびりと撮った。


ヨコバイ通過後の梯子。
この梯子は、最初の一歩目の足を梯子をぐるりと巻くようにして置かなければならないこともあり、毎回緊張するポイントでもある。
ここからまた長いクサリ場を下り、平蔵のコルへと向かう。


コルの上部にあるポイント。
本来ここで腰を下ろすことは無いのだが、去年の7月に来た時に、「たまにはここでもいいかな」程度の考えで休憩をしたのがここだった。
そして全くの偶然で「ミヤマオダマキソウ」と「コマクサ」を発見した思い出のポイントでもある。
もちろん今はもう秋、その名残もない・・・。

後は平蔵の頭を越えれば自分にとっての危険ポイントは無い。
頭の手前で振り返り、タテバイを見た。
この南壁とタテバイを見るのは、また来年の夏になる。
「また一年か・・・」
何度来ても、劔の下山は淋しい。


赤い線がタテバイの攻略ルート。


進行方向にそびえる平蔵の頭。
赤い線が復路における上りルート。
一見すごそうだが、慣れれば何のことはない。(これホント)

この後は、前剱のガレ場の手前と前剱を下り終えたコル、そして一服劔で休憩を取った。
当たり前のことだが、休憩時も一人である。
その一人であることが妙に新鮮でならなかった。

劔は単独で挑んだ回数の方が遥かに多いのだが、それでも今回は4年振りの単独行。
一人故に感じることもあり、自分自身との対峙の連続だった。
「なんで俺はこんな辛いことをしているんだろう。なんでこんな危険な目に遭わなきゃならないんだ。」
大なり小なりそんな愚痴めいたことばかり思ってしまう自分がいる。
同時に難関を乗り越えたあと「俺ってすげぇー」などと天狗になっている自分もいる。
今更劔でそこまで思うことはあまりないのだが、それでもこの劔岳は毎回新たな発見があり新鮮でならない。
その発見とは、花であり、変化するバリエーションルートであり、人との出会いでもある。
そしてありきたりのことだが、「何故俺は山に登りたいんだろう。何故劔に来るんだろう」とも考える。
明確な答えは出ない。
いや、そこまで突き詰めては考えないと言った方が正解だろうか。
すべてひっくるめて一言で言えば「好きだから」としか言い表せない。
苦しくても好きだから。
危険でも好きだから。
辛くても好きだから。
辛酸や危険を上回る楽しさがあるからとしか言いようがない。
だからしっかりとした準備(物・技術、体力、知識など)をして楽しむ。
おっと、一つ大切なことを忘れていた。

「何と言っても飯が美味い!」

体力のない自分がヘロヘロになりながらやっとの思いで辿り着いた目的地、そこで食べるカップラーメンの何と美味いことか!
家で食べる時の数倍は美味いと断言できよう(笑)。

話を戻そう。
劔沢小屋に着き、新平さんに下山の報告を済ませた。
毎度のことだが「あぁおかえりなさい」の笑顔と一言が嬉しい。

熱いシャワーを浴び汗を流した後に飲むコーラ。
これもまた実に美味い!
もちろんこの劔沢小屋の食事も楽しみでならない。

実は往路で一緒だった環境省の3名の方達もこの日は同じ宿だった。
食事の前に庭に出て少し話をすることができた。
自分は趣味で、3名の方達は仕事で登る。
目的は違うが、妙に話が合った。

翌朝の出発前、ご主人の新平さんにお願いして一筆書いていただいたものがある。


劔沢小屋で販売している記念の絵葉書。
後で塗り絵としても楽しむことができる物だが、この絵葉書は毎回購入しており、その都度新平さんに一筆お願いしているものだ。
自分にとっての劔岳と劔沢小屋の思い出となっている。


下山時に自撮りしたもの。
さらば劔岳、そしてまた来年来るよ!