ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

残雪とリハビリ:ささやかな贅沢

2013年06月30日 23時25分10秒 | Weblog
小屋の中にザックを置き、先ずはお湯を沸かして珈琲を飲むことにした。
かなりのカロリーを消費したこともあり、スティックタイプの甘い珈琲だ。


小屋の中は暖かいのだが、吐息は確実に白かった。
カップの熱さを直に手のひらに感じながら、まだここは冬であることを実感した。

荷物の整理をするにしても、水を作るにしてもまだ時間はあまりあった。
外で雪景色を見ながらちょっと昼寝をしてみることにした。
が、これが大きな間違い。
ちょっと考えれば分かることなのだが、周囲は完璧な雪で、天候はピーカン。
であれば昼寝なんぞしたらどうなってしまうか・・・。
わずか1時間足らずの昼寝だったが、帰宅後は家族から「逆さパンダ」と大笑いされた。
翌日は職場でも同様だったが、お客様からは「いいねぇ。いいよ! 山男の顔だよ!」と、お褒めなのか冷やかしなのかは分からぬが、やっぱり笑われた。


無人小屋の中はこんな感じで、10人ほどは泊まれるスペースだ。
この日は自分を含めて5人の登山者がこの小屋を利用した。
そしてロウソクの灯りの下で、酒を飲みながら山のことを語り合った。

日が暮れる前に水作りをしておかねばならない。
雪や氷を溶かして水を作る場合、コッヘルには必然的に「結露」が大量発生する。
それ故に水滴が次から次へとしたたり落ちてしまう。
その水滴が流れ落ちないように、縁のあるトレーの様な物があればいいと、「腹ペコ山男」さんから教えていただいた。
しかし、適当なものが見つからず、今回は生地が濡れるのを覚悟で「バンダナ」を敷いた。
テーブルの上は少々濡れてしまうが、生地が水分を吸い取ってくれるので、びしょびしょになってしまうことだけは防げる。

小屋の周辺は、雪ではなく「氷」そのものだった。
それでも溶けるまでにそう時間はかからなかった。
濾過は「ドリップ珈琲」用の紙を利用した。
作った水の量は約3リットル。
持参した水と合わせれば4.5リットルになった。
もう十分だろう。

さぁて、これで準備は整った。
後は夕日が落ちるのを見届けてから食事作りに取り組めばいい。

雪山に泊まるのは初めてではないが、頂から雪山に落ちる夕日を見たのは記憶にない。
風は強く、肌を切るほどの冷たさだったが、じっくりと見つめるだけの価値はある夕日だった。

「腹減ったなぁ・・・でももう少しだけ。」
そう何度も思いながら体を震わせて立っていた。

冷え切った体にはやっぱり熱々の「味噌煮込みうどん」でしょう!

行動食で余った魚肉ソーセージをぶつ切りにして入れた。
そして今夜のとっておきの贅沢品の登場だ。
「生卵」を二つも入れて一緒に煮込んだ。
専用の容器に入れてはきたが、「割れていないかな・・・大丈夫かな。」と、不安だった。

半熟卵が二つも入った味噌煮込みうどん。
こんな雪山のてっぺんで、こんな寒い中で、なんと贅沢な一品料理だろうか(笑)
申し訳ないほどの美味さだった。
いやぁー持ってきた甲斐があった(笑)

残雪とリハビリ:「ICE HOUSE」

2013年06月24日 00時12分45秒 | Weblog
おもしろいカメラマンに心を癒され登攀を再開した。

だが本音を言えばやっぱりきつい!
5分登っては息を整え、その繰り返しだった。
そしてやっとPEAK近くを示す標識がはっきりと目視できた。



ここまでくれば傾斜も緩やかで、空の碧さをあらためて嬉しく感じ取ることができた。

「もう少し・・・もうちょっとだ。」
そう思いながらふと左手に目を向ければ、自分のいるポイントは既に雲の上だった。

久々に見る雲海に暫し見とれながら、雪山らなではの素晴らしさを2か月振りに味わった。
「来て良かった。この大自然の風景を見ることができただけでも十分だ。」
そしてすぐ先には、今夜の宿となる予定の「肩の小屋」があった。


何人かの登山者が小屋のすぐ横で休憩をしていた。
近づいてみると、先ほど自分を追い越していった「谷川岳警備隊」の方々だった。
小屋に着き挨拶を交わした。
「やっと到着しました。」
「お疲れ様でした。膝の方はどうですか?」


そんな会話をしながら軽く昼食を食べた。
そしてお互いの仕事のこと、特に自分とっては「遭難救助」についていろいろと聞きたいことが山ほどあった。
山岳事故を未然に防ぐためにはどのようなことをすべきか。
また、万が一事故に遭ったときには個人としてすべきことは何かなど、知っているつもりでも、こんな機会滅多にあるもんじゃないし、救助のプロから直接情報を得たかった。

隊員の方も、会話の中から自分の登山における知識や経験がどの程度なのかを探っているように感じた。
恥ずかしながら、今までの数々の失敗談を話すと、「失敗を含めた経験は何よりも価値があるんですよ。」
そう言ってくれた。
そして今まで自分が知っていた、持っていた山の知識が決して間違いではないことを再確認することができた。
本当に貴重な会話だった。

隊員の方々はこれから下山する。
自分は荷物を小屋の中に入れ、今日は時間が有り余っているだけにしばらく昼寝でもするつもりだ。
PEAKに行くのは明日の朝と決めているし、焦ることはない。

小屋の入り口を探そうと周りを歩いてみた。
げっ! げげっ!
なんじゃこれは・・・
「さすがは谷川岳」と、ある意味感心するほどのものが目に入ってきた。



今夜は相当冷えるなぁ(笑)。

残雪とリハビリ:ザ・カメラマン

2013年06月18日 21時02分58秒 | Weblog
空は晴れ渡り、澄み切った碧一色となった。
しかし運動不足がたたり、心臓はバクバクいっている。
両ふくらはぎの筋肉もパンパンのようだ。

地図上では最後の登攀コースなのだが、見上げることが嫌になってくるような長い距離だ。

雪中テント泊の時より明らかにザックは軽いのだが、やっぱり日帰りにすべきだったかなぁと弱気になっている自分だった。

登攀の途中で、下山してくる方とすれ違った。
首からぶら下げているのは「ウン十万円」はするのではないかと推測する超高級一眼レフカメラ。
その方にシャッターをお願いした。

快く引き受けてくださったのだが、超高級カメラを持っているだけあって、構図や顔の表情までいろいろなアドバイスをしてくださった。
「そうですねぇ、もっとこう・・・何というか、そうそうその笑顔!」
「え~っと、右足が前の方がいいですねぇ。」

こんな具合で、まるでモデルになったような気分だった(笑)
なにもここまでお願いするつもりなど毛頭なかったのだが、最後にとっておきの言葉を言ってくださった。
「いやぁ、実に青色のジャケットが雪に映えますよ!。じゃぁ気をつけて。」
少々あっけにとられ気味だったが、丁重に御礼を言って別れた。

それがこの写真だ。




こっぱずかしい写真だが、良い記念になったし、おかげで気分転換にもなってくれた。
さぁ、ここからここから! ガンバガンバ!

残雪とリハビリ:リハビリにしては・・・

2013年06月14日 22時37分35秒 | Weblog
谷川岳警備隊の方々が先に上って行くルートは、先が見えないほど遥か彼方の頂へと続いている様にさえ思えた。
それだけ長く急登攀に感じたのは一か月ぶりの雪山ということ、そしてその間殆ど運動らしきことから遠ざかっていたことによる「鈍り」だろう。

またガスがかかってきた。
碧空かと思えば急にガス。
しばらくはその繰り返しだったが、PEAK付近は常に碧一色の世界が澄み渡っている。
「早くたどり着きたいなぁ・・・。」


そう思いながらも焦りは禁物だ。
今日の第一の目標はリハビリ的登山であること。
時間は気にせずゆっくりゆっくりでいい。
(分かってはいてもついつい急ぎ足になってしまっている自分だった)

まだ最後の登攀は始まったばかりだというのに、やや息切れ気味になってしまっていた。
警備隊の人達はとっくに先へと進んでいるというのに・・・。

幸いに右膝の痛みは出ていない。
「よっしゃ、もう少しだけピッチを上げてみるか。」

大きく鼻から息を吸い深呼吸を繰り返した。
「そっか、今日はブリーズライト持ってこなかったなぁ・・・。」

本来人間は鼻呼吸をする生き物なのだが、例えば100mを猛ダッシュした後は無意識で口呼吸をして息を整えようとする。
自分の場合、登山において心臓がバクバクするほどつらくなったら敢えて鼻から息を吸い深呼吸を繰り返す。
その時に「ブリーズライト」を貼っていれば「うっそー!」っていうくらい呼吸が楽になるのだ。

忘れてしまった物は仕方がない。
やはり焦らずのんびりと登攀を再開した。

次第に傾斜がきつくなってきた。
明らかに先ほどとは違うことを体感している。


敢えてトレースの無いルートを上ってみた。
アイゼンが気持ちいいほど食い込んでくれる。
だがやはり急斜面はきつい!
「リハビリにしては厳しいなぁ・・・。痛みはないけどやっぱりきつい。」

そんな独り言が出始めた。
見上げればため息が出るほどまだまだ先は長い・・・。

残雪とリハビリ:安全登山の為に・・・

2013年06月13日 23時54分14秒 | Weblog
全国各都道府県の警察には「山岳警備隊」が組織されている。
(ひょっとしてそこまでは不要であるが故に組織されていないところもあるかも知れないが・・・)
今までにも「長野県山岳警備隊」の方々と出会ったことはあるが、あの時は緊急出動時であり、現場に向かう途中を見かけた程度だった。
ここ谷川岳は、群馬県沼田警察署内にある「谷川岳警備隊」の方々が一般登山者の安全のために、パトロールをはじめ救助活動に当たっている。

頂に向けた最後の長い急登攀にさしかかる前のこと。
一息入れようと行動食を摂っている時だった。
自分の後から数名の登山者がのぼってきた。
登山者には違いなかったのだが、突然「こんにちは! ご苦労様です。体調は大丈夫ですか?」と、聞かれた。
「えっ? あっ、はい。大丈夫です。」と答えたが、急な質問にやや戸惑っていた。
しかし、その戸惑いはすぐに解けた。
「私たち、谷川岳警備隊の者です。無理せず安全登山を楽しんでください。」
なぁるほど。山岳警備隊の方々だったのだ。


「この先で事故でもあったのですか?」
と訪ねたが、今日は訓練を兼ねたパトロールで来たとのことだった。

よく見ると帽子には「谷川岳警備隊」のマークが。
「ご苦労様です。ありがとうございます。」
と言い、僅かな時間だったがお互い山の話をした。
彼等はすぐに登攀を再開し、最後の急登攀へと歩き出していった。

しばらくして今度はまた別の隊員の方が来た。
何となく雰囲気や会話の内容で今日のパトロールにおける隊長さんの様な感じを受けた。
先ず肌の色が違っていた。
完璧な雪焼けと息切れ一つしていない登攀術。
また、優しい口調での語り口は何よりも安心感与えてくれた。


「全国には数多くの山岳警備隊がありますが、山の名前が入った警備隊はうちだけなんですよ。」
そう言って右腕のワッペンを見せてくれた。

「今日はお一人ですか?」と聞かれ、ソロできたこと、リハビリを兼ねて来たこと、そして山頂直下の無人小屋に泊まることなどを話した。
「そうですか、どうか無理をせず、ゆっくりと上ってください。」
そう言って先に進んでいった。
「ありがとうございます。」
彼の後ろ姿にお礼を言った。
ニコッと笑った時の白い歯が何とも爽やかだった。

詳しい話によれば、今日は新人訓練を兼ねたパトロールで、谷川岳警備隊に所属したことで人生初めての登山の隊員もいるとのことだった。
と言うことは、人生初めての登山が雪山登山ということになる。
いやぁー実にすごいというか、可哀想と言うべきか迷うところだ。
ただ、趣味で登っている自分と明らかに違うのは、12本爪の本格的アイゼンとピッケルで、いきなり谷川岳登攀をしなければならないということ。
「訓練=ぶっつけ本番」と言っても過言ではないだろう。
だが、このような方々がいることで我々一般登山者はどれほど大きな恩恵を受けていることだろうか。
万が一の時であればそれは尚更であろう。

谷川岳は「一ノ倉沢」を中心としたロッククライミングのメッカであると同時に「魔の山」とも呼ばれている。
そして山岳事故が日本ではワースト1であることは周知の通りだ。
先ほどの方が言っていた。
「あまりにも軽装備での登山者が多いんですよね。」
それが事故に直結しやすいことを分かっている人が少ないのだそうだ。
そう言えば自分の装備を見て言っていた言葉があった。
「しっかりした装備ですね。」
そうか、そういう意味でのひと言だったんだと、しばらくして分かった。
プロに言われたひと言だけにちょっと嬉しくなった。

ちょっとした休憩時に偶然出会った谷川岳警備隊の方々だったが、すれ違う登山者一人一人に声をかけ、一瞬で装備を確認し安全登山を呼びかける。
それが仕事であることは分かっているが、頼もしく心優しき山男達に心から感謝したい。
「カッコイイ山男」ってやっぱりいるんだなぁ。

残雪とリハビリ:やっと碧い空

2013年06月09日 22時19分32秒 | Weblog
急勾配の斜面とまでは言わないが、鈍った体には結構堪えた。

息づかいの荒さが全身に伝わってくるの。
「先ずはあのポイントまで行くか・・・。」
ずっと先に見える稜線まで頑張ろうと思ったのだが、途中数回立ち止まっては息を整えなければならないほどしんどかった。
「あぁ~情けねぇなぁ。」
思わず出た独り言だった。

何とか最初の稜線まで上り詰め、ここで小休止をとった。
懸念していた右膝の痛みは(まだ)ない。
周囲の山を見渡すが、天候はぱっとしない状況であり、今の自分の心境に似ていた。

ここから一端下り、そして上る。
「さて、行くか。」
元気のない声だが、ソロでの山行は休みたい時に休めるというメリットがある。
今日はとにかく無理をしないことが第一であり、膝の様子を確認しながら進めばよい。
声に元気は無くとも、のんびり行けるという安心感だけはあった。


稜線の左側はいつ崩れてもおかしくないような雪の壁にも見えた。
しかしよく見れば、ルートの先の方は日が差しているではないか。
「天候の回復かなぁ。」
と言うよりは、標高を上げれば雲の上ってことだろう。
ちょっとだけ期待できそうな気がした。


再び天候が崩れそうな気配だった。
「ガスか・・・。」
これも山であれば当たり前のことである。

スタートして1時間は過ぎただろうか。
疲労は全くないが、ザックの重さがきつい。
一泊とは言っても無人小屋泊まりであり、テントは不要。
その分の重量は軽いはずなのだが、自分の場合60リットル以上のザックになると肩への負担を感じてしまう。
これも「筋肉」の少なさが原因の一つだろう。
長く背負っていると、両鎖骨へもショルダーハーネスが食い込むように痛い。
今日は重ね着をしているその分まだましなのだが、夏山での60~70リットルのザックともなれば痩身には厳しいのが本当のところだ。

「熊穴沢避難小屋」が見えてきた。

「そっか、ここまで来たか。」
所要時間1時間45分ほどだった。

この避難小屋が雪で埋まっていることは「ヤマレコ」で分かっていた。
ここで休憩をしようと思っていたのだが、膝の調子も良く、先に進むことにした。
そう、ここからまた上りなのだ。


斜度はあったが、まだピッケルには早いと判断した。
アイゼンとトレッキングポールでいい感じの登攀ができている。
また、階段状のトレースのおかげで雪面を踏み抜くことが殆ど無かった。


斜面を見上げれば・・・。
ついに碧い空が見え始めた。
思わず笑みがこぼれた。
たったそれだけのことで俄然登攀意欲も上昇!
「よっしゃ、あのてっぺんまで行くか!」

時間を気にせずに済むこともあり、いたってスローマイペースで登攀。
それが膝への負担を軽減してくれている。

青空が嬉しくて仕方がない。
そしてこの後、素晴らしい出会いが待っていた。

残雪とリハビリ:長かった一か月

2013年06月08日 00時26分38秒 | Weblog
昨年の暮れから残雪期までの間、12回ほど雪山に登ってきた。
上手く自己完結できた時もあったが、怪我と病気により途中で下山しなければならなかった山行もあった。
そのうちの一つが2月下旬の赤岳だった。

あの時は嘔吐を何度か繰り返し、体調不良により断念。
一緒に登った仲間には今でも申し訳ない思いが残っている。
下山した翌日に通院したが、「急性胃腸炎」という診断だった。
更には、何故か右膝の後ろに痛みがあった。
「いつ?どこで?」
自分でもはっきりとは分からないまま数日痛みが取れず、今度は整形外科に通院した。
「後十字靱帯損傷」という診断だった。
幸い軽いものだったが、右膝を曲げることができず仕事にも支障をきたすはめとなった。
もちろん医者からは「登山なんてとんでもない!」と言われ、ドクターストップがかかってしまった。
悔しいが暫くの間は大人しくしていた方が後々のためだと思い、山は諦めた。
三月いっぱいの一か月間、山はもちろんのこと運動らしい運動もできず、悶々とした日々を送った。

四月になり、治療の甲斐もあって膝の痛みは殆ど感じなくなっていた。
「そろそろかな(ニヤリ)」
さて、何処の山にしようかと本から情報を得、まだ完全復帰ではないだけに程々の程度である「谷川岳」に登ることを決めた。

丸一か月間体を鍛えていなかったし、膝にも若干の不安が残っている。
今回の谷川岳はリハビリ的な意味も含んでいる雪山登山だ。
ルートタイムはあくまでも参考程度とし、無理せずマイペースを保ちながら登攀することに決めた。
また、膝が思わしくない場合は、潔く即時下山することも決めた。

しかし心は躍っている。
登ると決めてからはルンルン気分で装備のリスト作成。
準備の段階で、今回は「サポートタイツ」「キネシオテープ」「膝用サポーター」を揃えた。
また、出発の前日には医者に行き、「これでもか!」と言わんばかりにガッチリとテーピングで固めていただいた。

女房は心配しているようだった。
当然だろう、されど聞く耳持たず。
「大丈夫。無理だと判断したらすぐに下りるから。」
そう言って納得してもらった。(させた)

予定は山頂直下の無人小屋に一泊し、翌日に同ルートをピストン下山する。
本来であれば日帰りできるルートを敢えて一泊するので、かなりゆっくりとした予定である。
天候はまずまずの様であり、降雪の心配もない。
だが、ネットで調べた情報によればまだかなりの残雪で、アイゼンとピッケルは必需品となった。



5時30分に家を出発。
北関東道を西に走らせ、関越道を北上した。
降りるICが近づく頃には、雪を纏った山が見えた来た。
「膝・・・大丈夫かな? いや、大丈夫。」
なんの根拠も無かったが、その時は不安よりも登れることの嬉しさが勝っていた。

リフト券売り場で登山届けを出した。
まだ完全な雪山であり、万が一を考慮しできるだけ詳細に記入した。

一人ゴンドラリフトに乗り、スキー場のゲレンデへと向かう。
空は鉛色で、ピンポイントですらどこにも碧は見えなかった。
「上へ登れば雲海かなぁ。」
そんな淡い期待をしながらスタート地点に到着。
アイゼンを装着し、地図でルートを確認した。


目の前にあった看板のおかげで登攀ルートはすぐに分かった。
いきなり急登攀に近いほどの斜面をひたすら登るようだ。
「たのむよ!」
そう言って右膝をポンと叩いた。

いざ、一か月ぶりの雪山へ・・・。

MILITARYな一日♪:右に左に大忙し!

2013年06月07日 00時16分33秒 | Weblog
船が出航してすぐ、右舷前方に早速海上自衛隊所属の潜水艦が見えた。
徐々に距離が縮まり、自分も興奮していった(笑)。


海面下に隠れて見えていない部分もあろうが、人(乗組員)と比較することで船体の大きさが分かる。
この時、自分の頭の中では必至で「魚雷」の大きさを想像していた。


ほぼ真横からみた船体。
う~ん、美しい!

左舷前方には「ひゅうが」が。

甲板前方部に見えるのは「Mr15ファランクスCIWS」。
口径はたぶん20mmだったと記憶している。


ツインの潜水艦。
なんと贅沢な光景だろうか!


米海軍のイージス艦。
艦名は忘れたが、そのしなやかな姿に見とれてしまった。


イージス艦の艦中央部をアップ。
イージス艦ならではのレーダーや、艦首にある速射砲に興奮した。


なんと、原子力航空母艦「ジョージワシントン」までもが・・・。
その大きさに圧倒された。


これまた米海軍のイージス艦。
コミック漫画「ジパング」を思い出した。


これはつい最近退役したばかりの海自の潜水艦。
この潜水艦の周りをゆっくりと一周してくれたおかげで、じっくりと観察することができた。
このときはコミック漫画「沈黙の艦隊」を思い出した。

こんなわけで、わずか40分ほどの軍港めぐりであったが、感動とため息の連続した40分だった。

船には大小様々な大きさのものがあり、その目的も多様だ。
豪華客船を最も美しいと言う人もいるだろうが、自分にとっては軍艦こそが最も美しい船だと思っている。
ひと言で言うなら「無駄の無い美しさ」だ。
(この際、軍備そのものが無駄という話は聞く耳持たずです)
当たり前のことだが、軍艦は戦う為の船であり、そのためにありとあらゆる緻密な計算の基に作られている。
贅沢こそ無いが、たった一つの目的のためだけに一切の無駄をそぎ落とした船体に美しさが宿っている。

余韻の残る中、横須賀を後にし、横浜へと向かった。
夕食は定番ではあるが中華街で食べることにした。
食べながらも思い出すのは一緒に写真を撮ってくれたNAVYさんや、イージス艦のことばかり。
りょうちんに感謝感謝の男二人日帰りプチ旅行だった。

自信、固執、そして・・・

2013年06月05日 23時54分42秒 | Weblog
スタジアムの雰囲気は「これ以上はない!」と言えるほどボルテージは最高潮に達していた。
日本代表チームにとっても将に「追い風」。
「この雰囲気で勝てなきゃ顔見せできないなぁ。」などと勝手に思っていた。

さて、いつものように我が愛する日本代表チームにひと言、素人としての苦言を呈したい。
何故中央突破にこだわったのか?
前半戦だけならまだ分かる。
そして本田と香川との相手エリア内でのコンビネーションに自信があったことも分かる。
わかる・・・が、あまりにもその一点に固執し過ぎていたように思えてならない。
あれだけのDF陣に囲まれて、それでもエリア内で短いパスを駆使して強引にシュートレンジへと持って行く姿勢。
確かに惜しいシュートが一本はあった。
しかし、あったのは結果としてその一本だけ。
おそらくは二人で話し合い、ある程度は決めていた連係プレーなのだろう。

後半に入っても暫くは同じような強引さが目立っていた。
「もっとサイドからけしかけろよ!」
TVを観ながら何度も出た言葉だった。
内容は徐々に日本ペースになってきているが、決定打が出ない。
そして75分を過ぎて選手が交代した。
なんとDFの交代だ。
「おい、嘘だろう! 引き分け狙いか?」

ザッケローニ監督はもちろんプロの監督であり、サッカーのすべてを熟知している。
しかし自分としては納得のできない交代だった。
「交代するならFW。或いはMFだろう。」

独り言が多くなっていた。

前半から通してオーストラリアFWのケーヒルをマンマークしてきた今野のポジションチェンジは、この期におよんであり得ない。
「何故今野のポジションを変えるんだ!?」
独り言の声が大きくなっていった。

そしてオーストラリアの先制点が決まる。
確かにあれはシュートと言うよりはクロスが偶然入ってしまったようなものだが、あまりにも痛い失点だった。
本音を言えば負けを覚悟した。
これだけのお膳立てができている中での敗北は、精神的ショックの大きさが計り知れない。
立て直しには少し時間がかかるだろう・・・。
そこまで考えてしまっている自分だった。

試合終了が迫る中、ラッキーな形でのPKとなった。
「棚から牡丹餅」であれPKはPKだ。
「たぶん本田が蹴るよ。おそらくゴールど真ん中狙ってくるんじゃないかな。」
娘にそう言った。
「なんで分かるの?」
「だって本田だから。あいつならこんな場面では間違いなく真ん中だよ。」

本当にそうなった(笑)。
もちろん予想に自信があった訳ではないが、本当にど真ん中を狙って蹴るとは・・・、やっぱり本田らしい。

彼自身にも「緊張」は間違いなくあっただろう。
それでも主審がPKの笛を吹いた後、ボールを拾い「俺が蹴る」という姿勢を示していた。
天国か地獄かの一蹴りになることは必至のPKだった。
それだけの時間帯であり、試合状況であった。

主審のPKのジャッジが下された瞬間から、キッカーとキーパーとの駆け引きは始まっている。
キーパーがどう読むか。
キッカーの視線、動作、軸足の方向を読んで左右のどちらに跳ぶか。
それとも心理を読んで跳ぶか。

結果は心臓に毛が生えてるのが少しだけ多い方の本田の勝ちだった。
落ち着いて観ていたつもりでも、腕には鳥肌が立っていた(笑)。


二連敗の後のやっとこさ引き分け試合。
どうせなら悪い「膿」はみんな出し切ってほしいと願う。
いまならあと一年ある。
本番での日本の勝利を心底願ってやまない。

だからやっぱり「愛してるぜ日本代表!!!」

明日という日・・・

2013年06月03日 21時13分12秒 | Weblog
1997年の秋、翌年のフランスW杯(サッカー)を控えて、日本中が歓喜の渦となりうねった。
所謂「ジョホールバルの歓喜」である。

あれから4大会連続でW杯出場を決めている日本代表であるが、出場を決める試合そのものをホームで行ったことはない。
すべて海外、或いはアウェーゲームで決めた。
前試合の敗北により、奇しくも今回はホームでそれが決まる。
いや、「決めることができる」と言ってもよいだろう。

明日の試合は、代表チームが2連敗後の試合となる。
ザックジャパンにとってこれほどの試練は嘗てなかったと記憶している。
実力がどうのこうのという以前の、メンタル的課題が懸念される。
もちろん勝利を信じてはいるが、一抹の不安を払拭し切れていないのが本音だ。
その不安とは「連敗によるメンタル的課題」だけではない。
一人の「核」となる選手がいるといないとでは、こうも試合内容に差が生じてしまうチームの現状が不安なのだ。
明日の試合はその「核」となるであろう選手が先発出場することは濃厚だ。
そして出場が決まれば深夜に至るまで渋谷駅前交差点では、見知らぬ者同士がハイタッチを交わしすれ違う。
それはそれでいい。
いいのだが、ここでも問題は別にある。
歓喜に乗じた輩が店のシャッターを蹴ったり、或いは万引きをするという現状だ。
若さ故の勢いという理由では決して済まされない犯罪行為である。
歓びは歓びとして別の表現手段があるはずであろうし、ニュースで見ている我々にとっても、感動や爽やかさを与えてほしいものだ。

なぁ~んて偉そうなことを綴ってはいるが、私も嘗ては深夜の東京で大騒ぎをしたものだった。
97年のアジア最終予選(ジョホールバル)では、いてもたってもいられない心境となり、高田馬場にあるスポーツバーで試合を応援しようと一人で出かけた。
しかしその店は完全予約制であるため入店はできなかった。
すると、取材に来ていたTVクルーの方々が、「渋谷の○○というスポーツショップでもTV応援をやるみたいだよ」と嬉しい情報をくれた。
自分と同じように入店できないサポーターが数名おり、急に仲間意識が芽生え一緒に渋谷まで移動した。
その店で配られていた整理券を頂き、数十名のサポーターと共にTVで応援した。
最前列で応援していた自分のすぐ前には、数社のTV取材陣がいた。
しかしそんなことはまったくお構いなしで、声を嗄らして応援を続けた。
結果は承知の通りで、日本代表が初めてW杯出場を決めた。
その後は見知らぬ者同士で国立競技場まで歩き、朝まで騒ぎ続けた。

5時発の電車に乗り地元に戻り、8時からはいつものように仕事をした。
しかし、その日のワイドショーやスポーツニュースには、大声を出し応援している姿や、初出場を決めた瞬間に店の床に突っ伏して大泣きしている自分の姿が繰り返し何度も何度も放映されていたらしい。
友人知人、親類の者からも「見たぞ~!」という電話が鳴りっぱなしだった(笑)。


さて、明日は将に「決戦」だ。
決戦にふさわしい試合内容でW杯出場を決めてほしい。

最後に・・・。
マスコミは、W杯が終わり新監督の体制となるその度に「史上最強の・・・」と新聞にでかでかと書き立て我々を煽っている。
何をもってして史上最強なのかは分かるようで分からない。
「ま~たはじまったよ」と辟易しながらも興味津々だ(苦笑)。