ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

劔岳 撤退「何という快晴」

2021年09月28日 22時46分23秒 | Weblog
アイゼンを外せば登攀は飛躍的に早くなる。
体は疲れてはいたが、ここさへ登り切れば小屋に着くという安心感はあった。

雷鳴はもう聞こえなくなっていた。
一抹の悔しさを抱きつつ小屋へ向かう。
息が切れる・・・、されど「もうすぐ」という安堵感。
11時過ぎに小屋にたどり着いた。
玄関に入ると新平さんが受付におり、ちょっと驚いた顔で自分を見た。
すべてを分かった上での一言だったと思う。
「いいんですよ。無事で何よりです。」
泣きたくなるような悔しさはあった。
あったのだが、新平さんの一言で救われた思いだった。

「昨日小屋に泊まっていた四人組の人たちと一緒になったのですが、やはりクライムを諦めて下山し始めました。もう間もなく戻ってくると思います。心配はないからと新平さんに伝えておいて欲しいという伝言を受けました。」
「分かりました。○○さんも残念だったでしょうが、あの天候じゃ絶対に無理をしちゃだめでしたよ。お疲れ様でした。部屋でゆっくりとしてください。」

部屋へ戻り着替えた。
濡れたウェア類を乾燥室へ持って行き、外で一服。
なんという碧い空なんだ。
恨めしいまでの青空を仰ぎながら煙草を吸う。
「これでよかったんだ・・・。俺の判断は間違ってはいなかった。」
自分に言い聞かせるように思った。
もちろん悔しさは残る。
思い切り残る。
だが、間違ってはいなかったと無理に言い聞かせている訳ではない。
何故なら、過去には無理をして遭難や疲労凍死直前まで来てしまったことが何度かあった。
「ここまで来たのに・・・」と、損得勘定が働き怪我に至ったこともあった。
それでも遭難や事故のギリギリ一歩手前程で登頂を断念したことで助かってきたことの方が多い。
今回のことも考えてみれば分かることだが、仮にあの荒天の状況で登攀を続け、仮に登頂できたとしよう。
そして仮に何とか下山し戻って来れたとしよう。
決して褒められたことではないはずだ。
また、それを「すごい」とか言って褒める奴もおかしい。

「悔しいなぁ・・・でも煙草が美味いなぁ・・・」
劔岳と青空を見上げながら、まだ戻ってこないあの人達を待った。


数時間前に雷雨があったことなど信じられない夏空だ。

リベンジ劔岳

2021年09月27日 22時58分58秒 | Weblog
劔岳へ夏のリベンジで出発する日のことだった。
岐阜県で地震があり、北アルプス南部の山岳地域にも被害が及んだ。
「情報が限られてるなぁ・・・行くだけは行ってみるか」
と、出発したものの不安は大きかった。

幸いにして北アルプス北部に被害の報告は無く、予定通り劔岳を目指した。
目的は劔岳登頂20回記念として勝手に山頂の祠に記念の物を奉納してくること。
そして行けるところまで北方稜線を縦走すること。

天候にも恵まれ、大汗をかきながら登頂した。
そして勝手に奉納を済ませ、北方稜線へと足を伸ばした。

詳細は後日綴りたい。


奉納を済ませ、北方稜線縦走中。



劔岳 撤退「果たして・・・」

2021年09月15日 21時17分14秒 | Weblog
焦りながらも滑落には注意して雪渓を下って行く。
雷鳴は大きく響き渡り焦りだけが増幅して行く。
近くではないが、明らかな落雷の音に肩をすくめた。
握っているピッケルは雪渓を下るには必携であるが、この時ばかりは雷をおびき寄せる為の危険なギアに過ぎなかった。
「この辺りのどこかにデポして明日の朝回収しに来ようか・・・」
そんなことも考えたのだが、明日の正確な天候までは把握していなかった。

なんとか長治郎の出会いまで下ってきた。
雨は相変わらず大粒で、レインウェアに叩きつける音は間断なく続いている。
後ろを振り返りグループの人たちを確認するもかなり離れており、姿を視認することはできなかった。
今はお互いの無事を祈るしかない・・・。

ここからの雪渓は登攀しなければならない。
自ずとスピードは落ちてくる。
正午までには小屋に戻れるだろうという希望的推測だったが、考えてみればここから小屋まで、つまりゴールまではひたすら登攀ルートとなることを改めて思い出した。
「きつくなるな・・・」
この荒天の中、先が思いやられる。

先ずは「平蔵の出会い」まで登ることにした。
そこまで登ればある程度平坦なポイントがあり、そこで一息つけることができる。
吐く息は「ハァハァ」から「ゼィゼィ」へと変わっていった。
ゼィゼィという自分の息、ザックカバーとレインウェアに当たる雨音、アイゼンの爪とスピッツェが雪面を指す僅かな音、そして雷鳴。
今自分がいる状況のすべての音だ。

焦りはまだあったのだが、平蔵の出会いまで登り詰め小休止をとった。
水分だけを摂取しまた振り返るもあの人達の姿は無かった。
「大丈夫だろうか・・・。大丈夫であって欲しい。」
今は自分のことだけで精一杯だけに、気にはなったがどうすることもできない。
先を急ごう。

この時自分の記憶が正確なものであったかどうか定かではないが、雷鳴はあったものの落雷の音が聞こえなくなっていたような覚えがあった。
「ひょっとして遠ざかってくれたか」とも思ったが、それよりも戻ることを優先しなければならない。
戻って報告しなければならない。
再びのきつい雪渓登攀となり息が切れる。

今度はアイゼンを装着した夏道のポイントまで頑張ろうと決めた。
そこでアイゼンを外し岩場を登りきれば小屋に着く。
アイゼンを外せばスピードもアップするだろう。

時刻は10時を過ぎている。
「たぶんあの辺りだろう」と思えるポイントが見えてきた。
もうすぐ雪渓が終わる、終わってくれる。
少し気が楽になった、そして雨も小降りになってくれていた。
気持ちもかなり冷静さを取り戻していた。
「落雷の音はしばらく聞こえていないな。雷鳴だけだ。」
その判断が冷静にできるようになった。
(本来は常にそうでなければならないのだが・・・)

夏道のポイントでアイゼンを外した。
雨は殆ど上がってくれていた。
雷鳴が聞こえる間隔もかなり開くようになった。
「ひょっとしたら行けてたのかな・・・」
戻ったことを悔やみそうにり、あの時の判断は「果たして・・・」とも思った。
それでも決して間違いではないと今は言い切れる。


これは戻る途中で撮った「くろゆりの滝」。
この時雷鳴はまったく聞こえなくなっていた。

小屋まであと30分だ。

劔岳 撤退「雷鳴そして撤退」

2021年09月11日 22時21分19秒 | Weblog
時刻は午前8時を少しまわった頃だったろうか。
熊の岩のすぐ横(向かって右側)辺りで「やっと腰を下ろせるなぁ」とささやかな安堵感に浸っている時だった。
「ゴゴーゴゴーゴロゴロ」という音に気付いた。
「んん・・・なんだ?」とさほど気にもしなかったが、しばらくして再び「ゴーーゴロゴロ」と・・・。
「えっ、まさかだよな。違うよな。自分の聞き違いだよな。」
聞き違いであってくれという願いと同じくして、「決して聞き違いではない。間違いなく雷鳴だ」という空しい確信もあった。
信じたくはないという自分勝手な思いから、「聞き違いだよ」という都合の良い正常性バイアスが働いていたのだ。

嫌な音が次第に近づいてきていることは音の大きさですぐに分かった。
これからどうするかを自分で決めなければならないが、その迷いはすぐに嫌でもかき消された。
唐突の雨だ。
それもかなり大粒の・・・。

八峰の六峰をクライミングしようとしていた4名の人たちは慌ててギアをしまい始め、レインウェアをザックから取り出していた。
先ず自分が考えたのは「即、下山開始!」。
既に迷いは無かった。
唯の雨ではない、完璧な雷雨だからだ。
次に考えたのは広い雪渓ではまともな逃げ場が無いという現状。
更には「ピッケルを手にしている」という事実。
「これって避雷針そのものだ」
自分にでもそれがどれほどの危険を意味しているのかはわかる。
わかるだけにどうすればより安全に避難し下山できるのか、ぞっとする思いに駆られた。

やや焦りながらアイゼンを外しレインウェアを着込む。
そしてすぐまたアイゼンを装着。
この時、アイゼンを外した為に靴のソールが雪面でスリップしてこけそうになった。
倒れないように体のすぐそばにあった岩を掴もうとしたが、思い切り右手の小指と人差し指を岩にぶつけてしまった。
かなりの激痛だった。
痛かったが雨具とアイゼンの再装着が先だったので痛みを無視した。
ちなみに帰宅後に通院し治療を受けたが、小指の痛みは今現在でも残っている。

下山を始めようと思ったのだが、クライミングを予定していたグループの人たちはまだ準備が整っていないようだった。
自分は単独なんだから、そんなことは気にせず勝手に下りても何の問題もない。
それは分かっているのだが、後ろめたさがあった。
「大丈夫ですかぁ?」と雷鳴に負けぬよう大きな声で聞いた。
お互い下山を決めたことを確認し、一緒に下りましょうとなった。

雷と大粒の雨の中で下山を開始。
状況の証としての写真を撮る気持ちの余裕など無かった。
今はできる範囲で安全なポジションを意識しながら下りることだけだ。
それでもピッケルだけは気がかりだった。
ここに残置してしまった方が安全であることは確かだが、これがないと下山できないことも確かなこと。
ひたすら「落ちないでくれ」と願うほか術はなかった。
(今だから言えることだが、危険な岩壁を登攀するよりもずっと恐かった)

グループの人たちも自分と同じ劔沢小屋に泊まっていることが分かった。
どことなく仲間意識が芽生えたのだが、下っている途中でグループのリーダー格の人からこんなことを言われた。
「私たちはみんな年寄りです。あなたよりスピードも体力もありません。だから先に下りてください。そして小屋に着いたらスタッフの方に私たちのことを伝えてもらえませんか。時間はかかるでしょうが必ず戻りますと・・・。」
少し考え承諾の返事をした。
結果として自分の方が2時間近く早く戻ったのだが、あの時はとてつもなく重要な依頼をされたと思った。
状況が状況だっただけに、命にも関わることだ。
「もし・・・」であったなら、警備隊の出動もありえるし、また逆に自分の方が警備隊のお世話になってしまっていたかも知れない。
それほどせっぱ詰まった状況だった。

「わかりました。どれくらい早く戻れるかは分かりませんが必ず伝えます。どうか焦らず安全第一で下りてください。もちろん私もですが(笑)」

そう言って別れ、先を急ぎ下山した。
急ぐに越したことはないが、滑落だけは絶対に避けなければならないこと。
身の危険を感じつつ、ピッケルを握り直した。

劔岳 撤退「熊の岩」

2021年09月09日 20時31分28秒 | Weblog
ここ(長治郎の出会い)から一気に・・・とは行かないだろうが、徐々にそしてひたすら標高を挙げる。
標高差は凡そ1000mある。
2/3程登りつめると「熊の岩」と呼ばれるポイントがあり、そこまではまぁ普通の雪渓、普通の斜度と言って良いだろう。
ただし雪渓を転げ落ちてくる岩には注意をしなければならない。
積もった雪の上では音が吸収されてしまい殆ど聞こえなくなるからだ。
2年前の右俣登攀の時には、全くと言って良い程音を立てずにコンクリートブロック程の岩が転げ落ちてきた。
けっこう自分たちとの距離が縮まってからやっと音に気付き、大慌てでトラバースして避難した。
更にはたた転げ落ちてくるだけではなく、一度バウンドするとどっちの方向に向かってくるのかわからない。
それが最も危険であり恐怖だ。

熊の岩を越えると斜度は急変し、急登攀となる。
しかも上を目指せば目指す程に斜度は増し、できればWピッケルが欲しいとさへ感じる。
短時間での登頂を目指すのであれば、たとえ急斜面であっても直登することが早道となる。
だが所詮は夏の雪渓で、日中になれば雪面は緩み出す。
力を込めたキックステップでさへもむなしく、アイゼンの爪は「ズズー」と音を立て後戻りと相成る。
おそらく今日のラスト一時間は、つずらおりかサイドステップでの登攀にならざるを得まい。


30分程登りややカーブを曲がると長治郎谷の全体を見ることができる。
遥か遠くに二年前の右俣ルートが目視できた。
疲労困憊、そして感極まっての涙を思い出した。


今日のルートは赤い線の通り。
画像が小さく確認しにくいが、途中にある熊の岩から左に折れて頂上を目指す「佐俣ルート」だ。

しばらく登攀を続ける。
今日は先ずは200歩で一端止まり息を整えるやり方をとった。
「1、2、3、・・・」と200まで数えたら必ず立ち止まり1分程休憩をし息を整える。
もっと行けると感じてもそれはやらない。
スタート直後であればまだまだ体力も持久力も有り余っており、どうしても「まだ行ける」という自信がある。
しかしこの雪渓は長丁場だ。
しかもラスト1時間がもっともきつい。
だから絶対に無理はせず、先を見越して200歩を守ることにした。


でかいシュルンドがぱっくりと口を開けていた。
もっと覗き込むことができたが、落ちたら軽傷程度では済まされまい。
それに今日は一人だし・・・。


小休止の後、出会い方面を振り返ってみた。
随分と登ってきたなぁ・・・とも感じるし、まだこれだけか・・・とも思える。
高度計と地形図で現在地を確認したら「まだこれだけか・・・」に軍配は上がった。

唯ひたすらに200歩。
そして時々思う。「200歩をもう5回は繰り返した。だから1000歩は登っているなぁ。」
そして先を見上げてまた思う。「1000歩先にはどの辺りにいるんだろう・・・」
いろいろなことを考えながら「1、2、3・・・」を繰り返す。
あまりにも単調な時間が過ぎて行く。
単調過ぎて、なにかすごく無駄な時間を過ごしているような錯覚に陥る。


熊の岩はまだ遠い・・・。
しかしその先に見える空はどうだ。
青いではないか!
天候の予測はかなり難しい一日となることは分かっていたが、見上げた青空からは元気と意欲をもらった。

「よっしゃ!」と気合いを入れ200歩。
だが熊の岩が近づくにつれ、200歩はいつしか100歩へと堕落していた。
いつものことと言えばそれまでだが、すでに雪渓の標高は半分以上稼いでいる。
この先は更に厳しさが増すことが分かっているので、堕落ではなくより安全確実な100歩で。(笑)


やっと熊の岩が目の前に迫ってきた。
熊の岩を左に折れ、トラバース。
そして長治郎のコルを目指してラスト1時間の急登攀となる。

遂にここまで来た。
「きつかったなぁ・・・」が本音である。
まだ道半ばではあるが一応の達成感はあった。

だが、「ん? やっぱりか・・・」
元気をもらったあの青空はどこへ・・・。
やはり刹那だった。
たぶんそうなるだろうと思ってたが、やはりだった。
まぁよい。
この後雨が降り出しても、雷さへ無ければ下山できる自信はある。

自分より先に登っていたグループの方達は、熊の岩のすぐ横でザックを下ろし休憩していた。
熊の岩の上ではなく、横で休憩をするということはおそらくは「八峰」へアタックするのだろうと推測した。
もうすぐ熊の岩の上へと出る。
やっと平坦なポイントで腰を下ろせる。


劔岳 撤退「今夜は雷雨」

2021年09月07日 21時48分01秒 | Weblog
もうすぐ劔沢のテン場に着く頃、やっと劔岳(の一部)が目視できた。
ガスはまだ濃いが、約一年ぶりの劔岳に胸が踊る思いだった。
「明日は長治郎谷だ。佐俣は6年ぶりになる。いよいよだ。」
そう思うといつもとはまた違った不思議な登攀意欲が湧いてきた。


主峰は見えてはいないが、簡単には人を寄せ付けないいつもの劔岳。
たまらないなぁ。

テン場に着き受付の前に警備隊派出所へ寄った。
そこで再度今夜と明日の天候を確認した。
もちろん長治郎谷ルートの状況も確認した。
「今夜は雷雨ですね。テントはちょっと危ないかも知れません。ルートについては今日現在では大きな問題はありませんが明日も雷雨注意報が出ていますよ。」
天候に関してはあまり期待はしていなかったが、「やはり・・・」という思い。
登攀意欲を削られる。

明日に関しては長治郎谷ルートが厳しいようだったら一般登山ルートでもいい。
なんとしても登りたい。
先ずは今夜の天気が気になる。

やや迷ったが、安全を最優先し劔沢小屋に連絡してみた。
本来であれば当日の飛び込み客は受け付けてはいないことは分かっていたので、ダメもとだった。
ラッキーなことに今日キャンセルの登山者がおり、宿泊はOKとのこと。
そして小屋のご主人のである新平さんが電話に出られ、自分の名前を言うと「あぁやっぱり。声で○○さんだとわかりましたよ。大丈夫ですよ、お待ちしています。」
嬉しい一言だった。
雷雨の一夜をテントで越すことの大変さは何度も経験してきているだけに、費用はかかっても小屋で安心して夜を越えたい。
もとより二日目は劔沢小屋を利用することになっていた。
久々の劔沢小屋連泊となった。

荷物の整理をし、熱いシャワーを浴び、そして明日のアタック準備開始。
毎度のバリエーションルートとはいえ、準備を怠るととんでもないことになるのは明白。
命に関わることだけに入念に確認をし、装備一覧表を見ながらアタックザックへと荷物を詰め込んだ。
あとは明日の朝、出発前に水を詰め込めば大丈夫。
夕食後あたりから雨が降り始め、雷鳴も聞こえてきた。
幸い近くに落ちるようなことはなかったが「ゴロゴロ」と嫌な音だけは長く聞こえていた。

アタック当日の朝。
朝食は食べず、5時に小屋を出発。
早朝なのでまだ食欲が湧かなかったのだ。
劔沢雪渓を下ったあたりで食べれば問題はないと判断し、雪渓を目指した。


このガレ場をひたすら下り、劔沢雪渓へと出る。

今日の天候は午後から雷雨注意報が出ている。
「午前中が勝負となる!」
順調にゆけば10時過ぎには登頂できる。そして13時過ぎには戻ってこれる。
長年の劔岳登攀の経験が生きている。


劔沢雪渓へ出る手前にある「黒百合の滝」。
2年前も3年前もここを通過した。
その時、滝のすぐ横の斜面にはキヌガサ草が咲いていた。
そうは滅多にお目にかかれない高山植物だけに嬉しかったことを覚えている。
だが、今年はどこを探してもキヌガサ草を見つけることはできなかった。
「なんか今年の花はおかしい。同じ時期なのにいつもと違う・・・」
ちょっと残念だったが諦めて雪渓を目指した。

「この辺りでいいだろう」とポイントを決め、アイゼンを装着しピッケルを取り出した。
真夏の12本爪とピッケルは2年ぶりになる。
雪山の時とは違う嬉しさがこみ上げてきた。


北アルプス三大雪渓の一つ、劔沢雪渓。(自撮り)
この雪渓を何度上り下りしただろうか、正確に数えたことはない。

自分の前を数名の登山者が下って行くのが見えた。
どこを目指しているのかは分からないが、このルートで他の登山者を見る事自体そう多くはない。

やがて「平蔵谷の出会い」へと下りてきた。


ずっと先にある「平蔵のコル」が見えた。
だが天候は今一つ良くはない。
「いや、降られるよりはいい。ましてや雷だけは何としても避けたい。」
そう思いながら再び下る。
そして「長治郎の出会い」へと着いた。
二年ぶりに見上げる長治郎谷雪渓。
たった二年前なのに、ここの右俣を登攀したことが懐かしくもあった。
「さて、この辺りでいい加減食べないともたないな。」
腰を下ろせるポイントが無かったので、アイゼンケースをシート代わりにして座った。
完全防水仕様ではないが、少しの間なら大丈夫だろう。


長治郎の出会いで自撮り。

例年このルートを登れる期間は限られている。
かといって必ず登れるとも限らない。
それは、どれだけ冬期に雪が降ったのかという積雪量の問題がある。
更には春から初夏にかけてどれだけ晴天(暑い日)があったかという残雪量の問題がある。
大きくこの二つのバランスがうまく取れてこそ、チャレンジできるか否かが決まる。

6年ぶりの長治郎谷左俣。
そして20回目の劔岳登攀が始まる。

劔岳 撤退 「不安なスタート」

2021年09月06日 22時49分39秒 | Weblog
結果から言えば悪天候(雷雨)により撤退となってしまった。
悔しい思いは多々あったが、朝の8時頃から想定外の雷雨となりどうすることもできなかった。
第一に逃げ場のない雪渓上であり、避難できるポイントなどほぼ皆無。
第二に何よりもピッケルを持っていることが将に恐怖だった。
つまりは「避雷針」を手にしたまま登攀していることになる。

ということで、簡単に報告がてらアップするが、もちろん今月中にリベンジを計画中!

7月28日、車中泊をし長野県扇沢を出発した。
今日の天候はコロコロと変わりやすく予測が難しいようだ。
いまのとこを青空は覗いてはいるが果たして・・・


扇沢駅と青空。
この青空がどこまでもってくれることか・・・。

先ずはバスに乗車するのだが、改札口での待ち時間が30分近くあった。
でかいザックを背負ったままでいることが少々バカらしくもあったので、ザックを下ろし床に立ててみたところ、何とまた綺麗に!そして見事に立ってくれているではないか。
それが何か?と言われればそれまでなのだが、山登りをしている者にとってはこれだけの大型ザックが立つということはちょっとした嬉しさがあるのだ。
ザックがでかいと言うこと、即ち「荷物が多い → パッキングが難しい → 上下左右前後のバランスが取りにくい」ということになる。
「おっ、今回はなかなか上手くいってるぞ」と思わずにんまりとしてしまった。


パッキングバランスがバッチリ決まったマイザック(60リットル)。

バスの次は黒部ダムを経由してケーブルカー、そしてロープウェイに乗り継ぐ。
標高を一気に上げるのだが、山頂付近はガスの中となった。


ガスの中へと突入するロープウェイ。

やはり標高の高いところは(晴天は)無理か・・・という思いに駆られた。

室堂ターミナルに到着し、登山届けを提出した。
自分の予定しているコースを説明すると、かなり執拗に注意事項を受けた。
まぁこれも一般登山道ではないバリエーションルートであるが故だろう。


室堂平から見た別山尾根方面。
真っ白なガスが恨めしい。

いよいよ標高差約500mの雷鳥坂を攻める。
ザックの重量が最も体に堪えるエリアとなる。

途中でふと気付いたことがあった。
高山植物(花)の少なさである。
「あれっ、こんなものだったかな・・・。いつもはもっと華やかな感じだった気がするが・・・。」


「ハクサンイチゲ」の群生なのだが、やはり淋しい気がする。

そんなことを思いながら登攀を続けるも、やはり久々の大型ザックはきつい!
途中何度も立ったまま息を整え、その繰り返しだった。


つづら折りの稜線ルートから少し離れ、岩のルートとなった。
ここまで登れば雷鳥坂の2/3は登ったことになる。
ここでザックを下ろし二度目の小休止をとった。

ここまで来るのに、途中3度もレインウェアを着るはめになった。
「あ~面倒だ」と思いながらも天候に抗えず、着たり脱いだりを繰り返しての登攀だった。


ガスの切れ間から別山乗越が見えた。
できればこのまま青空が覗いたままでいてほしいと切に願った。

乗越への最後の急登攀。
標高は約2700mとなり、息も切れやすい。
毎度のこととは言え、ここはさすがにきつかった。

約2時間で別山乗越に登り着いた。
が、この静けさはいったい・・・


登山者が誰一人いない。
今ここにいるのは自分一人、いや「独り」きりだ。
こんなことは初めてのことかも知れない、記憶にない。
これもコロナと台風8号の影響なのだろうか。

それでもやっと登り切ったという安堵感はあった。
あとはテン場まで下るだけだし、慌てることはない。
行動食を食べ一服し、のんびりと休憩をした。
惜しむらくは劔岳が全く見えないことだ。
ここから見ることができる劔岳の全景にどれ程疲れを癒されたことだろうか。

真っ白なガスのカーテンの先に屹立している劔岳を思い出しながらも明日の天候が気になった。