ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

DIARY

2018年07月18日 23時37分44秒 | Weblog
そろそろ阿弥陀岳の山行を再開したいところだが、つい先日なんとも懐かしい・・・ではなく「こっぱずかしい」物を発見してしまった。

このところの連日の猛暑もあり、母のことが気になり泊まりがけで母の家まで行ってみた。
嘗ての自室にまだ置いてある書籍類を整理していたところ、「おっ! これって・・・」。
いやはやもう驚きであった。
自分が中学生の頃から結婚前まで綴っていた日記帳が出てきたのだ。

「おぉ~懐かしいなぁ」
と、暢気に構えていたが、「ひょっとして誰かに読まれてはいなかったか・・・」と疑心暗鬼、ではなく不安になってきた。
それでも初めは唯々懐かしさで一杯だったこともあり、パラパラと無作為にページをめくり読んでいた。
中学時代、それはとても文字とは呼べない程の下手くそ極まる文字だった。
内容は殆どが学校生活のことを占めていたが、中には親のことも綴られている日もあった。

高校生になり急に文字に変化が出てきた。
このことは今でもよく覚えていることで、丁度フォークソング全盛期だった頃でもあり、大好きだった「アリス」の谷村新司さんがソロアルバムを出したことがそのきっかけである。
小遣いを貯め、やっと買ったLPレコード。(知ってるかなぁ・・・)
曲の歌詞はすべて谷村さんの自筆によるものだった。
「おっ、なんかカッコイイ文字だなぁ。俺もこんな字が書ければなぁ」と、しみじみと思ったものだった。
さっそくアルバム全曲の歌詞を谷村さんの文字を真似して書き写してみた。
「けっこういけるかも」などと自己満足したことを覚えている。
以来、その文字が現在でも自分の書体の基となっている。

室内の暑さも忘れ、高校、大学、社会人と続いた日記を読んだ。
あまりの青くささに、懐かしさは次第に恥ずかしさへと変わっていった。
しかし、恥ずかしさだけではなかった。
恐ろしく純粋だった。
特にバレーボールに対しての熱い想いは尋常ではなく、腰や膝を痛め病院通いをしながらも「先のことを考えて手を抜くような、そんな器用なことだけはしたくない。俺にはできない。」とさへ綴られていた。
物事を真正面からしか見ることができず、「良いものは良い。悪い物は悪い」と、答えは一つしかないかのような自分だった。

そしてもう一つ・・・。
「恋」だ。
自分の想いを上手く表現できない時は、歌の歌詞を引用し綴っていた。
やはり「甲斐バンド」の歌詞が多く綴られていた。

一通り目を通し終え、ため息が出た。
「あの女性(ひと)はどうしてるかな・・・」
思わずそんな言葉が出そうになってしまった(笑)。

胸が締め付けられる思い。
学生時代の、辛くも甘酸っぱい思い。

へっ! とてもじゃないが他人様には絶対に見せられないな(笑)。
さっさと処分し、内容は墓場まで持って行こう。

No More「感動をありがとう!」

2018年07月12日 23時45分02秒 | Weblog
1993年10月、日本サッカー界において未曾有の激震が走った。
所謂「ドーハの悲劇」である。
未曾有とは些か大袈裟な表現かも知れないが、日本においてサッカーがプロ化され、代表が初めてそして最も世界に近づいたことを考えればそこそこ当てはまると考える。

アジア最終予選で夢破れ、多くの日本人が、サッカーファンが悲しみ肩を落とした。
そしてそこから始まったメディア共通の合い言葉がある。

「感動をありがとう!」

だがその合い言葉は、残念ながら現在でもテレビ界においては常套手段として用いられている。

ドーハの悲劇の後、テレビ各局はこぞって「感動をありがとう!」とばかりに、あの悲劇を持ち上げ特番を流した。
そして人々はそれに酔いしれ「残念だった」「惜しかった」「悔しいけれどありがとう」と言った。
自分もその一人だった。
これから先のフランス大会に向けた4年間のことなど殆ど考えることなく、ただ「ありがとう」で終わってしまっていた。

4年後のフランス大会はどうであったか・・・。
3戦全敗でグループリーグ敗退。
それでもテレビでは「ジョホールバルの歓喜」と題し、W杯そのものを忘れさせるほどの内容を流した。

日韓大会、ドイツ大会、南アフリカ大会、ブラジル大会、ロシア大会と連続して出場は決めているが、結果としてベスト16止まりだった。
W杯に出場できる国はわずかに30数カ国だ。
その中に日本が入っていることは素晴らしいことであると思う。
ヨーロッパや中南米の歴史ある国々から比べればまだまだ「ひよっこ」であるが、急激な進歩を遂げたことは確かだ。
しかし、既に6大会連続で出場しているのであれば、もう「感動をありがとう!」は不要だ。
ベスト16の壁を越えるのであればもうそんなものはいらない。

日本サッカー協会は大会終了後にW杯を終えての総括的なものをまとめ、次のステップアップにつなげている。
自分のような素人では全くわからぬ専門的視野で問題点を浮き彫りにし、その課題克服に向け取り組んでいる。
今大会の総括内容がどのようなものになるのかはまだ分からないが、今大会を含めれば6回分の総括があるわけだ。
じゃぁ過去の5大会分の総括が今大会に向けてどれほどの意味を成していたのだろうか・・・。

確かに成長はある。
個人技だってヨーロッパの国々に決して負けてはいない。
いないが、それはほんのごく限られたピンポイントだけのこと。
この20年間、日本代表チームを支えてきた唯一無二の強さは「結束力」=「組織力」でしかない。
個人技、高さ、パワー、そして必要悪の「狡猾さ」とか「小狡さ」においては強豪国には遠く及ばない。
同時に足りないのは「経験値」だ。
多くの選手が海外でプレーしているのであれば、必要悪の「狡猾さ」は身に染みて分かっているはずなのだと思うが、それでもそれらを潔しとしないところが日本人、即ち「サムライ」なのだろう。
それが良くも悪くも日本人としてのDNAなのだと考える。

経験値については、こればかりは選手だけを責めることはできない。
監督やスタッフ全員が必要とされる部分だ。
あらゆるケースを想定し、その局面局面に対応しなければならない。
「想定外だった」では通じない。
それが世界レベルでありワールドカップなのだ。

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なぁ~んて偉そうなことばかり勝手に綴ってきたが、批判や意見文句は誰にだって簡単に言える。
言ったところで誰に届く?
届いたところでどうなる?
こんなど素人などでは到底理解しきれないデータと分析を基にした詳細な総括文書には足元にも及ばないわけだし・・・。


ロシアW杯、4戦して1勝2敗1分け。
総得点6、失点7。
これがすべてだ。

だからもう「感動をありがとう!」はいらない。
日本代表が好きだから、強くなることを望んでいるから、そんな言葉はもういらない。

冷静であれ

2018年07月03日 23時50分32秒 | Weblog
サッカー日本代表。
決勝トーナメントは2-3でベルギーに敗れ、今大会もベスト16に終わった。



昨夜は結局一睡もできず朝を迎えた。
だから今はとてつもなく眠い。

テレビでは相も変わらず代表チームの健闘をたたえ「感動をありがとう」とか「惜敗」とか、やたら擁護的に肯定している。
今大会の試合運びについては、もう少し時間が経ってから自分なりに振り返ってみたい。
ただ一つだけ言えることは「一人少ない10人のチームに勝っただけ。その一勝のみ。」ということ。
冷血な言い方だがこれが事実だ。

日本代表が好きだから、強くなってほしいから冷静でいたい。



「七月の便り」

2018年07月03日 00時38分35秒 | Weblog
サッカーW杯、決勝トーナメント。
日本代表の試合開始直前ながら、敢えてサッカーから離れて・・・。

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七月の便りが届いたら
紫陽花の花の雫が落ちる中で 僕は目をあける

行くも戻るももどかしい
紡ぐことさへ知らなかった 君と僕の花言葉

木の葉を揺らす風が肩で笑ったら
思い出すかも知れない・・・

麦藁帽子の香りが戻っても
水色の夏に寄り添った
君が帰らないくらい
僕は知ってる

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この歌を知ってからもう40年近い歳月が過ぎ去った。

今年もまた七月がやってきた。
庭の紫陽花達は梅雨が明けたことをまだ知らないようで、淡い水色やピンクが鮮やかだ。

そして麦藁帽子という言葉は自分の大好きな日本語。
なんて味のある素敵な季語なんだろうと思う。

あれから一年、また夏がやってきた。