ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

苔三昧「白駒荘の思い出」

2018年11月29日 23時27分44秒 | Weblog
湖畔(実際には池だが)のルート沿いには、何たらの森とはひと味違った苔を見ることができた。


おそらくは、元はかなりの大木であったのだろうが、何らかの理由で倒れ朽ち、その名残の部分に苔が密集したものと推測した。


このような大木が畔の至る所にあり、その根元には見事な苔が生えている。


少しアップした画像。

一般的に「モスグリーン」という色があるが、これがそのモスグリーンと呼ばれている緑なのだろう。
それにしても「苔緑」と直訳するよりは、何故かモスグリーンの方がピント来るのは何故?


天候が曇りであったことで、逆光ではあったが湖面と植物の緑とのコントラストが美しかった。


またまた大木との出会い。


アップ画像

ルート沿いにロープが張られていなかったこともあり、モフモフの苔に直に触れることができた。


程なくして白駒荘へと着いた。

この白駒荘には、33年前のはっきりとした思い出がある。
何のことはないごく些細なことだが、スタートしてすぐこの小屋へと着き、外にある水道から水を頂いたことを鮮明に覚えている。
水道管が幾つか並んで設置されており、そこから水を水筒に入れたのだ。

その思い出を確かめたく小屋周辺を見て回ったが、それらしき水道管は見つからなかった。
自分の記憶違いかも知れない。


小屋の前にあるボート乗り場。
桟橋は水面の下となっていた。
これも台風の爪痕だろう。


ガスがかかっており、ちょっと神秘的な風景となっていた。
今日の午後に行く予定である、とある池の風景に似ていると思った。

小屋の方が歩いていたので写真を一枚お願いした。

休憩ポイントのベンチ。
真っ暗状態であったが、これはこれで思い出になる。

小屋の方によれば昨夜の台風の影響で木が倒れてしまい、その倒木となった木を伐採しなければならないそうだ。


これがその倒木。
カメラでは収まりきれない程の長さだった。


白駒荘の人。

時刻はまだ午前9時。
この後もう二つほど苔の森を散策するのだが、こんなにものんびりしたトレッキングは何年ぶりのことだろうか・・・。
いや、トレッキングと呼ぶにも程遠い散歩にも近い感じだ。
いつかは自分も歳を重ね、劔岳などとても無理となる日が来るだろう。
そして今日のようなお手軽ハイキングがちょうど良いレベルになるだろう。
あれから33年経つが、せめてあと数回は劔岳に登りたいと願う。

苔三昧「行けるところまで・・・」

2018年11月27日 00時08分20秒 | Weblog
白駒池の入り口からほぼ対岸に位置するポイントには分岐点がある。
池を一周するコースと「にゅう」という珍しい名の低山へと登るルートだ。

今回は登山をするために来たのではなく、あくまでも苔を愛でるハイキングのようなもの。
だが、「せっかくここまで来て・・・」という思いもあり、ついでながら行けるところまでは行ってみようと思った。
実を言えば理由は他にもあった。
「33年前に通ったルートをもう一度歩いてみたかったのだ。


木道の下には山頂方面から流れてきている川があった。
昨夜の台風の影響もありかなりの水流だった。
「これ、落ちたらまずい・・・」
スリップに注意しながら慎重に木道ルートを登った。
もちろん記憶を辿るために立ち止まっては周囲を観察するが、蘇ってくるものなど何一つ無かった。


本来であればここまでの水流は無いと推測するが、これはこれでなかなか見応えのあるものだった。


徐々に川から距離を置くようになると、鬱蒼とした樹林帯へと変わった。
いや、樹林帯というより、むしろ「樹海」と言った方が当てはまっている。
ぬた場、濡れた倒木や岩、どこを歩いてもスリップしてしまいそうなルート状況となった。
「ん~~、ぜんぜん覚えていない。記憶にない・・・」
33年前の夏、間違いなく自分はこのルートでにゅうへと向かい、オーレン小屋まで行ったはずなのだが・・・。


ルートがフラットになると、再び木道となった。
いくらスパッツを装着しているとはいえ、一歩踏み外したら靴の中は間違いなくとんでもないことになってしまうだろう。
台風一過の登山道は、岩のルートでなくても結構気を遣うものだ。


「白駒湿原」へと出た。
自分のいる場所を地図で確認する。
「もうこのあたりでいいかな・・・」と思い、一服の休憩の後引き返すことにした。

鳥のさえずりが聞こえる。
僅かに揺れる木々のこすれ合う音。
それ以外は全く何の音も聞こえてこない静かな森の中だった。

池へと戻る途中で、驚いたことに女性二人組の登山者とすれ違った。
しかし自分以上に相手は驚いていたようで「え~っ、まさかこんな日に登山している人に会うなんてビックリです!」
そりゃぁそうだろう、あれだけの台風の翌日の早朝に「まさか」である。


写真を一枚お願いした。

二人組の方は「にゅう」まで登る予定だそうだが、風雨の爪痕がどれだけ残っているのかが分からないだけに十分気をつけて行ってほしい。


川がすぐそばまで来た。
その先には池も見える。

今日はこの後もう幾つかの苔の森を歩き、午後はずっと長い間訪れたいと思っていたとある「池」まで行く予定だ。

苔三昧「もののけの森」

2018年11月23日 00時21分54秒 | Weblog
スリップに注意しながらゆっくりと木道に沿って歩いた。


雨が上がってはいたが、木道から一歩逸れてしまえばぬかるみ状態であり気は抜けなかった。

しばらく進むとあきらかに苔の種類が違ってきた(ように見えた)。

ふっくらとしたとでも言えばよいのか、白駒の森とはまた違った苔の森に入った。


事前に少しは苔の種類を調べてはきたが・・・忘れた。
だが素人の自分が見ても確かに違う種類の苔だ。


「この苔の風景、確かネットの画像で見たぞ。」
そう確信できるほど、きめ細かな絨毯のような苔がうねっていた。


間違いない。ここは「もののけの森」だ。
画像と同じ風景、同じ苔だ。


今日一番来てみたかった苔の森が、この「もののけの森」だった。
寝そべってみたくなるような苔の絨毯の凹凸が広がっている。
そう思いながらしばらくはこの森で立ち止まりベルベットのような苔を満喫した。

なんと、人が来るではないか。
「こんな台風一過の早朝に自分以外にトレッカーがいただなんて・・・」
「おはようございます。」
互いに挨拶を交わした後の会話と言えば昨夜の台風のこと。
「よく来ましたね」と言われたが「まぁ台風でしたけど、雨上がりと思えば苔の蒼さもまた一層増して見えるような気がしたのでかえって楽しみでした。」
そう笑いながら答えた。


写真を一枚お願いした。
三脚で撮るしかないだろうと思っていただけに感謝だ。

更にもののけの森を奥へと進んだ。

この森の由来は、おそらくは映画「もののけ姫」から来ているのだろう。
実際にはあの映画は屋久島の森をモチーフにしているらしいので、ある意味パクリ的な部分もあるのだろうが、まぁそれはさておき、確かに今にももののけが現れそうな雰囲気はある。


それが証拠に、このうねった松の幹が一瞬アナコンダに見えた。
アナコンダなど日本にいるはずがないので、この場合は大蛇でいいのかな(笑)。


湖畔が見えてきた。
と言うことはもうすぐ池の対岸に着くということ。
そこから「にゅう」という低山へ登ることができるのだが、今日は登山は無し。
ただ、途中まで少しは登ってみたいと思っている。

苔三昧「スリップ注意!」

2018年11月20日 23時35分19秒 | Weblog
予定通り6時に白駒池入り口を出発した。
トレッカーらしき人影などあるはずもなく、極めて静かなスタートとなった。


実を言えば、ここに来るのは33年ぶりのことになろうか・・・。

まだ20代で体力バリバリ、怖い者知らずの頃だった。
山仲間とテントを担いで八ヶ岳縦走に来たことがあった。
ここ白駒池をスタートし、オーレン小屋にテントを設営。
翌日は赤岳までを往復縦走し、白駒池へと戻ってきた。
下山日の早朝はヘリコプターの音で目が覚めたことを今でも良く覚えている。
あの御巣鷹山日航機123便墜落事故のあった日だった。
北八ヶ岳方面とは言え、雪のない八ヶ岳そのものに来たのはそれ以来のことになる。

「33年ぶりの八ヶ岳かぁ・・・。俺も相当歳とったなぁ。」
そんなことを思い出しながら一歩を踏み出した。

歩き始めて僅かに5分も経たぬ内に周囲の景色は一変した。
「えっ、こんな感じだったかなぁ。全く記憶にない。」
周りをキョロキョロと見渡しながら、さっそく出会えた「苔の世界」。
感動もあったのだが、それよりは自分の記憶の曖昧さが上回っていた。


鬱蒼とした樹林帯。
地面は一面の苔。


不気味ささへ感じる苔の世界。
道路から僅かに5分も歩けば出会うことができる。


この先、白駒池へと向かうのとになるのだが、このいきなりの苔ワールドに少々圧倒されてしまっていた。
事前にネット画像で調べては来たが、実際に目の当たりにするこの世界は画像や写真の比ではなかった。
残念ながら自分にはそれを十分に伝えられるだけの文章力も無ければ写真の技術もない。
だが、3000メートル級の岩峰群とはまた違った圧倒感を覚えたのは確かだった。


この辺り一帯は「白駒の森」と呼ばれている。
このような名称の付いた森が幾つも点在しており、今日はその中の数ヵ所の森を歩く予定だ。

やがて道が二つに分かれた。
どちらに進んでも白駒池を一周することにはなるのだが、ここは左(東)へと進んだ。
今日、最も楽しみにしている森がこの先にあるからだ。

「青苔荘」という山小屋を過ぎると白駒の森とはまた違った様子を見せ始めた。
何が違うのかと聞かれてもよくは分からない。
苔の種類が違うとも思えるし、光の差し込み具合が違うとも思えるし・・・。
どことなくこぢんまりとした苔の世界へと変わった気がした。
「よく分からないけど、やっぱり何かが違う・・・」
せっかく台風の一夜を越してまで来たのだからよく見ておこうと思い、視線と注意力は足元よりも苔の方へ行ってしまっていた。

スッテーン! ドン!

単なるスリップだったが、尻を思い切り打ち付けてしまった。

道幅は狭く、板を張ったような木道コース。
晴れていても滑りやすい木道なのに、それが濡れていればどうなるかは素人でも分かるはずだ。

幸い痛みはそれ程でもなかった。
ズボンの上から尻をさすりながら再び歩き始めた。

苔三昧 「台風の夜」

2018年11月16日 00時28分08秒 | Weblog
今年の秋は台風による列島直撃が幾たびとあった。

9月4日も東海、関東が台風のコースとなり、せっかくの休日を山で過ごそうと予定はしたものの「どうするか・・・」と悩んだ。
悩んだ結果行くことにした。
実際には「行くだけ行って無理はしない」という結論に至った。

今回の目当ては「登山」ではなく、ハイキング程度のもので、北八ヶ岳方面へ「苔」を見に行くというもの。
「苔?」と不思議に思われるかも知れないが、北八ヶ岳には「苔ワールド」なるものが点在しており、必見の価値ありなのだ。
山雑誌の写真で見る限りでは「すごい! こんな苔だらけの場所があるなんて・・・」と感動しまくりだったが、プロが撮った写真であれば誰でもそう思うだろう。
「まぁたまにはのんびりと低山ハイクもいいかな」くらいの気持ちで出かけることにした。

仕事を終え夜の10時くらいに出発したが、気になるのは台風の状況だった。
目指す八ヶ岳方面はちょっとまずい・・・と予測したが、今夜さへ凌げば明日は回復傾向にある。
それを信じて車を走らせた。

途中、上信越自動車道の佐久平PAで休憩したが、雨は殆ど止んでおり風も穏やかだった。
「これならこのままいつものように車中泊ができるな」と思った。

ところがだった。
佐久市から中部横断自動車道に入り、八千穂あたりなると猛烈な風雨に変わってしまった。
カーナビからは「これ以上進むと、安全な運転ができなくなるエリアへと入ります。」
確かそんな案内が何度も聞こえてきた。
「おいおい、ちょっと待てよ。」と思いつつも、行けるところまではと無理をして走った。
R299、通称「メルヘン街道」はずっと上り坂だった。
台風の中、しかも深夜である。
対向車など通るはずもなく、ましてや外灯もない。
おどろおどろしいまでの雰囲気で、路面は強風で飛ばされてきた枝葉であふれかえっていた。
「このあたりでやめとこうかな・・・」とも思ったが、雨だけはやや弱くなってきたこともありこのまま予定している麦草峠の無料駐車場まで行くことを決めた。

どのあたりだったろうか。
道の半分以上を塞ぐように倒木があった。
「ここまでか・・・」と思ったが、ここも何とか避けながら通り過ぎることができた。

不安は大きい。
「何かあったらJAFが頼り。でも来てくれるだろうか・・・」
終始そんな思いであったが、あーだこーだと考えている内に駐車場に到着した。

先ずはホッと一安心だったが、当然自分以外の車は無し。
強風で揺れる針葉樹林帯に囲まれた駐車場には、トイレの灯りが一つやたら不気味に点っていた。
しかし、樹林帯に囲まれていることが逆に幸いし、直接的な強風を受けずに済んだ。
樹木が互いにこすれ合う音だけは凄かったが、寝てしまえば分からない。
さっさと毛布を被り寝入った。
・・・が、そう簡単に眠らせてくれないのが自然の驚異。
枝どうしがこすれ合う程度ならどうって事はないのだが、時々「バキッ!」「メリッ!」という音が聞こえてきた。
「たぶん幹ごと折れたんだろうなぁ。明日目が覚めたらボンネットに突き刺さっていたなんてことにはならないでくれよ。」
祈る思いだった。

そんなこんなで熟睡できるはずもなく、結局ウトウトしたまま白んできた。
5時を過ぎ外へ出てみた。
雨はすっかり上がり風も止んでいたが、駐車場と道路を埋め尽くしていたのは針葉樹林の枝と葉であった。
「やっぱり無理してまで来なきゃよかったかも」
そう思わざるを得ない状況だったが、6時近くになると数台の車が行き来した。
と言うことは、メルヘン街道は通行可能ということになる。
「やっぱり来て良かったかも」

なんとも勝手なものだ(笑)。


猛暑の劔岳:アイス珈琲とダムカレー

2018年11月14日 22時15分25秒 | Weblog
分岐点での休憩を終え、ややガレた坂道を下った。
雷鳥平キャンプ場まではもうすぐだ。

下り終えフラットなルートとなり、橋を渡る直前でのことだった。
一人の登山者が川の畔で休憩しているのが見えた。
30代くらいの女性で単独での下山者だと推測した。
よく見ると登山靴とソックスを脱ぎ、素足を川の中に入れている。
「なんて気持ちよさそうなんだろう!」
今日のような天候であれば自分もやってみたいと思った。
いや、今まで暑さに参りそうになった下山は何度もあった。
何故、こんな気持ちの良さそうな行動を思いつかなかったのだろうかと少々後悔した。

雷鳥平で一服し、最後の登攀へと向かった。

この石畳の坂道が結構堪える。
緊張も強いての目的もないただの登り道だけに「だるぅ~」というだけなのだ(笑)。

11時50分、室堂ターミナルに到着。
猛暑の劔岳縦走に終止符を打った。

周りには登山者の数よりもあきらかに観光できた人達、特に団体様一行が目立った。
聞こえてくるのは中国語ばかり。
本音を言えば喧噪にさへ聞こえてきそうだった。

さっさとビルに入りゆっくりとしたかった。
「ここに美味いアイス珈琲があるから飲んで行こうか。」
AM君も大賛成のようで、ニンマリと笑顔が返ってきた。
いつもはコーラばかりの下山時だが、たまにはリッチに行ってもいいだろう。


注文したのはアップルパイとアイス珈琲のセット。
疲れた体には甘いパイが美味かった。
娑婆に戻ってきた感じがした。

アイス珈琲も実に美味かった。
本当は一気飲みしたかったほどだが、じっくりと一口ずつ味わいながら飲んだ方がその美味さは確実に分かる。

と言いながらも冷えたカップを腕に当て、火照った肌をなぐさめた。

室堂で昼食も一緒にとも考えてはいたのだが、昨日Kさんから言われた「黒部ダムカレー」を食べようということになっていた。
「まぁ絶対に食べなきゃ損! という程じゃないけど、せっかくだから一度は食べてみたらどう。」
と笑いながら言っていた。
その笑いは「一度くらいは話のネタに・・・」という意味だろうか(笑)。


ロープウェイから見下ろす黒部ダムと黒部湖。
もう見飽きてしまった風景だし、流れてくる録音されたアナウンスの内容も殆ど覚えてしまった。

黒部ダムの上は照り返しがきつかった。
「腹減ったぁー!」
と大声で叫ぶことこそはしなかったが、思いは二人とも同じだ。
急ぎ足でダムカレーが食べられる店に入った。

2Fの食堂はかなり混雑しており、席が空くまで少し待ったが、窓際の風通しの良い席に座ることができた。


これが噂(?)の「黒部ダムカレー」。
味は「まぁこんなものでしょう」ってことで、詳しくは言いません(笑)。
ただ、登山を終えたばかりの者にとっては、量があまりにも少なすぎた。
駐車場に戻っても「腹減った」ばかりを言っていた。



この三日間、最高の天気に恵まれた。
しかし、言い換えるのなら「猛暑」であった。
早過ぎた梅雨明けと猛暑続きにより、長治郎谷から攻め上がることはできなかったが、それはまた来年の夏に向けての楽しみとしてとっておこう。
それと決して忘れてはならないのがバリエーションルートの難しさである。
「今更何を言うか」と笑われてしまいそうだが、その今更を改めて痛感させられた縦走だった。
今回の経験と反省は、次回に向けて大いに役立てられる。
そう確信できるだけの「もの」を得たと言い切れる。
計画、準備、そして何よりも様々な「想定」の範囲が広がったことが大きい。

猛暑の劔岳:新室堂乗越

2018年11月11日 00時48分28秒 | Weblog
長かった一日が終わろうとしている。
深夜2時に起床し、空腹でもないのに無理矢理詰め込んだ朝食から始まった一日。
好きでやっていることとは言え、試練のような一日だった。

体中の火照りはまだ幾分残っているような気もするが、ここは標高2500を越えているだけに、日が暮れればさすがに半袖一枚だけでは涼し過ぎた。

「明日は室堂への下山だけだし、一本飲んでから寝るか・・・」
そう思い缶ビールを購入し、闇の中にあるであろう劔岳を見ながら飲んだ。
「ふーっ」
と、数口飲む度にため息をつきながら思い出すのはあの落石のこと。
「トラウマにならなきゃいいけどなぁ」


20時前には眠りに就いていた。
夜中数回目が覚めたが、4時過ぎには起きだし外へ出た。
まだ漆黒の闇ではあったが、今日も快晴の予報。
暑くなりそうだった。

朝食を済ませ、Kさんは先に出発するため見送った。
自分たちもそろそろと思い、ザック内の最終チェックを行い、新平さんに挨拶に行った。

この小屋を利用したのはこれで何度目になろうか・・・。
新平さんや馴染みのスタッフの笑顔に何度救われただろうか。
二代目の友邦さんに会えなかったのは淋しいが、これほどホッとでき泊まることが楽しみな山小屋はここしかない。

7時前に劔沢小屋を出発し、別山乗越へと登り始めた。

テント場を過ぎて振り返る。
雲一つ無い快晴の空、そして愛する劔岳。
「また今年も終わってしまうのか・・・」
どれほど厳しい洗礼を受けても、劔岳を登った後の下山が一番淋しさを覚える。

別山乗越で剱をバックに一枚。

僅かだが北方稜線も確認できる。
来年は何としても「右俣」から攻め上がってみたい。


室堂平側を見下ろした。
「今日の下山は新室堂乗越ルートで行ってみようか。」
思いついたように言ってみたが、AM君にとっては初めてのルートでもあることから快く賛成してくれた。

新室堂乗越ルートでの下山は4年振りだろうか。
広大な斜面に咲き誇る高山植物を愛でながらのんびりと下山できるコースで、立山縦走ルートとは違い穏やかな感じがする。


「トウヤクリンドウ」
今回下山となって初めてお目にかかることができた。

しばらくは稜線に沿って西へ進み、途中から下りルートとなるが、稜線の少し先まで行ってみることにした。
もちろんそこはルートではないので注意は必要だが、そう慌てる下山ではない。
ちょっと寄り道って感じだ。


空が青い。
そして雲の上にいる自分。
条件さへ揃えば、山とはなんと贅沢な場所であろうと感じる。


海が見える。
青と碧の世界。
できることならここにテント泊してみたいものだ(笑)。


そして最後にもう一度だけ劔岳を見た。
このポイントから下ってしまえば、また一年後となってしまう劔岳。
あれほどの試練を与えられながら惹かれて止まない。
だが、自分もだいぶ体力が落ちた。
いつまで登れるかは分からないが、それまでは登り続けたいと誓った。

奥大日岳方面へと下山する。

高山植物の群生が至る所にあり、足元の岩の段差に気付くのが遅れそうになるほど目が忙しい。


「ハクサンイチゲ」の花の香り。
強いて良い香りと言う程ではなかったが、昨日の同じ時間帯の自分とは180°違っていた。


ただのんびりと下る。
天候の良さもあってか、緑の高原のど真ん中をハイキングしているような気分だった。


バックには別山乗越が目視できた。
随分と下りてきたと思えたが、まだ一時間程度しか経っていない。
「この先に奥大日岳との分岐点があるから、そこで一服しようか。って言うより昼寝でもしてみたい気分だよ(笑)。」
「あっ、その気分分かります!」

そうなのだ。
昨日のあの厳しさ辛さはいったい何だったんだと思ってしまう程、このスローな時の流れと青と緑の二色しかない世界がそう思わせてしまう。


分岐点と思われるポイントが見えてきた。

休憩ポイントでザックを下ろし一服していると、奥大日岳方面から一人の登山者が下りてきた。
場所を決め、おもむろに取り出したのはスケッチブックの様だった。

なんと素晴らしいことではないか!
自分が憧れている登山スタイルそのものだった。
「素敵な趣味ですね」と話しかけると「いやいや、私は体力も技術もないからこうしてのんびりと絵を描くことにしているんですよ。今日は天気も良いし、夕方までここで絵描きですよ。」

やってみたい・・・。
できるものならやってみたい登山スタイルだ。
絵心は一切無い。
しかしやってみたい。

とても羨ましく、新鮮で、そして心洗われる光景だった。

猛暑の劔岳:撤収作業

2018年11月06日 23時23分42秒 | Weblog
一端テント場へと戻り、テントを撤収してから改めて小屋入りすることにした。
「早く熱いシャワーを浴びてさっぱりしたい。夕食を腹一杯食べたい。」
そんな思いでテント場へと向かったが、5分程の軽い登りがある。
その登りがとてつもなくきつかった。
体がおかしい。何か変だ。
今まで感じたことのないだるさだった。
「ひょっとしてこれって熱中症なのか・・・」
熱中症になったことのない自分だっただけに、その自覚症状がわからなかった。

やっと坂を上り終え、警備隊派出所前を通り設営場所へと向かう前に水場へ寄った。
あのたまらなく冷たい水をがぶ飲みしたかった。
管から流れ出る溢れんばかりの冷えた水を見た瞬間、飛びつくように口を持っていった。
将にがぶ飲み(笑)。
そして首から頭にかけて水を掛け流した。
少し生き返った様な気がした。

「さてと、さっさと撤収して小屋へ行こうか。」
「シャワーの後にビールが飲みたいですよ。」
同感であったが、先ずはテントの撤収だ。


自分のテントへと戻りいざ取りかかったのだが、どうにも立っての作業が辛くて仕方がなかった。
怠いを通り越し、気持ち悪くもさへあった。
「やっぱり俺、何か変だ・・・」
それでも早く小屋へ行って体を横たえたいという思いがやや勝っており、ダラダラとではあったが作業を進めた。

立っていることがあまりにも辛く、膝立ちでの作業となった。
腕の動きもスムーズとは行かず、ダラダラとした動きだった。
フライシートを畳んだまではよいが、それをスタッフバックに入れることができなかった。
力が入らないのだ。
もとより力なんぞそれ程必要のないことなのに、スタッフバックに入れるのに数分間も要してしまった。
そして一つの作業が終わる度に一度呼吸を整えてから次の作業へと移った。

AM君はとっくに撤収を終えてしまっている。
「悪いなぁ、もうちょっと待ってて。」
そう言いながら撤収はしているが、最後の最後にすべての荷物をパッキングすることが最も辛かった。
「力が入らない・・・。おかしい・・・」
もうパッキングの基本なんぞは無視だった。
入ればそれで良い。
どうせ明日は下山だ。

パッキングは終わったが、そのザックを背負うことがきつい。
軽くなっているはずのザックの重みは、むしろ昨日よりも重く感じた。
「おまたせ。じゃぁ行こうか。」
そう言って劔沢小屋へと歩き始めた。

再び警備隊派出所前を通ろうとした時だった。
「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ。」
警備隊の一人から声を掛けられた。
「はい、だるさはありますが、今日は縦走が終わって後は小屋入りするだけなので大丈夫です。」
すると警備隊の方から「やっぱり・・・」と思える返事が来た。
「たぶん軽い熱中症だと思います。動脈の部分を何か冷たい物で冷やせば少し楽になりますよ。」
そんなありがたいアドバイスを頂いた。

受付を済ませ、シャワーを浴びた。
熱いシャワーをと考えていたが、それよりは体を冷やす方が先と思い水シャワーを浴びた。
気持ちが良い。
長かった今日一日が思い出される。
目を閉じながら冷たいシャワーを頭から浴びる。
夜明け前の暗闇、鮮やかな日の出、スイス人夫妻との再会、クサリ場、そして落石。
めまぐるしい一日だった。

落石の件については警備隊の人に起こしてしまったことを伝え謝罪をした。
もちろんおとがめなどは一切無かったが、それよりも事故の報告がなかったことが嬉しかった。

外へと出た。
ビールよりもコーラが欲しかった。
気付けば体調は少し楽になっていた。
「やっとまともに空腹感を感じるよ。」
そう言うとAM君は笑っていた。

夕食時、味噌汁があまりにも美味くて三杯もおかわりをしてしまった。
味噌汁のしょっぱさがこの上なく美味かったのだ。
「汗、かき過ぎたもんなぁ(苦笑)」

食後に庭へ出て一服した。
今日一番美味い煙草の味がした。

猛暑の劔岳:3年ぶりの再開

2018年11月01日 23時06分10秒 | Weblog
いったん小屋へ寄って、新平さんに挨拶をしてからテン場へと戻る予定だった。
だが劔沢小屋へ向けての最後の直登が長く感じた。
唯の惰性で登っている・・・そんな感じだった。

やがて人の声が聞こえてくるポイントまで登ってきた。
(「よっしゃ、小屋までもうすぐだ」)
単なる他人の会話の声が励ましとなった。

16時40分、劔沢小屋へ到着。
そして無事の下山となった。


暑さにやられっぱなしの長い一日で、2/3がバリエーションルートの劔岳縦走コースは体力的にはギリギリのところだった様な気がする。
これ以上距離や時間が延びていたら自分の限界を越えてしまっていたかも知れない。

AM君と無事の下山を喜んでいると、小屋の入り口付近から一人の男性登山者が笑顔で自分に近づいてきた。
「おぉ~! ○○さんじゃないの。いやぁ~久しぶり!」

疲れもあり、初めは「ん? 誰だ・・・」なんて思っていたのだが、その男性が数メートル手前まで来た時、自分の表情が大きく崩れた。
「え~~~Kさん!! Kさん!! 来てたんですか。いやぁー3年ぶりですよ。」
そう言うと、3年ぶりの再会の嬉しさでお互い固く握手をしハグとなった。


川崎市から毎年劔岳に来ているKさん。

4年前に自分が長治郎谷から攻めた時、偶然劔沢小屋で一緒になった。
お互い単独登山であったこともあり食事も部屋も一緒だった。
翌日は自分は長治郎谷から、Kさんは別山尾根から登り頂上で会った。
下山日は「新別山乗越」ルートで室堂まで一緒だった。

そして翌年(3年前)の7月下旬。
登頂日は一日違いではあったが一年ぶりの再会。
その後2年間は会うことはできなかったが、毎年7月下旬にお互い剱に登っていることは間違いのないことであれば、日程的にはニアミスしていたことになろう。

そのKさんと3年ぶりの再会となった。
実を言えば「ひょっとしたら」とも思ってはいたが、そのひょっとしたらがまさか本当になるとは驚きだった。
暫し再会を喜び合い、つかの間であったが疲れを忘れさせてくれた。

受付へ行き、新平さんに挨拶をした。
「テントを撤収したらすぐに来ますのでよろしくお願いします。」
今夜の宿はお決まりの劔沢小屋。
どれほど疲れていても、後はテントを撤収し小屋へ来ればいいだけ。
一時間後には熱いシャワーを思い切り浴びることができる。

「それじゃまた来ますね。」
Kさんと新平さんにそう言い、テント場へと向かった。
しかし、そのテントの撤収が嘗て無い程に辛いものとなった。