ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猛暑の劔岳:4度目の登攀ルート

2018年09月29日 00時40分35秒 | Weblog
長治郎のコルから見上げたルートは、登るのは今回で四回目となる。
だが決して慣れているわけではない。
何故ならここはバリエーションルート。
毎回同じ状況であるとは限らない。
分かっているつもりではあったが、初めてここを登攀した時よりも緊張感が走っていた。
すべてはあの落石が原因だった。

慎重に攻めた。
手で握る岩の状態や足をかけるポイントの状態など、一箇所一箇所を確認して登った。


あの落石の件は忘れることはできないだろう。
でも今は一挙手一投足に集中すべきだ。
どのあたりでやってしまったのか・・・。
気になることではあったが、先ずは今の行動に集中だ。

握り拳ほどの小岩が崩れ落ちる。
「ラ~ク!」と下にいるAM君に声を掛ける。
「大丈夫で~す!」
ホッとする間もなく、再び小岩の落石。
何度か起きてしまったが、問題はなかった。

少し間をおいてAM君が登ってきた。

やはりどうしても小岩が落ちる。

この区間はスタカット方式で登った。
自分が先行し、後からAM君が続く形だ。
落石に対する安全対策として二人の間に少し間隔を置くことが良いと判断した。


AM君も時々小岩や小石を落としてしまっていた。
「オッケー! 大丈夫だからそのままマイペースで来て!」
「了解です」
いいペースで登ってきている。


長治郎のコルがだんだんと遠くになってきた。


もうほんの少し登れば危険地帯が終わる。
そうすれば僅かだがフラット気味の稜線ルートになる。

時間にして20分程度だったろうか。
やっと危険地帯を抜けることができた。
「いやぁー厳しいですね。ザイルを使わないとはいえ自分一人ではとても無理でした。バリエーションって判断が本当に難しいと思いました。」
AM君の本音だろう。
挑戦する意義も楽しみも、そして難しさも通常ルートとはかけ離れている。


下っている時には気付かなかったが、小さな「ケルン」を見つけた。

自分の足元あたりに石が積まれているのがケルン。
おそらくは誰かが積み上げたものだろうが、実はこのケルン、画像からは分かり難いが自分の立っているポイントからはかなり離れた場所に積まれていた。

ケルンの方に行くに連れ、立っていられる面積が徐々に狭くなっており、実際に積まれている場所は人一人がやっと立っていられるくらいの面積しかなかった。
もちろん両サイドは断崖絶壁である。
「こりゃぁチキンゲームだな(笑)」
と言いつつ、自分も一つだけ小石を積み上げた。
足が竦むことはなかった。
そのことが嬉しかったこともあり、今日久々に笑ったような気がした。


猛暑の劔岳:長治郎の頭へ戻る

2018年09月28日 00時22分17秒 | Weblog
ザレた斜面を逆方向に進むが、一歩一歩がかなり厳しい。
「ズズズー」という音を立てながら細かな岩が足元から崩れ落ちて行く。
思わず何度か倒れそうになりながら来たルートを戻った。


見覚えのあるピンポイントが幾つかあり、そのポイントを頼りに進む。
しかし、ところどころ記憶があやふやであり、「はて、どっちだったかな・・・」と立ち止まっては確認しながらの帰路であった。

体は中から火照っている。
キンキンに冷えた冷水をがぶ飲みするか、服を着たままでプールの中に飛び込んでしまいたい思いだった。

大きな残雪の塊のポイントへと来た。

「おぉ~気持ちいい~!」
写真では唇だけを雪面に付けているが、頬や両腕などを押しつけて真夏の雪の冷たさに歓喜していた。(ホントに気持ちよかった!)

再びザレたポイントのトラバースとなった。

足幅は十分にあるがここは落ちたらアウトだ。
慎重に進む。
そして一つ気になったのが落石だった。
当然自然落石であるが、ここで岩が落ちてきたら避けきれるものではない。
避けようとするならば体のバランスを失い、滑落してしまうだろう。
時々顔を上げ「来るなよ」と祈る思いで進んだ。


ここは来すぎてしまったポイントで、去年もこのポイントで立ち往生してしまった。
しかし、ここは少し戻って上を目指せばよいことは分かっていた。(焦らない焦らない)

長治郎のコルまではまだある。
分かってはいたが、ここから僅かに見ることができる遠くの山脈(やまなみ)に見とれてしまった。
立山方面だけではなく、北アルプス南部の峰々が見渡すことができたのだ。


(「俺は何て山奥まで来たんだろう。」)
バリエーションルートは確かに怖い。
何が起きても不思議ではない怖さがある。
だが、この山深さをどう表現すればいいのか。
ほぼ3000メートル近い標高で、周囲はすべて岩稜群に囲まれている。
何という山奥なんだと実感できる。

などと感傷に浸っている場合ではない。
とにかく先ずはコルへ戻らねば。

フィックススリングのあるポイントまで来た。
ここまで来ればコルまでほんの少しだ。


ここは掌で圧をかけて登ったところだ。
だからここの段差を下る時には、右側にはホールドポイントが無い。

AM君、慎重に段差を下った。
よっしゃ、無事通過だ。

なんとかコルへと下り、一息ついた。
「あまり思い出したくないなぁ」と言いながら裏剱の岩壁を見上げた。
そう、あの落石を起こしてしまったポイントだ。
神経質にはなりたくはなかったが、自分にとってはそれほど嫌な出来事だった。

コルから振り返り、通ってきたルートを振り返った。

赤の実線を往復したのだが、去年とはかなり違うルートとなった。
それがバリエーションルートであることの証だが、もし来年の夏、三度ここを訪れたとしても、今日のルートで越えることができるのかどうか、何の確証もない。
一つ言えることは、長治郎の頭を越えるための候補ルートが一つ増えたということだ。
決して無駄ではない。

猛暑の劔岳:もう一度岩壁へ

2018年09月26日 23時49分19秒 | Weblog
昼飯を何にするかと、今日の出発直前まで決めかねていた。
「おそらくはかなり汗をかくだろうなぁ・・・」
そう思い、最終的には「しょっぱさ」を優先してカップ麺に決めた。


とにかく空腹だった。
早朝5時出発というのは何度も経験しているが、4時というのは殆ど記憶にない。
たった1時間早まっただけだが、それだけ朝食も早く食べなければならない。
3時前の朝食など半ば無理矢理腹に詰め込むといった感じだったが、行動開始から既に8時間以上経過している訳だし、いい加減空腹だった。


カップ麺にして大正解だった。
この醤油味のしょっぱさがたまらなく美味かった。
AM君は味つけご飯。
自分はカップ麺だけでは少々足りなかったこともあり、昨日の行動食の余りでもある菓子パンを食べた。
何とか腹の虫は治まってくれたようだった(笑)。


長治郎雪渓を眼下に食後の珈琲のなんと美味いことか!

しかしながら、食べている時も頭の中は復路のルートのこととついさっきの立ちすくみのことで一杯だった。
あれだけの落石を起こしてしまったという「罪悪感」の様なものが頭から離れない。
決して意図的ではないにせよ「とんでもないことをしてしまった」という思いだ。
AM君にはできるだけ悟られないよう平静を装っていたが、自ずと無口になってしまっていたような気がする。

「さぁて、そろそろ戻らないとね。」
そう言ってアタックザックを背負った。
帰る前にモアイ像の前で記念写真を一枚。


写真を撮り終えすぐにスタートしようとしたのだが、何故かもう一度北方稜線を見たくなった。
つまり、再度あの崖っぷちに立ってみようと思ったのだ。
理由は二つ。
一つは小窓の王とバンドをもう一度見たかったこと。
そしてもう一つは「まだ足は竦むのか・・・」。
それをどうしても確認しておきたかった。


やや恐る恐る崖っぷちに近づいた。
小窓の王を見るふりをしてはいたが、気になったのはむしろ足元の50メートルの崖だった。
ゆっくりと真下を見下ろした。
どことなくではあったがやはり下半身に力が入らなかった。
それでも最初の時程の震えの様なものは無かった。
(「大丈夫か・・・行けるか・・・。」)
不安が払拭されたわけではないが、いつまでもこの場に留まっている訳には行かない。
「帰らなければ」
それだけだった。

もう一度長治郎の頭を越え、あの現場を越え剱の頂を目指す。
そしてヨコバイを越えて平蔵谷の急雪渓を下る。
最後は剱沢雪渓の登攀だ。

難所はまだ前半を終えたばかりだ。



猛暑の劔岳:足が竦むという感覚

2018年09月24日 00時01分41秒 | Weblog
モアイ像まで近づいた。
「さて、一服して食べようか。」
「いやー腹ぺこです!」
同感だ。
北方稜線に入ってからは緊張の連続だったこともあり、忘れていた空腹感が一気に来た思いだった。

煙草を吹かしながら通ってきたルートを改めて振り返った。


どこをどのように通ってきたかは覚えている。
しかしどうだ。
一見しただけではまるでどこを通って帰ればよいのか分からない。
(もし初めての場合、赤い線が考えられるルート。ルートファインディングのミスはかなり起こしやすいと思う。)

バリエーションルートを越えるには、技術だけではなく知識や経験、そしてある種の「勘」のようなものまでもが必要だと痛感した。


これが俗に言う「モアイ像」。

「北方稜線かぁ、今年も誰にも会わなかったなぁ・・・」
しみじみと思えるルートだ。

よく見ると、このポイントから北方稜線の先のルートがよく目視できた。
去年越えてきた小窓からの縦走ルートだ。

もう少し前へ出てみた。
足元はおよそ50メートル程の断崖絶壁だった。

赤い点線が稜線の下を通る北方稜線縦走ルート。ただし不明確。
実線の矢印が小窓の王を巻いて下るバンド。
通称「発射台」と呼ばれるルートで、このバンドを下りきると三の窓となり、池ノ谷ガリーへと繋がっている。

「懐かしいな」と思いつつも、この時長い登山歴の中で覚えのない感覚に襲われた。
(「あれっ、なんなんだこの感じは・・・。腰に力が入らない。膝から下がなんか震える感じだ。普通に立っていられない。えっ、なんで、俺、どうした・・・」)

崖っぷちに立つことなんて珍しいことでも何でもないのだが、急に腰あたりの力が抜け、ややかがむような姿勢になってしまった。
そして「怖い」という思いになった。

自分でも上手くいい表せない体の感覚だった。
もちろんその原因や理由すら分からない。

この時の体の感覚はAM君には言わなかった。
(「ひょっとしてこれが足が竦むってことなのか。だとしたら俺は高所恐怖症なのか。でもこんなの初めてだ。何故・・・どうして今更。」)

腰を下ろし食事の準備をしながらも自分なりにその原因を探した。
おそらくは気持ちの問題だろう。
だとすれば・・・ひょっとしてあの時の落石か・・・。

浮き石を踏み外してしまい自ら落石を起こしてしまったことなど何度もある。
だが、あれだけの大規模な落石を起こしてしまったことは初めてだった。
たぶん下には誰もいなかった・・・はず。
意図的にやってしまったわけではないが、それでもかなりまずいことをしてしまったという思いは強く残っている。
そして何よりも、あの時かなりの数の岩の塊が落ちて行く凄まじい光景と鈍い轟音は忘れてはいない。
目に焼き付いて離れない高所から崩れ落ちる光景。
それが要因なのだろうか・・・。
いずれにしても「高いところが怖い」という感覚だった。

(「俺、大丈夫かな・・・。帰りが心配だ。」)

せっかくの食事が味気ないものになってしまいそうだった。

猛暑の劔岳:続 頭(かしら)をこえて

2018年09月21日 23時50分11秒 | Weblog
時計回りのルートを諦め、真正面から攻めることに決めた。


僅かな段差ではあったが、左側には岩をホールドできるポイントがなかった。
あまりやりたくはない技術ではあったが「これしかないか・・・」と思い、左の掌全体を岩壁に当て、圧をかけて登った。
(「帰りはここがやっかいになるな。」)
そう感じながら段差を越えた。

越えられそうなコースが左右に分かれていた。
「さて、どっちを選ぶか・・・」
決めてはなかったが、右から攻めてみた。
画像からは分かりにくいが、右のコースの上の方にはフィックスロープが見えていた。
と言うことは、過去に複数の誰かがこのコースを選んで越えたということ。
ならば越えられる可能性は高い。

フィックスロープのポイントまで登りつめてはみたが、越えるにせよ下りるにせよ、ここはザイルもスリングも不要だった。
おそらくは安全第一で越えたか下りたかしたのだろう。
「よっしゃ、ここからなら下りられるぞ。」
お互いやっと笑顔になれた瞬間だった。


ザレたポイントに下り、その先を見た。
行けそうなコースは二つあったが、より安全を優先するのであれば下のコースだろう。
時間はどうだろうか・・・。
コルからここまで既に45分程かかってしまっている。
帰りの所要時間を考えればもう余裕はない。
しかし安全を優先するか、時間短縮を優先するか・・・答えは一つしかない。
当然ながら安全を最優先だ。

「今の時間だと、池ノ谷乗越までは無理だと思う。復路のコースタイムを考えたらあの先に見えている岩の塊までになるけどいいかな?」
「了解です。この暑さですし、無理はできないです。」
ありがたい返事をもらった。

稜線からはより距離のある下のルートで進んだ。
かなりザレている。
一歩足をおろす度に「ズズー ガラガラー」と砕石が音を立てて崩れて行く。
何度か足元を取られながら進んだ。

去年このコースを越えた時は、現在地よりももう少し下のコースを選んだ。
足元がより安定していたからだが、7月下旬のこの時期はまだ残雪が多く、去年のコースは完全に雪に埋もれてしまっていた。


僅かな違いだが、こんなポイントでも上を行くか下を行くかで迷う。
大した違いはなさそうに見えるが、ザレた足元を考えれば決して大袈裟なことではなかった。

やっと少しは足元が安定したポイントまで来ることができた。
ホッと一息つけそうだった。

「そろそろ帰りのコースタイムを考えなきゃならないし、やっぱりあの岩までにしよう。残念だけど暗くなる前にテン場に帰り着くには限界だ。」
「分かりました。腹もかなり減りましたよ(笑)」

そりゃそうだ。
自分だって朝食を食べたのが深夜の2時半頃だったし、すでに8時間は過ぎてしまっている。
その間は行動食だけであり、いつシャリバテをおこしても不思議ではない。


八峰が近づいている。
もう少しの所まで来てはいるが、この辺が潮時だろう。
しかもこの暑さだ。無理をすれば体が中から悲鳴を上げそうだった。

この先に見えている岩は通称「モアイ像」と呼ばれている。
昼飯はモアイ像のポイントで決定だ。

猛暑の劔岳:頭(かしら)を越えて

2018年09月20日 01時48分43秒 | Weblog
コルから長治郎の頭を見上げた。
見上げながら去年の夏に逆から越えてきたルートを探した。
記憶に残っているのは長治郎谷側の二本のバンド。
そして反時計回りで崖っぷちをトラバースしコルへと下りてきたこと。

谷側の二本のバンドはコルに下りる前にはっきりと目視をしポイントを確認した。
短いバンドに沿って進めば反時計回りの崖っぷちに当たる。
だから今回はその逆を辿ればよいことになる。


しかし、それ以外にもひょっとしたらもう少し安全に越えられるルートがあるかも知れない。
去年越えてきたルートは「Ⅱ」のポイントから登ればよい。
分かってはいたが、先ず「Ⅰ」のポイントから攻めてみた。

何とか途中まで登ることはできたが、すぐに諦めざるを得ない状況となった。
数メートル上部にフィックススリングがぶら下がっていた。
当然アンカーとなっているハーケンが見えた。
「あそこからアンカーを利用すれば下りられるけど、ここから登ることは無理だ。諦めよう。」

一端コルへと戻り、「Ⅱ」のポイントに取りかかろうと思ったのだが、「一応あそこもトライしてみよう。」と言って「Ⅲ」へと取り付いた。
登ることはできたが、やはりその先への取り付き口がどこにもなかった。
「やっぱりあそこしかないか・・・。始めから攻めればよかったかな(苦笑)。」

AM君にとっては正攻法が分かっていながら何故別ルートで攻めようとしているのか。
おそらくは不思議、と言うよりは「無駄なことをしている」に近い思いだったろう。
確かに正論だ。
だが、「あーでもない、こーでもない。こっちでもない。ここは無理。じゃぁ次はどこだ。」
こうした連続したルートファインディングこそが、バリエーションルートのおもしろさでもある。
この感覚はまだ分からないだろうけど、そのうち癖になると思う(笑)。

確かにかなり危険な「賭け」のようなものだろう。
一切整備はされていないし何の安全も保証されていないルートであり、落ちればどうなるか・・・。
だが、それを越えることができれば大きな自信にもなるし、経験値は数段上がる。
「なにもそうまでして・・・」と思うのであれば挑戦しなければいいだけのこと。
怖さは一般ルートの比ではないし、幾分クライミング的要素も含まれた登山の総合力が試されるのだ。



さて、ここまで30分以上時間を要してしまった。
(「この分じゃ池ノ谷乗越までは行けないかも。やばいぞ!」)
ルートファインディングを楽しんだ分、時間を費やしてしまった。
さっさと「Ⅱ」から攻めてしまおう。

数メートル登ってみるとかなり大きな残雪の塊が現れた。

歩けそうなルート擬きを探すと、時計回りのルートであることが分かった。
「間違いない。ここだよ。去年はここを反時計回りに通ったんだ。」

懐かしいような思いにもなったが、同時に苦労したことも思い出した。
「えっ、ここを通ったんですか? よくこんなところを見つけましたね。」
少々驚いているようだったが、見つけたのは決して偶然ではなかった。
事前の詳細な下調べがあってのことだった。

残雪の塊があり画像からは分からないが、点線に沿って進むことになる。
最後に張り出した岩が邪魔をしているが、しっかりとホールドすれば崖下に落ちることはない。

ところがだった。
その張り出した岩の下に砕石があり、ルートを塞いでしまっていた。
これは全くの想定外のことだった。
砕石を足でどかして(崖下に落として)しまおうかとも考えたが、岩の出っ張りがその行動の邪魔をしていた。
「こりゃぁダメだね。無理。そっか、ここもダメだったか・・・。戻ろう。」
残念ではあったがどうすることもできない。

元のポイントまで戻りルートを探した。
ここを越えるには登るしかないことは確かだった。
真正面から登ってみようとも考えたが、右に見える溝が安全そうに思えた。
「じゃぁあのルンゼっぽいところから攻めてみる。その上がどうなっているのか分からないけど行ってみる。」
AM君にそう言い残し、その場で待機してもらった。

登ることは比較的スムーズであった。
だが登った先の岩を越えようとその先を覗いてみるとオーバーハングの様な岩となっており、スタンスポイントはどこにもなかった。
「くっそー。ルートっぽいところは見えているんだけどなぁ。そこに下りることができない。」
下で待っているAM君に説明した。

結局為す術無しだったが、残されたルート的ポイントは一つだけあった。
巻かずに、真正面から攻めるコースだ。
「ここが無理だったら一端コルに戻って、左の池ノ谷側からのルートを探した方が賢明かも知れないね。」
ここまでかなり時間がかかってしまいAM君には申し訳なかったが、これ以上の時間ロスは許されなかった。

こうして頭を越えるためにあちこち攻め口を探していたが、この時に思い出していたのはやはり「劔岳 点の記」の映画だった。

測量隊一行は登り口を見つけることはできても、その途中でルートがなくなり諦めざるを得ない状況となってしまう。
「そんな状況に似ているな」などと勝手に思っていた。

ため息は出るが、あきらめのため息ではなかった。
気を取り直すためのため息であり、「よっしゃ。登るか。」である。

猛暑の劔岳:山が怖い・・・

2018年09月19日 01時51分17秒 | Weblog
何とか気を落ち着かせ再びコルを目指し下った。

(「なんであんなところに・・・」)
(「まさかあれが置き石とは・・・」)
(「危なかった。一歩遅れていたら俺の足が潰れていた」)
(「下に登山者はいなかったはずだ。いるわけがない。」)

落ち着いたつもりであったが、さっきの出来事が脳裏を掠めてばかりだった。
(「いかん! 今やることに集中しよう。」)
わかっているつもりなのに、また「なんで・・・」となる。
自分のメンタルの弱さをさらけ出しながらの縦走となってしまっていた。


もうすぐ長治郎のコルというところで、かなりの段差があるポイントがあった。


「ここを下りればいいだけ・・・ちょっと待て。この段差じゃ復路の時に絶対に登れない。」
一応足をおろそうと試みたが、下りることはできてもこれだけの段差を登ることは無理だとはっきりわかった。
「やめよう。他を探そう。」
AM君にそう言ったものの、どこにあるのか・・・。
安全に往復できる巻きルートを探した。
だがなかなか見つからない。
唯一巻けそうなポイントと言えば、岩壁にへばりつくようにしながら何とか越えられそうなところが一ヵ所だけあった。
ホールドポイントは数ヵ所あったがスタンスポイントが一ヵ所だけ。
しかもつま先程度しか置くことができなかった。
「ここしかないか・・・」
半ば諦めに近い思いでトライしたが落ちれば怪我だけじゃ済まないだろう。
(「まさかこの岩がグラってくることはないよな・・・」)
どうしてもさっきのことがトラウマになってしまっていた。

たった1メートルほどの距離を巻いて越えるにもこの有様だ。
こんなことで長治郎の頭を越えられるのだろうか・・・。

ここまでくればもう大丈夫というポイントからはAM君に先にコルへと下りてもらった。


コルから見上げた裏剱。
想定していた以上の難所だった。


ここで一服した。
煙草をふかしながら下ってきたルートを見上げた。
「さっきのはあのあたりだったかな。」
落石現場と思えるポイントを指さした。
「すごい斜面ですね。ひとたまりもないですね。怪我が無くて良かったです。さっきは○○さんが本当に死んじゃうと思ってしまいました。」

改めて見ると確かにすごい斜面だと痛感した。
痛感しながらもルートは分かった。
何の印もないが、頂上へと向かうルートが自分には見える。
ただ、安全に戻れる保証はどこにもない。


富山湾をバックに一枚。


ついでに自分も一枚。
しかし、顔からは満足感も充実感も見て取れない。

いよいよ頭だ。
取り付きポイントは「あそこ」と言って指を差した。

取り付き箇所は分かるが、果たしてその先がどうなっているのか・・・。
去年と同じであってくれれば助かるのだが、そううまくは行くまい。
ここに来るまでにも去年とは違った状況になっていたポイントは幾つもあったし、ましてや今立っている場所はバリエーションルートのど真ん中だ。

山は楽しくもあり怖い。自然は美しくもあり恐ろしい。

あれから約二ヶ月が過ぎた。
敢えて言うのなら、7月26日、あの日は丸一日が試練の連続だった。

猛暑の劔岳:長治郎のコルへ「落石」

2018年09月17日 21時25分07秒 | Weblog
北方稜線へと一歩を踏み出した。
山頂から僅かに離れただけの距離であり、見慣れた岩稜地帯という風にしか捉えておらず、この先に待ち受けている危険地帯に対してはまだ鈍感な自分だった。


少し下ってから這い松が混じるフラット気味の稜線を進む。
トレースらしきルートが見えてはいるが、それでも今までの様な安心感は無かった。

出発前の事前打ち合わせの時に、「映画と同じポイントで写真を撮ろう!」とおバカな計画を立てた。
映画「劔岳 点の記」の中で、登頂直前のワンシーンと同じポイントに来たら俳優さん達と同じような設定で撮ってみようということだ。


「たぶんこのあたりだと思うよ。帰りにまたここを通るからやろうよ。」


「楽しみですよ!」
そんな楽しい、いや、暢気な会話だった。
まだこの時は・・・・・。

トラバース気味に進み、いよいよ岩稜地帯へと下って行く。
長治郎谷の佐俣へと落ちて行くように岩が切れ込んでいる。
「違う。今まで見た裏剱とは全く違う。」
当然である。
過去三回はコルから主峰を見上げながら登った。
今日はコルを見下ろしている初めての逆ルートだ。
本音を言えば「難しくなりそうだ・・・」と思った。


今いる場所からは佐俣は見えていない。
見えていないと言うことは、それだけ急な岩場を下らなければならないということ。
分かっていたことだが、初めての下りルートは慎重に行こう。


どこをどのように行けば比較的安全に下れるのか、下るべきルートを判断し決定する。
そして何度も何度も立ち止まってはルートを見つけ数m先までを確認した。
同時に振り返り、下りてきたルートを確認した。
「帰りも同じルートだからよく覚えておくこと」
なんの目印も指標も一切無いバリエーションルートならではの道迷い対策の一つだ。


長治郎の頭が一段と目の前に迫ってきた。
改めて見てみるとやはりでかい、高い、そして「どこを通って越えるか・・・」と不安になる。
去年の夏、反対側から越えたと思えるポイントがはっきりと目視できた。
「たぶんあのポイントだ。そこが違うならもう少し上のあのポイントか、それとももっと上か・・・」
頭の中でぐるぐるとルートファインディングが絡み合うように混沌としてきた。
いや、今はコルに下りることに専念すべきだ。

慎重に下ってきたはずであるにも関わらず、何度かごく小規模の落石を起こしてしまっている。
幸いに握り拳程度の岩だが、数十メートルの距離の落石ともなれば、かなりの数の石や岩を巻き込んでの落石となった。
だからこそ尚のこと慎重に下っているつもりだったのだが・・・。

とあるポイントで一抱えはあろうかと思える大きな岩に手をつき、その岩につかまって体を支えながら下りようと考えた。
手のひらが触れた時だった。
その岩が僅かにグラッと動いたことに気付いた。
「えっ、なんで。これってまさか置き石(浮き石)か?・・・」
ほんの一瞬の出来事で正確には覚えていない。

一抱えはあろうでかい岩が今将に落ちようとしていた。
「えっ、やばい!」と声を出す前に、何故か両腕で岩が落ちるのを防ごうとした。
普通に考えれば人間一人の力ではどうすることもできないくらいは分かりそうなものだが、あの時は何故か落とすまいと両腕で支えてしまった。

無駄な抵抗、あがきである。
今まで体感したことのないほどの凄い重さで上から押してくる。
唯一冷静であったこと。
それは「この岩は完全に落ちる。先ずは自分の足元に落ち、その後は佐俣の谷底へと落ちるだろう。自分の足が潰されないようにするには素早く両足を引っ込めるしかない。」
そう判断できたことだ。

両腕で支えていたのは本の数秒間だけ。
手を引くと同時に両足も引き、背中から斜面に倒れるように後方に避けた。
岩は推測通り自分の足元付近に「ドスン!」と鈍い音を立てて落ち、そのまま100m程谷底へと落ちていった。
とてつもない地響きの様な落石音だった。
当然落ちていったのはその岩だけではない。
大小かなりの岩を巻き込んでの落石だった。
自分とAM君は、ただ大声で「ラ~ク! ラ~ク!」と叫び続けるしか術はなかった。

こんな大規模の落石を見たのは初めてだった。
いや、正確には見たのではなく「起こしてしまった」だ。
背筋が凍る思いになった。
「俺がやってしまった・・・。下に登山者はいなかっただろうか。」
入山禁止の佐俣だから、登山者はいない・・・はずだ。
だが一抹の不安はあった。
そしてその不安は完全に下山するまで払拭されることはなかった。

体中の力が抜けてしまったようだった。
AM君が言ってきた。
「○○さんが本当に死んだかと思ってしまいました。よくあの時避けられましたね。」
「俺もよくわからない。ただ、自分の足の上にだけは落とせない。それだけしかなかったよ。」

気を落ち着かせなければと、ここで休憩をとった。
一服しながら北方稜線を眺めていたが、まだ鼓動が聞こえているようだった。

慎重に下ってきたつもりだったが、ルートファインディングのミスを恐れるばかりで、手元にまで注意が行っていなかった。
そう反省しながらも、自分のやっていることが怖くなってきた。

ここは北方稜線、裏剱。何が起きても不思議ではないバリエーションルート。
分かっていたつもりだったが、自分が起こしてしまったという事実が怖くなってしまった。
気持ちを切り替えよう。
反省の一つとしてポジティブに捉えよう。
そうでなければここから先へ進むことが一層困難になる。


実際に落石を起こしてしまったポイントはもっと上の方。
岩はこの下に見える谷底めがけて鈍い轟音と共に落ちていった。
凄まじい光景を目の当たりにした。


猛暑の劔岳:ここから、これから

2018年09月12日 23時45分20秒 | Weblog
タテバイを難なくクリアし終え、気を引き締め直した。
「北方稜線がこんなにスムーズに越えられるはずはない。楽しみだが先ずはもう一度気持ちをフラットにしなきゃだめだ。」


越えてきたルートを振り返った。
そして何処かでお気楽に考えてしまっていた自分を反省した。

突然無口になってしまった自分を不思議そうに見ていたAM君だったが、彼にも言っておいた方が良いと思い直した。
「この先の北方稜線は落石が起きようとも一切整備はされないルートだから、細心の注意が必要だし、『こんなはずじゃなかった』なんてこともあると思うからそのつもりで行こう。」
「分かりました。とにかく集中ですね。」


海が見える。
空の青さとは違う「もう一つの碧」が広がっていた。
その碧は気持ちをフラットにするにはもってこいのような気がした。
「さぁ、てっぺんまでもうちょっとだ。行こうか!」
と言って登り始めた時だった。
「Hey!」という男性の声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、なんとまたまたあのスイス人夫妻であった。
登頂し下山し始めたばかりのようだった。


地図を見せ、自分たちは今日ここまで行くという意味で地図上に指を置いた。
「Over the summit!」
この程度の単語を並べただけで通じてくれた。
と言うよりは、二人が何とか理解してくれた(笑)。

昨日から通じて三度も会っているせいか、別れが名残惜しい。
握手をし、お互い自然とハグとなった。

二人が下り始め、姿が見えなくなる直前に叫んだ。
「Have a nice climb and travel !」
たぶん通じたのだろう。
振り返り大きく手を振ってくれた。

8時15分、山頂に着いた。
なんとここまで4時間以上もかかってしまった。
途中、想定していなかったこともあり仕方あるまいか・・・。


改めて空の青さと海の碧さに感動しながら登頂の喜びに浸った。


一応記念写真だけは撮ったが、喜びはここまでだ。

「前にも言ったけど、この先のコルからの裏剱ルートは三度登っている。でも下るのは今日が初めてだからあまりあてにしないでね。」

自分がAM君にそう言ったのは決して言い訳などではなく、明確な理由があってのことだ。
二年前の10月に奥穂高岳からジャンダルムまで縦走した時のことだ。
奥穂からジャンを越え、西穂までは四度通っていたが、逆コースは初めてのことで、ジャンから奥穂までのルートで手こずった苦い記憶がある。
だから今日にしても同様のことがあっても何ら不思議ではない。
同じルートであっても、体の向きが180°違えば視界に入る風景やルート状況は全く違うのだ。
そして難易度や危険度が大きければ大きい程その違いも大きい。


「ここからが北方稜線。あれが長治郎谷と右俣、そして八峰で、あれが長治郎の頭。」
説明しながらも徐々に緊張感が走ってくる。
前剱からタテバイまで一緒だった三人組が「気をつけて」と言ってくれた。
そして「私はこの先のルートのことは本では知っています。でもかなり危ないとだけしか知りません。今日は本当にありがとうございました。おかげで何とか登ることができました。どうぞ気をつけて行ってきて下さい。」
タテバイを一緒に登った方からの言葉だった。
ありがたかった。

それぞれの山男達と握手を交わし別れた。

今回の劔岳縦走のメインはここから、そしてこれから始まる。

猛暑の劔岳:このままではいけない

2018年09月10日 23時24分32秒 | Weblog
タテバイの取り付き口へと来た。
上を見上げながらタテバイのルートについて概略を説明した。
説明しながら思ったこと。
「果たしてこの人の岩場での登山レベルはどれくらいなんだろうか・・・」
そして「この俺が他人にタテバイのアドバイスか・・・。なんか笑っちゃうな。」

そんなことを考えながらも真剣に攻略方法を説明した。


生意気にもこの自分がタテバイの説明をしている(笑)。

今回は自分が先に登攀し、AM君が後続とした。

少し登ったポイントで一端立ち止まり、様子を見た。
ゆっくりではあるが特に問題はなさそうに見えた。


ん? ペースが落ちている。アタックが始まったばかりでまさか・・・。


そこは右への移動ポイント。 ゆっくりでいいからマイペースで確実に!


自分が今いるポイントはちょっと厳しいが頑張って欲しい。


最後のほぼ90°の壁を越えればもう大丈夫なのだが、かなり苦戦しているように見えた。
「そこから最後までが厳しいですけど、きついと思ったら無理せず一息入れてください。時間を掛けてゆっくりと登ってください。」
と下に向かって言った。
返事はなかったが、顔の表情は「ちょっとやばいかな」と思える程辛そうに見えた。

しかし、それでも自力で登らなければならない訳だし、始めからそのつもりで来たのだろうし、自分と出会ったのは偶然だろうけど、自分は言葉としてアドバイスをることしかできない。

かなり時間はかかってしまったが、なんとかタテバイをクリアしてくれた。
「ここまで来てしまえばもう大丈夫ですよ。もうアドバイスは必要ないですから先に登頂してください。」
何度もお辞儀をして山頂を目指した彼だった。

正直に言ってしまえば、全くの初対面の他人様の命を預かるようなことはしたくはない。
そこまで責任は負えないし、負いたくはない。
もう勘弁してほしいと思った。

さて、お次はAM君の番だ。
まぁ特に問題はないだろうし、たくさん写真を撮ってあげよう。


取り付き開始!


順調順調!


「お~い、あんまり急ぐなよ。いい写真が撮れないから(笑)」
「わかりました~。ゆっくり登ります。」


こっち向いて「ハイチ~ズ!」
気の緩みではなく、ゆとりだ。 さぁもう少し。


ここを越えればOK。


はい、お疲れ様でした。 m(_ _)m


劔岳に登るのなら、程良い緊張感は必要だといつも思っている。
同じコースでどれほど登ろうともそれは同じだ。

2回目までのタテバイはそれなりに緊張感を持って臨んでいた。
だが今はどうだろう、昔のような緊張感はないのが事実だ。
それは「慣れ」であり「自信」でもある。
この20mの岩壁のどこにどのようなポイントがあり、腕と足をどう動かせば良いのかを知っているからだ。

「ダメだ。このままじゃダメだ・・・」
タテバイを登り終え、突然独り言のようにつぶやいた。
AM君が驚いたように「どうしたんですか?」と聞いてきたが、「いや、何でもない。俺のことだから気にしないで。」とだけ言い返した。

「慣れ」は怖い。
無意識で緊張感を失っている。
そしてそのことに気付いていない自分だ。
こんなんじゃ、いつの日か剱に手痛いしっぺ返しをくらうことになりかねない。
この先、北方稜線に入ったら100%気持ちを切り替えないといけない。
そう思った。