ガレ場の坂を下っているということは実感できる。
しかし、ここが小窓の王の発射台(バンド)であるという実感が湧いてこなかった。
あまりの濃いガスの中で、限られた範囲でしか目視できないでいることがそうさせているのだと思う。
「とりあえず三ノ窓のコルまで下れば、あとはガリーだ。」
そう思いながらバンドを下った。
やがてルートがフラットになり、ここがコルだろうというポイントまで来た。
だが、コルにはテントを設営できるポイントがあるというが、それを確認することはできなかった。
「ここからの絶景を見たかったなぁ・・・」
何度も思ったが、先へ進むことしかできない。
なんとも歯がゆい思いであったが、いよいよガリーへの登攀だ。
バンドの時と同様に、ガリー登攀も実感が湧かなかった。
ガリーを見上げるも途中からガスで何も見えない。
それでも今まで見たことのない程のガレ場であることだけは実感できた。
もう一年以上も前になる。
北方稜線縦走についてネットで調べていた時のこと。
とあるホームページの管理人さんがアップしたガリーの画像説明に、こんなことが書かれてあった。
「これがあの悪名高き池ノ谷ガリーだ」
その言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そして今、自分はその悪名高きガリーの真下にいて、これから登ろうとしている。
小窓の王直下からいざスタート。
初っぱなから足下の岩が崩れる。
力ずくで踏ん張るも「ズズズー。ガラガラー」っと崩れて行く。
一歩ずつスタンスポイントを狙い、できるだけ崩れないであろうと思える所に足を置くが、悲しいかな無駄なあがきのようだった。
それくらいのガレ場だった。
最も気をつけたことは、先を登っているHさんとの距離だった。
自分の感覚で、常に5~6メートルの間隔をあけて登ることにした。
あまり距離をあけてしまうと、崩れて落ちてきた岩の落下速度が増し避けきれないことになりやすいこと。
そしてもう一つは、崩れる岩の数が多くなり過ぎてしまい、岩雪崩に巻き込まれやすくなってしまうことだ。
その二つを回避するために、最も適切と思える距離が5~6メートルだろうと考えた。
事実、かなりの回数で上から岩雪崩が起きた。
だがこの距離であれば、崩れた岩がバウンドし、自分めがけて跳ね跳んでくることもなかった。
Hさんが岩雪崩を起こしてしまう度に「ラ~ク! ごめんなさい!」と言ってくるが、このガリーの現場ではそんなことは当たり前のことであることは分かっているつもりだ。
「大丈夫ですよ、気にしないでください。」と返事をするものの、自分もかなりの回数で岩雪崩を起こしてしまっていた。
幸いに、上から下りてくる登山者も後から登ってくる登山者もおらず、自分たちだけの登攀に集中すればよかった。
登攀途中から見下ろしたガリー。
バックに写っているのが小窓の王。
時折ふり返りながら小窓の王を見た。
裏劔を象徴する岩峰は「チンネ」かも知れないが、そのチンネはガスの中。
この先、ガリーを越え、池ノ谷ノ頭を越えてもガスっているのだろうか・・・。
それは登ってみなければ分からないが、期待は薄いだろう。
どれくらいこのあまりに脆すぎるガレ場を登っただろうか。
予定では1時間程度が標準的な時間なのだが、まだ30分ほどしか過ぎていない。
Hさんに断り、現在のポイントの標高を確認することにした。
ガリーのてっぺん、つまり池ノ谷乗越の高度が2660mほど。
現在地は2590mと表示されている。
多少の誤差はあるが、思っていた以上に高度を稼いでいると思った。
「でもまだまだだろうなぁ。いくら精度の高い高度計で、各ポイントで修正をしていると言っても、こんな荒れた低気圧の日だし、誤差はけっこう出てしまうだろうなぁ。」
そんなことを考えながら再び登攀を開始した。
ところがだった。
ほんの少し登ってから、ふと見上げると・・・。
これはアップの画像であり、本当はもっと小さくしか見えなかったが、明らかに雪渓の切れ目が見えている。
「Hさん、ほら見て! あそこ。あれって雪渓ですよね。ってことはあそこがガリーの終点で、乗越だと思います。たぶんあの雪渓が長治郎谷の右俣だと思うんです。」
お互い久しぶりに気が楽になったと思う。
声こそは出さなかったが、二人同時に笑顔になったのは久しぶりのような気がした。
ガリーの終わりが見えてきた。
足下のガレた岩も、何となくではあるがザレ場になってきた様に感じる。
ふり返ってみる。
「よく登ってこれたな・・・。」
だが、まだ終わってはいない。
ここで集中力が途切れてしまうことが怖い。
それでも、もうすぐだというホッとする気持ちになれた。
ふと左側面の岩峰を見上げ、写真を撮った。
デジカメのディスプレイを見ただけでは分からなかったが、実際に上部を目視してみると、かなり先端の尖った岩峰がかすかに見えた。
「あれだけ尖った岩が見えるってことは、やっぱり結構高度を稼いだんだ。思っていたよりも時間はかからなかったんだ。」
岩稜地帯に入り込んだという実感がひしひしと伝わってくるとんがりだった。
もう少しで乗越だというポイントで、ついにこれを見ることができた。
このあたりの地域では、この岩の切れ目を「窓」と言う。
この「窓」を見てみたかった。
そばに近づてみたが、残念ながらその窓から見える景色は真っ白だった。
乗越までもうほんの少しというポイントで、ガリーをふり返ってみた。
小窓の王がほぼ目線の高さになっていた。
そしてよく目を凝らしてみれば、発射台のバンドが見えたではないか。
(赤い矢印に沿って下ってきた。)
もう過ぎてしまったこと、過去の出来事になってはしまったが、あのバンドを下りてきたという事実をやっと自分で認めることができた。
そして池ノ谷乗越に着いた。
ガリーを登り切った。
三ノ窓のコルから約40分の登攀だった。
「きつかったねぇ。危なかったねぇ。」
Hさんがしみじみとした思いで言った。
「そうですね。想定していたガレ具合とはなかり違っていましたね。これ程とは・・・。
おかげでかなり腹が減りましたよ(笑)。 ここで飯にしましょう。」
この乗越は、テントを設営できるポイントが三箇所もあり、腰を下ろしてゆっくりと休憩するにはもってこいの場所だった。
しかし、ここが小窓の王の発射台(バンド)であるという実感が湧いてこなかった。
あまりの濃いガスの中で、限られた範囲でしか目視できないでいることがそうさせているのだと思う。
「とりあえず三ノ窓のコルまで下れば、あとはガリーだ。」
そう思いながらバンドを下った。
やがてルートがフラットになり、ここがコルだろうというポイントまで来た。
だが、コルにはテントを設営できるポイントがあるというが、それを確認することはできなかった。
「ここからの絶景を見たかったなぁ・・・」
何度も思ったが、先へ進むことしかできない。
なんとも歯がゆい思いであったが、いよいよガリーへの登攀だ。
バンドの時と同様に、ガリー登攀も実感が湧かなかった。
ガリーを見上げるも途中からガスで何も見えない。
それでも今まで見たことのない程のガレ場であることだけは実感できた。
もう一年以上も前になる。
北方稜線縦走についてネットで調べていた時のこと。
とあるホームページの管理人さんがアップしたガリーの画像説明に、こんなことが書かれてあった。
「これがあの悪名高き池ノ谷ガリーだ」
その言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そして今、自分はその悪名高きガリーの真下にいて、これから登ろうとしている。
小窓の王直下からいざスタート。
初っぱなから足下の岩が崩れる。
力ずくで踏ん張るも「ズズズー。ガラガラー」っと崩れて行く。
一歩ずつスタンスポイントを狙い、できるだけ崩れないであろうと思える所に足を置くが、悲しいかな無駄なあがきのようだった。
それくらいのガレ場だった。
最も気をつけたことは、先を登っているHさんとの距離だった。
自分の感覚で、常に5~6メートルの間隔をあけて登ることにした。
あまり距離をあけてしまうと、崩れて落ちてきた岩の落下速度が増し避けきれないことになりやすいこと。
そしてもう一つは、崩れる岩の数が多くなり過ぎてしまい、岩雪崩に巻き込まれやすくなってしまうことだ。
その二つを回避するために、最も適切と思える距離が5~6メートルだろうと考えた。
事実、かなりの回数で上から岩雪崩が起きた。
だがこの距離であれば、崩れた岩がバウンドし、自分めがけて跳ね跳んでくることもなかった。
Hさんが岩雪崩を起こしてしまう度に「ラ~ク! ごめんなさい!」と言ってくるが、このガリーの現場ではそんなことは当たり前のことであることは分かっているつもりだ。
「大丈夫ですよ、気にしないでください。」と返事をするものの、自分もかなりの回数で岩雪崩を起こしてしまっていた。
幸いに、上から下りてくる登山者も後から登ってくる登山者もおらず、自分たちだけの登攀に集中すればよかった。
登攀途中から見下ろしたガリー。
バックに写っているのが小窓の王。
時折ふり返りながら小窓の王を見た。
裏劔を象徴する岩峰は「チンネ」かも知れないが、そのチンネはガスの中。
この先、ガリーを越え、池ノ谷ノ頭を越えてもガスっているのだろうか・・・。
それは登ってみなければ分からないが、期待は薄いだろう。
どれくらいこのあまりに脆すぎるガレ場を登っただろうか。
予定では1時間程度が標準的な時間なのだが、まだ30分ほどしか過ぎていない。
Hさんに断り、現在のポイントの標高を確認することにした。
ガリーのてっぺん、つまり池ノ谷乗越の高度が2660mほど。
現在地は2590mと表示されている。
多少の誤差はあるが、思っていた以上に高度を稼いでいると思った。
「でもまだまだだろうなぁ。いくら精度の高い高度計で、各ポイントで修正をしていると言っても、こんな荒れた低気圧の日だし、誤差はけっこう出てしまうだろうなぁ。」
そんなことを考えながら再び登攀を開始した。
ところがだった。
ほんの少し登ってから、ふと見上げると・・・。
これはアップの画像であり、本当はもっと小さくしか見えなかったが、明らかに雪渓の切れ目が見えている。
「Hさん、ほら見て! あそこ。あれって雪渓ですよね。ってことはあそこがガリーの終点で、乗越だと思います。たぶんあの雪渓が長治郎谷の右俣だと思うんです。」
お互い久しぶりに気が楽になったと思う。
声こそは出さなかったが、二人同時に笑顔になったのは久しぶりのような気がした。
ガリーの終わりが見えてきた。
足下のガレた岩も、何となくではあるがザレ場になってきた様に感じる。
ふり返ってみる。
「よく登ってこれたな・・・。」
だが、まだ終わってはいない。
ここで集中力が途切れてしまうことが怖い。
それでも、もうすぐだというホッとする気持ちになれた。
ふと左側面の岩峰を見上げ、写真を撮った。
デジカメのディスプレイを見ただけでは分からなかったが、実際に上部を目視してみると、かなり先端の尖った岩峰がかすかに見えた。
「あれだけ尖った岩が見えるってことは、やっぱり結構高度を稼いだんだ。思っていたよりも時間はかからなかったんだ。」
岩稜地帯に入り込んだという実感がひしひしと伝わってくるとんがりだった。
もう少しで乗越だというポイントで、ついにこれを見ることができた。
このあたりの地域では、この岩の切れ目を「窓」と言う。
この「窓」を見てみたかった。
そばに近づてみたが、残念ながらその窓から見える景色は真っ白だった。
乗越までもうほんの少しというポイントで、ガリーをふり返ってみた。
小窓の王がほぼ目線の高さになっていた。
そしてよく目を凝らしてみれば、発射台のバンドが見えたではないか。
(赤い矢印に沿って下ってきた。)
もう過ぎてしまったこと、過去の出来事になってはしまったが、あのバンドを下りてきたという事実をやっと自分で認めることができた。
そして池ノ谷乗越に着いた。
ガリーを登り切った。
三ノ窓のコルから約40分の登攀だった。
「きつかったねぇ。危なかったねぇ。」
Hさんがしみじみとした思いで言った。
「そうですね。想定していたガレ具合とはなかり違っていましたね。これ程とは・・・。
おかげでかなり腹が減りましたよ(笑)。 ここで飯にしましょう。」
この乗越は、テントを設営できるポイントが三箇所もあり、腰を下ろしてゆっくりと休憩するにはもってこいの場所だった。