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ギャラをいただく者の責任

やっと涼しくなった夕方、三郷山を歩きながら明日(ホテルライブ)の選曲について考えました。
昨年6月から行ってきたこのライブは、明日で58回目になりますが、60回近くもやってきて、「今日はうまく弾けたな」と満足して気分よく帰ってこれたのはわずか2~3回ほどしかありません。ほぼ毎回、いい雰囲気で終わらせていただいているのは、多分アルコールのおかげでしょう。演奏の出来不出来は自分が一番よくわかっていて、実は、ほとんど毎回「もう少し何とかできたのに」という反省もしくは後悔の日ばかりです。
「うまく弾けた」という日はめったにないのでよく覚えています。後半(の後半)に小品ばかりを弾いた日です。そうでない日の大部分は欲を出して、比較的大きい曲や難しい曲を弾いてしまった日です。もちろん、その時期に毎日弾き込んでいて、前日にも「これくらい弾ければ使えるだろう」と確認した曲ばかりですが、それでもミスを頻発したり、棒弾きになってしまったりするのは、やはり長距離運転と長時間演奏からくる疲労のせいでしょう。
けれども、走行距離も演奏時間も初めからわかっていることです。言い訳は許されません。言いわけを作文している暇があれば、今週の練習記録をよく見て振り返り、「今弾けていても、疲れていれば弾けない曲」というのをはっきりと見つけ、明日の曲目から除外することです。
「消極的すぎる」というご指摘をいただくかもしれませんが、これが、この年齢にしてギャラをいただいて楽器を演奏する者の責任です。
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