5月あたりから月末にそのひと月を振り返る記事を書くようになった。
ブログの更新の頻度が落ちているのもある。
(毎日のように訪問してくださる読者の方にはほんとにごめんなさい。)
月末にその月のことを書くと、そのとき自分は何をして何を思っていたか、あとで振り返りができるメリットもある。
S社時代、月報というものがあった。かれこれ30年位前になる。。
もちろん営業日報というのもあり、これは毎日書くのが決まりで、ネタがないなどの個人的理由で提出を溜めると
負の連鎖でとてつもない苦痛を強いられるもので、とりわけ北陸時代のそれは厳しいものであった。
月報は翌月初頭に行なわれる、金沢にある北陸営業所の会議までに提出しなければならず、
その前に福井駐留所のトップであるS係長に提出しチェックを受けなければならなかった。
私はその目にあっていないが、前任者K君などは内容がダメだと提出済みの営業日報を破り捨てられたこともあったらしい。
当時はパソコンはNECのDOS-V。テレビみたいなでかいモニター。黒いバックにグリーンの文字が出るやつだ。
当然、駐留所(九頭竜ハイツの一室)にそれは配備されておらず、日報・月報は営業マン全員B5の書式に手書きであった。
罫線の幅は8mm。大阪店・京都駐留所時代は月報は1~2枚で済んでいたそれが、北陸営業所では5枚以上の提出が
暗黙のルールだった。
同僚のD君は行間いっぱいのでかい文字で枚数を稼いでいたが、でかい文字が書きにくい自分にはつらかった。
(当時の月報を同じフォントの大きさで比較してみたいものだ。ページ数の差は歴然のはず。)
(今ごろ何を言っているのだ自分は?)
もともとセブンイレブンと言われていたS社。
要領かまして勤務時間中に月報をシコシコ書くなんてことは自分にはできず、提出期限前夜に徹夜して書いた。
ほんとに徹夜した。
薬局(ドラッグストアは当時ない)でカフェインドリンクのアンプル(死語!)を買って付属の細いストローで飲んで、
深夜、嫁にはもう寝ろと言って、その後も月報を書き続けながら、ほんとに徹夜した。しかも何度も。
徹夜して10枚近くの月報を書いて、評価が上がる訳でもない。当たり前だ。
11人の営業マン、みんな同程度のボリュームなのだから。
しかも自分の月報の内容がとりたてて良い内容だったはずもない。テスト前の一夜漬けが良い結果につながらないのと同じだ。
これは自分が愚か者だった証明である。たわけ者の見本のようなものである。
当時のS社も今ならブラックだ。が、近年内部も劇的に改善され、今は昔とはまったく違う立派な会社になっている。
ひと月の振り返りのつもりが「月報」というキーワードが引き金になったが為に、こんなに書いてしまった。
引き出しが開いてしまった。笑える。自虐的な笑いはさびしいな。
情けない20代サラリーマン時代の思い出だ。
S社時代のことは、その後退社し家業を継いだ自分にとって、ずっと良い糧となっている。
そんな自分も、もうじき56になる。
ブログの更新の頻度が落ちているのもある。
(毎日のように訪問してくださる読者の方にはほんとにごめんなさい。)
月末にその月のことを書くと、そのとき自分は何をして何を思っていたか、あとで振り返りができるメリットもある。
S社時代、月報というものがあった。かれこれ30年位前になる。。
もちろん営業日報というのもあり、これは毎日書くのが決まりで、ネタがないなどの個人的理由で提出を溜めると
負の連鎖でとてつもない苦痛を強いられるもので、とりわけ北陸時代のそれは厳しいものであった。
月報は翌月初頭に行なわれる、金沢にある北陸営業所の会議までに提出しなければならず、
その前に福井駐留所のトップであるS係長に提出しチェックを受けなければならなかった。
私はその目にあっていないが、前任者K君などは内容がダメだと提出済みの営業日報を破り捨てられたこともあったらしい。
当時はパソコンはNECのDOS-V。テレビみたいなでかいモニター。黒いバックにグリーンの文字が出るやつだ。
当然、駐留所(九頭竜ハイツの一室)にそれは配備されておらず、日報・月報は営業マン全員B5の書式に手書きであった。
罫線の幅は8mm。大阪店・京都駐留所時代は月報は1~2枚で済んでいたそれが、北陸営業所では5枚以上の提出が
暗黙のルールだった。
同僚のD君は行間いっぱいのでかい文字で枚数を稼いでいたが、でかい文字が書きにくい自分にはつらかった。
(当時の月報を同じフォントの大きさで比較してみたいものだ。ページ数の差は歴然のはず。)
(今ごろ何を言っているのだ自分は?)
もともとセブンイレブンと言われていたS社。
要領かまして勤務時間中に月報をシコシコ書くなんてことは自分にはできず、提出期限前夜に徹夜して書いた。
ほんとに徹夜した。
薬局(ドラッグストアは当時ない)でカフェインドリンクのアンプル(死語!)を買って付属の細いストローで飲んで、
深夜、嫁にはもう寝ろと言って、その後も月報を書き続けながら、ほんとに徹夜した。しかも何度も。
徹夜して10枚近くの月報を書いて、評価が上がる訳でもない。当たり前だ。
11人の営業マン、みんな同程度のボリュームなのだから。
しかも自分の月報の内容がとりたてて良い内容だったはずもない。テスト前の一夜漬けが良い結果につながらないのと同じだ。
これは自分が愚か者だった証明である。たわけ者の見本のようなものである。
当時のS社も今ならブラックだ。が、近年内部も劇的に改善され、今は昔とはまったく違う立派な会社になっている。
ひと月の振り返りのつもりが「月報」というキーワードが引き金になったが為に、こんなに書いてしまった。
引き出しが開いてしまった。笑える。自虐的な笑いはさびしいな。
情けない20代サラリーマン時代の思い出だ。
S社時代のことは、その後退社し家業を継いだ自分にとって、ずっと良い糧となっている。
そんな自分も、もうじき56になる。