大垣市の 親切ていねいな ふすまと内装工事のお店 【創業80余年 林文香堂】 三代目店主の前向きな日記 

明るく朗らかに、人に親切に、素直に、謙虚に、感謝して の五つの基本を胸に、日々の小さなよろこびを綴ります。

大河ドラマファンであれば守屋多々志美術館へぜひ。

2022年09月26日 | 日記
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がとてもおもしろいです。
それはさておき、
10月23日まで大垣市守屋多々志美術館において「生誕110年記念特別展」が開催されています。
今回は遥々東京からお借りしてきた歴史画の四枚折れ屛風絵が多数展示されています。
式子内親王、織田信長、支倉常長、松尾芭蕉、らが大きなスケールで情緒豊かに描かれています。
守屋多々志は歴史画を得意としており、特に武者絵の細かな描写、躍動する馬などは必見です。
特に馬は躍動感とその筋肉が素晴らしいです。
描かれている武者はいわゆる鎌倉武士が多く、機能より装飾の美に目を奪われます。
馬に乗る武将や、源実朝、星空と武者、の絵はしばし立ち止まって凝視せざるを得なくなります。
私はただの絵心もない大垣市民のひとりにすぎませんが、
日本画の好きな方、歴史が好きな方、大河ドラマが好きな方、ぜひ一度足をお運びください。



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高木和文先生、ありがとうございました。

2022年09月11日 | 東中学校
今日午前、高木和文先生のご自宅にお参りに伺った。
奥様と息子さんの若嫁さんが応対してくださった。
ボロボロ泣いてしまうかと思っていたが、しばしの会話は笑い声が幾度も出るひとときとなった。
原因不明の心臓疾患。ペースメーカー手術や各種薬物による懸命な治療の甲斐なく、ということだった。
なぜ?という疑問は消えないがいまとなっては世の無常というよりほかにない。

手づくりの未完成アトリエ、未完成の彫塑作品も見せていただいた。
アトリエの壁クロスはもちろん高木先生おひとりで施工されたものだが、
施工方法・下地処理・商品の選定・専用工具の貸し出しなど何度もアドバイスしたのが懐かしく思い出された。





たまたま留守で本当なら今日もここでごそごそ作業しているような、そんな感じがした。
好きなことをしながら毎日ワクワクして過ごされていたはずだ。
「自分は自分」
昔から終始一貫それを貫きとおした人だった。
そんな生き方はひとつの理想でもある。
早すぎるお別れは残念でならない。
だが、来年還暦を迎えるわれわれに、以後の人生をよくよく考えるように、いい人生とはなんだ?と
無言のメッセージを残していったようにも思える。
大好きな高木和文先生。
本当にありがとうございました。

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知らぬ間に 恩師旅立つ

2022年09月06日 | 東中学校
まさか。あり得ない。想像だにしていない。
今日届いた一通のハガキ。
それは中学2年3年時代の恩師、担任だった高木和文先生の病死を伝える息子さんからのものだった。
かねてより入院加療中? え? どこも悪くない健康体だと思っていたのに!
75歳? え? 若すぎるし!
東中昭和53年度卒業以来、同窓会には全出席、9クラスの担任の中では一番若かったのに。
当ブログ「東中カテゴリー」にもたびたび登場、ずっと長くお付き合いしてきたし、
これからもずっとずっと続いていくと普通に思っていたのに。
来年開催予定の還暦同窓会にも絶対出席してくださると思っていたのに。
型にはまらない、正体不明な、個性的な、ふわふわした、独創的な、つかみどころのない、宇宙人のような、
魅力的な、芸術家のような、夏休みに彫塑室(と彼が勝手に名付けた旧給食室)に籠って(独占して)作品制作をする、
ときにHRを自らボイコットする(原因は生徒側にあり)、給食時間に「2年5組のエビフライが足りません」と
校内放送をかけさせて全校から大量のエビフライをゲットする(そのくせキライな鶏肉の入ったシチューはお残しした)、
凧揚げ大会にみんなでムカデ凧を作ったが本番に間に合わず、完成後「揚げよう」と申し出るもついに実現せず
(あの連ダコはどこに行ったのか?)、2年生の年度末のクラス文集が、3年生の中盤にようやく完成する、
2年生のクラス目標が半年以上設定できずできたときにはカルタのように45の垂れ幕になり教室を飾る、
「立つ鳥跡を濁さず運動」と称して3年1組だけ3学期末に室内の木製ロッカーなどを皆でブルーグリーンに塗装する、
生徒さえシラケるダジャレを平然と連発する、と先生らしくない、ある部分子どものような、大好きな先生だった。
(当時のクラス文集を見ると「悪事に対しては徹底的に追及した」と記述があるがもはやその記憶はない)(笑)
歳を重ねても昔と全然変わらない。会話をしていると楽しくていつまでも話し込んでしまう。そんな人だった。
コロナ前、「ぴあの・ぴあ~の」で2の5・3の1合同クラス会という、長年の「夢の企画」を実現できたことが救いだ。
あの夜のDVDがあれば永久保存版だが。
でもやっぱり、いなくなるはずのない大好きな人が突然いなくなる。それはあかんやろ!という気持ちが消えない。
「高木先生!いくらなんでもそれはあかんでしょ!急に!なんも言わんと!」
もしこの声が先生に届いたとしても、彼はまたいつものようになんやかんや嘘かホントかわからんことを
もにょもにょ言ってはぐらかし、いつしかけむに巻くのだろう。
いまキーボードを叩いているあいだじゅうずっと中学時代の東中の様子が脳裏によみがえっている。泣いている。
高木先生、また会いたいです!



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