大垣市の 親切ていねいな ふすまと内装工事のお店 【創業80余年 林文香堂】 三代目店主の前向きな日記 

明るく朗らかに、人に親切に、素直に、謙虚に、感謝して の五つの基本を胸に、日々の小さなよろこびを綴ります。

高校3年6組 還暦クラス会開催

2023年05月07日 | 北高校
5月6日(土)13:00~ クインテッサホテル大垣において還暦クラス会を開催した。



参加者は男性14名、女性14名。7人掛け円卓テーブル4卓にきれいにおさまった。
2009年以来14年ぶりの開催。東は東京、西は大阪からかつてのクラスメイトたちが集まってくれた。
メインゲストの岡〇先生は徹底した断捨離を継続中で、われわれ幹事グループの努力もむなしく、不参加だった。

2階ステラの間、ブッフェスタイル、フリードリンクの設定とした。
クインテッサホテル大垣の中居総支配人、担当営業の斎木さん、大変お世話になりました。
会場の件、料理・飲み物の件、駐車場の件、いろいろご無理を言いました。ありがとうございました。

乾杯から全員の1分間スピーチ、有志による〇✕クイズ、手品の披露、と3時間の楽しいひとときはあっという間に過ぎた。
駅前カラオケ店のパーティールームを予約しておいて二次会。19名参加。この2時間もすぐ過ぎて。
駅前居酒屋で三次会。15名参加。ここでの1時間半をもって実質おひらきに。
最後は別の居酒屋で男5人でおしまい。
たくさん飲んだ。たくさんしゃべった。とっても楽しかった。

今回特筆すべきは、クラスメイト全員の所在がつかめたことと、誰も他界していなかったことだ。
新たに作った3年6組LINEグループも効率良く機能した。
翌日にはアルバムが配信され参加者から喜びと感謝のコメントが続々と寄せられた。

次回は5年後に開催と決まった。
自分も毎回幹事グループのひとりとして動いているが今回もかなり頑張った。
3年6組は実にいいクラスで自分自身最も愛着を感じている。

5年後は定年退職や、配偶者や親や子や孫や、自身の健康状態や、状況はかなり変わってくるだろう。
みんなが健康でいてほしい。是非また元気に再会したい。
そして岡〇先生。みんなで書いたハガキを読んで、教え子たちの意を酌んで、次回は必ず参加してください!

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第7回おやじの会開催

2019年10月07日 | 北高校
10月5日。
高校3年6組の同級生6人による「おやじの会」が開催された。。
今年もまたメンバー6人全員がそろい、楽しい夜を過ごした。好天に恵まれたのがうれしかった。

同級生が50歳になったのを機にヒロの声掛けで始まったこの会も今回で7回目。

今年の目玉は何と言ってもラグビーW杯 日本VSサモア戦のパブリックビューイングだった!
電源を太鼓で引っ張って、i―PadとTVerとプロジェクターをつないで、
倉庫の外壁サイディングに映し出すという計画は見事に成功した。





(パブリックではないな。でもなんとぜいたくな!)

結果、見事な4トライで劇的勝利をおさめた日本。おやじの面々も惜しみない拍手を送った。

例年通りのだらだら食べて飲んでしゃべっての会はその後もだらだらと続き、
なんと今年は最長記録更新。17時半くらいに始まり、深夜26時半まで続いた!のだった。

かと言いつつも実際は、途中で座ったまま寝てしまう者も交代で出たし(例年同様)、
総じて食べる量も飲む量も減っているようだった。

「タケシ!今年は飲まんな~!」とヒロに指摘された。
そうじゃない。メンバーの中で最も調子こいて飲み過ぎて二日酔いになる打率が高いのが自分なので
若干セーブしたまでだ。すこし大人になっただけだ(はぁ??)

「また来年!」と言って
前夜にお迎えで2名、翌朝9時半に3名が別れた。

いつまで続くかおやじの会。

ずっと続けたいおやじの会。

ただ、ホストのヒロん家には多大な迷惑をかけているのが申し訳ない。

でも。

古い友人の良さ、一緒にいる楽しさ、ありがたさ、をしみじみ実感できる場なので、
自分としては永久に存続してほしい。

すでにメンバー間のおやじグループLINEでは
「来年は何を観ようか」
「来年は何を食べようか」
のトークが始まっている。







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第6回おやじの会開催

2018年10月14日 | 北高校
高校3年6組の友人らとのアウトドア飲み会「おやじの会」が今年も開催された。
今年は6人全員が出席だった。

初めて会場(池田町のヒロんち)に一番乗りした。
メンバーは三々五々集まり、そこからダラダラ飲みの会が深夜まで続いた。



メインディッシュはサンマの炭火焼きと養老の肉塊のそぎ落とし焼きだった。
うまかった。

タジマ、めずらしいお酒をありがとう!



ヨシアキの住む大阪の台風の惨状、こちらの停電騒ぎがやはり最初の話題となった。

タジマは異動で自宅からの通勤となり

ハルはまた新しい仕事を始めた

マコトは体重10キロ減を宣言しておきながらまったく進展なし

ヒロとうちの長男は社会人一年生になった

みんなだんだん子どもが大きくなり、家を出ていったり、逆に家に居ついたり(笑)。

親も転んで骨を折ったとか、顔面を打ったとか、ひざが痛くて座れないとか。

みんなを取り巻く環境も少しずつ変化している。

誰がいちばん先におじいさんになるか、という話になった。

年齢的にいくと一番手はうちかヨシアキか。いやいや、まだ想像すらできない。

1時半にお開きとなったが、飲む量・食べる量とも減ってきた。

しかし来年もまた!と約束して翌朝9時半に解散した。

ヒロのおふくろさんが「ほんとに毎年この時期にきちんとみんな集まって、七夕さんみたいやね」と笑った。

いつまで続くか、おやじの会。

づっと続けたい、おやじの会。






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第3回 ザ・オヤジの会 開催

2015年10月21日 | 北高校
1年に1回、10月の第一土曜の夜に開催される(こととなった)オヤジの会。

高3当時の級友が今年も集った。

ホストはヒロと愛犬クッキー。ヒロは会場(と、寝る部屋)を提供してくれて、
肉・野菜・炭を担当。



ヒロと同じ池田町出身のタジマはたくさんのビールとズブロッカを持ってきた。

マコトはデザートを、ハルは珍味の海外の缶詰とバゲットを持ってきた。

ヤノは大阪から豚まんを陸送してきた。

自分は焼きそば(粉末ソースつき)。みんな担当が決められていた。

すでに10月の夜は こ寒いので、自然みんな炭火の周りに集まる。

だらだらと飲み、だらだらと食べる。だらだらとしゃべる。

だらだらとした時間が、だらだらと過ぎる。。

腕時計は現地到着と同時に外している。

この、だらだら の、なんと貴重なことか!

この、だらだら を確保するために、その週どれだけ頑張ったことか!

みんな確実にオッサンになっているので酒も弱くなっている。
量がすすまない。タケシの異常なハイテンションもなければ、ヤノとマコトのケンカもない。

誰とは言わないが、白髪、頭髪後退、腹ボテ、老眼、痛風予備軍、いろいろある。

それを酒の肴にして、苦笑して、自嘲して、慰めて、まあええがやと、なし崩しにして、また飲む。



だらだらと夜が更けていく。

オカモト・プロジェクトは具体的進展なし。

やがてタジマとマコトは翌日の予定のため奥様がお迎えに・・。

ヒロんちで3年連続お泊りはハル・ヤノ・タケシと、また同じメンバーとなった。

翌朝。

ヒロは部の公式戦があるため早朝からユニフォームに着替えて、我々を放置して、そっとご出立。

ほぼ同時に目覚めた3人のうち、ヤノとタケシは二日酔いで頭が痛かった。

うん。

名実ともにオヤジの会だ。名前に偽装や粉飾は一切ない。まんまだ。

年に一回の七夕のような会だが、前回開催からの一年の経過が早すぎて、一同当惑している。

オヤジ化が加速することは避けたいものだ。


オヤジばかり6人が集うだらだら会に「七夕」の例えは不適切だな。。



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創立120周年

2014年11月03日 | 北高校
母校が120周年を迎え、立派な記念誌が届きました。
おめでとうございます。そしてありがとうございました。



自分は当時学校群入試制度で、たまたま北になっただけで。
在学中は劣等生で、自暴自棄で。

でも良き友人たちと良き師にめぐりあえたことが財産となっています。

また旧友たちと会いたいです。
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断捨離の提唱者と会う

2014年01月20日 | 北高校
1月19日 日曜日。
大垣青年重役会(略称OJB)の新春市民講演会に参加した。
毎年1月恒例のこの行事も、正会員としての参加は今回で最後となる。
(50歳8月末日で卒業だから。)

講師は やました ひでこ 氏。
『断捨離』の提唱者だ。

高校3の6のメンバーの中には『断捨離』という言葉に「なぬ!」と思った者も多かろう。

恩師を『断捨離』に傾倒させ、あげく我々との卒業以来続いてきた楽しい関係を
いきなり氷河期にしてしまった張本人!? とは言い切れないが。

そもそも『断捨離』ってなんだ?

以下、やました ひでこ 女史のブログより引用。

断捨離とは、
自分とモノとの関係を問い直し、
暮らし・自分・人生を調えていくプロセス。

不要・不適・不快なモノとの関係を
文字通り、断ち、捨て、離れ、
引き算の解決方法によって停滞を取り除き、

住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の
新陳代謝を促す・・・

住まいが片付かないという悩みはもとより

身体の不調、煩わしい人間関係、忙しすぎる状況をも
解決していきます

引用 以上。

私は やました ひでこ 女史を知らず、その著書も読んでいない。
だから『断捨離』について語る資格がない。
ましてその良し悪しについては、いわんや おや である。

したがって、約5年前に恩師が「おれ今『断捨離』中だから」と自ら言った言葉の真意は
今の自分の理解レベルと比べようもないので図りかねる。思っても言葉にできない。
恩師はモノ以上の事柄に対しても『断捨離』を実践しているのだから。
しかも強い意志で。徹底して。

やました ひでこ 女史の講演はとてもおもしろく、興味深く、
『断捨離』入門編といった内容でわかりやすかった。
聴講者は700人を超え、OJBの友人たちも一様におもしろかったと口を揃えて言った。
私自身は少なくとも『断捨離』否定派でなくなったことだけは確かだ。

やました ひでこ 女史は、斜に構えて講演会に臨んだ自分の先入観を打ち壊す、
理知的で、スマートで、かっこよく、明るく、アクティブな素敵な女性だった。

いま『断捨離』に対する自分のスタンスは定まっていない。

今後恩師とどう向き合うか、も不確かだ。

これが今の時点でのとりあえずの自分の結論だ。
のちの答えは時間とともに徐々に明確になっていくだろう。

余談をふたつ。

今回の講演会の案内を今年の正月に恩師にケータイメールした。
だが、返信はなかった。
会場で恩師の姿を捜したが見つからなかった。700人もいたから。
いたかもしれない。いなかったかもしれない。

講演会後のOJBの懇親会で余興のビンゴがあった。
当たった景品は「ごみ箱」だった。

さて、ここに何を捨てようか。。




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高校時代の友人たちと会う

2014年01月20日 | 北高校
土曜日の夜、久しぶりに高校時代の友人5人が集まった。

主催者のH君が前日から胃腸風邪にかかってしまい、
また、複数の友人は自分の子がセンター試験初日ということで、
当初予定の半分以下の参加者になってしまった。

H君とともに主催者側だった自分は、センター試験の日程が頭になかったことを
たいへん反省している次第。
次回はサクラ咲く4月開催予定です。

集まった5人は皆同じ3の6の連中だったので、さながらプチプチクラス会。
女性2名もイケるくちなので、よく食べよく飲み、楽しい時間だった。

本来、まじめな話もする予定だったのだが




まあ、そこそこに・・

高校の同級生で募金の趣旨に賛同される方は、ぜひ善意でお願いします。

そして5年くらい開催していない3の6クラス会も開催したい。

が、担任の先生の還暦祝いをも兼ねた企画「岡○プロジェクト」が頓挫している。

ご本人が「おれは『断捨離』中だ」と、出席をかたくなに拒まれているためだ。

しかし、なんとかしたいと思っている。
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50オヤジのバーベキュー

2013年10月06日 | 北高校
池田町在住の高校時代の友人が「50オヤジのバーベキュー会」を催してくれた。

高校3年当時の友人オヤジが6人集まった。

会は午後2時からスタートしていたが自分は仕事の関係で7時の現地合流となった。

一番で現地入りした大阪の友人は「まだか」と催促のメールを送ってきていた。

別の友人のひとりは私が到着した時すでにチェアで座ったまま寝ていた。

主催の友人は様々な肉料理をふるまってくれた。仕込みに相当な時間と労力が注がれた逸品だった。

とても美味しくいただいた。ビールとウイスキーをたくさん飲んだ。

野外で食べながら飲みながらの楽しい時間はとても速く過ぎた。

2時に終了。そのまま友人宅にてお泊り。客間には布団が並べて敷かれていた。

7時にスッキリ起床。

お母様がご飯とみそ汁を作ってくださりおいしくいただく。

9時半に解散となった。

楽しくダラッとしたユルい時間も必要だ。実にいい時間だった。

みんな仕事があり家庭がある。

50のオヤジたちはまた皆それぞれの問題をかかえる日常へと戻っていったのだった。。
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北高3の6の友人たちへ

2013年03月21日 | 北高校
今年われわれは50歳、そして担任の岡○先生は60歳。

ということで、先生を主役に5年ぶりにクラス会を、と思っていましたが、、
難航しています。。


先生は今もなお「断捨離」状態。
いや、断捨離というひと言では片付けられない、いろいろなことが先生を取り巻いていて、
「よ~し、飲むぞ~!」みたいな昔のテンションではないのです。

定年を迎えるとはいうものの、即、教職を去るという訳ではないし、
また、「赤いちゃんちゃんこなんて、とんでもない!」という気の若さもある。

が、しかし。
昔から「ポリシーを変えない男」は貫いている。理解できる。
先生のプライベートな領域にわれわれは踏み込むことはできない。

が、しかし。
われわれにとって「3の6」は特別な意味があり、「3の6」と「岡○先生」はセットなのである。
光かがやく青春の一ページであり、われわれの宝ものだ。
賢い者もアホな者も互いに認め合い、見事な結束を成したクラスだ。
他のクラスの友人にうらやましがられたものだ。
卒業後も、当時10クラスあった同学年の中で突出してクラス会の開催回数が多かったのも
われわれ3の6だ。
当時のクラスメートは一生ものだと思っている。


てなわけで、クラス会は今年開催の方向です。

でも今回は岡○先生の参加は無いかも。

かと言ってあきらめている訳ではなく、いつか先生には同席していただけることと確信しつつ、
今回、次回と企画していきたいと思っています。

「まあ、次回はおれに線香をあげるときかな」

くぅ~!ちくしょー、かわいくねぇ!なんちゅうブラック!笑えねぇ!

こんな担任です。
皆さん、よろしく頼みます!

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古沢 武文先生

2012年12月02日 | 北高校
北33内輪の忘年会にサプライズゲストとして恩師の古沢武文先生が招かれた。

かつての教え子だった友人のひとりが手引きしてくれたもので、
私自身ほぼ2年ぶりの再会であった。

古沢先生は北高の歴史にその名を刻み込む有名な体育教師でありサッカー部顧問である。
北高サッカー部をインターハイ出場に導き、長崎代表島原商業を撃破という
輝かしい戦歴をお持ちだ。私もサッカー部であり当時はたいへんたいへんお世話になった。

今回の忘年会は野郎ばかりが11人。プラス古沢先生だった。
あいかわらずお元気で声がでかく、よく笑い、過去の北高の暴露話などで大いに盛り上がった。

古沢先生は来年70歳になられる。

われわれは50だ。
そしてもうひとり、私が高2・高3と担任していただきサッカー部でもお世話になった、
恩師ショージ岡本先生は60歳だ。

人生の区切りなので、恩師をお招きして派手にやりたいと思っている。

高校同級生のみんな、今からまわりの友達に声掛けをお願いしますね!
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