熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

2023年はどんな年になるのであろうか

2023年01月03日 | 政治・経済・社会
   新しい年を迎えた瞬間は、テレビで、カウントダウンを観ていた。
   この年は、ドボルザークの「新世界」の第4楽章であった。
   何故、この曲かは分からないが、時宜を得た交響曲であって、
   チェコの作曲家であるドボルザークが、アメリカで着想を得たこの「新世界」は、まさにウクライナとアメリカの現状を映し鏡のように、時代を象徴しているような気がしたのである。
   ウクライナはスラブの国とは言え、隣国のハプスブルグ王朝の文化伝統の影響を色濃く体現したヨーロッパの国であり、その同根の古色蒼然とした古都プラハから訪れたドボルザークが、新しい文化文明に沸き返る新世界という異文化に遭遇した意義は大きい。
   私は、何度か、ベルリンの壁崩壊後にプラハを訪れており、まだ、完全に復興はしていなかったが、訪れた都市では、世界一美しい都市だと思っている。それに、アメリカにも2年間居た。この「新世界」については、アメリカの黒人やインディアンの民族音楽の影響を受けたとか色々言われているが、私は勝手ながら、新世界アメリカにおいて異文化異文明との遭遇で体感した新鮮な思いが、ドボルザークの創作心をインスパイアーしたのだと思っていて、いつも、コンサートホールで、そんな思いでこの曲を聴いている。
  ウクライナ戦争は、言うなれば、アメリカの代理戦争であり、アメリカがウクライナに肩入れし続けて、如何にアメリカの意図する國際秩序の構築に終るかだと思っているのだが、弱体化したロシア抜きのグローバル体制に進む可能性も考えられるであろうし、 いずれにしても、覇権国を欠いたGゼロの多極化した國際システムから脱却できないであろうと思っている。

   さて、元旦、朝起きて、近くのコンビニに行って、新聞を一揃い買った。
   日経は取っているので、読売、朝日、毎日、産経の全国紙である。
   気の利いた元旦特集号的な記事を期待して読んでみたのだが、皆無であった。
   もう、半世紀も前の話だが、米国留学でフィラデルフィアに住んで居た時、寮の傍の大通りの交差点の片隅に、NYタイムズの新聞売りスタンドがあって、日曜版は、今の日本の新聞の元旦号の2倍ほどのボリュームのある膨大な紙面で、興味深い特集記事があって、毎週楽しみながら読んでいたのを思い出す。

   さて、日経のトップ記事は、
   グローバル化は止まらない 世界つなぐ「フェアネス」
   Next World 分断の先に
   この記事のポイントは、
・米・メキシコ国境の「トランプの壁」は有名無実に。グローバル化の奔流は止まらない
・ロシア・フィンランド国境に新たな「壁」の計画。世界を分断の嵐が襲う
・分断と融合。正反対の力が日常の風景になるNext World。世界をつなぐフェアネスが重要に 
   だと言う。
   米国と中国の対立、ロシアのウクライナ侵攻。分断の嵐が世界を襲い、グローバリゼーションは停滞する。それでも、外とのつながりに豊かさを求める人々の営みは途切れない。試練の先の「Next World(ネクスト・ワールド)」。世界をつなぐのはイデオロギー対立を超えたフェアネス(公正さ)だ。
   と言うのである。

   「グローバル化は止まらない」とは、脱グローバル化だとか、グローバリゼーションの時代の終焉だとか言われている一般的見解とは違った意表を突く表題だが、記事の趣旨は、フェアネスを礎に分断をつなぐ取り組みが不可欠であって、企業や個人の日々の判断が、国際ルールや人権などを尊重しない独断的な政治の暴走を抑え込み、民主主義と権威主義の二項対立を超えた新しい世界づくりの始まりである。とのフェアネスのグローバル展開のことである。
   この基本となる「フェアネス指数」は、日経が、案出した指標で、10指標を①政治と法の安定(30点)②人権や環境への配慮(30点)③経済の自由度(40点)の3分野に分け、合計100点満点で評価したもので、図示すると次の通りである。
   

   問題は、「フェアネス」そのものの定義である。
   「フェアネス」は、あくまで、現在支配的だと考えている欧米先進国を中心とした自由民主主義的な思想考え方を是として指数化しているものであって、現在分断化されている世界において、勢いを増しつつある専制主義的な体制をフェアではないとして、切り捨てて良いのかどうかと言うことである。
   単純に考えても、極めて長い市民社会の伝統と歴史を積み重ねて成熟段階を経て達成された自由民主主義制度が、遅れて台頭しつつある新興国や発展途上国にとっては達成不可能であって、ショートカット方式で、専制国家体制を敷いてキャッチアップする方が、はるかに理にかなっているとさえ思える。
   世界の趨勢が、非民主主義陣営の増加傾向にあることに鑑みても、「フェアネス」のグローバル化から逆行して、その期待から遠ざかって行く懸念さえある。
   信じられないようなウクライナ戦争が勃発してしまうような、そして、自由と平等、平和を希求す民主主義でさえトランプ現象で危機に瀕する時代において、「フェアネス」など全く念頭にない世界勢力が、日経の意図した意味と違ったかたちでグローバル化しつつある現状をどう見るべきなのか。と言うことである。
   大半の新興国や発展途上国にとって、激動の国際競争下で生き抜くためには、鄧小平が言ったように、「白猫でも黒猫でもねずみを捕る猫がよい猫」であって、人権や民主主義など「フェアネス」を無視してでも、富国強兵がすべてなのである。

   日経の意欲的な未来志向の提言は、時宜を得た企画として注目すべきだと思うが、一寸違和感を感じたので記してみた。
   コメントは省略するが、私には、産経の「民主主義を守る闘いは続く 民主主義の形」の記事の方が、現実を踏まえた理論展開であり、違和感を感じなかった。
コメント
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