熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ロンドンでの英人との付き合いはイベントや観劇が多かった

2021年08月12日 | 海外生活と旅
   今日の日経の永山治氏の「私の履歴書」の記事は、「金曜夜にワインの集い 日本と異なる物の見方学ぶ」というタイトルで、白洲次郎のアドバイスで外人との付き合いが多かったと、その思い出を語っていて面白い。
   私も、アムステルダムに3年、ロンドンに5年住んで仕事をしていたので、似たような経験をしており、久しぶりに懐かしく思いだした。

   ロンドンだと、駐在員の場合には、どうしても、私のようにゴルフを全くやらない人間にとっては、日本人社会との付き合いは、いきおい、希薄になる。麻雀はあったのかどうかも知らないし、囲碁や将棋、テニスや卓球などと言ったスポーツ等々、カラオケやナイトクラブ、およそ日本人サラリーマンが興味を持つ殆どのことをやらなかったので、仕事上付き合う日本人や米国留学時代の仲間など限られた人たち以外との親しい付き合いは殆どなかった。
   親しく付き合っていたのは、オペラやクラシック音楽愛好家との交歓くらいであろうか。
   営業上、特定の企業とは密な接触が必要ではあったが、その他では、特に、日本人社会との特別な付き合いや接触がなくても、支障がなかったのである。
   ゴルフをやらない、シェイクスピアやオペラやクラシックにうつつを抜かす駐在員など殆どいなかったであろう。

   従って、仕事の関係もあるが、私が親しく付き合っていたのは、殆ど、イギリス人であり、イギリス人の営むイヴェントへの参加などが多かった。
   まず、オペラでの付き合いで、ジム夫妻は、私たちを、毎年、グラインドボーン祝祭オペラに招待してくれたし、他の英国人の友人が、珍しいアリーナを舞台にしたオペラや野外オペラに招待してくれ、私も、お返しにロイヤルオペラに招くなど、オペラ好きの英人夫妻達と頻繁にオペラ劇場に通って、オペラ鑑賞に明け暮れた。

   興味深かったのは、2年間招待を受けて通ったアスコット競馬で、会社など組織が保有する観覧席付きの個室で宴会をしながら楽しんだことである。勿論、モーニング、シルクハット姿である。
   遠くのゲートから、クラシックな馬車に乗って、女王陛下が入場し着席されるとレースが始まる。
   女王陛下の観覧席のある正面の横長の建物の上階に、セル状にかなり大きな個室があって、我々は、その1室を占めていて、レースが始まると外の観覧席に出て鑑賞する。馬券は、廊下に出てその階にある特設馬券売り場で買う。テレビなどで放映される綺麗な帽子を被った貴婦人然とした淑女や紳士の華麗で晴れやかな姿をした人々は、観覧席ビルとレースコースの間の広場に犇めいているのだが、下に下りて仲間に潜り込んでお祭りムードを楽しみ、独特な出で立ちをした予想屋と掛け合うのも面白い。マイフェアレディの世界である。
   もう一つ、同じような、少し簡素な観覧経験をしたのは、イギリス特有のクリケットで、これも、延々と続くクリケットを横目に、ワイン片手の談論風発、とにかく、楽しかった。

   イギリス人達は、何かというと、理由をつけて、レセプションや大パーティやイベントを開いて、集まっては、飲食と歓談を楽しむ。
   私の担当は、イギリスだけではなく、ヨーロッパなので、今日はパリ、明日はマドリードと言った調子で多忙を極めていたので、ロンドンには半分も居なかったが、イギリス人達との付き合いは大切にした。
   家庭で接待するのが最高のもてなしなので、呼びつ呼ばれつ、私たちも、英人達を我が家に招待して、何度もディナーやレセプションを開いてもてなした。

   シティのレセプションで、RAPE OF BRITAINと言う大演説をぶつことになったチャールズ皇太子を、私は、エントランスで、4人のお迎えの列に並んで握手しご挨拶が出来たのも、また、別の機会に、レセプションで、皇太子と日本の経営について語り得たのも、
   そして、別な建設プロジェクトで、同じく、レセプション会場のエントランスで、ダイアナ妃をお出迎えして握手したのも、イギリス人社会に入り込んでいたからであろう。

   ギルドホールでの大レセプションで、主賓のフィリップ殿下の演説が何十何分で終るか、スピーチ途中に平然と帽子を回して、掛け金を集めるのは、何でも賭けようかと言うギャンブル好きのイギリス人。
   公設ギャンブルが最も盛んで、スポーツの殆どはイギリス生まれという闘争心丸出しのジョン・ブル気質の中で生活していると、和を以て尊しとする我が精神もおかしくなってくる。
   今の天皇陛下がご出席になったシティのレセプションにも参加したが、とにかく、年中、晴れの舞台が開かれている感じである。
   偶々、イギリスにいた御陰で、良い経験をした。

   余談だが、次女に英語を学ばせようと、ジム夫妻は、2ヶ月自宅で預かってくれたし、幸い、大学と大学院をカンタベリーのケント大学で学ぶことになったら、ジム夫妻やマイク夫妻など英国の友人が、カンタベリーを訪れたり、陰に日向にと娘の面倒を見てくれていた。
   イギリスの永住ビザを持っていたので、日本に帰国してからも、継続の意味もあって、しばらくイギリスに行って旧交を温めていたが、昨年、ジムが逝ってしまった。
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