『朝日新聞』に学校制服の価格に関する報道がされていた。
公立中制服「安くできる」 公取委が学校に提言へ
スクールグッヅ、要するに学校で指定するものを販売している業者は、労せずして安定的な収入が得られている。学校は、いろいろな業者の収奪の対象である。すべてが高い。
たとえば修学旅行。通常の旅行代と比較しても高い。学校の教員が引率して、一度に多くの生徒を集団で動かし、宿泊させ、多くのおみやげを買わせる。一度に集団が移動するのだから安くなるはずと思っても、そうはならない。
旅行会社は、修学旅行があることによって経営が維持されているという現実がある。
制服だけではない,体育用の衣料、バッグその他、学校が子どもたちに買わせているものは、おしなべて高い。あるいは英語の辞書なども、定価で買わせる。
昔は、学校や担当教員にリベートが渡っていたという証言もある。
私はそもそも、制服があること自体問題であると思っている。なぜ自由な服じゃあいけないのか。
私は高校時代、制服の自由化を求めたことがある。しかし、その後、そうした声がなくなってしまったことをとても残念に思っている。服も、表現の自由の範疇である。そういう認識が、日本社会に広まらないことに、日本の人権状況があらわれていると思う。