喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

西国第十六番 清水寺

2017-04-18 | 西国三十三所巡礼



相変わらず観光客が多い。



清水寺の仁王門と桜。



御影

御真言 おん ばざら たらま きりく


清水寺のホームページより御前立仏を拝借

ご本尊の十一面千手千眼観世音菩薩、一般的な像と違って、
左右の腕を頭上に上げて化仏を戴いている。
これは清水寺独自のものらしく、
「清水型観音」と呼ばれているのだそう。
33年に一度御開帳の秘仏で、
平成12年にあったそうだから・・・・・生きていたとしても、行けんなぁ

御詠歌


『心地よい音羽山の松風がそよぐ音羽の滝の清水を
両手ですくって飲みますと、観音さまとご縁が結ばれて、
自然と心が涼しくなり、清々しくなります。』という意味。



清水の舞台から音羽の滝を見下ろす。



散華

名称   清水寺
山号   音羽山
宗派   北法相宗(大本山)
本尊   十一面千手千眼観世音菩薩
創建   778年(宝亀9年奈良時代)
開山
開基   賢心(延鎮上人)
所在地  京都市東山区
拝観日  H29(2017)4.15

清水の滝で延鎮上人にめぐり合った坂上田村麻呂は、
上人の説く観世音菩薩の功徳にいたく共鳴、
夫婦ともども深く観音様に帰依し『仏殿を寄進した』のだと。
また、脇侍として延暦十七年に安置されたと伝えられる毘沙門天像は、
毘沙門自身が「北方」の守護神であることから、
田村麻呂を象徴した仏像として崇められているのだそう。
毎年、5月23日には延鎮上人と田村麻呂の
年忌法要(開山忌)が行われるのだそう。
尚、現在の伽藍は、
徳川三代将軍家光により寛永10年(1633)に再建されたもの。

ところで、余談だけど、清水寺のホームページ読んでたら、
元禄期に清水の舞台から「飛び落ち」が大ブレークしたそう。
これは、「清水の観音様に一心に祈って飛ぶと、
命も助かり願いも叶う」という迷信による、願掛けだったそう。

江戸時代の中期・元禄7年(1694年)から
明治維新直前の元治元年(1864年)までの間に、
未遂も含めて235件の飛び落ちがあったそう。
70%が女性で、いざというときの思いきりは、
昔から女性のほうがよかったのかもと書いてあって
また、生存率は約85%で、かなりの人が、
命を落とさずにすんだよう。
明治に入って、ようやく舞台の周りに竹矢来が組まれ、
京都府から禁止令が発令されて終息したのだそう。

しかし、願掛けにしては、命を懸けてだよね。
死んだら、また、死なないまでも大怪我したら
元も子もないだろうにね

コメント
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