喫茶去

徒然に、日々の生活を書き留めたいと思います。喫茶去、まあ、お茶でも飲んで、のんびりしていって。

魚繁大王殿

2022-11-30 | 外食(カフェ・レストラン・料亭etc)



で、一日目の昼食をいただく。









琵琶湖の湖魚料理を堪能。

琵琶湖って、意外に色々な種類の魚貝が生息していて
恵み豊かな湖なんだなと感心した。

食事をいただいた魚繁大王殿さん
高齢の方が歯ごたえのあるお料理を
食べにくそうにしてしているのをご覧になって、
何かお手伝いできないだろうかと考え、




嚥下食 叶和 滋賀東近江 (swallowing-towa.info)

お店で嚥下食の提供を始められたのだそう。

いままで、嚥下食を提供している飲食店に
出会ったことがないし、聞いたこともない。

これから高齢者が増える一方で、
嚥下食を提供してくれる店が増えてくれると、
高齢者の外に出る機会や外食の機会も増え、
生きる活力にもなるような気がする。

健康寿命を延ばすには食も大切。
このような活動も一助になるように思う。

少し嚥下に心配のあるご高齢の方と
一緒に生活されている方は
御近くに来られた際は
是非、ご利用なさってみてはいかがですか。

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長光寺

2022-11-30 | 寺・仏像





5年前に御開帳で
長光寺に行っていた。

老蘇の森の仮宮で難産に苦しんでいる妃が
「無事に子どもが生まれたら、

お礼のために寺を建立しましょう」と
手を合わせて祈っていた時、
黄金に輝く光が飛来し、妃の口に飛び込むと
苦しむことなく皇子が生まれた。


皇子の誕生を喜んだ聖徳太子夫妻は
武河綱に命じ光の出所を探させ、
老蘇の森から三十丁ばかり離れた山の麓に
香木と五色に輝く霊石をみつけた。

報告を受け聖徳太子は喜び、
再び武に命じ寺院を建立させ、

当初、武に造らせた寺ということで、
「武作寺」と呼ばれていたが、
やがて、妃に降臨した霊光に因み
「長光寺」と呼ばれるようになった。

聖徳太子は香木にご本尊の千手観音像を刻み、
50年に一度だけ開扉される秘仏として祀った。

今回は聖徳太子没1400年の遠忌ということで
特別に開扉された。

霊石も本堂にお祀りしてある。





余った香木の枝を地に刺したところ

見る間に大木となったという「ハナノキ」の巨木。


二つの御朱印

一度行ってるのに、前記したようないわれの記憶が全くない。(・_・;)
同行して解説してくださったり、資料をいただくことで、
しっかり記憶に残りそうだ。

生きている間に2回も秘仏を見られるなんて

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秘仏とまみえる旅

2022-11-29 | 寺・仏像



聖徳太子没後1400年の年で、
聖徳太子に縁のある寺が日本で一番多い
近江は
今、太子縁の寺宝が次々に公開されているのだそう。

近江の歴史文化の専門家である
大沼芳幸先生の同行で
随時解説もしていただけるということで、
休みも合って、即、参加。

近江八幡駅に10時集合で、
十数名の少人数、私含めて高齢者が多い。
落ち着いた雰囲気で、拝観時間も十分取ってあり、
秘仏とゆったりと対峙できたツアーだった。

まず最初に、聖徳太子が仮宮を設けて
膳部大郎女(かしわべの
おおいらつめ)と
新婚生活を過ごしたと伝えられる、
奥石(おいそ)神社へ。


拝殿

中山道沿いの老蘇の森内にあり、
拝殿の後ろにある本殿は
近くの安土城の天守と
ほぼ同時期に
織田信長が家臣柴田家久に命じて建てさせたのだそう。

華麗な装飾が施してあり、
当代随一の本殿建築だったようだ。

名前の由来は「奥の石」。
向かいの山にある観音正寺(西国三十三所第32番札所)の
奥の院の盤座(神が宿る石あるいは岩)を指し
信仰の対象で、人々は山上に出向き
その盤座に祈りを捧げていた。
その後、麓の村に山上の神が迎えられ、
神の住まいとして
奥石神社が建てられたということらしい。

難産だった妃が
奥石神社に祈願したところ、無事に生まれたことから、
また、伝説では、日本武尊を危機から救うために、
妃の弟橘姫命が身代わりになって荒海に身を投げたが、
そのとき懐妊していた妃は、波間に消える前に
自分は老蘇の森に留まって女人安産を守ると
言い残したといわれ、
この神社は安産の神様として、
広く信仰されているのだそう。

華やかな着物や羽織袴姿の、
姉弟で七五三という子どもたちや
お宮参りの参拝もあって、
温かい雰囲気が漂って、微笑ましかった。


もとは鎌宮と称され
大正13年に奥石神社と改称されたのだそう。

神社仏閣、古からの名称があるだろうに、
どういう経緯で名前が変わったんだろう・・・・・・。








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LeTAO

2022-11-21 | 食べ物・飲み物

婿殿が小樽のLeTAOの
ドゥーブルフロマージュと
ショコラドゥーブルを
送ってくれた。

早めのお歳暮だろうか???

「親愛なる小樽の塔」を意味するフランス語の
La Tour Amitie Otaruの頭文字をアレンジして
LeTAO(ルタオ)と名付けられたのだそう。
反対から読むと「オタル」だ。

1998年6月の創業らしい。
小樽へは45年前と30数年前に行ったきりだから、
まったく知らなかった。
小樽もハイカラになったんだなぁ・・・私が年取っただけか。( ^-^ ; )










さっそく解凍して、ショコラドゥーブルからいただいた。

口どけがすごく良くて、甘さが優しく、
超美味しかった。

婿殿、ありがとう。

ルタオの想い - 小樽洋菓子舗ルタオ (letao.jp)

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今度は雪だるまで

2022-11-20 | 手作り及び市販の雑貨

これ別のデザインでを見た
別の同僚から、また頼まれて、





今度は雪だるまで。

ピースが多くて、おまけに細かくて大変だった。
雪だるまだとクリスマス過ぎても
飾っておけるのでいい。

手は庭のムクゲの小枝を使って。
乾燥してないので、
乾燥すると固定してある糸が緩むかな・・・・

刺繡糸でポンポン、ボンボンじゃないんだね、
厚紙をコの字に切って、
毛糸ポンポンの作り方3パターンと活用アイデア | Craftie Style
それに巻き付けて作ったけど、
昔からポンポン作りは苦手。
上手く、真ん丸にならない。

ポンポンメーカーなるものがあって
より真ん丸に美しく仕上がるようだ。

ポンポンメーカー、初めて知ったけど、
いくらぐらいだろう、欲しいなぁ。




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