福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

神仏一体資料、23

2020-01-23 | 護国仏教
Q,諸神の本地が様々に異なっているのはなぜ?(天照大神も本地が大日様とか阿弥陀様とか様々にいわれますが・・。そもそもだれが本地をさだめたのですか?)

A,本地は誰が定めたということはありません。聖徳太子以降聖人が様々に本地を感得されているため同じ神でも本地がことなります。
(伊勢大神宮も、金胎それぞれの大日如来と言われたり、また阿弥陀如来、観世音菩薩といわれることがあります。八幡様も阿弥陀様とか地蔵菩薩といわれます。春日明神も同様です。
伊勢大神宮の本地が津の国府の津観音寺(恵日山観音寺)の阿弥陀様といわれるのは、興正菩薩の弟子の覚乗上人が二見が浦で参籠しているとき、現れた大蛇に伊勢大神宮の本地を示せと袈裟を投げるとお告げを受けて、国府の阿弥陀であるといわれ、行ってみると、たしかに上人の投げた袈裟をこの阿弥陀様が着ておられた、ということによる。また伊勢の本地を大日如来とすることは,行基菩薩が伊勢神宮から賜ったとされるご託宣「実相真如の日輪は煩悩の迷雲を払い、本有常住の月輪は生死の長夜を破す。乃至、我はこれ則ち大悲毘盧遮那なりと」よりきています。(「神道伝授目録、鑁善」等より))
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