福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・その92

2018-12-31 | 四国八十八所の霊験
最初の遍路では朝早く84番屋島寺へのぼりました。急坂です。
しかし山の中腹からみる高松の町はすばらしい眺めでした。
5時過ぎから地元の人が三々五々のぼってきます。
 ここでも中年の男性に「今日1日で86番長尾寺までいくでしょうから後は楽ですよ」といわれました。
今度の「予言」は2回目なので素直に聞きました。
 屋島寺では7時の納経時間前でしたが特別に納経してくれました。
鈴(れい)の音がするので覗くと大師堂で若い僧が修法していました。
 行の邪魔にならないよう大師堂では低い声でお勤めをしました。納経所の人に聞くと副住職だとのことです。
いつも修法をされているとのことでした。
毎朝お勤めをしている寺は栄え、寺容も整ってきています。
ありがたいことです。(その後回った時はこの副住職さんは寺を離れたと聞きました。寺の人間関係も複雑です。)
84番屋島寺は御本尊は十一面千手観世音菩薩様ですが鎮守様はここも熊野権現です。頼富「四国札所とはなにか」では84番屋島寺について「源平の合戦で有名な屋島は・・本来は島であった。その地理的要素から辺地修行の行場であったと考えられる、元禄2年寂本の「四国徧禮霊場記」の挿圖には熊野社が描かれており現在も残っている」とあります。なお、簑山大明神・屋島稲荷(朝日明神)も鎮守社とされています。当方はまだこの鎮守社を拝んでいません。熊野権現は本堂と大師堂の間に今もあります。




19年夏は屋島のうえの宿に泊まりました。屋島の夕日はすばらしいものでした。屋島寺の納経所のお坊さんが屋島の上に泊まっても退屈ですよといってくれましたが退屈どころか素晴らしい景色に感動しました。一人でみるのは勿体ない気がしました。

旅館に帰ると突然「深信」ということばが浮かびました。深く仏様を信じることです。仮死状態で生まれたこと、高校のとき交通事故で自転車ごと空中に跳ね上げられてもかすりきずも付か無かったこと、寺を継がず上京しての無頼の生活も無事だったこと、その後の俗世の仕事もそれなりの結果を出せたことなど突然次々と昔のことがおもいだされてきました。それらがすべてお大師様のお蔭であると知り限りない感謝の念がわきまたしても泣いてしまいました。

◇ ◇ ◇
84番屋島寺と86番志度寺は平家物語の世界と遍路道が重なっています。与謝野晶子は
「平家ゆえ名のあはれなるここちして遍路と入りし屋島寺かな」
とよみました。「獅子の岩屋」の仕切りの鉄板に鉄幹と連名で句が書いてありました。
屋島寺の裏には合戦の刀を洗ったという「血の池」もあります。 19年夏の朝はこの池では5時ごろまだ暗いなか蝦蟇が何匹も野太い声でないていました。まるで平家の武将の声のようで不気味でした。さらにいくと屋島の東端にでます。ここから壇ノ浦を隔てて五剣山がみえます。朝霞の高松平野の上に、屋島と五剣山だけが高く聳えていました。壮大な パノラマでした。

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