福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

観音霊験記真鈔33/33

2024-05-03 | 諸経

 

観音霊験記真鈔33/33

西國三十二番江州観音寺千手像御身長三尺

釈して云く、前には事の観音の義を談ず。次に理の観音とは明眼論に云く、九界の衆生他を慈(あはれみ)自を悲(あはれむ)。皆是観音大悲の相也。有情随分の慈悲菩薩の内薫の縁に非ずといふこと無し。眼に色を見、耳に其の聲を聞き、鼻に其の香を聞き、舌に其の味を嘗め、身に其の境を触れ、意に其の法を縁ず。六根各々慈を生ず。六識に互に悲を起こし、妻子を親しみ、父母を敬ひ、主君に事(つか)へ、師長を重んず。仁義礼智信悉く是観音の大悲なり。敢て私の禮に非ず(説法明眼論「九は観音ノ慈悲ヲ述ス。観音大悲ノ用は、周遊シテ六道二満ツ。父母及び妻児互二慈悲心ヲ生ス。私ノ慈心有ルコト無シ。皆是れ観音ノ悲ナリ。鬼畜其ノ子ヲ念フ。観世音二非ト云コト無シ。今将二観音慈悲之相ヲ述ス。即ち其ノニ有り。一には理なり。二には事なり一に理ノ観音とは九界之衆生、他ヲ慈シ、自ヲ悲ス。皆是れ観音大悲之相ナリ。有情随分之慈悲は菩薩内薫之縁二非ずト云コト無シ。眼に其ノ色ヲ見、耳に其ノ音ヲ聞き、鼻に其ノ香ヲ聞キ、舌に其ノ昧ヲ賞メ、身に其ノ境二触レ、意に其ノ法二縁ス。六根各々慈ヲ生じ、六識互二悲ヲ起ス。妻子ヲ親しミ、父母ヲ敬ひ主君二事へ、師長ヲ重ス。仁義礼智信悉く是れ観音ノ大悲ナリ。敢テ私ノ礼二非ず。二に事ノ観音ノ用ヲ述ス。或ハ妙賞果満之世尊ト為リ、方城ヲ示テ西方二住シ、国土ヲ浄テ宝座ヲ飾り、或ハ等賞不足之地位二居テ、衆生二代テ重苦ヲ受ケ娑婆二出テ四摂替ハ虚空之巧匠二なずまず、湿水之方圓ヲ痛ま不ルカ如シ。衆生ヲ擁護シテ少時モ離レズ。持者ヲ歓喜シテ刹那モ捨て不。平生護念之願ヲ憑レバ六根二病痛無シ。臨終授台之益二因テ三業二快楽有リ。衆聖之中二独り大悲ト号ス。名称は普ク十方二聞フ。慈眼ヲ開テ愛敬ヲ示シ、本師ヲ戴テ妙果ヲ表ス。恭敬礼拝のともがらハ、永ク四苦ヲ離レ、一心称名の人ハ、必ス八難ヲ出ツ。造像圓形の庵ノ上ニハ、影光動テ室二入り、合掌胡跪の 窓ノ前ニハ、化仏未テ声ヲ挙ク。受持読誦の床ノ辺ニハ、大天臨テ聖財ヲ興へ、念住生の夢枕ニハ華台二授テ金蓮二坐シム。几ソ現世の安穏、後生の善處、併て大悲の恩二非トイフコト無シ。」)。

楞伽経に云句、此方真の教躰は清浄にして音聞に在り(大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經卷第六「我今白世尊 佛出娑婆界此方眞教體 清淨在音聞」)

音聞は観音入理の門なり。天衣懐禅師(天衣義懐(993 - 1064)法を雪竇重顕に嗣ぎ、天衣寺(江蘇・蘇州)はじめ多くの寺に住した。)の偈に云く、蜀魄(ほととぎす)連宥鷞鳰に叫び終夜に鳴く圓通門大に啓きて何事ぞ雲泥を隔つ。古語に圓通普門の境緑水青山月碧空、已上。皆是理の観音の頌挙なり。西國三十二番目近江國蘆浦郡観音寺三尺千手の像は聖徳太子の開基なり。其由は太子蘆浦の郡を通り玉ふに、日暮に及んで蘆の中に鬼面たちまち現れ出て云く、我は是れ前世此の所の者なるが一生放逸なりし故に衆合地獄(殺・盗 ・淫を犯した者の落ちる所。牛頭・馬頭 に追い立てられて罪人が山に入ると、山や大石が両側から迫って押しつぶされるなどの苦を受ける)に堕せり。今日聖者此巷を通玉ふ因縁に依て苦道を出て爰に来れり。願はくは御慈悲を垂れて我を済度したまへと。太子の宣はく、何の法を行じて汝を救はん、と。鬼の云く、我が為に唯千手の法(例えば「千手法」には勧請・発願・道場觀・本尊加持・根本印・大陀羅尼・八葉印・禮佛・正念誦・散念誦・撥遣等)を修し玉はば苦をまぬかれんと云へり。是に由て爰に一堂を建て玉ひ御自ら三尺千手の像を刻み一七日結縁し玉ふ處に一夜の夢に天人の形にて太子の前に来り拝謝し上りて云く、我は一七日已前に見へたる鬼形なり。太子今千手の法を以て吊(ともらひ)玉ふ功力によりて兜率天に生ずと云ひ畢りて化し去りぬ。夫れより此の地名蘭となり、今に至りて靈應日々にあらたに在しますと云々。

歌に

「あなとふと 導き玉へ観音寺 遠き國より 運ぶ歩みを」

私に云く、歌の意は上の句に「あなとふと」等は佛を崇敬して、たすけ玉へと云ふ心なるべし。下の句の意は自ら知り安し。就中「みちびき玉へ」とは此の観音薩埵は三界の衆生を佛果に引導したまふことは前後委細に解するがごとし。ことに千手の像は地獄道の引導師なれば因縁に明かすが如く鬼道をたちまちまぬかれて天に生ずることも、此の大悲の像の利益なり。仰でこれを信ずべし。西國都て千手の像十七躰これにて畢んぬ。大哉宜哉、諸尊にすぐれて化益しましますことを思ひ出せば感涙袖にあまるものなり。或人の歌に

「御佛の 深き誓ひを思ひ出し あなとふとさは 身にぞあまれり」

又西行法師伊勢参宮しての歌に

「何事のおはしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる」

西國の歌に引き合わすべし。

 

 

西國三十三番濃州谷汲寺十一面像御身長七尺五寸(2.25m

釈して云く、此の十一面観音をば又大光普照観音と云ふ。所謂大光とは大光明の義なり。此の大光明六道四生を普く照らして苦の衆生を救済なされたまふ。此の徳義に依りて大光普照観音となずく。さて大光普照観音、未来に作佛なされたまふときの國名をよび佛号とせり。曼殊室利經観自在菩薩授記品に云く、汝来世に於いて阿僧祇世界微塵数劫に平等光明普照世界に於いて當に佛と作ることを得べし。號して平等光明普照如来と曰はん(佛説大方廣曼殊室利經・觀自在菩薩授記品「爾時世尊復讃觀自在菩薩摩訶薩言。善哉善哉。善男子。汝能如是善巧方便利益有情。現種種身開示演説。甚爲希有。是眞清淨菩提薩埵。汝於來世阿僧祇世界微塵數劫。於平等光明普照世界。當得作佛。號曰平等光明普照如來應供正遍知明行足善逝世間解無上士調御丈夫天人師佛世尊」)。西國三十三番目美濃國谷汲寺御身長七尺五寸十一面観音の像は沙門豊然の開基なり。其の由は此の豊然観世音を安置せんと願ひ延暦年中に處を見んとて美濃國谷汲にしたる。然して精舎を構へんと欲し基をたいらぐるに及んで一の岸を穿つに忽ち石中より油出る。而も稀有の言をば出して云ふ、我此の地にをいて大悲の像を安置し上らん。若し厚く来世を行ぜば願くは此の油ますます多からんと云ふ。夫れより油の湧くこと泉の如し。豊然大いに喜びすなはち十一面観音の像を安置す。是より靈験日々にあらたなりと。延喜帝其の瑞相を叡聞ましまして、額を華厳寺と賜る。其の油湧くこと止ずして今に至り、佛前の常燈に足れると云へり。又一説には大聖文殊赤栴檀の木を以て一刀一禮に一尺三寸40㎝の大悲の像を作り玉ひて御身に華厳経六十巻の文字を著したまふ。又御長七寸の十一面の像を刻み玉ひて其の身中にこめ玉ふ。華坐より諸尊を現し御衣には三千佛の像を刻み玉ふとなり。抑々此の佛本は都仁和寺の邊柳原と云所に在しけるが何の因縁にか美濃國垂井の宿青野が原に飛下り玉ひぬ。其時の檀那は奥州の住人大口の臺良と云ふ人なりしが彼の青野が原において佛も臺良も俄かに見えず、五里を去りて此の谷汲に影向し玉ふ。檀那の臺良やがて寺を建立して崇め奉る。故に六ケ國にかくれなき大福人と成り則ち長者号を蒙ると云へり。又或傳記を見るに大聖文殊佛師と現じて一刀三禮に刻み玉ひ、御身には華厳経六十巻の文字をあらはし玉ふ。彼の願主は奥州大倉太郎と云人。熊野へ三十三度参りて祈誓をかけて建立せりとなり。然るに國本より黄金三千両取りよせ彼の佛を鋳たてまつり、都仁和寺のほとりに安置せしが其れより奥州へ此の佛を所持して下らんとせしに美濃國足井の庄にて大蔵太郎臺良に告勅ましまして、我は此の所に寺を造りて居住せんと言ふ。太郎不思議に思ひて見奉れば御自ら沓をはき笠をきて御出るあり。臺良もあはて御跡を慕ひ参りて見奉れば足井より五里奥の谷汲に御着ましまして爰こそ我が住みける所と仰せられければやがて臺良此の所に寺を建立し奉る。傳へ聞く諸人老若男女参詣し信仰せざるはなしと云々。右の縁起少し違すると云へども古老の傳記等に載せたるに任せて書付け侍り。又此の佛の左の御脇より油出て又右の脇より酒出るによりて此の寺を谷汲寺とも号す云々。

歌に

「今朝までは 親と頼みし笈絃(おひずる)を 脱くや収むる美濃の谷汲」

私に云く、歌の意は「親と頼みし笈絃」とは此のをひずるには諸色を入れて用事を辨ずるものなり。故に親と頼む意最もなり。しかれども最早三十三所を回りをさめたるに依りて此の笈絃を谷汲の観音前におさめて下向する故に「美濃の谷汲」と詠じたまふとなり。往古より祖師皆行脚の砌には笈を荷ひて諸國を回り玉ふ事思て知るべし。已上。次に此の笈絃に付いて傳授あり。則ち観音の尊躰と習ふべし。其の故は観音は我等衆生の悲母なるべし已上。軍書に云く、武羅(ほろ。軍陣の時背に負ふものなり。)と云物あり。源家にては縨と書き平家にては母衣と書き、藤家にては母背衣と書き、橘家にては猛天衣と書く已上。按ずるに此の胞衣は言く、孩児母の胎内にあるとき頭に胞衣を戴き毒を防ぐ故に之二喩ふ。しからば今の笈絃も胎内の衣那袋に喩ふるなるべし。則ち観音の慈悲の尊躰を表して衆生の三毒を防ぐ意なるべし。

又谷汲の歌に

「萬代(よろずよ)の ねがひは 爰に をさめをく 水は苔より 出る谷汲」

「世を照らす 佛の記しるしありければ また燈も消えぬなりけり」

已上西國三十三所観音の真抄

畢んぬ。次下に至って洛陽三十三所の観音の

靈験を明かす者なり。已上。愚篇。

浄土列祖傳五巻世に行はる。

観音靈験記真抄巻之四(已上)

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