福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

還暦求聞持成満の記 その99

2010-01-22 | 還暦求聞持成満の記
9月16日、快晴。1時半~4時半明星禮、諸堂参拝。すばらしい明星禮でした。東の空に月齢26.7の三日月がかかりそこに3時半ごろ明星が出てくださいました。満天の星空に三日月と明星が並んで輝いてくださっています。本尊呪をなんどもおとなえし、「衆生無辺誓願度」をお願いするとご本尊様もこの満天の星のような無量の福徳をもって衆生を守ってやるぞとおっしゃっている気がしました。いままでで一番有難い明星禮でした。自分の心も1段上のステージにあがったような気持ちになりました。ついつい生まれ変わっても衆生済度のために働かせてくださいとお願いしてしまいました。俗世に下りたいまではとてもこのような気持ちが持続していませんが。

第64座は5時から入りました。これも最高の行になりました。睡魔も一切きません。ただただ心から「人々を幸せにしてください」と願うのみの行でした。本心からの願いとして「衆生無辺誓願度」が出ました。本尊呪をおとなえしつつ御本尊を拝していると蓮華を持しておられるあたりから光が何度も発せられます。気のせいだと思い何度も見直すのですがやはりときどき明星のような輝きがでます。あまりに畏れ多いので目を瞑り必死で拝むだけとなりました。
同時にはじめて自分と御本尊様が一体となりました。いままでの自宅の行で大日如来様との一体感は体得できていた感がするのでこれで大日如来様、虚空蔵菩薩様の二体の佛様が自分の中にいらっしゃることになります。(じつはこの後十月六日の神護寺の結縁灌頂でこのことが証明されたのですがこのことはあとで触れます。)こんなに有難い行はいままでにありませんでした。本尊呪のときまたここのご本尊が数々の霊験をお遍路に現されていることも思い出し御本尊がいまも衆生再度のお働きを続けておられることに思いが及び座のうえで泣けて仕方がありませんでした。

こうしていつもの雑念は吹き飛んでしまいました。雑念はなくそうとするよりこうした本来の衆生済度の心のベクトルを強く持ちさえすればおのずと消えていくものだということが証明された気がします。ただこのところが俗世に帰るとむつかしいのですが・・・。

田原亮演先生の本に「三昧は自己が三昧に入るのではない。三昧は如来の三昧そのものである。」「こころをどこにもおかないから安らかである。」と書いてあったことを思い出しました。

「明星に三日月併座、舎心嶽」
「行中に得るところあり法師蝉」
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