江戸時代後期の老中松平定信が貧民救済のため七分積金制度を創設します。その積み立てられたものは明治に入り東京府知事となった旧幕臣大久保一翁が江戸東京で貧民救済のための施設の東京養育院の創設に使われます。その東京養育院の初代院長は渋沢栄一。貧民救済のために奔走しますが、なかなか地域に認められず東京養育院は東京の中を転々とします。社会が貧民を受け入れることを拒みます。ようやく最後は板橋に落ち着きます。そして板橋に落ち着いた東京養育院ですが東京の財政の理由で何度も廃院に追い込まれます。そこで頑張ったのが渋沢栄一。困難を乗り越えて現在の東京都健康長寿医療センターにつながります。困難を乗り越えたのは人間の愛。その歩みこそが人間を豊かにします。
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