電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
ジャムパンの男
2014年4月4日(金)
ジャムパンの男
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00
山手線内回りに乗っていたら年齢七十代前半くらいの男性が乗ってきた。顔が七十代なのに全身が妙に若々しく、どうしてだろうと見ていたら服装や仕草が若々しいのだ。
01
だぶっとしたブルゾンを羽織ってカーゴパンツをはき、短めの裾下にソックスと革靴。黒い大きなバッグを右肩に掛け、左手にこうもり傘を持ち、せかせかと歩く姿は白髪の悪童である。
02
空席を探すわけでもなくドア脇に立ち、外を眺めながらビニール包装を破いてジャムパンを食べ始めた。なぜジャムパンとわかったかというと、かぶりついた直後に赤い断面がちらっと見えたからだ。
03
司馬遼太郎が若い頃書いた随筆に、ジャムパンを食べる男の話があった。確かベテラン記者の昼食風景だったのではないかと思う。食に関する名文だと感動したが、どこにあったか見つけられない。『司馬遼太郎が考えたこと』は分厚い文庫本で 15 巻もあるのだ。
04
男がジャムパンを食べている。ぱくっと食べた断面を眺めながらもぐもぐ噛んで、反対の手に持った牛乳をゴクリと飲み、またジャムパンを食べて断面を眺め…ということを繰り返すのだけれど、あんなにおいしそうなジャムパンの話を読んだことがない。
05
ジャムパンというのは日露戦争当時、銀座木村屋が軍に納めていた杏ジャム入りビスケットのジャムを、あんパンの餡がわりにして作ったもので、大正時代に国産化されたイチゴを使ったジャムパンが登場したのが昭和十年頃、ごく一般的になったのは昭和二十年代後半になってからだ。
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司馬遼太郎は『梟の城』で直木賞をもらった昭和三十五年頃に産経新聞を退社しているが、入社は昭和二十三年なので、外回り記者をしていた頃はまだジャムパンが流行りのハイカラ食品だったわけだ。
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そんなことを思い出しながらじろじろ見ていたら、ジャムパンを食べ終えた白髪の悪童は、次の駅に着くのが待ちきれないかのように、大股でこつこつ音を立てながら前の車両に歩いて行ってしまった。
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