サッカー場のある港町

2016年9月20日
僕の寄り道――サッカー場のある港町

他界した母親の入院治療費を清算して証明書を受け取って以来だから、11年ぶりに市立清水病院にやってきた(9/20)。

入院した叔父を病室に訪ねたら口腔ケアを受けている最中で、おや、口から食べられるようになったのかしらと驚いたが、翌日叔母に確かめたら、この朝から経管栄養ではなくミキサー食のようなものを食べさせてもらっていたらしい。

看護師だと思っていたがそのまま発語訓練が始まり、名札をちらっと見たら言語療法士(ST)だった。「わたしの真似をして同じことを言ってみてください。あっかんべー」などと話しかけ、「そうそう舌が出たね。じゃあわたしが触った方のほっぺたに舌をあててみて」などという訓練についていける叔父を見てちょっと安心した。

続いて看護師がやってきてネブライザーでの酸素吸入が始まり、叔父が目を閉じてしまって所在ないので、窓辺で景色を眺めて写真を撮った。母親の病室は180度反対側だったのだけれど、この病室からは日本平と清水港が見える。

左山の手には清水エスパルスの IAI スタジアム日本平(アイスタ)が、右海の手には清水港が見える。大きなマンションのように見えるのはクルーズ客船セレブリティミレニアムで、このあと台風接近のなか出航していった。

11時に友人が軽トラで迎えに来たので、清水銀座商店街でイベントの打ち合わせをし、昼食をご馳走になって清水駅まで送ってもらい、台風に追われて逃げるように東海道線で帰京した。


コメント ( 4 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
展望室 (薬局の末息子)
2016-09-23 17:48:10
昨年のちょうどいま時分、母が一ヶ月ばかり入院していました。卵巣の良性の腫瘍。相当肥大してしまい、外科手術を選択。で、退院間際になってようやくベッドから降りられるようになって、七階の談話室に連れて行ってもらったら、富士山がきれいに見えるので、見舞客があるとそこに連れて行くのでした。もし、行く機会があればどうぞ(来週からは、父が山の上病院の療養病床入り。老老介護のレスパイト利用…)
 
 
 
時代は変わる (石原雅彦)
2016-09-24 10:17:28
母親が入院していた11年前もよく談話室に行きましたが、今は「携帯が使えます」と書かれていました。今から10年前に山の上病院に行きましたが、祖母がいた20年前とはケアの質が格段に違っていて驚いたものでした。
 
 
 
またもニアミス! (中子)
2016-09-28 20:28:59
 なんと!私も、8月26日から母が市立病院へ10日ほど入院したため、数年ぶりに行きました。(前回は5年ほど前、やはり眼科に通っていた母の迎え)初めて談話室行きましたが、富士山と清水港がよく見えますね。最近、清水港には大型の船がきているそうで見たいと思っているのですが、帰省のタイミングに合いません。
昨日、9月27日に、帰りがけ母の診察についていきました。普段清水に住んでいない人が、数日違いで同じ場所に行ってるのも面白いですね。
 
 
 
清水詣で (石原雅彦)
2016-09-29 04:51:06
「たいへんです」とか言いながら、親や親戚がいるおかげで、いろんな人たちが入れ替わり立ち替わり清水詣でして、どこかでニアミスしているみたいですね。顔を知らない人は気づかないまま。
今日もこれから始発電車で清水行きです。
 
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