人が歩く道の歴史

人が歩く道の歴史
2015年7月23日、編集会議で清水帰省した

 静岡市清水区。旧東海道辻から見る杉山医院。
 旧東海道で写真を撮っているこの地点で標高が3メートルある。その先、杉山医院手前の黄色い舗装あたりの標高が5メートルで、上本宿、下本宿の字名が残る稱名寺集落があった場所になる。江戸時代以前の古い東海道はあのへんになり、杉山医院があるあたりは字名が樹木屋敷で標高8メートルほどある。


 この写真を撮っている場所のすぐ背中側に国道一号線があって、杉山医院あたりとは6メートルの標高差がある。大した違いではないとも言えるけれど、海だった頃に6メートルの深さがあったら背が立たない。海岸線がだんだん沖に遠ざかり、人が歩ける道が山沿いから海沿いに少しずつ移動した歴史が、この細道の見通しの中にある。
 そんな数百年の間にある歴史のことを考えて、ちょっと立ち止まってひと休みしたという、ただそれだけの日記である。

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
校医 (mcberry)
2015-07-26 11:24:18
杉山さんは校医だった関係か、時々学校へ散歩に来られて、鉄棒などやっていました。
卒業するときに「劇団四季なら創立の時に、浅利慶太に金を貸したこと付があるから入れてあげられるぞ」と言われましたが、四季はあまり好きではなかったのでお断りしました。妹さんが四季の創立メンバーなんです。
 
 
 
校医 ()
2015-07-27 07:52:46
一本の通りに見る歴史にまた奥行きが増しました。
細部に味わいのある素敵なコメント、ありがとうございます。
 
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