西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

4世杵屋六三郎・5

2009-02-10 | 三味線弾き (c)yuri saionji
六三郎は一男一女もうけた妻を早くに亡くし、
その後再婚、44才で後妻喜和との間に次女を授かった。
何年チョンガーを続けていたか定かではないし、
いつからそうなったのかも定かではないが、
六三郎は、花魁の部屋でないと作曲できなかった、といわれるほどの吉原中毒。
しかも全くの下戸だったというのだから、色が好きだったのだろう。

家は上野池の端、仕事場の森田座は木挽町(銀座)。
仕事を終えた六三郎は、えっちら、おっちら、池の端を通りこして浅草の吉原へ帰る。

居続けで仕事場へ行き、また吉原へ帰る。
よほどの馴染みの女がいたのだろうが、昔の事とて、喜和も平気。

そんな中で、河東節の「翁千歳三番叟」を吉原バージョンに仕立て直した
悪洒落、「廓三番叟」が作られた(1826年)。
これも歌舞伎を離れた観賞用長唄だ。
翌年の正月弾き初めで、大まじめに演奏されたという。


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